第15話 初めての伝書
朝。
カナタは、いつもより少し早く目を覚ました。
「……今日か」
ベッドから起き上がる。
窓の外を見る。
薄い雲。
風は弱い。
雨の気配はない。
昨日確認した天気予報と大きく違わない。
カナタは一度頷いた。
「大丈夫そうだ」
今日は。
初めて一人で手紙を届ける日だった。
伝書人見習いとしての。
初めての単独任務。
とはいっても。
危険な場所へ行くわけではない。
リュネアから徒歩一時間半ほど。
エルナ地区の西側にある小さな農村。
そこまで一通の手紙を届ける。
ただそれだけ。
けれど。
カナタにとっては。
それが大きかった。
今までは。
いつもリーゼが隣にいた。
道を教えてもらった。
危険がないか確認してもらった。
魔法の使い方も教えてもらった。
けれど。
今日は。
一人だ。
◇
「カナタ」
コンコン。
「起きています」
「……」
「リーゼ?」
「起きています」
「本当に?」
「……」
「鍵?」
「……」
「また?」
「今日はちゃんと持っています」
扉が開く。
「ほら」
リーゼは鍵を見せた。
「今日は大丈夫です」
「よかった」
けれど。
髪は少し乱れている。
「……髪」
「分かっています」
「眠そう」
「それも分かっています」
「朝弱いな」
「今日は早かったんです」
リーゼが小さく欠伸をする。
「カナタは……」
「俺は目が覚めた」
「緊張していますか?」
「少し」
「私もです」
「リーゼが?」
「はい」
リーゼは少し笑った。
「初めて一人で送り出すことになりますから」
「……」
その言葉を聞いて。
カナタは少しだけ緊張が増した。
「大丈夫かな」
「大丈夫です」
「即答だな」
「昨日までの訓練を見ていますから」
リーゼは優しく笑う。
「それに」
「うん?」
「カナタは、危ないと思ったら無理をしない人です」
「それはそうだな」
「伝書人にとって、とても大切なことです」
「……分かった」
「では、朝食へ行きましょう」
「うん」
二人は一階へ降りた。
◇
朝食を済ませ。
二人で伝書院へ向かう。
いつもの道。
いつもの景色。
けれど。
カナタの気持ちは少し違っていた。
今日は。
帰り道まで一人になる。
「忘れ物はありませんか?」
リーゼが確認する。
「地図」
「はい」
「水」
「はい」
「簡単な食料」
「はい」
「応急処置道具」
「はい」
「伝書人証」
「はい」
「手紙」
「……はい」
カナタが胸元の袋を確認する。
そこには。
今日届ける一通の手紙が入っていた。
「大丈夫ですね」
「うん」
「それから」
リーゼが小さな道具を渡す。
「これを」
「何?」
「緊急用の魔力灯です」
「魔力灯?」
「道に迷った場合や、夜になってしまった場合に使います」
「なるほど」
「ただし、魔力は必要最低限に」
「分かってる」
「カナタの場合は、特に」
「……はい」
リーゼが少し笑った。
◇
伝書院。
朝の仕事を済ませたあと。
カナタは受付の前へ呼ばれた。
そこにはセレフィナがいた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「体調は?」
「大丈夫です」
「天候は?」
「晴れ。午後から少し曇る可能性があります」
「道は?」
「昨日確認しました」
「では」
セレフィナは手紙を一通、カナタへ差し出した。
「お願いします」
カナタは両手で受け取った。
「はい」
「今日の仕事は、それだけです」
「分かりました」
「急がなくて構いません」
「はい」
「寄り道もしないように」
「……」
「何ですか?」
「俺、そんなに寄り道しそうに見える?」
セレフィナが微笑む。
「旅が好きだと聞いていますから」
「……気をつけます」
少し離れた場所でリーゼが笑っていた。
「リーゼ」
「はい」
「見送りをお願いします」
「分かりました」
カナタは手紙を袋へしまう。
そして。
伝書院の扉を開いた。
◇
外へ出る。
風が吹いた。
いつもの街。
いつもの道。
けれど。
今日は。
一人だった。
少し歩く。
後ろを振り返る。
伝書院の前に。
リーゼが立っている。
「カナタ!」
「ん?」
「気をつけて!」
「分かってる!」
「無理はしないでください!」
「しない!」
リーゼが手を振る。
カナタも手を振り返す。
そして。
前を向いた。
歩き出す。
◇
最初の道は。
もう知っている。
エルナ地区へ向かう道。
市場。
商店街。
住宅街。
少しずつ建物が減っていく。
道が広くなり。
畑が増える。
カナタは地図を取り出す。
「……ここか」
分岐。
右へ行けば街道。
左へ行けば村への近道。
昨日、リーゼと確認した場所だ。
「左」
進む。
道は悪くない。
天気もいい。
特に問題はない。
少し歩くと。
小さな川が見えてきた。
「橋……」
カナタは立ち止まった。
昨日の訓練を思い出す。
雨が降った場合。
川は増水する。
だが。
今日は問題なさそうだ。
橋を渡る。
そのまま進む。
◇
しばらく歩いた。
街の音が聞こえなくなる。
風の音。
鳥の声。
草木が揺れる音。
カナタは歩きながら思った。
「……こういうの、久しぶりだな」
日本にいた頃。
旅行をするとき。
知らない場所を歩くのが好きだった。
目的地へ向かう。
けれど。
その途中も楽しむ。
そんな旅。
異世界へ来てからも。
結局。
自分は変わっていないのかもしれない。
ただ。
今は。
背中に背負っているものが違う。
荷物。
地図。
そして。
一通の手紙。
「……」
カナタは袋に手を当てる。
その瞬間。
胸元の青い羽根が。
ほんの少しだけ温かくなった。
「また?」
足を止める。
袋から手紙を取り出す。
昨日の夜。
青い羽根が反応した手紙。
カナタは封筒を見る。
普通の封筒。
特別な紋章はない。
ただ。
便箋だけが青い。
「……」
羽根が。
微かに震えた。
カナタは不思議に思う。
「魔力を流したから?」
ほんの少しだけ。
魔力を指先へ集める。
流す。
――淡い青い光。
「……」
封筒の中から。
ほんの一瞬。
光が漏れたように見えた。
「今の……」
カナタは目を凝らす。
何も起きない。
もう一度。
今度は。
魔力を少し減らす。
すると。
羽根の光も弱くなる。
さらに。
魔力を少しだけ増やす。
羽根が強く光る。
「……比例してる?」
カナタは驚いた。
便箋が。
自分の魔力に反応している。
しかも。
魔力が強くなるほど。
反応も強くなる。
けれど。
「これ以上は……」
カナタは魔力を止めた。
今は仕事中。
それに。
ここで何か起きても。
自分一人では原因を調べられない。
「帰ったらリーゼに聞こう」
手紙をしまう。
そして。
再び歩き出した。
◇
村が見えてきた。
小さな農村。
数十軒ほどの家。
畑。
井戸。
小さな広場。
カナタは地図を見る。
「……間違ってない」
住所を確認する。
村の奥。
一軒の家。
そこへ向かう。
やがて。
「ここだ」
扉の前に立つ。
少し緊張する。
深呼吸。
そして。
コンコン。
「はい?」
中から声がした。
扉が開く。
中年の男性が顔を出した。
「どちら様で?」
カナタは伝書人証を見せる。
「伝書院から来ました」
「伝書院?」
「手紙を届けに来ました」
男性の表情が変わる。
「手紙……?」
「はい」
カナタは封筒を取り出す。
「あなた宛てです」
「……」
男性は。
しばらく手紙を見つめていた。
そして。
ゆっくり受け取った。
「……ありがとう」
「いえ」
男性は封筒を胸元へ抱える。
「娘からなんです」
「そうなんですか」
「街へ働きに出ていて」
男性は少し笑った。
「元気にしてると書いてあるかな」
「……」
カナタは答えなかった。
手紙の中身は。
届ける人のものだから。
ただ。
「きっと、元気ですよ」
それだけ言った。
男性が笑う。
「そうだといいな」
「はい」
「わざわざありがとう」
「仕事ですから」
「それでもだよ」
男性は頭を下げた。
「ありがとう」
カナタも頭を下げる。
「失礼します」
家を離れる。
数歩歩いたところで。
背後から声が聞こえた。
「……ありがとう!」
カナタは振り返る。
「どういたしまして!」
手を振る。
そして。
村を後にした。
◇
帰り道。
カナタは一人で歩いていた。
行きと同じ道。
けれど。
少しだけ違って見えた。
ただ歩いているだけではない。
自分が。
一通の手紙を。
誰かのところまで運んだ。
それだけ。
なのに。
「……これが伝書人か」
小さく呟く。
大きな魔法を使ったわけではない。
魔物と戦ったわけでもない。
特別なことをしたわけでもない。
それでも。
一人の人間に。
一つの想いを届けた。
それが。
少し嬉しかった。
◇
伝書院へ戻る。
夕方。
「おかえりなさい」
受付の職員が声をかける。
「ただいま」
「無事に?」
「届けてきた」
「よかったです」
報告書を提出する。
届けた時間。
場所。
受取人。
すべて記録する。
「問題ありません」
「ありがとう」
職員が書類を確認する。
「初めての単独配達、お疲れさまでした」
「……」
カナタは少し笑った。
「ただいま」
もう一度。
そう言った。
◇
「どうでしたか?」
リーゼが近づいてくる。
「無事に届けた」
「よかったです」
「普通だった」
「普通?」
「うん」
カナタは今日のことを話す。
道。
村。
手紙。
受取人。
「それで」
「はい」
「やっぱり、届けるっていいなと思った」
リーゼは嬉しそうに笑った。
「そう思ってもらえてよかったです」
「でも」
「はい?」
「帰り道で、また羽根が反応した」
「……!」
リーゼの表情が変わる。
「手紙に?」
「うん」
「詳しく教えてください」
カナタは訓練室へ向かった。
◇
机の上。
青い羽根。
そして。
今日の配達で使った袋。
「魔力を流すと反応した」
「どのくらいですか?」
「弱くすると弱くなる」
「強くすると?」
「強くなる」
リーゼは慎重に確認する。
「つまり」
「うん」
「便箋が、カナタの魔力に反応している」
「そう」
リーゼは少し考える。
「やはり、この便箋には何か特殊な性質があるのかもしれません」
「でも普通の手紙だった」
「そうですね」
「紋章もなかった」
「はい」
「なのに、俺の魔力に反応する」
カナタは羽根を見る。
「この羽根と同じだ」
リーゼが頷く。
「確かに」
「何か繋がってるのかな」
「可能性はあります」
リーゼは便箋を調べる。
「ただ……」
「何?」
「以前の白い蝋印の手紙と違って、今回は便箋そのものが反応しています」
「うん」
「それなら、紋章だけが鍵ではないのかもしれません」
「じゃあ何が?」
「それは……まだ分かりません」
リーゼは苦笑した。
「謎が増えましたね」
「増えたな」
二人で笑う。
◇
その夜。
カナタは自分の部屋で今日の出来事を思い返していた。
初めて。
一人で手紙を届けた。
道を確認して。
危険を避けて。
相手のもとへ届ける。
ただそれだけ。
でも。
その「ただそれだけ」が。
伝書人にとって大切なのだと。
今日。
少しだけ分かった気がした。
そして。
もう一つ。
自分の魔力についても。
少しだけ分かってきた。
魔力は。
ただ強いだけではない。
自分の魔力に反応するものがある。
青い羽根。
青い便箋。
そして。
もしかすると。
それ以外にも。
「……俺の魔力って、一体何なんだろうな」
呟く。
答えはない。
ただ。
机の上の青い羽根が。
淡く光った。
窓の外から。
夜風が吹く。
カナタは羽根を手に取る。
その温かさは。
ほんの少しだけ。
今日届けた手紙を思い出させるようだった。
人から人へ。
想いから想いへ。
そして。
まだ見ぬ場所へ。
伝書人の旅は。
こうして。
一歩ずつ進んでいく。




