第16話 旅の途中で
それから。
カナタの仕事は、少しずつ変わっていった。
最初の単独任務を終えてから。
一人で任される配達が増えた。
「カナタさん、今日はこれをお願いします」
「はい」
「エルナ地区の南側です」
「分かりました」
「帰りに伝書院へ寄る荷物もあります」
「了解です」
一通。
二通。
時には三通。
距離も少しずつ伸びていく。
もちろん、まだ見習いだ。
危険な地域には行かせてもらえない。
魔物が多い場所や、天候が不安定な場所では必ず先輩の伝書人が同行する。
それでも。
カナタが一人で歩く時間は、確実に増えていた。
◇
ある日の朝。
「今日は一人ですか?」
リーゼが尋ねる。
「うん」
「どちらまで?」
「エルナ地区を抜けて、東側の集落まで」
「片道は?」
「二時間くらい」
「……」
リーゼが少し心配そうな顔をする。
「大丈夫」
「そう言われると思いました」
「昨日も行った道だし」
「昨日は私が一緒でした」
「でも道は覚えてる」
「それは信用しています」
リーゼは地図を見る。
「天候も問題ありません」
「うん」
「では」
リーゼは小さな袋を渡す。
「予備の水です」
「ありがとう」
「それから、帰りが遅くなったら無理せず途中の宿場で休んでください」
「分かった」
「魔力も必要以上に使わないこと」
「分かってるって」
「カナタの場合は、本当に大事なことですから」
リーゼは真剣な顔をしていた。
「分かった」
カナタは笑う。
「行ってくる」
「はい」
リーゼも笑った。
「気をつけてくださいね」
◇
最近のカナタは。
一人で歩くことにも慣れてきた。
最初は。
何度も地図を確認していた。
今は。
道を見れば、だいたい分かる。
この先に分岐がある。
この道は雨が降るとぬかるむ。
あの丘を越えれば集落が見える。
そういう感覚が。
少しずつ身についてきた。
そして。
伝書人として、一番大切なことも。
少しずつ分かってきた。
急がない。
無理をしない。
手紙を濡らさない。
なくさない。
宛先を間違えない。
そして。
必ず帰ってくる。
「……」
カナタは手紙の入った袋を確認する。
問題なし。
そのまま歩く。
風が吹く。
草が揺れる。
空には薄い雲。
今日も。
いい旅になりそうだった。
◇
夕方。
「ただいま」
「おかえりなさい」
伝書院へ戻ると、受付の職員が笑顔で迎えてくれた。
「無事に届けられました」
「お疲れさまでした」
報告書を提出する。
「道中は?」
「問題なし」
「魔物は?」
「遠くで一匹見ましたけど、近づいてきませんでした」
「なるほど」
「天候も問題ありませんでした」
「それなら大丈夫ですね」
職員が記録を書く。
その様子を。
少し離れた場所からリーゼが見ていた。
「……」
カナタが戻ってくる。
それだけで。
少し安心する。
以前なら。
外へ出るたびに心配していた。
けれど今は。
少しずつ。
送り出すことにも慣れてきた。
「お疲れさまでした」
リーゼが声をかける。
「ただいま」
「どうでしたか?」
「普通だった」
「それが一番です」
二人で笑った。
◇
仕事が終わる。
夕食まで少し時間があった。
「魔法の練習、しますか?」
リーゼが尋ねる。
「うん」
カナタも頷いた。
二人はいつもの訓練室へ向かった。
最近は。
魔力の量を測ることより。
制御することを中心にしている。
「今日は何をする?」
「魔力循環です」
「循環?」
「はい」
リーゼは説明する。
「外へ出すのではなく、体の中で魔力をゆっくり循環させます」
「難しそう」
「最初は簡単です」
カナタが目を閉じる。
自分の中にある魔力を感じる。
大きい。
深い。
以前より。
その感覚が分かるようになってきた。
「ゆっくりです」
「うん」
「急がないでください」
「分かった」
魔力を動かす。
ゆっくり。
少しずつ。
身体の中を巡らせる。
「……」
リーゼがカナタの手に触れる。
「私も流れを確認します」
「うん」
魔力の流れを合わせる。
その瞬間。
「……あ」
リーゼが小さく声を漏らした。
「どうした?」
「いえ……」
リーゼは目を閉じる。
「少し……温かいですね」
「いつも言ってるな」
「はい」
けれど。
今日は。
それだけではなかった。
カナタの魔力が。
指先から伝わってくる。
深い。
大きい。
それなのに、不思議なほど穏やかだった。
まるで。
どこまでも続く水の流れに。
自分の魔力が溶け込んでいくような感覚。
「……」
リーゼは眉を寄せる。
「リーゼ?」
「すみません」
「何か変?」
「少し……変です」
リーゼはカナタの手を見つめる。
「カナタの魔力って、こんな感じでしたか?」
「え?」
「前より……近く感じます」
「近く?」
「はい」
リーゼは自分でも上手く説明できない。
魔力感知は、伝書人として身につけている技術の一つだ。
相手の魔力の強さ。
流れ。
属性。
乱れ。
そういったものを感じ取る。
だが。
カナタの魔力だけは。
それらとは違う。
まるで。
触れているだけで。
魔力の奥にあるものまで伝わってくる。
「……変ですね」
「嫌?」
「いいえ」
リーゼは小さく首を振った。
「むしろ……」
言葉を止める。
「むしろ?」
「落ち着きます」
カナタの魔力が。
ゆっくりと身体を巡る。
すると。
張っていた肩の力が抜けていく。
呼吸が深くなる。
身体が温かくなる。
「……これ」
リーゼが小さく呟く。
「お酒を飲んだときみたいな感じです」
「酔ってる?」
「たぶん……少し」
リーゼの頬が少し赤くなる。
目元も柔らかくなっていた。
「変ですね」
「大丈夫?」
「はい」
けれど。
リーゼはカナタの手を離さなかった。
「もう少しだけ」
「え?」
「このまま……」
リーゼは目を閉じる。
「もう少し、魔力を感じていたいです」
「疲れない?」
「不思議と……」
リーゼは静かに息を吐く。
「嫌じゃないんです」
カナタは少し困った顔をする。
「でも、前みたいに倒れたら困るだろ」
「……それは」
「今日はここまでにしよう」
「……はい」
カナタが魔力を止める。
途端に。
リーゼが小さく息を吐いた。
「……あ」
「どうした?」
「もう終わりなんですね」
「うん」
「……少し残念です」
「リーゼ」
「分かっています」
リーゼは苦笑した。
「自分でも、少しおかしいと思っています」
◇
カナタが魔道具を片付けている間。
リーゼは自分の手を見ていた。
「……」
「どうした?」
「いえ」
リーゼは首を振る。
「少しだけ、気になることがあって」
「何?」
「私、魔力感知は得意なんです」
「そうなの?」
「伝書人の訓練でも、それなりに評価されていました」
リーゼは自分の指先を見る。
「だから、他人の魔力がどういうものなのかは、ある程度分かります」
「うん」
「でも」
リーゼはカナタを見る。
「カナタの魔力だけは、少し違うんです」
「どう違う?」
「説明できません」
「そっか」
「ただ……」
少し考える。
「普通の魔力より、ずっと深く感じるんです」
「深い?」
「はい」
「それって、俺の魔力量が多いから?」
「最初は、そう思っていました」
リーゼは頷く。
「でも、違う気がします」
「……」
「量だけでは説明できない感じです」
そのとき。
机の端に置いてあった青い羽根が。
ほんの一瞬だけ。
淡く光った。
「……!」
リーゼが振り向く。
「今……」
「ん?」
「羽根」
カナタも見る。
しかし。
もう何も起きていない。
「光った?」
「はい」
「俺の魔力?」
「たぶん……」
リーゼは羽根を手に取る。
すると。
何も起こらない。
「……」
カナタが触れる。
淡い光。
「やっぱり俺だけか」
「……そうですね」
リーゼは少し考える。
そして。
「でも」
「うん?」
「今は、私がカナタの魔力に触れている状態で反応しました」
「……」
二人で羽根を見る。
「偶然かな」
「分かりません」
リーゼは羽根を机へ戻した。
「今は、記録しておきましょう」
「うん」
「いつか、何か分かるかもしれません」
◇
訓練室を出る。
リーゼは少し壁に手をつきながら歩いていた。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
「酔ってるみたい」
「……少しだけ」
「顔赤いぞ」
「言わないでください」
「水飲む?」
「お願いします」
休憩室で水を飲む。
しばらくすると。
リーゼの表情も落ち着いてきた。
「……もう大丈夫です」
「よかった」
「カナタ」
「ん?」
「今日の魔力制御」
「うん」
「かなり上達しましたね」
「そう?」
「はい」
リーゼは嬉しそうに笑う。
「以前なら、あれだけの魔力を循環させたら、途中で暴れていました」
「今は?」
「ちゃんと流れています」
「じゃあ成功?」
「大成功です」
「よし」
カナタも笑った。
リーゼは少し黙ってから。
「ただ」
「うん?」
「私が慣れるまでは、長時間の訓練は控えましょう」
「分かった」
「どうも私は、カナタの魔力を感じると、少し気が緩んでしまうみたいです」
「酔っ払うみたいに?」
「はい」
「面白いな」
「面白がらないでください」
「ごめん」
リーゼも笑う。
「でも」
リーゼは自分の手を見る。
「不思議です」
「何が?」
「カナタの魔力は、とても大きいのに」
「うん」
「触れていると、怖さを感じないんです」
「……」
「むしろ、落ち着く」
リーゼは少し考える。
「もしかしたら」
「うん?」
「私とカナタの魔力の相性が、とてもいいのかもしれません」
「相性?」
「魔力にも相性がありますから」
「なるほど」
「ただ、ここまで極端なのは聞いたことがありません」
リーゼは笑う。
「カナタは本当に、普通じゃないですね」
「褒めてる?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
二人で笑った。
けれど。
リーゼはまだ知らない。
自分自身の魔力が。
なぜカナタの魔力にこれほど強く反応するのか。
そして。
カナタの魔力と青い羽根が反応した瞬間。
なぜ自分の魔力まで、ほんの一瞬だけ呼応したのか。
その理由を。
セレフィナだけが。
まだ語らずにいた。




