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本能寺を変えるため、織田信長の家臣になった。 ~歴史を知る俺は、天下人を死なせない~  作者: 春野ケイ


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第八十五話 三河の一行

三河の一行は、知らせより一日早く清洲に着いた。

宗兵衛がそれを聞いたのは、宿に当てた寺の庫裏で、薪の数を数えていた時だった。甚内が息を切らして駆け込んできた。

「宗兵衛殿。三河の衆が、もう熱田を過ぎたそうじゃ。夕刻には着く」

「人数は」

「百に少し欠けるほどらしい。……使いではない。元康殿ご自身が来られる」

宗兵衛は手にしていた帳面を閉じた。二通り書いた割り振りのうち、多い方だった。

「分かりました。多い方の割り振りでいきます」

甚内は一瞬だけ宗兵衛の顔を見て、それから黙って頷いた。慌てる様子のない宗兵衛を見て、何か言いかけたようだったが、口には出さなかった。

宗兵衛は佐吉を寺に残し、城下を走った。借りる約束をしておいた商家を一軒ずつ回り、今日から部屋を空けてほしいと頼む。どの家も、急な話に驚きはしたものの、断る者はいなかった。年の瀬のうちに、宗兵衛自身が頭を下げて話を通しておいたからだ。

飯の米は、多い方の数で押さえてある。困ったのは馬だった。

人の数は見込み通りだったが、馬の数が思っていたより多かった。三河の衆は、荷を運ぶ馬まで連れてきていた。寺の裏に用意した厩では、とても足りない。

宗兵衛は荷駄置き場へ向かった。弥吉は話を聞くと、すぐに顎で奥を示した。

「荷駄の馬を、城の外の牧へ移せばよい。こっちの厩が空く」

「今日中にできますか」

「わしらを誰だと思うておる。荷駄の者は、馬を動かすのが仕事じゃ」

弥吉はそう言って、若い者たちに声を掛けた。荷駄の馬が一頭ずつ引き出され、城の外へと移されていく。宗兵衛はその間に、空いた厩の床に新しい藁を敷かせた。

寺へ戻ると、佐吉が寺の小僧たちと一緒に膳を並べていた。数が足りるかどうか、板切れに書いた数と一つずつ見比べている。宗兵衛の顔を見ると、佐吉は板切れを掲げてみせた。

「膳は九十六。椀は百あります。箸は、さっき町で買い足しました」

「銭はどうした」

「宗兵衛様の扶持から、少し」

宗兵衛は苦笑した。後で修理亮の方へ回しておかなければならない。だが、佐吉が自分で判断して足りないものを買い足したことの方が、宗兵衛には嬉しかった。

日が傾き始めた頃、三河の一行が清洲の町に入ってきた。

宗兵衛は寺の門前で、それを待った。表に立つのは、修理亮や他の家臣たちだ。裏方の自分は、門の脇に控えているだけでいい。それでも、通りの先から近づいてくる一行の姿は、はっきりと見えた。

先頭を行くのは、鎧ではなく旅の装いをした侍たちだった。皆、顔つきが硬い。昨日まで刃を交えていた国の城下に入るのだ。無理もなかった。町の者たちも、通りの両側から黙って一行を見ていた。歓迎の声はない。だが、石を投げる者もいなかった。

通りの向こう側、人垣の後ろに、見覚えのある顔があった。藤吉郎だった。藤吉郎は人の肩越しに一行を眺めていたが、宗兵衛と目が合うと、にやりと笑って口だけを動かした。

成ったな。

声は聞こえなかった。だが、そう言ったのは分かった。宗兵衛は小さく頭を下げただけで、すぐに一行の方へ目を戻した。藤吉郎が自分の顔をまだ見ていることを、背中で感じていた。

一行の中ほどに、一人の若い男がいた。

背は高くない。体つきはがっしりとしていて、顔は丸い。年は二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。周りの侍たちが張りつめた顔をしている中で、その男だけが、まるで見慣れた町を歩くような顔をしていた。

宗兵衛は、それが誰なのかすぐに分かった。

松平元康。

寺の門の前で、元康は馬を降りた。そして、宿に入る前に、連れてきた馬の列の方へ歩いていった。一頭ずつ脚を確かめ、手綱を引く者に何か声を掛けている。周りの侍が慌てて止めようとしたが、元康は小さく首を振っただけだった。

最後の一頭まで見終えてから、元康は寺の門をくぐった。

宗兵衛は門の脇で頭を下げたまま、その背中を見送った。隣に控えていた甚内が、小さく呟いた。

「馬を先に見る大将か。……わしは、ああいう大将は嫌いではない」

甚内の声には、昨日までの棘がわずかに薄れていた。

宗兵衛は、去っていく元康の背中を思い返していた。あの男は、この先二十年、信長の東を守り続ける。そして天正十年六月二日、本能寺で信長が討たれた朝、この男は堺にいる。わずかな供だけを連れて、命からがら三河へ逃げ帰ることになる。

宗兵衛の知っている松平元康は、書物の中の人だった。だが、今目の前を通り過ぎていったのは、馬の脚を一頭ずつ確かめる、二十歳を過ぎたばかりの若者だった。

一行が宿に落ち着いた後、宗兵衛は庫裏で飯の支度を確かめていた。そこへ、三河の侍が一人、ふらりと入ってきた。三十前後の、目つきの鋭い男だった。男は庫裏の中を見回し、積まれた米俵と、並べられた膳の数を目で数えた。

「この宿の割り振りをしたのは、誰じゃ」

「俺でございます。修理亮様の与力、沢井宗兵衛と申します」

男は宗兵衛を頭から足先まで見た。

「石川数正じゃ。……若いな」

数正は膳の一つを手に取り、裏を返して見た。

「我らが一日早く着くとは、知らせておらなんだはずじゃ。それなのに、部屋も飯も足りておる。馬の厩まで空いておった」

「人数が分かりませんでしたので、多い時と少ない時の二通りを支度しておりました」

「二通り、か」

数正は膳を置いた。

「正直に申す。我らは、清洲の者が我らを人質の頃と同じに見ておると思うておった。殿が幼い頃、熱田でどう扱われたか、聞かされて育った者もおる。宿の一つも満足に用意されんのではないかと、道中ずっと話しておったのじゃ」

宗兵衛は黙って聞いていた。

「それが、この支度じゃ。……裏方の仕事を見れば、その家が客をどう見ておるかが分かる。少なくとも、この宿を割り振った者は、我らを客として見ておったようじゃな」

数正はそれだけ言うと、庫裏を出ていった。

宗兵衛はしばらくその場に立っていた。褒められたのかどうか、よく分からなかった。だが、三河の者たちが道中ずっと何を恐れていたのかは、分かった気がした。

宗兵衛は書付を開き、石川数正、と書いた。その下に、裏方を見る人、と一行だけ書き足した。会って、言葉を交わして、確かめたことだ。だから書いてもいいと思った。それから少し迷って、松平元康の名の下にも、一行だけ書き足した。宿に入る前に、馬の脚を一頭ずつ見る人。

夜が更けて、宗兵衛は城の内の見張りの割り振りを確かめに回った。警固から外した者たちに当てた役だった。薪割りの者、馬の世話の者、城の内の見張りの者。一人ずつ顔を確かめていく。

だが、一つだけ、空いている場所があった。

城の東の門の脇。見張りの者が立っているはずの場所に、誰もいない。宗兵衛は手元の割り振りを確かめた。そこに当てていたのは、平六だった。

「平六さんは」

隣に立っていた見張りの者に尋ねると、男は困ったように首を振った。

「日が暮れてすぐ、少し出てくると言うて。それきり戻っておりません」

宗兵衛は東の空を見た。その方角には、三河の衆が泊まる寺がある。

【あとがき】

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。今回から、三河の松平と織田の盟約をめぐる話が始まりました。松平元康、後の徳川家康がこの時期に清洲を訪れたという話は古くから伝わっていますが、実際に訪問があったかどうかについては議論があります。本作では、物語の流れとして元康が清洲を訪れた形で描いています。宗兵衛は表に立つことはなく、宿や飯や馬といった裏方の仕事を受け持っています。それでも、裏方の支度には、その家が客をどう見ているかが表れるものです。また、石川数正は元康に仕えた重臣の一人で、後に徳川家を離れて豊臣方に移ったことでも知られる人物です。作中の言動は物語上の創作です。最後に、平六が持ち場から姿を消しました。次回、宗兵衛は平六を探しに走ります。面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などで応援していただけると励みになります。

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