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伝書人は今日も旅をする  作者: 金麦
第一部 風の向こうへ
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22/30

第22話 『高すぎる評価』


 ハルディア砦から戻ってきて、数日。


 カナタの身体は、ほとんど元通りになっていた。


 朝、目を覚ます。


 身体を起こす。


 食事をする。


 そして、いつものように伝書院へ向かう。


 以前と変わらない日常。


 ――ただ一つ。


 伝書院の中で向けられる視線だけが、明らかに変わっていた。


「……おはようございます」


 カナタが受付を通る。


「おはよう」


「おはようございます、カナタさん」


「砦から戻ってきたんですよね?」


「はい」


 以前なら、少し距離を置かれていた。


 何者なのか。


 なぜ魔力が測定不能なのか。


 本当に伝書人としてやっていけるのか。


 そんな疑いの視線があった。


 しかし。


 今は違う。


 カナタが通るだけで、自然と声をかけられる。


「ハルディア砦、本当にすごかったらしいな」


「魔物をあれだけ動かしたって?」


「しかも、ほとんど一人の魔力でやったって聞いたぞ」


「俺だったら怖くて無理だな……」


 聞こえてくる会話。


 カナタは少し困ったように頭を掻いた。


「……なんか、変わったな」


「そうですね」


 隣のリーゼが答える。


「カナタを見る目が、以前とは全然違います」


「前は疑われてたもんな」


「はい」


「今は?」


「今は……」


 リーゼは少し考える。


「期待されすぎている気がします」


「……それも困るな」


 カナタは苦笑した。


 その日の午前。


 伝書院の会議室では、幹部たちによる会議が開かれていた。


 議題は。


 ハルディア砦で発生した一連の事件。


 そして。


 その中心にいた一人の伝書人についてだった。


「今回の件は、正式に王都へ報告する必要があります」


「すでに報告書は作成しています」


「魔物の群れを大規模に誘導したのは?」


「白石カナタです」


 名前が出た瞬間。


 会議室に短い沈黙が落ちる。


「彼の魔力は?」


「以前の測定結果と変わりません。測定不能です」


「測定不能……」


 一人の幹部が腕を組んだ。


「つまり、現時点でも正確な総量は分からない、と」


「はい」


「それで、今回の魔物誘導を?」


「彼の魔力によるものと考えられています」


 別の男が口を開く。


「ならば」


 声が低くなる。


「彼を軍に引き入れるべきではないでしょうか」


 室内の空気が変わった。


「軍に?」


「これほどの魔力を持つ人間を、伝書人として使い続ける理由がありますか?」


「あります」


 即座に答えたのはセレフィナだった。


「彼は伝書人として採用された人間です」


「ですが、今回の件を見れば――」


「彼が戦闘を目的としているわけではありません」


「結果として、砦を救った」


「それは事実です」


 セレフィナは静かに続ける。


「しかし、だからといって軍人にする理由にはなりません」


「彼の力は国家にとって非常に大きな価値があります」


「だからこそです」


 セレフィナの声が少しだけ強くなる。


「彼を力として扱うべきではありません」


 会議室が静まり返る。


 しかし。


「そう簡単な話ではないでしょう」


 別の者が言った。


「魔物の大群を一人で誘導できるほどの魔力ですよ。もし敵国に狙われたら?」


「伝書院で管理していて、本当に安全だと言い切れますか?」


「……」


 セレフィナは答えなかった。


 すると。


 会議室の扉が開いた。


「失礼します」


 入ってきたのは、王都から派遣された軍務官だった。


 手には封蝋された書類がある。


「王国軍本部より、正式な照会書です」


 セレフィナが眉を寄せる。


「正式な……?」


「はい」


 男は書類を机の上に置いた。


「白石カナタ氏について、軍務適性の調査を開始するとのことです」


 室内がざわめいた。


「調査?」


「本人の意思を確認する前に?」


「王国軍として必要な人材かどうかを判断するためのものです」


 軍務官は淡々と答えた。


「ハルディア砦での功績を考慮し、王都軍本部は彼を特別戦術要員候補として扱う方針です」


 セレフィナの表情が険しくなる。


「彼は軍人ではありません」


「現時点では、そうですね」


「伝書人です」


「承知しています」


「ならば――」


「ですが」


 軍務官は遮った。


「王国軍には、国家防衛上必要な人材を調査する権限があります」


 セレフィナは黙った。


 それは事実だった。


 魔力が測定不能。


 大規模な魔力行使が可能。


 そして。


 実際に砦を救った。


 これだけの条件が揃えば。


 軍が目をつけない方が不自然だった。



 午後。


 カナタがいつもの仕事をしていると。


「カナタ」


 セレフィナから呼ばれた。


「はい」


「少し、院長室へ来てください」


 声がいつもより硬い。


 カナタは首を傾げながら、後をついていった。


「何かありました?」


 院長室。


 セレフィナは机の上に一枚の書類を置いた。


「これを見てください」


「……?」


 カナタが紙を取る。


 王国軍の紋章。


 正式な書類。


 そこに。


 自分の名前が書かれていた。


「……俺?」


「はい」


「軍?」


「王国軍からの正式な照会です」


 カナタは書類を読み進める。


 そこには。


 軍務適性調査。


 魔力能力確認。


 戦術運用適性。


 そして。


 王国軍への所属変更を含む協議。


 そんな文字が並んでいた。


「……これ」


 カナタの眉が寄る。


「断れるんですか?」


 セレフィナは少し間を置いた。


「簡単には、いかないでしょう」


「……」


「あなたには拒否する意思を示す権利があります」


「じゃあ、断れば」


「それで終わるとは限りません」


 カナタは顔を上げた。


「どういうことですか?」


「王国軍は、あなたの魔力を国家防衛に利用できる可能性があると考えています」


「俺は戦争するつもりなんてないです」


「分かっています」


「伝書人を続けたい」


「それも分かっています」


 セレフィナは静かに答えた。


「ですが、あなた自身の意思だけで決められない状況になりつつあります」


「……」


「今回の砦で、あなたは多くの命を救いました」


「でも、あれは……」


「結果が重要視されています」


 カナタは黙り込む。


 自分としては。


 魔物を倒したわけではない。


 ただ。


 砦を守るために。


 自分にできることをしただけだった。


 しかし。


 国から見れば。


 それは。


 一人の人間が大規模な魔力を使って戦場を変えた。


 そういう出来事だった。


 翌日。


 さらに状況は動いた。


 伝書院に。


 王国軍から正式な使者が来た。


「白石カナタ殿との面談を希望します」


 伝書院の職員たちがざわめく。


「本人への面談ですか?」


「はい」


 使者は一枚の書類を取り出した。


「王国軍本部からの正式な要請です」


「いつですか?」


「三日後」


「三日後……」


「場所は王都軍務庁舎」


 カナタはその話を聞いていた。


「俺、行かないといけないんですか?」


 使者はカナタを見る。


「あなたの意思を確認するための面談です」


「じゃあ、断っても?」


「もちろん、あなたには意思を示す権利があります」


 そこで一度言葉を切る。


「ただし」


「……?」


「今回の件については、王国軍だけでなく、王国上層部も関心を持っています」


 その言葉は。


 実質的な圧力だった。


 その夜。


 月影亭。


 カナタは食事をしながら、難しい顔をしていた。


「……軍か」


「はい」


 向かいのリーゼも表情が暗い。


「本当に行かなきゃいけないの?」


「形式上は面談です」


「形式上……ね」


「はい」


 リーゼは少し黙る。


「カナタ」


「ん?」


「もし軍から正式に勧誘されたら」


「断るよ」


 即答だった。


「俺は伝書人だから」


 リーゼは少し目を見開く。


「……迷わないんですね」


「迷う理由がない」


 カナタは箸を置く。


「俺がここに来てから、一番楽しかったのは旅して、手紙を届けた時だった」


「……」


「村の人が待ってたり」


「はい」


「誰かのために書かれた手紙を、その人に届けたり」


 カナタは笑った。


「俺は、そっちの方が好きだ」


 リーゼはしばらく黙っていた。


 そして。


「……なら、私もできる限り守ります」


「リーゼ?」


「カナタが望まない場所へ、無理やり連れていかれないように」


 その声は。


 いつもの穏やかなものより、ずっと強かった。


 翌朝。


 さらに一通の書類が届いた。


 王国軍からではない。


 王国中央からだった。


 内容を確認したセレフィナは。


 しばらく無言だった。


「……これは」


 書類には。


 こう記されていた。


 ――白石カナタの魔力能力について、王国軍との共同管理体制を検討する。


 ――伝書院は、その活動及び魔力使用について報告義務を負う。


 ――国家防衛上必要と判断された場合、王国軍による召集を妨げない。


 セレフィナの手が。


 ゆっくりと書類を握る。


「……ここまで来ましたか」


 ただの勧誘ではない。


 軍は。


 カナタを欲しがっている。


 そして。


 王国もまた。


 彼の力を手放すつもりはない。


 セレフィナは窓の外を見る。


 その視線の先には。


 伝書院の廊下を歩くカナタとリーゼがいた。


 いつものように。


 並んで歩いている。


 その姿を見ながら。


 セレフィナは静かに呟いた。


「……この子を、兵器にはさせません」


 しかし。


 それがどこまで通じるのか。


 まだ分からない。


 その日の午後。


 カナタは魔力訓練を行っていた。


 以前のように。


 大きな魔力を一気に使うことはしない。


 小さく。


 細く。


 自分の中を流す。


「……戻ってきてる」


 ハルディア砦で空になった魔力は。


 まだ完全ではない。


 それでも。


 日に日に戻ってきていた。


 リーゼが隣で見守っている。


「順調ですね」


「うん」


「顔色も良くなりました」


「もう大丈夫」


「その言葉、少し信用できません」


「なんで?」


「前にも聞きましたから」


「……確かに」


 二人で笑う。


 カナタの身体は。


 確実に回復していた。


 けれど。


 力が戻るほど。


 その力を狙う者も増えていく。


 カナタはまだ知らない。


 自分が伝書人として歩き始めた道が。


 いつの間にか。


 王国そのものを巻き込む問題へ変わり始めていることを。


 そして。


 次に待っているのは。


 ただの勧誘ではない。


 ――王国軍との正式な対話だった。

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