第七十六話 荷の行き先
夜が明けきる前に、五人は土手沿いを川上へ歩き始めた。
舟の明かりはとうに見えなくなっていた。だが、川を上る舟は速くない。棹を差して流れに逆らう以上、岸を歩く者とさほど変わらない。宗兵衛は葦の陰を選びながら、川面と対岸を交互に見た。対岸は美濃だ。朝靄の向こうに、低い山の影がぼんやりと浮かんでいる。
川の水は、昨日よりわずかに濁っていた。上の方で雨が降ったのかもしれない。宗兵衛は弥吉の言葉を思い出し、岸から離れて歩くよう皆に伝えた。修理亮の若い足軽が、不思議そうな顔をした。
「雨も降っておらんのに、ですか」
「ここで降っていなくても、上で降れば水は来る。荷駄の古株に教わった」
若い足軽は川面を見て、黙って土手の上へ一歩寄った。
半刻ほど歩いたところで、甚内が足を止めた。土手を横切って、細い小川が木曽川へ流れ込んでいる。
「ここから先は、犬山の領分じゃ」
甚内の声は低かった。
「修理亮様の御言葉、忘れてはおるまいな」
「はい」
宗兵衛は小川の手前で身を屈め、土手の上から川上を見た。小川を越えた先、川が少し曲がった辺りに舟着きがあった。昨夜の大きな舟が、そこに繋がれている。岸では男たちが木箱と俵を下ろし、別の小舟へ積み替えていた。積み終えた小舟は、一艘ずつ対岸へ漕ぎ出していく。
「佐吉、数えられるか」
「はい」
佐吉が指を折りながら、下ろされる荷を数えた。宗兵衛はそれを書付に書き留めていく。俵が八つ。木箱が四つ。小舟は三艘で、それぞれが二度ずつ川を渡った。
「数など数えて何になる」
甚内が言った。
「清洲の荷改めで合わなかった数と、比べることができます。合えば、ここで見た荷が清洲から消えた荷だと言えます。合わなければ、別の荷も混ざっているということです。どちらにしても、修理亮様が判断する材料になります」
甚内はそれ以上何も言わず、対岸へ漕ぎ出していく小舟を目で追っていた。
「美濃へ渡しておる」
甚内が呟いた。
「対岸は鵜沼の辺りじゃ。斉藤方の城がある。……これで十分であろう。犬山が美濃へ塩と鉄を流しておる」
宗兵衛はすぐには頷かなかった。見えているものは確かだ。尾張の村から運ばれた荷が、犬山の領分を通って美濃へ渡っている。だが、それを誰が命じているのかまでは見えていない。
「甚内殿。俺たちに見えているのは、荷が犬山の岸を通っていることだけです。犬山の誰かが命じているのか、商人が勝手に岸を使っているだけなのか。それはまだ分かりません」
「犬山の領分で、犬山が知らぬはずがあるか」
「知っていることと、命じていることは違います」
言いながら、宗兵衛は自分の胸の内を押さえていた。犬山の織田信清がいずれ信長に背くことを、自分は知っている。だからこそ、今ここで信清の名を口にするわけにはいかなかった。見たものの上に、知っていることを重ねてしまえば、それはもう報告ではなくなる。
甚内は宗兵衛を睨んだが、言い返さなかった。
昼近く、荷を下ろし終えた大きな舟が、流れに乗って川を下り始めた。空になった舟は速い。宗兵衛は佐吉と目を合わせた。
「下りの舟なら、どこかで一度は岸に寄るはずです。舟を操る者も、水と飯は要ります」
佐吉の読み通り、舟は小川を越えて少し下ったところで岸に寄った。尾張の側、犬山の領分の外だった。船頭と、身なりのよい男が一人、岸へ上がって腰を下ろした。
甚内が二人の足軽に目で合図を送った。五人が葦の中から出ると、男たちは慰てて立ち上がった。逃げようとした船頭の前に、若い足軽が回り込む。身なりのよい男は逃げなかった。顔は青ざめていたが、口元だけは笑おうとしていた。
「これは、織田様の御家中で。手前は才蔵と申す、しがない商いの者で……」
「何を運んでおった」
甚内が問うと、才蔵は首を振った。
「空舟でございます。見ての通り、何も積んでおりません」
「昨夜、村の納屋から積んだ荷じゃ」
才蔵の顔から笑いが消えた。宗兵衛はその間に、佐吉と舟の中を見た。船底には何もない。ただ、板の継ぎ目に、紙の切れ端が一枚挟まっていた。佐吉がそれを抜き取り、しばらく黙って見つめていた。
「宗兵衛様」
佐吉の声がかすれていた。
「荷札です。この印、清洲の荷改めのものです。番号も……あの日、数が合わなかった荷の札と続いています」
宗兵衛は札を受け取った。半分に破れているが、印と番号ははっきり読めた。於久地から戻った後、佐吉が一枚ずつ確かめた荷札と同じものだった。消えた二つの荷は、やはりこの道を通っていたのだ。
甚内が札を覗き込み、それから佐吉を見た。
「目が利く、と言うたな」
「……はい」
「確かに利く」
それだけ言って、甚内は才蔵に向き直った。
才蔵は、もう誤魔化さなかった。自分は運ぶだけで、荷の持ち主は知らない。金を払うのは、犬山の町の者だという。名は聞いていない。荷はいつも、あの村の納屋に置かれている。
「納屋に荷を置くのは誰じゃ」
「清洲の荷駄の者だと聞いております。荷駄が北の道を通る時、狭いところで道を塞いで荷車を止め、その間に二つ三つ下ろすのだと」
宗兵衛は書付を開き、才蔵の言葉を一つずつ書き留めた。切られた倒木。半刻止まった荷車。二つ足りない荷。これまで一つずつ書いてきたものが、一本の線でつながっていく。最後に、荷札を見つけたのは佐吉、と書き添えた。
「甚内殿。この二人は清洲へ連れて行きます。ただ、舟はここに置いていきたいのです」
「なぜじゃ」
「舟が戻らなければ、犬山の側の者が気づきます。ここに繋がれていれば、船頭が病で休んでいると思うかもしれません。少しでも長く、気づかれずにいたいのです」
甚内は少し考え、頷いた。それから若い足軽を呼び寄せた。
「お主は先に清洲へ走れ。修理亮様に、荷の行き先が分かったこと、荷駄の中に手引きの者がおることを伝えよ。他の者には一言も漏らすな」
若い足軽が駆け出していく。荷の行き先は分かった。だが、清洲の中に、まだ答えが残っている。
清洲へ戻る道すがら、宗兵衛は才蔵と並んで歩いた。縄を掛けられた才蔵は、もう逃げる素振りも見せなかった。
「なぜ、こんな危ない商いをする」
宗兵衛が問うと、才蔵は力なく笑った。
「塩は、川を渡れば値が倍になります。鉄はそれ以上です。戦が続くほど、向こうでは物が足りなくなる。危ないと分かっていても、手を出す者はいくらでもおります」
戦が長引けば、こういう者が増える。宗兵衛は、それが戦場の外で起きているもう一つの戦なのだと思った。それから、さっき聞きそびれたことを尋ねた。
「その荷駄の者の顔は見たか」
才蔵は少し考えた。
「よくは見ておりません。ただ……左の耳が、半分欠けておりました」
その言葉を聞いた瞬間、隣で佐吉が身を固くした。宗兵衛が振り返ると、佐吉の顔から血の気が引いていた。
「宗兵衛様」
「どうした」
「あの日……倒木で道が塞がっていたと俺に話してくれた荷駄の者です。村の者が手伝って木をどけたと言っていた、あの男です」
佐吉は唇を噛んだ。
「左の耳が、半分ありませんでした」
宗兵衛は足を止めた。あの時、その男は何食わぬ顔で倒木の話をしたのだ。自分で塞いだ道のことを、村の者が手伝ってくれたと言って。
【あとがき】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。今回は、舟の行き先と、消えた荷の正体に迫る回でした。木曽川を挟んで犬山城の対岸にあたる鵜沼には、当時斉藤方の城があったとされています。尾張から美濃へ物が流れる道として、川は大きな意味を持っていました。宗兵衛は、犬山の織田信清が後に信長と対立することを知っています。それでも、見たものの上に知っていることを重ねず、確かめたことだけを報告しようとしています。そして、第六十四話で佐吉が話を聞いた荷駄の者が、思わぬ形で浮かび上がってきました。面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などで応援していただけると励みになります。




