第13話 誰にもできない使い方
伝書人見習いになってから。
カナタの毎日は、少しだけ忙しくなった。
朝。
月影亭で目を覚ます。
隣の部屋のリーゼを起こす。
朝食を食べる。
伝書院へ向かう。
そして。
午前中は伝書人としての仕事。
午後は仕事の合間を縫って修行。
そんな生活が始まった。
「カナタ、今日はこちらです」
「分かった」
伝書院の机に並べられた手紙を、宛先ごとに分けていく。
最初の頃は、封筒に書かれた文字や印を一つずつ確認していた。
けれど。
今では。
「これは東地区」
「正解です」
「こっちは南門の向こう」
「はい」
「この印は……王都行き」
「よく覚えましたね」
リーゼが感心したように笑う。
「毎日見てれば覚えるよ」
「私より早いかもしれません」
「それは言いすぎ」
「本当ですよ」
仕事そのものには、かなり慣れてきていた。
手紙を扱う。
荷物を確認する。
記録を書く。
配達先を覚える。
そして。
必要になれば、実際に外へ出て届ける。
伝書人としての仕事が、少しずつカナタの日常になっていた。
◇
その一方で。
「では、今日も魔力制御をしましょう」
「はい」
仕事が一段落すると。
リーゼはカナタを訓練室へ連れていった。
部屋の中央には、魔力を測定するための小さな水晶。
その周囲には、いくつかの魔道具が並んでいる。
「今日は何をするの?」
「魔力を少量だけ動かす練習です」
「少量……」
「はい」
リーゼは真剣な顔をする。
「カナタの場合、魔力そのものが問題なのではありません」
「量が多すぎるから?」
「それもあります」
リーゼは水晶を見る。
「ですが、一番の問題は『出した魔力をどこまで細かく制御できるか』です」
「なるほど」
「普通の人は、魔力を使うときに自然と必要な量へ調整できます」
「俺は?」
「蛇口を少しだけ開けたいのに、水道管そのものが巨大すぎるようなものです」
「……分かりやすい」
「なので、今日は一滴だけ」
「一滴?」
「はい」
カナタは水晶に手をかざした。
深呼吸。
そして。
ほんの少しだけ。
魔力を動かす。
――淡い光。
「……できた」
以前なら。
この程度のことでも苦労していた。
けれど今は違う。
小さな光を。
小さなまま維持できる。
「成功です」
「やった」
カナタが笑う。
リーゼも嬉しそうに頷く。
「以前より、ずっと安定しています」
「毎日やってるからな」
「それだけではありません」
「え?」
「カナタ自身が、自分の魔力を少しずつ理解してきているんです」
リーゼが水晶を見る。
「最初は、ただ巨大な魔力を持っているだけでした」
「うん」
「でも今は、少しずつ『どう流れるのか』が分かってきています」
カナタは自分の手を見る。
「……魔力って、こういう感じなのか」
「何か分かりますか?」
「うまく言えないけど」
カナタは目を閉じた。
「俺の中に、ずっと流れてる感じがする」
「……」
「川みたいな感じじゃない」
「では?」
「もっと……大きい」
カナタは言葉を探す。
「地下に巨大な水脈があるみたいな」
リーゼは少し驚いた顔をした。
「水脈……」
「普段は何もしてないのに、ずっとそこにある」
「それが、カナタの魔力なんですね」
「たぶん」
リーゼは考える。
普通の魔術師なら。
魔力を使うと、体内にある魔力が減っていく。
だが。
カナタの場合。
減っていること自体を、ほとんど感じられない。
あまりにも量が多い。
それは、以前の測定でも明らかだった。
しかし。
「一つ、気になることがあります」
「何?」
「カナタの魔力」
リーゼは水晶を指差す。
「普通の魔力とは、少し違うんです」
「違う?」
「性質が……妙なんです」
◇
その日の午後。
二人は伝書院の古い資料室へ向かった。
魔法関連の資料が集められた場所だ。
「こんなに本あるのか……」
「魔法は歴史がありますから」
「全部読むの?」
「必要なところだけです」
リーゼは一冊の本を取り出した。
『魔力循環と属性適性』
「これです」
カナタは本を開く。
そこには魔力の基本的な流れについて書かれていた。
魔力は体内で生まれる。
属性によって性質が異なる。
魔術師はその魔力を一定方向へ流し、魔法として外へ放出する。
基本的には。
そういうものだった。
「でも……」
カナタがページをめくる。
「俺には、これだけじゃない気がする」
「私もそう思います」
リーゼは別の本を取り出した。
「こちらも見てください」
そこには、魔力の使い方についていくつかの分類が載っていた。
火。
水。
風。
土。
光。
闇。
そして。
複数属性を扱う者。
「カナタは複数属性に適性があります」
「うん」
「ですが」
リーゼはページをめくる。
「それだけではありません」
次のページ。
魔力を遠くへ送る技術。
魔力を物体へ付与する技術。
魔力による結界。
魔力による探知。
魔道具への供給。
どれも伝書人にとって重要な技術だった。
「伝書人って、魔法も結構使うんだな」
「はい」
「知らなかった」
「まだ説明していませんでしたから」
リーゼは少し申し訳なさそうに笑う。
「伝書人は手紙を届けるだけではありません」
「危険な場所も通るから?」
「それもあります」
「じゃあ、魔法も必要になる」
「はい」
リーゼは続けた。
「長距離の移動。
天候への対処。
荷物の保護。
簡易的な結界。
魔物への警戒。
場合によっては、遠距離への伝達」
「遠距離への伝達?」
「魔力を使って、短い情報を遠くへ送る技術があります」
カナタは目を輝かせた。
「それって、手紙を送るのとは違う?」
「はい」
「なら……」
カナタは本を見つめた。
「もっと遠くまで送れたりする?」
「理論上は」
「どれくらい?」
「魔力があればあるほど遠くへ送れます」
「……」
カナタは黙った。
そして。
「俺なら?」
「……」
リーゼも黙った。
「まだ分かりません」
「試してみよう」
「今ですか?」
「うん」
リーゼは少し迷った。
けれど。
「分かりました」
◇
伝書院の訓練用通信魔道具。
それは二つの装置を魔力で繋ぎ、短い言葉を遠くへ送るものだった。
現在の一般的なものでは。
数百メートル。
熟練者でも数キロ程度。
それ以上になると魔力消費が大きくなり、実用的ではない。
「まず私がやってみます」
リーゼが魔道具に手を触れる。
淡い光が灯った。
「『聞こえますか』」
少し離れた場所にいる職員から返事が返る。
『聞こえます』
「これが基本です」
「じゃあ俺も」
「はい」
カナタが魔道具に触れた。
「えっと……」
「まずは同じ距離で」
「分かった」
魔力を流す。
――光が灯った。
しかし。
「……強い」
リーゼが目を細める。
「え?」
「魔力を少し抑えてください」
「これでもかなり少なくしてる」
「……」
魔道具が震える。
「カナタ!」
「止める?」
「はい!」
カナタが魔力を切る。
静かになる。
「……危なかった」
「ごめん」
「いえ」
リーゼは魔道具を確認する。
壊れてはいない。
「でも……」
「何?」
「今の出力」
リーゼが信じられないような顔をする。
「通常の通信魔法の、何倍もあります」
「何倍?」
「正確には測れません」
「また?」
「はい」
リーゼは少し困ったように笑った。
「どうやら、カナタは魔力を少なく使うことより……」
「うん」
「大量の魔力を一気に使うほうが、むしろ得意なのかもしれません」
「大量に?」
「はい」
カナタは考え込んだ。
「でも、それなら……」
何かが。
頭の中で繋がった。
「普通の人ができないことができるんじゃない?」
「……」
リーゼの目が変わった。
◇
数日後。
伝書院の特別訓練室。
そこにはセレフィナもいた。
「試したいことがあります」
リーゼが説明する。
「長距離通信ですね」
「はい」
「通常の実用範囲は?」
「数キロです」
「そしてカナタさんなら?」
「分かりません」
リーゼは正直に答える。
「だから、試してみたいんです」
セレフィナはカナタを見る。
「無理はしないでください」
「分かってる」
「魔力を大量に使うことになります」
「どのくらい?」
「普通の魔術師なら、数回使えば魔力が尽きるでしょう」
「……」
カナタは苦笑する。
「俺の場合は?」
セレフィナは少し考えてから。
「まだ分かりません」
「やってみよう」
訓練室の魔道具が起動する。
通信先は。
リュネアの外。
伝書院から数十キロ離れた場所にある、中継用の魔道具。
「まずは十キロ」
カナタが手を置く。
魔力を流す。
――光。
「届きました!」
遠くの魔道具が反応する。
「成功です」
リーゼが驚く。
「じゃあ、次」
「二十キロ」
魔力を流す。
また届く。
三十。
四十。
五十。
距離が伸びても。
カナタはまだ魔力を送れる。
「……」
リーゼが言葉を失う。
セレフィナも黙って見ている。
「カナタさん」
「何?」
「疲れていませんか?」
「ちょっとだけ」
「ちょっと……?」
リーゼは思わず苦笑した。
普通なら。
すでに魔力切れを起こしていてもおかしくない。
「では、ここで止めましょう」
セレフィナが言う。
「うん」
カナタが魔力を止める。
通信魔道具の光が消える。
静かになった部屋。
セレフィナがゆっくり口を開いた。
「……これは、伝書人の歴史でも聞いたことがありません」
「そんなに?」
「はい」
セレフィナは通信魔道具を見る。
「長距離通信そのものは存在します」
「うん」
「ですが、ここまで大量の魔力を一人で供給し、距離を延ばす方法は……少なくとも現在の技術にはありません」
「じゃあ、俺だけ?」
「おそらく」
リーゼが続ける。
「普通の人が同じことをしようとしたら、魔力が足りません」
「……」
「魔道具を大量に使えば可能性はあります。でも、それには中継施設が必要です」
「俺なら?」
「あなた一人で」
リーゼはカナタを見る。
「その距離を繋げられる可能性があります」
カナタは自分の手を見る。
「……すごいな」
「はい」
だが。
セレフィナはそこで言葉を止めた。
「ただし」
「うん」
「これは便利だから使えばいい、という話ではありません」
カナタが顔を上げる。
「今の実験だけでも、通常の魔術師なら到底扱えない量の魔力を使っています」
「……」
「もしさらに距離を伸ばすなら」
セレフィナは静かに告げた。
「必要な魔力量は、今までの比ではありません」
「どれくらい?」
「分かりません」
「分からない?」
「誰も、そこまでやったことがないからです」
その言葉に。
カナタは息を呑んだ。
◇
その日の夜。
月影亭。
食事を終えた二人は、いつものように宿の廊下を歩いていた。
「……なあ、リーゼ」
「はい」
「今日のことだけど」
「はい」
「俺の魔力って」
「はい」
「ただ多いだけじゃないんだな」
リーゼは頷く。
「そうですね」
「使い方そのものが違う?」
「正確には」
リーゼは少し考える。
「カナタの場合、普通の人が『少しずつ使う』ことを前提としている魔法を」
「うん」
「大量の魔力を使うことで、まったく違う規模にできる可能性があります」
「規模を変える?」
「はい」
リーゼは空を見上げる。
「例えば今日の通信です」
「うん」
「普通なら、途中に中継地点を作ります」
「俺なら必要ない」
「可能性があります」
カナタは少し笑った。
「それって……」
「はい」
リーゼも笑う。
「伝書人にとって、とても大きな意味があります」
遠くへ手紙を届ける。
危険な道を越える。
何日もかけて、人の想いを運ぶ。
それが伝書人の仕事。
でも。
もし。
一人の伝書人が。
遠く離れた場所へ。
直接、言葉を届けられるなら。
世界は少し変わるかもしれない。
「でも」
リーゼが言った。
「まだ『できるかもしれない』だけです」
「うん」
「魔力が多いからといって、何でもできるわけではありません」
「分かってる」
「今日だって、私が制御を手伝わなければ危なかったです」
「……それも分かってる」
「だから」
リーゼはカナタを見る。
「これからも修行しましょう」
「うん」
「魔力の量に振り回されないように」
「分かった」
「そして」
リーゼは少し笑う。
「カナタにしかできない使い方を、一緒に探しましょう」
「……俺にしかできない使い方」
「はい」
その言葉が。
カナタの胸に残った。
◇
翌日。
伝書院の訓練室。
カナタは一人で魔力を動かしていた。
ほんの少し。
ほんの少しだけ。
指先へ流す。
光が灯る。
消す。
また灯す。
今度は水。
小さな水滴を浮かべる。
風を起こす。
止める。
土を少しだけ動かす。
どれも。
以前より安定していた。
そして。
カナタは気づき始めていた。
自分の魔力は。
ただ「多い」のではない。
使い方によって。
普通の人なら魔力不足で諦めるようなことを。
大量の魔力によって成立させられる。
その可能性。
けれど。
それは同時に。
誰も試したことがない領域でもあった。
「……まだ、何かある」
カナタは呟く。
自分の中にある。
巨大な魔力。
それを。
どう使えばいいのか。
少しずつ。
ほんの少しずつ。
分かり始めていた。
◇
その日の夕方。
院長室。
「セレフィナさん」
リーゼが報告書を置いた。
「昨日の通信実験についてです」
「はい」
セレフィナは報告書を読む。
「五十キロ……」
「はい」
「中継なし」
「はい」
「一人で?」
「はい」
セレフィナはしばらく黙っていた。
やがて。
「……エレナの時代にも」
小さく呟く。
「これほどの魔力を持つ者はいなかったはずです」
「院長?」
「いえ」
セレフィナは首を横に振る。
「まだ記録する必要はありません」
「ですが」
「今は、カナタさん自身が理解することが先です」
「……分かりました」
セレフィナは窓の外を見る。
夕暮れの空。
風が静かに吹いている。
「彼が持っているものは」
誰に聞かせるでもなく。
セレフィナは呟いた。
「単なる巨大な魔力ではないのかもしれませんね」
◇
夜。
月影亭。
カナタは自分の部屋で、今日使った魔道具の記録を眺めていた。
隣の部屋では。
「……眠い……」
リーゼが欠伸をしている。
「まだ寝るには早いだろ」
壁越しにカナタが言う。
「今日は訓練しましたから……」
「仕事もしたけどな」
「だからです……」
「明日の朝、起きられる?」
「……努力します」
「信用できない」
「ひどいです」
二人の声が。
薄い壁越しに聞こえる。
カナタは笑った。
そして。
机の上に置かれた青い羽根を見る。
羽根は。
ほんの一瞬だけ。
淡い光を宿した。
カナタは気づかない。
ただ。
その羽根の奥で。
遠いどこかへ繋がるように。
小さな魔力の波が走った。
まるで。
まだ知らない何かが。
彼の力に呼応するように。
静かに。
そして確かに。
動き始めていた。
伝書人見習いとして。
仕事を覚える。
魔法を覚える。
そして。
自分自身の魔力を知っていく。
その先に待っているものが。
まだ誰も成し遂げたことのない偉業になることを。
白石彼方は。
まだ知らなかった。




