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伝書人は今日も旅をする  作者: 金麦
第一部 風の向こうへ
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11/30

第11話 試される伝書人


 休日が明けた。


 朝。


 カナタは目覚まし代わりの鐘の音で目を覚ました。


「……朝か」


 以前なら、異世界の朝というだけで少し戸惑っていた。


 けれど。


 今では、窓から差し込む光を見れば、おおよその時間が分かるようになってきた。


 ベッドから起きる。


 身支度を整える。


 そして、隣の部屋へ向かった。


 コンコン。


「リーゼ?」


「……」


 返事がない。


「リーゼ、朝」


「……あと五分です」


「やっぱり寝てる」


「起きています……」


「じゃあ開けて」


「……それは……」


 しばらく沈黙。


「……カナタ」


「何?」


「鍵が見つかりません」


「また?」


「……はい」


 カナタは思わず笑った。


「机の上じゃない?」


「……」


「どう?」


「……ありました」


「おはよう、リーゼ」


「……おはようございます」


 扉が開く。


 そこには。


 髪が少し乱れ、眠そうな目をしたリーゼが立っていた。


「今日も朝弱いな」


「休日明けですから……」


「昨日も休みだっただろ」


「だからです」


「どういう理屈?」


 リーゼは小さく欠伸をした。


「朝食へ行きましょう」


「その前に髪」


「……」


 リーゼは自分の髪に触れた。


「……少し乱れていますね」


「少し?」


「……」


「まあ、リーゼらしいけど」


「褒められている気がしません」


 二人で一階へ降りる。


 いつもの朝食。


 いつもの会話。


 そして。


 いつもの道を通って、伝書院へ向かう。


 ほんの少し前まで、知らない道だった。


 けれど今では。


「この角を曲がれば伝書院」


「はい」


「その手前にパン屋」


「よく覚えていますね」


「昨日案内してもらったから」


「一度通っただけなのに」


「道は覚えるの得意なんだ」


 カナタはそう言って笑った。


 森の中で生きていた頃から。


 地図を見ることや道を覚えることには慣れていた。


 その感覚は、この世界でも変わらない。


 むしろ。


 異世界だからこそ役に立っていた。


     ◇


「おはようございます」


「おはようございます、カナタさん」


「今日もよろしくお願いします」


 伝書院へ入る。


 以前とは違う。


 カナタに声をかける職員が増えてきた。


 手紙を渡される。


 仕事を頼まれる。


 名前を呼ばれる。


 少しずつ。


 ここで働く人間の一人として扱われ始めている。


 けれど。


 全員がそう思っているわけではなかった。


「……」


 すれ違った職員の一人が、カナタを見る。


 ほんの一瞬。


 その視線に警戒が混じっていた。


 カナタは気づかなかった。


 だが。


 リーゼは気づいていた。


 そして。


 そのことを知っている人物が、もう一人いる。


 伝書院院長。


 セレフィナ・アルヴァリア。


     ◇


「リーゼ、カナタさん」


「はい」


「院長?」


 朝の仕事が始まる前。


 二人はセレフィナの執務室へ呼ばれていた。


 セレフィナは机の前に二人を座らせる。


「少し話があります」


「何でしょうか」


 リーゼが尋ねる。


「今日、大きな仕事が入ります」


「昨日の休日中に何か決まったんですか?」


「はい」


 セレフィナは一枚の資料を二人へ渡した。


「王都方面から大量の伝書物資が到着します」


 カナタが資料を見る。


「かなり多いな」


「通常の数倍です」


「これを今日中に?」


「はい」


 リーゼが資料を確認する。


「明朝の便に間に合わせる必要がありますね」


「その通りです」


 セレフィナは頷いた。


「そのため、今日は伝書院の職員をほぼ全員動員します」


「大仕事ですね」


「ええ」


 セレフィナはそこで一度言葉を止めた。


「そして」


 視線がカナタへ向く。


「この仕事について、あなたに伝えておきたいことがあります」


「俺に?」


「はい」


 カナタは姿勢を正した。


「あなたが伝書院で仕事を始めて、まだそれほど時間は経っていません」


「うん」


「ですが、あなたの仕事ぶりを評価する人が増えている一方で」


 セレフィナは静かに続ける。


「まだあなたを不審に思っている職員もいます」


 カナタは少し黙った。


「……やっぱり」


 これまでにも。


 何となく視線を感じることはあった。


「当然だと思います」


 セレフィナが言う。


「身元の確認できない人物が突然現れた。しかも、魔力測定では測定不能」


「……」


「疑うなというほうが難しいでしょう」


 リーゼが少しだけ表情を曇らせる。


「院長……」


「私は、その人たちを責めるつもりもありません」


 セレフィナは穏やかに答える。


「伝書院は、人の大切なものを預かる場所です。警戒心を持つこと自体は、悪いことではありません」


「……なるほど」


 カナタは頷いた。


「じゃあ、俺はどうすればいい?」


 セレフィナは少しだけ笑った。


「簡単です」


「簡単?」


「仕事で示してください」


 カナタが目を見開く。


「あなたが何者なのかを言葉だけで説明しても、納得しない人はいます」


「うん」


「ですが」


 セレフィナは資料を指で軽く叩いた。


「今日の仕事で、あなたが伝書院の一員として動けることを示せばいい」


 カナタは資料を見る。


「実力で?」


「はい」


 セレフィナは頷いた。


「魔力の量を見せろ、という意味ではありません」


「……」


「むしろ、魔力は使わなくても構いません」


「え?」


「手紙を正しく扱う。


 周囲と連携する。


 状況を見る。


 必要なときに動く。


 そして、任された仕事を最後までやり遂げる」


 セレフィナは一つずつ言葉を重ねた。


「それが、伝書人としての実力です」


 カナタは黙って聞いていた。


「今日の仕事を、私はあなたを試すためだけに用意したわけではありません」


 セレフィナが言う。


「ですが」


 少しだけ目を細める。


「あなたが周囲から認められるための、良い機会になるでしょう」


「……分かった」


 カナタが頷く。


「やってみる」


「期待しています」


 セレフィナはリーゼを見る。


「リーゼ」


「はい」


「今日もカナタさんと組んでください」


「分かりました」


「ただし」


 セレフィナの表情が少しだけ真剣になる。


「手を出しすぎないでください」


「……え?」


 リーゼが驚く。


「カナタさんを助けることと、すべてを代わりにやることは違います」


「……」


「必要なら助ける。


 ですが、今日だけは本人にできるところを任せてください」


 リーゼは少し考えてから頷いた。


「分かりました」


「カナタさん」


「うん」


「あなたも、無理をしないこと」


「分かった」


「魔力を使う場合も、慎重に」


「うん」


 セレフィナは二人を見る。


「では、お願いします」


 二人は執務室を出た。


 廊下を歩きながら。


「……緊張するな」


 カナタが言った。


「そうですね」


「リーゼも?」


「少しだけ」


「珍しい」


「私だって緊張します」


「そうなの?」


「はい」


 リーゼは小さく笑った。


「でも、大丈夫です」


「何で?」


「カナタならできますから」


 その言葉が。


 カナタには妙に心強かった。


     ◇


 昼前。


 大量の荷物が到着した。


「来ました!」


 入口から次々と箱が運び込まれる。


「一番から五番、北側!」


「了解!」


「書類は別!」


「破損確認!」


「記録担当、数を確認!」


 伝書院全体が、一気に慌ただしくなる。


 カナタも手紙の束を受け取った。


「これ、東地区!」


「こっちは王都!」


「待って!」


 カナタが声を上げる。


「それ、王都じゃない!」


「え?」


「印が違う!」


 職員が封筒を見る。


「あ……」


「こっちは王都じゃなくて、その手前の街」


「助かった!」


 カナタはすぐに次の束へ向かった。


 次々と手紙が運ばれてくる。


 分類。


 確認。


 記録。


 再確認。


 時間がどんどん過ぎていく。


「カナタ!」


 リーゼから声が飛ぶ。


「こっちお願いします!」


「分かった!」


 カナタは走る。


 ただ。


 走るだけではない。


 全体を見る。


 どこに人が足りないか。


 どこで作業が止まっているか。


 どの荷物を先に動かすべきか。


 昔。


 旅をしていたとき。


 カナタは常に周囲を見ていた。


 天候。


 地形。


 危険。


 道。


 今必要なこと。


 それと同じだった。


「こっち、詰まってる!」


「人を一人回してください!」


「了解!」


「カナタさん、こっちもお願いします!」


「分かった!」


 気づけば。


 カナタの周囲には、職員たちが自然と集まっていた。


「この束、どうする?」


「一度、地区ごとに分けよう」


「分かった!」


「この荷物は?」


「記録が終わってないから、こっちに置いて!」


「了解!」


 最初。


 彼らの目には警戒があった。


 けれど。


 仕事が進むにつれて。


 その視線が少しずつ変わっていった。


「……判断が早いな」


「新人なんだろ?」


「ああ」


「なのに、全体を見てる」


 カナタには聞こえない。


 ただ。


 目の前の仕事をこなしていく。


 午後。


 さらに荷物が追加で届いた。


「まだ来るのか……」


「予定より多いですね」


 職員たちに疲労が見える。


 そこで。


「こっち、俺がやる!」


 カナタが声を上げた。


「でもカナタさん、まだ――」


「大丈夫」


 カナタは手紙を受け取る。


「この量なら、こっちの机を使ったほうが早い」


「なるほど」


「二人は記録をお願い」


「分かった!」


 作業が再び動き出す。


 リーゼは少し離れた場所から、その様子を見ていた。


「……」


 セレフィナの言葉を思い出す。


『手を出しすぎないでください』


 だから。


 今は見守る。


 カナタが困ったときだけ助ける。


 それでいい。


     ◇


 夕方。


「残り三箱!」


「あと少し!」


「記録確認!」


「完了!」


 最後の荷物が整理される。


 伝書院に、ようやく静けさが戻ってきた。


「終わった……」


 カナタが椅子へ座る。


「お疲れさまでした」


 リーゼが隣へ来る。


「疲れた」


「私もです」


「でも」


 カナタは周囲を見る。


 みんな疲れている。


 けれど。


 どこか達成感のある顔をしていた。


「楽しかった」


「……そうですか」


 リーゼは笑った。


「なら、良かったです」


 そのとき。


「カナタさん」


 一人の職員が声をかけてきた。


「ん?」


「今日、助かりました」


「え?」


「途中、かなり混乱していたので」


 職員は少し照れたように笑った。


「正直、最初は……あなたのことをよく分からない人だと思っていました」


「……」


「でも」


 職員は頭を下げる。


「今日、一緒に仕事をして分かりました」


「何が?」


「ちゃんと仲間として働ける人なんだなって」


 カナタは少し驚いた。


 そして。


「ありがとう」


 笑った。


「俺も、みんなと仕事できて良かった」


 職員が去っていく。


 リーゼがカナタを見る。


「良かったですね」


「うん」


「少しずつですね」


「そうだな」


     ◇


 仕事が終わったあと。


 廊下で二人を待っていたのは、セレフィナだった。


「お疲れさまでした」


「ありがとうございます」


「どうでしたか?」


 セレフィナがカナタを見る。


「疲れた」


「それは何よりです」


「何より?」


「一生懸命働いた証拠ですから」


 セレフィナは微笑む。


「今日の仕事、見ていました」


「……どうだった?」


「十分です」


 その一言。


 カナタは少しだけ肩の力を抜いた。


「あなたが伝書院で働くことを、正式に認めます」


「……!」


「明日から、伝書人見習いとして通常業務にも継続して参加してください」


「本当に?」


「はい」


 リーゼも嬉しそうに笑う。


「おめでとうございます、カナタ」


「ありがとう!」


 セレフィナは続ける。


「そして」


 少し離れたところにいる職員たちを見る。


「今日の仕事で、あなたを見る目も変わったでしょう」


「……うん」


「疑う人がいなくなるとは言いません」


「分かってる」


「ですが」


 セレフィナは穏やかに言った。


「信頼は、一日で得るものではありません」


 カナタは頷く。


「これからも、仕事で積み重ねていけばいい」


「うん」


「それが一番確かな方法です」


 カナタは笑った。


「じゃあ、明日も頑張る」


「はい」


 リーゼも頷く。


「私も一緒です」


「よろしく」


「こちらこそ」


 二人は並んで歩き出す。


 その背中を。


 セレフィナはしばらく見送っていた。


「……良い顔になりましたね」


 小さく呟く。


 少し離れた場所では。


 今日までカナタを警戒していた職員が、彼の去っていった方向を見ていた。


「……少なくとも」


 その職員も、小さく呟く。


「仕事はできるらしいな」


 完全に信頼されたわけではない。


 疑いがすべて消えたわけでもない。


 それでも。


 昨日までとは違う。


 今日。


 カナタは。


 自分の力で。


 伝書院の中に、一つの居場所を作った。


     ◇


 月影亭への帰り道。


「今日、大変だったな」


「はい」


「でも、認めてもらえた」


「そうですね」


「……なんか嬉しいな」


「私も嬉しいです」


 リーゼはそう言って笑った。


 少し歩く。


「明日は通常業務ですね」


「うん」


「魔法の練習も」


「もちろん」


「……」


 リーゼが少し黙る。


「どうした?」


「いえ」


「?」


「明日の魔法の練習……」


「うん」


「少し楽しみです」


「そう?」


「はい」


 リーゼは前を向く。


 明日の訓練を思い浮かべる。


 カナタの手を取り、彼の魔力へ意識を重ねる。


 あの不思議な温かさが、指先からゆっくりと伝わってくる。


 初めて触れたときは、ただ珍しく、興味深い力だと思っていた。


 けれど今は。


 その温もりに触れる時間を、心のどこかで待ち望んでいる自分に気づいていた。


 カナタの魔力だから感じられるもの。


 カナタと一緒だから、安心して身を委ねられるもの。


 そう思うと、胸の奥がわずかに騒ぐ。


 訓練が楽しみなのは、魔法を学べるからだけではない。


 明日もまた、カナタの隣にいられるからだ。


 けれど。


 そんなことを口にする勇気は、まだなかった。


「じゃあ、明日も頑張ろう」


「はい」


 二人の影が。


 夕暮れの石畳に長く伸びていく。


 カナタはまだ知らない。


 今日、自分が得たものが。


 ただの「仕事を任される資格」ではないことを。


 伝書院の中で。


 少しずつ。


 彼を信じる人間が増え始めていることを。


 そして。


 その先には。


 カナタ自身がまだ知らない、次の旅が待っていることを。

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