第18話 集まる魔物
翌朝。
空が白み始める前に、カナタとリーゼはリュネアの北東門へ向かった。
「忘れ物はありませんか?」
「大丈夫」
「水は?」
「ある」
「食料、地図、魔法灯、応急手当用品」
「全部あるって」
カナタが腰の鞄を叩く。
中には、白い封蝋で封じられた一通が入っていた。伝書院の正式な印が押された、ハルディア砦宛ての緊急報告だ。
「重要な任務ですから」
「分かってるよ」
「では、行きましょう」
二人は北東へ続く街道を歩き始めた。
◇
最初の数時間は、何事もなかった。
街道は整備され、朝の風も穏やかだ。けれど、二人は周囲への警戒を解かなかった。
道の脇。
森の中。
遠くの丘。
魔物の痕跡を探しながら進んでいると、カナタが足を止めた。
「リーゼ。あれ」
街道脇の土に、いくつもの足跡が残っていた。
リーゼがしゃがみ込み、形を確かめる。
「昨日の報告にあった魔物のものです」
「一匹?」
「いいえ。複数います」
足跡は森から出て街道を横切り、北東側の森へ続いていた。
「……みんな同じ方へ向かってる」
「偶然でしょうか」
「分からない。でも、気になるな」
二人は足跡を追わず、そのまま街道を進んだ。
◇
昼前、小さな休憩所で足を止めると、先に休んでいた商人たちが声をかけてきた。
「伝書人か?」
「はい。ハルディア砦へ向かっています」
リーゼが答えると、年配の商人は顔を曇らせた。
「なら、気をつけた方がいい。昨日、街道の先で魔物の群れを見た」
「どのくらいです?」
「十匹以上はいた。最近、あの辺りは様子がおかしい」
「魔物が増えているんですか?」
「ああ。以前なら一匹見かけるかどうかだった場所に、何匹も出るようになった」
別の商人が続ける。
「しかも、砦に近づくほど数が増えている」
「砦に?」
カナタが聞き返す。
「まるで、何かに引かれているみたいにな」
その言葉に、カナタは街道の先を見た。
ハルディア砦は、まだ見えない。
だが、足跡の向かう先は同じだった。
◇
休憩を終えてしばらく進むと、森の奥で枝が鳴った。
ガサッ。
二人は同時に足を止める。
リーゼが短剣に手を添えた。
「気配があります」
「一匹?」
「……複数です」
木々の間で影が動いた。
一つ。
二つ。
さらにいくつも。
魔物たちは二人を襲うことなく、森を抜けて街道の先へ向かっていく。
「刺激しないでください」
「分かってる」
二人は道の端へ寄り、十分な距離を取って群れをやり過ごした。
魔物の姿が見えなくなってから、カナタが呟く。
「さっきの足跡と同じだ」
「はい。あの群れも砦へ向かっているのでしょう」
リーゼは、魔物が消えた方角を見つめた。
「まだ、そうと決まったわけではありません」
「でも、可能性は高そうだ」
◇
午後になると、街道の様子はさらに荒れていた。
折れた枝。
荒らされた草むら。
新しい爪痕。
そして、道端には壊れた荷車が転がっていた。
木箱が散らばり、外れた車輪が泥に埋まっている。地面には爪痕が残っていたが、血の跡は少なかった。
「襲われたんでしょうか」
「たぶん。でも、荷車の壊れ方を見ると、逃げようとして事故を起こしたのかもしれない」
リーゼは周囲を確認する。
「怪我人が出たという話もありましたね」
「うん」
カナタは荷車を見下ろした。
魔物の目撃情報だけなら、まだ偶然だと言えたかもしれない。
だが、群れの出現、荒らされた街道、負傷者。
異常は、すでに人の暮らしへ影響を及ぼしている。
◇
夕方。
丘を越えると、遠くにハルディア砦が見えた。
その周囲に広がる平地には、いくつもの影が動いている。
「……あれは」
カナタが目を凝らす。
森から出てくるもの。
丘を越えてくるもの。
遠くから歩いてくるもの。
様々な魔物が、砦の周辺へ集まっていた。
「聞いていた数より、ずっと多いです」
リーゼの声が硬くなる。
群れの中には、四足で歩く巨大な獣や、岩のような身体を持つ大型の魔物まで混じっていた。
「大型までいるのか……」
カナタは息を呑む。
しかし、魔物たちは砦を襲ってはいなかった。
一定の距離を保ちながら、周囲を取り囲むように集まっている。
「攻撃していませんね」
「うん」
「では、何をしているのでしょう」
カナタは答えられなかった。
ただ、群れの視線と動きが、砦の一点へ向けられているように見えた。
◇
砦から警戒鐘が響いた。
――ゴーン。
城壁の上で兵士たちが動き始める。弓を構える者、魔法の準備をする者、門を閉める者。
「正面から行くのは危険です」
リーゼが言った。
カナタは地図を広げる。
「東側に小さな道がある。遠回りになるけど、あそこからなら近づけそうだ」
「では、そこへ」
二人は街道を外れ、魔物の群れを避けながら砦へ向かった。
近づくほど、群れの異様さがはっきりする。
魔物たちは互いに争うこともなく、ただ砦の周囲に集まり続けていた。
その時、カナタの胸元で何かが震えた。
「……?」
取り出したのは、いつも持ち歩いている青い羽根だった。
羽根は、ハルディア砦へ向けるとわずかに震え、淡い熱を帯びた。
「また反応してる……」
「カナタの魔力に?」
「分からない」
カナタは羽根を握りしめ、砦を見た。
「なんだよ、これ……」
魔物が集まっている理由は、まだ分からない。
けれど、偶然ではない。
何かが、この場所へ魔物を引き寄せている。
◇
砦の門前までたどり着くと、兵士が二人を呼び止めた。
「止まれ!」
「伝書人です!」
リーゼが伝書院の徽章を掲げる。
「リュネアの伝書院から、ハルディア砦宛ての緊急伝書を届けに来ました!」
兵士の表情が変わった。
「すぐに中へ!」
門がわずかに開き、二人は急いで中へ滑り込んだ。
背後で重い門が閉じる。
ドンッ。
「……着いた」
カナタが息を吐く。
だが、砦の中も落ち着いてはいなかった。
怪我をした兵士が治療を受け、隊長らしき人物が次々と指示を飛ばしている。誰もが城壁の外を警戒していた。
「外の魔物は?」
カナタが尋ねる。
「今朝から、さらに増えました」
兵士は苦い顔をした。
「このままでは、砦が完全に囲まれます」
カナタとリーゼは顔を見合わせた。
街道で見た足跡。
商人たちの証言。
砦を囲む群れ。
そして、青い羽根の反応。
すべてが、ハルディア砦を中心に繋がり始めている。
カナタは鞄の中の封筒に触れた。
この手紙を届けるために、二人はここまで来た。
けれど、手紙に記された異常は、目の前で起きている事態の一端にすぎないのかもしれなかった。




