第17話 増え始めた魔物
最初に。
カナタがそれに気づいたのは。
いつもの道だった。
「……あれ?」
東側の集落へ向かう途中。
カナタは街道脇で足を止めた。
草むら。
その中に。
いくつかの足跡が残っている。
四本足。
それほど大きくはない。
けれど。
「……この辺、こんなにいたっけ?」
カナタはしゃがみ込む。
足跡の形を見る。
魔物。
以前にも何度か見たことがある種類だった。
ただ。
数が多い。
一つ。
二つ。
三つ。
さらに奥にも。
いくつもの跡が続いている。
「……」
カナタは周囲を見渡した。
森は静かだった。
鳥の声。
風で揺れる木々。
いつもと変わらない景色。
なのに。
何かがおかしい。
カナタは無理に近づかなかった。
そのまま街道へ戻る。
そして。
いつもより少しだけ周囲を警戒しながら歩いた。
◇
伝書院へ戻った夕方。
「今日、魔物を見た?」
報告書を受け取った職員が尋ねた。
「見ました」
「何匹くらい?」
「直接見たのは一匹です」
カナタは答える。
「でも、途中で足跡をいくつか見ました」
「足跡?」
「はい。たぶん同じ種類です」
職員の手が止まった。
「……どの辺ですか?」
「東側の街道から少し外れたところです」
「そうですか」
職員は記録を確認する。
「実は」
「?」
「最近、同じような報告が増えているんです」
カナタは顔を上げた。
「魔物が?」
「はい」
その一言が。
妙に重く聞こえた。
「ここ数日で、目撃報告がかなり増えています」
「前から?」
「以前から多少はいました。でも、今までとは明らかに数が違います」
職員は記録簿を開く。
「東側だけじゃありません」
指で地図をなぞる。
「南側」
次に。
「西側」
そして。
「森の近くでも」
印がいくつも付いている。
「……増えてる」
「はい」
カナタは地図を見る。
知らないうちに。
街の周辺が。
魔物の印で埋まり始めていた。
◇
「院長に報告しましょう」
職員が言った。
カナタとリーゼは。
すぐにセレフィナのところへ向かった。
「魔物の増加についてですね」
セレフィナは。
すでに把握していた。
「はい」
リーゼが答える。
「カナタが東側で足跡を確認しました」
「なるほど」
セレフィナは地図を広げる。
そこには。
いくつもの印が付いていた。
「これは……」
カナタが呟く。
「数日前から記録しています」
セレフィナは静かに言う。
「リュネア周辺だけではありません」
「え?」
「近隣の村からも報告が来ています」
セレフィナが別の書類を取り出す。
「家畜が襲われた」
「街道で魔物を見た」
「森から出てきた魔物が村の近くまで来た」
一つ。
また一つ。
被害の報告が並んでいる。
「怪我人も出ています」
その言葉に。
カナタは黙った。
「重傷者は?」
「幸い、今のところ命に関わるほどではありません」
セレフィナは答える。
「ですが」
少し間を置く。
「問題は、種類です」
「種類?」
カナタが聞き返す。
「最近確認されている魔物の中に」
セレフィナが地図の端を指す。
「普段、この周辺には現れないものが混ざっています」
◇
その日の夕方。
伝書院の掲示板には。
新しい注意書きが貼られた。
《周辺地域における魔物出現数増加について》
不要な外出を控えること。
街道から外れないこと。
単独行動の際は十分に注意すること。
異常を確認した場合は速やかに報告すること。
カナタは。
その文章を何度も読んだ。
「……大型魔物?」
掲示の下には。
最近確認された魔物についての情報も書かれている。
その中に。
一つ。
明らかに他とは違う名前があった。
「グラウドベア……」
リーゼが横から呟く。
「知ってる?」
「はい」
リーゼの表情が少し険しくなる。
「森の奥や山間部に生息する大型の魔物です」
「大型って、どれくらい?」
「立ち上がれば、人の倍近くになることもあります」
「……」
カナタは掲示を見る。
「そんなのが、この辺に?」
「普通なら、もっと遠くにいるはずです」
リーゼは続ける。
「リュネア周辺で確認されることは、ほとんどありません」
「じゃあ」
「はい」
リーゼは小さく頷いた。
「何かが起きています」
◇
翌朝。
伝書院の空気は。
いつもとは違っていた。
職員たちが慌ただしく動いている。
受付には。
普段より多くの問い合わせ。
各地から届く報告。
そして。
伝書人たちへの指示。
「南側の街道は、当面二人以上で行動」
「東の集落への便は時間を短縮」
「森沿いの道は使用禁止」
「大型魔物の目撃情報が入った地域には近づかないこと」
次々に。
新しい指示が出される。
カナタはその様子を見ながら。
いつもと違う緊張感を感じていた。
「……かなり大変そうですね」
「そうですね」
リーゼも。
珍しく冗談を言わなかった。
「伝書人の仕事は、こういう時ほど忙しくなります」
「忙しく?」
「はい」
リーゼは答える。
「村から街へ」
「街から村へ」
「状況を知らせる手紙が増えます」
「……そっか」
カナタは気づく。
魔物が増えれば。
人々の移動が減る。
だからこそ。
情報を届ける必要が増える。
「伝書人って」
カナタは呟いた。
「平和なときだけ必要な仕事じゃないんだな」
「はい」
リーゼは微笑む。
「むしろ、こういう時こそ必要なんです」
◇
その日の午前。
「カナタ」
呼ばれた。
「はい」
振り返る。
そこにはセレフィナが立っていた。
「少し時間をもらえますか?」
「もちろん」
「リーゼも一緒に」
「はい」
二人は院長室へ入った。
扉が閉まる。
セレフィナは机の上に一通の封筒を置いた。
白い封蝋。
伝書院の正式な印。
「これを見てください」
カナタが手に取る。
「……?」
普通の手紙に見える。
「この手紙を」
セレフィナが言った。
「今日中に届けてほしいのです」
「どこへ?」
セレフィナは。
地図を広げた。
そして。
リュネアから北東へ伸びる道を指した。
「ハルディア砦です」
「……砦?」
カナタの表情が変わる。
「はい」
そこは。
カナタが今まで行ったことのない場所だった。
「かなり遠いですよね」
「普通なら、そうです」
セレフィナは答える。
「ですが、今は通常の伝書人を向かわせるのが難しい」
「魔物がいるから?」
「それもあります」
セレフィナは。
一枚の別紙を差し出した。
「昨日、砦から届いた報告です」
カナタが読む。
魔物の増加。
街道封鎖の可能性。
周辺集落への警戒要請。
そして。
「……援軍要請?」
「はい」
セレフィナが頷く。
「この情報を、王都側の伝書院へ届ける必要があります」
「王都に?」
「正確には」
セレフィナは首を横に振る。
「王都へ向かう伝書人へ渡すための中継所です」
「なるほど」
カナタは封筒を見る。
「じゃあ、この手紙は……」
「ハルディア砦からの正式な緊急報告です」
カナタの表情が引き締まる。
「重要なんですね」
「非常に」
◇
「……それで」
リーゼが口を開いた。
「なぜカナタなのですか?」
セレフィナを見る。
その問いは。
カナタ自身も気になっていた。
「もっと経験のある伝書人がいるでしょう」
「います」
セレフィナは即答した。
「ですが」
地図の上に指を置く。
「今、経験のある伝書人の多くは別の任務に出ています」
「……」
「魔物の増加によって、各方面への連絡が必要になっています」
さらに。
「そして」
セレフィナはカナタを見る。
「今回のルートには、いくつかの問題があります」
「問題?」
「一部の街道が使えない可能性があります」
「……」
「状況によっては、予定された道を変更しなければならない」
セレフィナは続ける。
「あなたは地図を見るのが早い」
「……」
「危険を察知して、無理をしない判断もできる」
カナタは。
今までの仕事を思い出した。
「そして」
セレフィナは静かに言った。
「あなたは、帰ってくる」
「……」
「伝書人にとって、それは非常に重要な能力です」
◇
「ただし」
セレフィナの声が少し低くなる。
「簡単な仕事ではありません」
封筒を見る。
「大型魔物が確認されている地域を通ります」
「……」
「もちろん、危険が確認された場合は撤退してください」
「はい」
「手紙より命を優先する」
「分かりました」
「絶対に無理をしない」
「はい」
そして。
「リーゼ」
「はい」
「同行をお願いします」
「承知しました」
リーゼはすぐに答えた。
カナタは少し驚く。
「リーゼも?」
「当然です」
リーゼはカナタを見る。
「今回は危険度が違いますから」
「……そっか」
少しだけ。
安心した。
けれど。
同時に。
胸の奥に緊張が生まれていた。
今までの仕事とは。
明らかに違う。
◇
院長室を出る。
廊下を歩きながら。
「カナタ」
リーゼが呼ぶ。
「うん」
「怖いですか?」
「……ちょっと」
正直に答えた。
「そうですよね」
「でも」
カナタは封筒を見る。
「行かなきゃいけないんだろ?」
「はい」
「だったら」
一度。
深呼吸する。
「ちゃんと届けたい」
リーゼは。
しばらく黙っていた。
やがて。
「……はい」
柔らかく笑った。
「私も一緒に行きます」
◇
その日の午後。
二人は準備を始めた。
地図。
食料。
水。
簡易テント。
応急手当用品。
予備の魔法灯。
そして。
緊急時に使うための魔道具。
「いつもの単独任務とは全然違うな」
「はい」
リーゼが確認する。
「今回は遠距離ですから」
「どのくらい?」
「往復で三日を予定しています」
「三日……」
カナタは地図を見る。
リュネアから北東へ。
街道を進み。
途中で山道へ入る。
その先にハルディア砦。
「……結構ある」
「でも」
リーゼが言う。
「二人なら大丈夫です」
「うん」
カナタは頷いた。
荷物を確認する。
手紙。
絶対に濡らさない。
なくさない。
宛先を間違えない。
そして。
必ず帰る。
いつもの仕事と。
同じだった。
ただ。
その「いつも」が。
少しだけ重くなった。
◇
準備を終えた頃。
カナタは一人で外へ出た。
空を見る。
夕方の空。
薄い雲が流れている。
「……魔物か」
今まで。
旅をしてきた。
森を歩いた。
知らない道を歩いた。
魔物を見たこともある。
けれど。
どこかで。
この世界は穏やかだと思っていた。
もちろん危険はある。
それでも。
毎日手紙を届ける。
人と人を繋ぐ。
そんな仕事を続けられる世界だと思っていた。
けれど。
少しずつ。
何かが変わり始めている。
「……」
カナタは。
胸元に手を入れた。
そこには。
あの青い羽根がある。
いつもなら。
何も感じない。
けれど。
「……?」
ほんの一瞬。
羽根が。
温かくなった気がした。
「……また?」
カナタが取り出す。
淡い青色の羽根。
夕日の中で。
ほんのわずかに光っている。
カナタは首を傾げた。
「なんだろうな……」
その時。
「カナタ」
後ろから声がした。
「準備、終わりましたよ」
リーゼだった。
「うん」
カナタは羽根をしまう。
「明日、早いですから」
「分かってる」
「では、今日はしっかり休みましょう」
「うん」
二人は並んで歩き出す。
明日。
二人は。
危険が増え始めた街道へ向かう。
届ける手紙は。
一通だけ。
けれど。
その一通が。
これからの人々の動きを変えるかもしれない。
伝書人として。
初めて任された。
「重要な仕事」。
そして。
その旅は。
カナタがこれまで歩いてきた旅とは。
少し違うものになる。
まだ。
二人は知らなかった。
この魔物の増加が。
単なる偶然ではないことを。
そして。
カナタが届けることになる一通の手紙が。
この先の旅に。
大きく関わっていくことを。




