第七十七話 表に出せぬ答え
清洲に戻ったのは、日がすっかり落ちてからだった。
先に走らせた足軽から話を聞いていたのだろう。修理亮は灯を点したまま宗兵衛たちを待っていた。才蔵と船頭を甚内の手の者に預けると、宗兵衛は書付を開き、見たものを順に伝えた。新しい杭。納屋の前の塩。夜に来た舟と、積まれた荷の数。川上の舟着きで積み替えられた俵と木箱。舟の板の間に挟まっていた荷札。
修理亮は黙って聞き終えると、家臣に荷改めの帳面を持ってこさせた。宗兵衛の書いた数と、帳面の数を一つずつ照らし合わせていく。やがて修理亮は帳面を閉じた。
「合うな」
「はい」
「この一月ほどで消えた塩と鉄が、お主の見た荷とほぼ同じじゃ。……それで、手引きの者は」
宗兵衛は才蔵の言葉を伝えた。左の耳が半分欠けた荷駄の者。佐吉があの日話を聞いた男と同じだということも。
「名は分かるか」
「まだ分かりません。ですが、荷駄の者に聞けば分かると思います」
その夜のうちに、宗兵衛は荷駄置き場へ向かった。弥吉は車輪の陰で横になっていたが、宗兵衛の顔を見ると起き上がった。話を聞くうちに、弥吉の顔から笑いが消えていった。
「左の耳の欠けた男なら、権蔵じゃ。別の組の荷駄におる。昔、荷車の下敷きになって耳を潰したと聞いた」
「どんな男ですか」
弥吉はしばらく黙っていた。
「……悪い奴ではなかった。気前がよくて、若い者によう飯を分けておった。ただ、この春から博打で借りを作っておるという噂は聞いておった」
弥吉はそこで言葉を切り、宗兵衛を見た。
「わしが言うたことで、あいつがどうなるかは分かっておる。それでも、言わねばならんのじゃな」
「弥吉さんが言わなくても、いずれ分かります。ただ、遅れれば、その分だけ荷が消えます」
「分かっておる」
弥吉は小さく息を吐いた。
「あいつが分けておった飯を、わしも何度か食うた。それだけは覚えておいてくれ」
翌朝早く、甚内が権蔵を連れてきた。権蔵は抗わなかった。修理亮の前に引き出されると、しばらく黙っていたが、荷札を見せられて観念したように話し始めた。博打の借りを返せずにいた春の終わり、犬山の町の者だという男に声を掛けられた。北の道を通る時に、少しだけ荷を下ろしてくれればいい。一度で借りの半分が消えると言われた。倒木を用意したのは自分ではない。その男の仲間が、荷駄が通る日に合わせて道を塞いだのだという。
「その男の名は」
「又八と名乗っておりました。それ以上は存じません」
その後は、何を聞いても同じ答えしか返ってこなかった。権蔵が知っているのは、そこまでだった。
引き立てられていく前に、権蔵は一度だけ宗兵衛の方を見た。
「あの日、お主の連れの若いのに倒木の話をしたのはわしじゃ。村の者が手伝ったと言うたら、あの若いのは頷いて帰っていった。それで済んだと思うておった」
権蔵は力なく笑った。
「済んではおらなんだのじゃな。あの若いのは、ちゃんと聞いて、ちゃんと覚えておった」
宗兵衛は何も言えなかった。権蔵を見つけたのは、佐吉が覚えていた一言だった。だが、その一言が、弥吉に飯を分けていた男をここへ引き出したのだ。
それから五日が過ぎた。その間に、与力としての扶持の沙汰が届いた。多くはない。だが、これまでのように組の飯を当てにするのではなく、自分の扶持で自分を養う。それだけで、暮らしの重さが少し変わった気がした。五日目の朝、宗兵衛は修理亮に呼ばれた。部屋には甚内も控えていた。
「この件、信長様に申し上げた」
修理亮は前置きなく言った。
「権蔵の処分は済んだ。あの村の納屋には人を置く。才蔵の舟は二度と川を上らぬ。清洲の荷駄も、北の道を通る日を変える」
「はい」
「犬山には、何も申さぬ」
宗兵衛は顔を上げた。言葉が喉まで出かかった。荷は犬山の岸を通っていた。犬山の町の者が金を払っていた。このまま放っておけば、いずれ犬山は美濃と手を結び、信長に背く。自分はその先を知っている。
だが、宗兵衛は口を閉じた。自分が確かめたのは、荷の道と、権蔵と、又八という名だけだ。信清がそれを命じたという証は、どこにもない。知っている先の話を持ち出せば、それはもう与力の報告ではなかった。
修理亮は宗兵衛の顔を見ていた。
「言いたいことがありそうじゃな」
「……いえ」
「よい。顔に出ておる」
修理亮は少しだけ口元を緩めた。
「信清殿は信長様の身内じゃ。証もなしに問い詰めれば、身内に疑いを掛けたことになる。美濃を前にして、尾張の中で揉めておる時ではない。だが、信長様は今回のことを忘れはせぬ。犬山の岸を何が通ったか、知っておられる。それで十分なのじゃ」
宗兵衛は深く頭を下げた。知っていることを言わずにいるのは、思っていたよりも苦しかった。
「それと、もう一つ」
修理亮は甚内の方へ目をやった。甚内が膝を進め、宗兵衛に向き直った。
「宗兵衛殿。わしは初め、お主を修理亮様の気まぐれだと思うておった。……間違いでござった」
それだけ言うと、甚内は頭を下げた。宗兵衛は慰てて頭を下げ返した。修理亮が笑った。
「この働きは表には出せん。感状も出ぬ。だが、甚内にこれを言わせたのじゃ。今はそれで足りるであろう」
その日の夕方、佐吉は源四郎の組へ戻っていった。この役目の間だけ借りるという約束だった。門の前で、宗兵衛は佐吉に頭を下げた。
「助かった。お前がいなければ、荷札も、耳の欠けた男も見落としていた」
「宗兵衛様が、見たものをそのまま言えと言ってくださったからです」
佐吉はそう言ってから、少しの間うつむいた。何か言いかけて、口を閉じる。元服の前に何度か見たのと同じ顔だった。
「どうした」
「……今は、まだ言えません。言えるようになったら、自分で言います」
佐吉は頭を下げ、組の方へ歩いていった。宗兵衛はその背中を引き止めなかった。源四郎の言った通りだ。その先のことは、佐吉が自分で決める。
城の門を出たところで、宗兵衛は藤吉郎に呼び止められた。
「宗兵衛。荷駄から一人消えたそうじゃな」
「もうお耳に入っておりますか」
「荷駄の者が一人消えれば、噂にならぬはずがない」
藤吉郎はいつものように笑った。宗兵衛はふと思い出して、頭を下げた。
「遅れましたが、藤吉郎殿、先日はおめでとうございました」
「おう、聞いたか。わしもようやく嫁をもらうた。これでわしも一人前じゃ」
藤吉郎は照れたように頭を掻いた。それから、ふと声を落とした。
「表に出せぬ手柄を立てる者は、たいてい表に出せぬ話も抱えておる。……お主もそうか」
宗兵衛は答えなかった。藤吉郎は気にした様子もなく、話を変えた。
「そうじゃ。佐脇藤八殿が、お主に会いたがっておったぞ」
「佐脇様が、ですか」
「信長様の近くに仕える若衆じゃ。岩室殿とは長い付き合いでな。岩室殿の名を書き留めておる足軽がおると、わしが話したら、ぜひ会いたいと申された」
藤吉郎はにやりと笑った。
「もう足軽ではないと、言い忘れたがの」
【あとがき】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。今回は、消えた荷の件に一つの区切りがついた回でした。荷の道は断たれ、手引きをした権蔵も見つかりました。それでも、犬山には何も言わないという判断が下されます。宗兵衛は、犬山の織田信清がいずれ信長と対立することを知っていますが、確かめていないことは口にしませんでした。史実でも、信長と信清の関係が決定的に崩れるのはもう少し先のことです。また、藤吉郎がねねを妻に迎えたのは、永禄四年八月のこととする説が広く知られています。今回はその話題にも少しだけ触れました。最後に名前が出た佐脇藤八は、信長の近くに仕えた実在の人物です。次回、宗兵衛は岩室長門守を知る者と向き合うことになります。面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などで応援していただけると励みになります。




