第12話 伝書人という仕事
朝。
いつものように、月影亭の鐘が鳴った。
カナタは目を覚ます。
「……よし」
ベッドから起き上がる。
身支度を整え、部屋を出る。
隣の部屋。
「リーゼ?」
コンコン。
「……」
返事がない。
「リーゼ、朝」
「…………」
「起きてる?」
「……起きています」
「じゃあ出てきて」
「……あと少し」
「また?」
「あと五分だけです……」
カナタは苦笑する。
「昨日もそれ言ってたよ」
「今日は本当に五分です」
「分かった」
しばらく待つ。
五分。
さらに二分。
「リーゼ」
「……はい」
ようやく扉が開いた。
「おはようございます……」
「おはよう」
髪は少し乱れている。
眠そうな目。
そして。
「今日は鍵、持ってる?」
カナタが聞く。
リーゼは自分のポケットを探る。
「……あります」
「よし」
「何ですか、その確認」
「最近のリーゼを見てたら必要だろ」
「……否定できません」
二人は一階へ降りた。
朝食を済ませ、伝書院へ向かう。
いつもの道。
いつもの風景。
けれど。
今日のカナタには、一つだけ違うものがあった。
胸元に。
昨日までとは違う徽章がついている。
まだ簡素なものだ。
だが。
伝書人見習いであることを示す、小さな銀色の徽章。
カナタは歩きながら、それを指で触れた。
「……本当に伝書人になったんだな」
「まだ見習いですよ」
「それでも」
カナタは徽章を見る。
「最初は、こんな仕事するなんて思ってなかった」
「私も、森で出会ったときには想像していませんでした」
「だよな」
二人で笑う。
◇
伝書院へ到着すると。
「おはようございます、伝書人見習いさん」
一人の職員が笑いながら声をかけてきた。
「おはようございます」
カナタも笑って返す。
昨日までとは少し違う。
自分の立場が、ほんの少しだけ変わった。
仕事を始める。
手紙の仕分け。
記録。
荷物の確認。
配達準備。
もう、最初ほど戸惑わない。
「カナタさん、こっちお願いします」
「分かった」
「この地域の分類、終わったら確認お願いします」
「了解」
自然に仕事が進む。
それを見ていたリーゼが、満足そうに頷いた。
「かなり慣れましたね」
「うん」
「最初の頃とは大違いです」
「リーゼに教えてもらったから」
「それなら、教えた甲斐があります」
リーゼは嬉しそうに笑った。
午前中の仕事が一段落した頃。
「カナタ」
「ん?」
「今日は午後から少し時間を取ります」
「何かある?」
「伝書人について、ちゃんと説明しようと思います」
「今までの仕事だけじゃ足りない?」
「はい」
リーゼは少し真剣な表情になる。
「カナタは、これから伝書人として旅をする可能性があります」
「うん」
「なら、自分がどんな仕事をしているのか知っておいたほうがいいです」
「分かった」
◇
昼休み。
二人は伝書院の資料室へ向かった。
棚には大量の資料が並んでいる。
伝書人の規則。
街道の地図。
魔物の記録。
天候資料。
過去の事故報告。
そして。
伝書人の制度について書かれた分厚い冊子。
「まず、伝書人には二つの区分があります」
リーゼが冊子を開く。
「階級と等級です」
「階級と等級?」
「はい」
リーゼは紙に書きながら説明する。
「階級は、伝書人としての立場です」
紙には四つの文字が並んだ。
――見習い。
――正伝書人。
――上級伝書人。
――特級伝書人。
「見習いは、今のカナタです」
「なるほど」
「指導を受けながら、伝書業務を覚えていきます」
「その次が正伝書人?」
「はい」
「一人で仕事ができるようになると?」
「基本的にはそうです」
リーゼは頷く。
「正伝書人になると、通常の街道や都市間の伝書を一人で担当できるようになります」
「じゃあ、その上が上級?」
「はい」
「何が違うの?」
「難しい地域を担当できるようになります」
リーゼは説明を続ける。
「遠距離。
危険区域。
魔物の出る街道。
悪天候の多い地域。
場合によっては、国境近くまで」
「かなり大変だな」
「はい」
「じゃあ特級は?」
「伝書人の中でも、ごく一部です」
リーゼの声が少し低くなる。
「王都と地方の重要な伝書。
国家間の機密伝書。
大規模災害時の緊急伝書。
そういった、失敗が許されない仕事を担当します」
「……すごい」
「誰でもなれるわけではありません」
「なるほど」
カナタは冊子を見る。
「じゃあ、等級っていうのは?」
「等級は、担当できる仕事の難易度を示します」
リーゼは続けて書いた。
五等級。
四等級。
三等級。
二等級。
一等級。
「数字が小さいほど上です」
「五級が一番下で、一級が一番上?」
「はい」
「じゃあ、階級と合わせて評価される?」
「その通りです」
リーゼは頷く。
「例えば、正伝書人でも五等級なら、近距離の比較的安全な仕事が中心です」
「なるほど」
「一方で、上級伝書人の二等級なら、遠距離や危険地域も担当できます」
「……」
カナタは何となく嫌な予感がした。
「リーゼは?」
「私ですか?」
「何級?」
「……」
リーゼが黙る。
「どうした?」
「いえ」
リーゼは少しだけ視線を逸らした。
「上級伝書人です」
「……」
「二等級です」
「……え?」
カナタが固まる。
「上級?」
「はい」
「二等級?」
「はい」
「リーゼって、そんなに偉かったの?」
「偉いという言い方は……」
「いや、かなり上じゃん」
「そうでしょうか」
「そうだろ」
カナタは冊子を見る。
「俺が見習いで」
「はい」
「リーゼが上級二級?」
「はい」
「差がすごい」
「……私も昔は見習いでしたよ」
「そりゃそうだろ」
「そこから一つずつ上がっただけです」
「それがすごいんだって」
リーゼは少し照れたように笑った。
「ありがとうございます」
「何年くらいやってるの?」
「五年ほどです」
「五年……」
カナタは驚いた。
「そんなに若いのに?」
「伝書人になったのが早かったので」
「なるほど」
リーゼは資料を閉じる。
「だから、カナタが分からないことがあれば、私に聞いてください」
「なんか急に頼もしく見えてきた」
「急に、ですか?」
「普段は朝起きられないし」
「……」
「鍵忘れるし」
「……」
「紙も忘れるし」
「カナタ」
「はい」
「そこは忘れてください」
「分かった」
リーゼは少しだけ頬を膨らませた。
その様子を見て、カナタは笑う。
けれど。
改めて考える。
森で出会ったとき。
彼女は一人で魔物の危険がある森を移動していた。
手紙を届けるために。
当たり前のように。
あのときから。
リーゼは、自分とはまったく違う世界で生きていたのだ。
「……すごいな」
「何がですか?」
「リーゼ」
「……ありがとうございます」
今度は、少し嬉しそうだった。
◇
午後。
通常の仕事が終わったあと。
リーゼはカナタを訓練室へ連れていった。
「今日から、伝書人としての修行も始めます」
「魔法だけじゃないんだな」
「もちろんです」
リーゼは壁に掛けられた地図を指差した。
「まずは地図」
「得意分野だ」
「知っています」
カナタは地図を見る。
リュネア周辺。
街道。
森。
川。
山。
集落。
危険区域。
「この道」
カナタが指差す。
「ここ、雨が降ったら危なくない?」
「どうして?」
「川が近い」
「正解です」
「あと、この辺は斜面が多い」
「はい」
「雨の後なら土砂崩れの可能性もある」
リーゼが頷く。
「伝書人に必要なのは、目的地まで最短で行くことではありません」
「安全に届けること?」
「その通りです」
「なるほど」
次は天候。
次は野営。
次は応急処置。
次は魔物との遭遇時の対応。
カナタが元の世界で身につけてきた知識が、次々と役立っていく。
「これは得意ですね」
「旅行好きだったから」
「旅行の知識が、まさかここで役に立つとは思いませんでしたね」
「俺も」
二人で笑った。
◇
そして。
最後に。
「魔法です」
リーゼが言った。
「今日は、カナタ自身の魔力について調べましょう」
「俺の?」
「はい」
訓練室の奥。
以前とは違う装置が用意されていた。
大きな魔石。
細い管。
複数の測定器。
「前に使ったものとは違います」
「これも測定するの?」
「量だけではありません」
リーゼが説明する。
「魔力の流れ方。
属性への適性。
出力の安定性。
それから、魔力の性質」
「性質?」
「人によって少しずつ違います」
カナタは装置の前に立つ。
「やってみよう」
「はい」
手を置く。
「まずは、何もしないでください」
「分かった」
測定器が起動する。
魔石が淡く光る。
しばらくして。
「……」
リーゼが記録を見る。
「どう?」
「やっぱり……」
リーゼが眉を寄せる。
「魔力量が異常です」
「まだ?」
「はい」
だが。
今回は、そこで終わらなかった。
「属性反応があります」
「何属性?」
「複数……」
リーゼが記録を確認する。
「火、水、風、土……」
「全部?」
「正確には、適性が極端に偏っていない」
「つまり?」
「特定の属性だけが強いというより」
リーゼは少し考える。
「魔力そのものの量と出力が異常なんです」
「……」
「普通の魔法使いは、属性によって得意不得意があります」
「俺には?」
「まだ分かりません」
リーゼは装置を切り替える。
「次は、魔力を一種類だけ使ってみましょう」
「分かった」
カナタが手を伸ばす。
水の入った容器。
「水を動かすイメージです」
「やってみる」
魔力を流す。
水面が揺れる。
少し浮く。
「おお」
だが。
次の瞬間。
水が一気に持ち上がった。
「カナタ!」
「しまった!」
水が天井まで跳ね上がる。
リーゼが慌てて魔法を使う。
水が空中で止まり、ゆっくり容器へ戻っていく。
「……」
「……」
二人で水を見る。
「ごめん」
「いえ」
リーゼは深く息を吐いた。
「やっぱり、制御が課題ですね」
「うん」
「ただ」
「?」
リーゼが少し笑った。
「以前より明らかに細かくなっています」
「本当?」
「はい」
「じゃあ、練習すればもっと細かくできる?」
「できると思います」
リーゼは頷く。
「むしろ、カナタの場合はそこが一番重要です」
「量はもう十分すぎる?」
「十分すぎます」
「じゃあ、使い方を覚える」
「はい」
カナタは自分の手を見る。
「せっかく持ってるんだから」
「ええ」
「ちゃんと使えるようになりたい」
リーゼは静かに頷いた。
「私も手伝います」
「よろしく」
「はい」
◇
夕方。
訓練を終えた二人は、伝書院の資料室へ戻った。
カナタは棚を眺める。
「魔力の本、こんなにあるんだ」
「はい」
「全部読んでいい?」
「もちろんです」
「じゃあ借りる」
カナタは一冊を手に取った。
『魔力制御基礎』
もう一冊。
『属性魔法と魔力循環』
さらに。
『高魔力量保持者に関する記録』
「……これ」
カナタが手を止める。
「高魔力量保持者?」
「ありますね」
リーゼも本を見る。
「ただ、かなり古い資料です」
「読んでみたい」
「分かりました」
ページを開く。
そこには。
膨大な魔力を持つ人間について、いくつかの記録が残されていた。
しかし。
どれもカナタほどではない。
「……」
カナタはページをめくる。
「最大記録でも、俺よりずっと少ない」
「そうですね」
「やっぱり、俺っておかしいのかな」
リーゼは少し考えた。
「普通ではないと思います」
「だよな」
「でも」
リーゼはカナタを見る。
「異常だから悪い、ということではありません」
「……」
「使い方が分からないなら、分かるまで練習すればいいだけです」
カナタは少し笑った。
「リーゼって、たまにすごく先生みたいになるな」
「伝書人としては、カナタより先輩ですから」
「確かに」
「それに」
リーゼは本を閉じる。
「私も、カナタの魔力が何なのか知りたいです」
「リーゼも?」
「はい」
ほんの少し。
リーゼの頬が赤くなる。
「……それに」
「?」
「魔力の訓練をするなら、私が一緒にいたほうが安全ですから」
「そうだな」
「……はい」
リーゼは胸元の徽章へ触れる。
銀色の徽章。
上級伝書人であることを示すもの。
カナタはそれを見る。
「その徽章、格好いいな」
「そうですか?」
「うん」
「……いつか」
リーゼが笑う。
「カナタも、自分の徽章を持てるようになりますよ」
「上級?」
「まずは正伝書人です」
「そっか」
「焦らなくて大丈夫です」
「分かった」
カナタは本を抱える。
「でも、いつかリーゼと同じくらいになりたいな」
「……」
リーゼが一瞬、黙った。
「……楽しみにしています」
「うん」
二人は資料室を出る。
廊下の窓から、夕暮れの光が差し込んでいた。
カナタの胸元。
見習いの小さな徽章。
リーゼの胸元。
銀色に輝く、上級伝書人の徽章。
まだ。
二人の間には大きな差がある。
けれど。
カナタはもう、その差を遠いものだとは感じていなかった。
少しずつ。
覚えていけばいい。
仕事も。
魔法も。
この世界のことも。
そして。
いつか。
自分の力を、自分の意思で使えるようになればいい。
その隣には。
きっと、リーゼがいる。
◇
その夜。
月影亭。
カナタは借りてきた本を机の上に並べていた。
魔力制御。
属性魔法。
高魔力量保持者。
伝書人の魔法。
ページをめくる。
「……まだまだ知らないことだらけだ」
けれど。
不思議と嫌ではなかった。
知らないなら。
知ればいい。
できないなら。
練習すればいい。
カナタは本を閉じる。
そのとき。
コンコン。
「カナタ?」
リーゼの声。
「どうぞ」
扉が開く。
「まだ起きていたんですね」
「うん。これ読んでた」
「熱心ですね」
「自分の魔力だからな」
「そうですね」
リーゼは本を見る。
「……高魔力量保持者」
「うん」
「何か分かりましたか?」
「まだ全然」
「そうですか」
「でも、調べてみる」
カナタは笑った。
「俺の魔力が何なのか」
リーゼも微笑んだ。
「私も手伝います」
「よろしく」
「はい」
二人はしばらく本を眺めていた。
窓の外では、夜風が静かに吹いている。
伝書人見習い。
それが今のカナタの立場。
そして。
その先には。
正伝書人。
上級伝書人。
特級伝書人。
まだまだ長い道のりがある。
けれど。
その道の途中には。
届けるべき手紙がある。
歩くべき街道がある。
知らなければならない世界がある。
そして。
いつか。
自分の巨大な魔力が、何のために存在するのか。
その答えにも。
辿り着くのかもしれない。
カナタは本を閉じた。
「明日も仕事だな」
「はい」
「寝るか」
「そうですね」
「おやすみ、リーゼ」
「おやすみなさい、カナタ」
扉が閉じる。
その向こうで。
リーゼは自分の手を見つめた。
また明日。
カナタの魔力に触れる。
そう考えると。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
それが何なのか。
まだ。
リーゼ自身にも分からない。
ただ。
二人の毎日は。
少しずつ。
「仕事をする日々」から。
「伝書人として旅をするための日々」へと。
変わり始めていた。




