第14話 初めての一人旅
朝。
「……カナタ」
「ん?」
「起きてますか?」
「起きてる」
「……本当に?」
「本当」
「よかったです……」
扉の向こうから、リーゼの声がする。
「今日は早いな」
「今日は仕事がありますから」
「いつもあるだろ」
「……そうでした」
少しの沈黙。
「リーゼ?」
「はい」
「今、また鍵探してない?」
「……」
「してる?」
「……してません」
「本当に?」
「机の上にありました」
「やっぱり探してたじゃん」
「……行きましょう」
逃げるように足音が遠ざかっていく。
カナタは笑いながら身支度を整えた。
そんなやり取りも。
もうすっかり日常になっていた。
◇
月影亭で朝食を済ませる。
外へ出ると、朝の街には少し冷たい風が吹いていた。
「今日は何の仕事?」
カナタが尋ねる。
「まずはいつもの仕分けですね」
「その後は?」
「院長から何かあるかもしれません」
「何か?」
「昨日、少し話をしていましたから」
「俺の魔力のこと?」
「それもあります」
リーゼは少しだけ考える。
「でも、伝書人見習いになった以上、いつまでも院内の仕事だけというわけにはいきません」
「外にも出る?」
「はい」
その言葉に。
カナタは少しだけ目を輝かせた。
「やっと?」
「楽しみにしていましたか?」
「だって伝書人って、手紙を届ける仕事だろ」
「そうですね」
「ずっと中で仕分けしてるから、いつ外に出るんだろうって思ってた」
「では」
リーゼが微笑む。
「今日あたり、出るかもしれませんね」
「本当?」
「まだ分かりません」
「なんだ」
「ですが」
リーゼは前を向いたまま言う。
「準備はしておいたほうがいいでしょう」
◇
伝書院。
朝の仕事が始まる。
手紙を仕分ける。
宛先を確認する。
記録をつける。
配達用の袋へ入れる。
カナタはもう、かなり手際よく作業できるようになっていた。
「カナタさん、これお願いします」
「分かった」
「この二つは同じ地区です」
「じゃあ一緒にしておく」
「ありがとうございます」
以前とは違う。
手紙を渡されることが自然になっていた。
名前を呼ばれることも。
仕事を頼まれることも。
それが当たり前になりつつある。
「カナタ」
リーゼが少し離れたところから呼ぶ。
「はい、これ」
「何?」
一枚の紙だった。
「今日の配達予定です」
「配達……」
「はい」
カナタが紙を見る。
エルナ地区。
東側の商店街。
それから。
少し離れた場所。
「これ……」
「はい」
「森の近く?」
「そうです」
「フォルネの森?」
「森の入口近くにある集落です」
カナタは地図を見る。
「ここまで行くの?」
「今日はまだです」
「まだ?」
「今日は私と一緒です」
「なんだ」
少し残念そうにするカナタ。
リーゼが笑う。
「ですが」
「うん?」
「その先の仕事について、少し話があります」
◇
昼前。
院長室。
「失礼します」
リーゼとカナタが入る。
セレフィナが机の前で書類を整理していた。
「来ましたね」
「はい」
カナタが座る。
「何か仕事?」
「ええ」
セレフィナは一枚の封筒を取り出した。
「今日の午後、リーゼと一緒にエルナ地区まで配達をお願いします」
「分かった」
「そして」
もう一枚の書類を取り出す。
「その仕事が終わったあと、少し確認したいことがあります」
「確認?」
「あなたが、そろそろ単独で配達できるかどうかです」
カナタが目を見開く。
「単独?」
「はい」
リーゼも静かに頷いた。
「伝書人見習いとして一定期間仕事を経験しました」
セレフィナが続ける。
「院内での作業。
手紙の取り扱い。
簡単な配達。
地図の読み方。
危険への対処。
そして魔力制御」
「……」
「そろそろ、一人で手紙を届ける経験も必要です」
カナタは地図を見る。
「どこまで?」
「最初は近距離です」
「森の奥とかじゃない?」
「そこまで危険な場所にはしません」
セレフィナは笑う。
「エルナ地区の西側にある、小さな農村です」
「距離は?」
「片道、徒歩で一時間半ほど」
「それなら」
カナタは頷いた。
「行ける」
「そう言うと思いました」
セレフィナは書類を渡す。
「ですが、これは正式な単独任務ではありません」
「え?」
「見習いとしての訓練任務です」
「なるほど」
「危険があれば戻ること」
「うん」
「無理をしないこと」
「分かった」
「そして」
セレフィナの目が少し真剣になる。
「魔力を使えば何でも解決できると思わないこと」
「……はい」
「カナタさんの魔力は確かに特殊です」
セレフィナは言う。
「ですが、伝書人の仕事で最も大切なのは、無事に手紙を届けることです」
「うん」
「速さでも、力でもありません」
「……分かった」
セレフィナは頷いた。
「では、今日の仕事を終えたら準備を始めてください」
「明日?」
「いえ」
セレフィナが微笑む。
「早ければ明後日です」
「明後日……」
カナタの胸が少し高鳴った。
初めて。
一人で外へ出る。
誰かと一緒ではなく。
自分一人で。
手紙を預かり。
自分の足で。
誰かのもとへ届ける。
「……楽しみだな」
思わず呟く。
リーゼが隣で微笑んだ。
「はい」
◇
その日の午後。
予定通り、二人はエルナ地区へ向かった。
「今日届けるのは三通です」
「三通」
「はい」
リーゼが袋の中を確認する。
「こちらは商店。
こちらは家族宛て。
そして、これが農村宛てです」
最後の一通。
淡い青色の便箋が少しだけ封筒から覗いていた。
「青いな」
「珍しいですね」
リーゼが手に取る。
「便箋自体が青いものは、そこまで多くありません」
カナタは何となく目を止めた。
その瞬間。
胸元にしまっていた青い羽根が。
ほんのわずかに熱を持った。
「……」
「どうしました?」
「いや」
カナタは胸元へ手を当てる。
「何か、熱かった気がして」
「熱い?」
「一瞬だけ」
リーゼが封筒を見る。
「この手紙ですか?」
「分からない」
カナタは封筒を見つめた。
不思議だった。
触れているわけでもないのに。
何かが。
呼応しているような。
「……」
リーゼも気づいた。
カナタの持つ青い羽根。
そして。
青い便箋。
「もしかして」
「うん?」
「この間の手紙のときと同じでは?」
「……」
カナタも思い出す。
エドガーへ届けた手紙。
白い蝋印。
青い二枚羽根。
あのときも。
羽根は熱を持った。
「でも、今回は普通の手紙だよな」
「そうですね」
リーゼは封筒を見る。
白い蝋印はない。
伝書院の通常の封。
特別な紋章もない。
「それなのに」
リーゼが呟く。
カナタが封筒へ近づく。
すると。
青い羽根が。
また少しだけ温かくなる。
「……やっぱり」
「リーゼ?」
「反応しています」
「手紙に?」
「はい」
リーゼは慎重に言った。
「正確には、便箋……でしょうか」
「便箋に?」
「分かりません」
リーゼは首を傾げる。
「ですが、カナタさんの魔力と、この青い便箋の間に何か関係があるように見えます」
カナタは封筒を見つめる。
「じゃあ、俺の魔力を少しだけ流したら?」
「まだ仕事中ですから、試すのはやめましょう」
「そうだな」
「訓練室で確認しましょう」
「分かった」
二人はそのまま仕事を続けた。
◇
夕方。
伝書院へ戻る。
通常業務を終えたあと。
二人は訓練室へ入った。
机の上には。
今日の青い便箋。
そして。
カナタが持っていた青い羽根。
「まず、便箋だけですね」
「うん」
カナタが近づく。
何も起こらない。
「次に魔力を少しだけ」
「はい」
カナタが指先から魔力を流す。
――淡い光。
青い便箋が。
ほんの一瞬だけ光った。
「……!」
リーゼが目を見開く。
「今、光りました」
「見えた?」
「はい」
カナタはもう一度試す。
今度は。
ほんの少しだけ。
魔力を流す。
青い便箋が。
薄く輝く。
そして。
胸元の羽根も。
同じように淡い光を宿した。
「……羽根も」
「はい」
リーゼは慎重に二つを見比べる。
「同じ色ですね」
「これって……」
「まだ分かりません」
リーゼは首を横に振る。
「でも、偶然とは考えにくいです」
「俺の魔力に反応してる?」
「その可能性は高いと思います」
カナタは便箋を見る。
「前にもあったよな」
「はい」
「エドガーさんの手紙」
「白い蝋印に青い羽根の紋章がありました」
「今回は紋章がない」
「でも、便箋が青い」
「……」
二人の間に沈黙が落ちる。
「少しだけ」
カナタが言う。
「魔力を増やしてみる」
「待ってください」
「大丈夫。ほんの少し」
「カナタ」
リーゼの声が少し強くなる。
「無理はしないでください」
「分かってる」
カナタは集中する。
そして。
ほんの少しだけ。
先ほどより強く魔力を流す。
青い便箋が光る。
羽根も光る。
しかし。
それだけではなかった。
便箋の上に。
淡い青色の光が浮かんだ。
文字のような。
線のような。
何か。
「……何これ」
カナタが息を呑む。
「分かりません」
リーゼも驚いている。
光はほんの数秒。
やがて消える。
「もう一度」
「やめましょう」
「でも」
「今の現象を記録するほうが先です」
「……分かった」
リーゼは記録用紙を取り出す。
「魔力接触時、便箋が発光」
書き込む。
「羽根も同時に発光」
さらに書く。
「その後、便箋上に未知の光学現象」
ペンを止める。
「……これ以上は、まだ書けませんね」
「何が起きたか分からないから?」
「はい」
リーゼは羽根を見る。
「ただ」
「うん?」
「カナタの魔力が、この羽根や便箋に何らかの影響を与えているのは間違いなさそうです」
◇
翌日。
仕事が始まる前。
カナタは一人で地図を広げていた。
明後日の単独任務。
届け先までの道。
途中の村。
橋。
森。
川。
危険になりそうな場所。
一つずつ確認していく。
「ここは?」
リーゼが隣から覗き込む。
「橋」
「はい」
「雨が降ったら危ない」
「正解です」
「だから、この道を使う」
別の道を指す。
「少し遠回りだけど、こっちなら川沿いを避けられる」
「いい判断ですね」
「昔から、危ないところは避けるようにしてたから」
「伝書人に向いていますよ」
「そうかな」
「はい」
リーゼは笑った。
「伝書人は、危険を乗り越える人ではありません」
「え?」
「危険を避けて、無事に帰ってくる人です」
「……なるほど」
カナタはその言葉を覚えておこうと思った。
◇
その後も。
仕事の合間に訓練を続けた。
魔力を一滴だけ動かす。
火を灯す。
水を浮かせる。
風を起こす。
消す。
また使う。
今度は少しだけ距離を伸ばす。
そして。
通信魔法。
以前よりも小さな出力で。
安定させる。
「上手くなってきましたね」
「少しずつだけどな」
「はい」
リーゼは嬉しそうに笑った。
「これなら、単独任務でも魔力を使う必要が出たときに安心です」
「なるべく使わないけど」
「それが正解です」
二人は笑う。
仕事をする。
訓練する。
また仕事をする。
そんな毎日。
その中で。
カナタは少しずつ。
自分の力を理解し始めていた。
そして。
青い羽根と。
青い便箋。
その二つが。
自分の魔力に反応していることも。
まだ理由は分からない。
けれど。
確かに。
何かが繋がっている。
◇
夕方。
セレフィナがカナタを呼び止めた。
「カナタさん」
「はい」
「準備はどうですか?」
「大丈夫」
「地図は?」
「確認した」
「天候は?」
「明日は晴れ。明後日は少し曇る予定」
「荷物は?」
「明日、最終確認する」
セレフィナは満足そうに頷いた。
「それなら大丈夫そうですね」
「はい」
「初めて一人で届ける手紙です」
セレフィナは一通の封筒を差し出した。
「明後日、これを届けてください」
カナタは両手で受け取る。
「大切な手紙?」
「ええ」
宛先を見る。
小さな農村。
名前。
住所。
すべて書かれている。
「特別な手紙ではありません」
「……え?」
「ごく普通の手紙です」
セレフィナは微笑む。
「だからこそ、あなたに届けてほしいんです」
「普通の?」
「はい」
カナタは封筒を見る。
それは。
特別な英雄の手紙でも。
王族からの命令書でもない。
ただ。
誰かが誰かに宛てて書いた。
一通の手紙。
「伝書人の仕事は」
セレフィナが言う。
「特別な手紙だけを届ける仕事ではありません」
「……」
「誰かにとって大切なものなら」
セレフィナは静かに笑った。
「それだけで、届ける価値があります」
カナタは封筒を大切にしまった。
「分かった」
「お願いします」
「絶対に届ける」
「はい」
◇
夜。
自分の部屋。
カナタは机の上に地図を広げていた。
明後日。
初めて一人で外へ出る。
初めて。
一人の伝書人として。
手紙を預かる。
少し緊張する。
でも。
それ以上に楽しみだった。
カナタは胸元から青い羽根を取り出した。
机の上へ置く。
すると。
――ほんの少し。
羽根が光った。
「……また?」
カナタは首を傾げる。
そして。
今日受け取った封筒を近くへ置く。
青い羽根が。
また淡く光った。
封筒の中にある便箋も。
わずかに。
青い光を返す。
「……やっぱり」
カナタは二つを見つめた。
何かがある。
自分の魔力と。
青い羽根。
そして。
青い便箋。
それが何を意味するのかは。
まだ分からない。
けれど。
その答えを探すことも。
いつか旅の中で必要になる気がした。
カナタは羽根をそっとしまう。
「まずは……」
地図を見る。
「明後日の仕事だな」
初めての一人旅。
初めて一人で届ける手紙。
その小さな仕事が。
白石彼方にとって。
伝書人としての。
本当の一歩になろうとしていた。




