第七十五話 川沿いの村
分かれ道に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
宗兵衛は足を止め、地面を見た。轍は前に来た時と同じように二つに分かれている。片方には草が伸び、ほとんど使われた跡がない。もう片方は土が固く踏みしめられ、新しい轍が何本も重なっていた。前に佐吉が見つけた轍よりも、さらに数が増えている。
「この十日ほどでも、何台も通っておりますね」
佐吉がしゃがみ込んで言った。
「雨はしばらく降っておりません。それでもこれだけ深く残っているのは、重い荷を積んでいたからだと思います」
甚内が轍を覗き込み、それから佐吉を一度だけ見た。何も言わなかったが、さっきまでとは目の色が少し違っていた。
「行くぞ」
使われている方の道を進むと、やがて木曽川の土手が見えてきた。土手の手前に、二十軒ほどの家が寄り集まった村がある。田には稲が重く頭を垂れ、刈り入れまではまだ半月ほどありそうに見えた。
「刈り入れの支度にしては、早すぎますね」
宗兵衛が言うと、甚内は鼻を鳴らした。
「村の者の言い訳など、そんなものじゃ。庄屋のところへ行って、荷車のことを問いただす。夜に何を運んでおるのか、納屋を開けさせれば早い」
「お待ちください」
宗兵衛は甚内の前へ出た。
「納屋を開けさせれば、確かに何かは出てくるかもしれません。ですが、その荷がどこへ行くのかは分からなくなります。俺たちが来たと知れれば、運ぶ者は道を変えるだけです」
「では、どうする」
「甚内殿には、修理亮様の使いとして庄屋に会っていただきたいのです。刈り入れの具合を見に来た、ということで構いません。その間に、俺と佐吉で村の中を見て回ります。荷のことは、こちらからは一言も口にしません」
甚内は宗兵衛をじっと見た。
「わしを囮に使うと申すか」
「囮ではありません。甚内殿が庄屋の前におられる間は、村の者の目がそちらに向きます。その間でなければ見られないものがあります」
しばらく沈黙が続いた。やがて甚内は、二人の足軽を連れて庄屋の家の方へ歩き出した。振り返らずに、一言だけ残していった。
「日が傾くまでじゃ。それで何も見つからねば、わしのやり方でやる」
宗兵衛と佐吉は、村の外れから土手沿いに歩いた。畑で働く女たちが、ちらりとこちらを見てすぐに目を逸らす。子供たちは遠巻きにしてついてきた。
佐吉が最初に足を止めたのは、川岸だった。
「宗兵衛様、あの杭を見てください」
岸に打ち込まれた杭が三本並んでいた。どれも新しい。皮を剥いだばかりの白い木肌が、まだ乾ききっていない。
「舟を繋ぐためのものだと思います。でも、この村の舟は、あちらに一艘あるだけです」
佐吉が指した先には、古びた小舟が一艘、岸に引き上げられていた。三本の杭のどれにも、繋がれてはいない。
「繋ぐ舟がないのに、杭だけが新しいか」
「はい」
宗兵衛は頷き、杭の周りの土を見た。人の足跡が多い。それも、裸足ではなく草鞋の跡だ。村の者が畑仕事の合間に来る場所にしては、跡が多すぎた。
次に気づいたのは宗兵衛だった。土手の陰に、大きな納屋が一つ建っている。戸は閉じられていたが、その前の地面に、白い粒が点々と散っていた。宗兵衛はしゃがみ込み、指先に一粒取って舐めた。
塩だった。
「村で、塩をこんなにこぼすことはありません」
佐吉が小声で言った。
「塩は高いものです。俺の家では、一粒でも落とせば叱られました」
宗兵衛も同じことを考えていた。百姓が塩を何俵も扱うことはない。扱うとすれば、それは村のための塩ではない。宗兵衛は川の向こうへ目をやった。対岸は美濃だ。海を持たない美濃にとって、塩は外から入れるしかない。戦が続けば、尾張から美濃へ塩が流れることは止められる。止められたものほど、値は上がる。値が上がれば、危ない橋を渡ってでも運ぼうとする者が出てくる。宗兵衛は塩の粒を指から払い、納屋の戸に手を触れずにその場を離れた。
ついてきていた子供の一人に、宗兵衛は声を掛けた。叱るつもりはないと分かるように、腰を落として目の高さを合わせる。
「この納屋には、何が入っているんだ」
子供は首を振った。
「知らん。夜になると舟が来て、大人が運ぶ。見たら叱られる」
「舟は、どっちから来る」
子供は川下を指した。
「来るのはあっちから。帰りはあっち」
指は、川上を向いていた。
日が傾き始めた頃、宗兵衛と佐吉は甚内のところへ戻った。甚内は庄屋の家の前で、腕を組んで待っていた。
「庄屋は何も知らぬと言うておる。荷車は刈り入れの支度、夜に人が出入りするのは祭りの支度だそうじゃ。……そちらは」
宗兵衛は、杭のこと、塩のこと、子供の話を順に伝えた。甚内の表情が少しずつ険しくなった。
「ならば、今すぐ納屋を開けさせればよい。塩が出れば、それで十分じゃ」
「塩が出るだけです」
宗兵衛は静かに言った。
「塩が誰のもので、誰がどこへ運んでいるのかは分かりません。それに、修理亮様から言われたのは、分かるまで調べてこいということです。今夜、舟が来るかもしれません。来れば、その舟がどこへ行くのかが見えます」
甚内はしばらく宗兵衛を睨んでいた。それから、吐き捨てるように言った。
「一晩だけじゃ。来なければ、明朝には納屋を開ける」
「それで構いません」
夜、五人は土手の葦の中に身を潜めた。弥吉に言われた通り、宗兵衛は佐吉に足元の土を確かめさせ、川から離れた場所を選んだ。月は細く、川面はほとんど見えない。虫の声だけが響いていた。
待つ間、甚内が低い声で話しかけてきた。
「宗兵衛殿。一つ聞いてよいか」
「はい」
「お主は、なぜそこまで急がぬ。手柄を立てたばかりの若い者は、たいてい次の手柄を急ぐものじゃ」
宗兵衛は少し考えた。
「急いで外せば、俺一人では済まないからです。今の俺が外せば、修理亮様が外したことになります」
甚内はしばらく黙っていた。葦の向こうで、魚が一度だけ跳ねた。
「……修理亮様は、昔から人を見る目だけは確かなお方じゃ。わしは、それが外れるところを見たくなかっただけよ」
それだけ言うと、甚内はまた川の方へ顔を向けた。宗兵衛は、甚内の冷たさの理由が少しだけ分かった気がした。この男は、宗兵衛を疑っていたのではない。修理亮の判断を、自分の目で確かめようとしていたのだ。
どれほど待っただろうか。川下の闇の中に、小さな明かりが一つ灯った。明かりはゆっくりと近づいてきて、新しい杭の前で止まった。舟だった。それも、村の小舟よりずっと大きい。
納屋の戸が開き、村の男たちが黙って荷を運び出した。俵がいくつか。それから木箱。宗兵衛は息を詰めて木箱の形を見た。四角く、角に鉄の帯が打ってある。清洲の荷駄で使っているものと、同じ形に見えた。
隣で佐吉が小さく息を呑んだ。甚内も何も言わない。ただ、腰の刀に置いた手に力が入っているのが分かった。
荷を積み終えると、舟は杭を離れた。来た方へは戻らなかった。棹を差し、流れに逆らって、ゆっくりと川上へ上っていく。明かりが少しずつ小さくなっていった。
宗兵衛はその明かりから目を離さなかった。この川をさらに上れば、その先には犬山の城がある。
【あとがき】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。今回は、宗兵衛たちが川沿いの村で手掛かりを探す回でした。村の名前は出していませんが、木曽川沿いの小さな村として描いています。当時、塩は貴重な品で、内陸の国にとっては欠かせない物資でした。戦をしている相手の国へ塩や鉄が流れることは、大名にとって見過ごせない問題です。宗兵衛は第六十六話で「片方の話だけで決めない」ことを学びましたが、今回はそれとは少し違い、「先に動けば相手に気づかれる」ということを考えて動いています。そして、甚内との意見の違いも少しずつ表に出てきました。最後に見えた舟の明かりがどこへ向かうのか、次回明らかになっていきます。面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などで応援していただけると励みになります。




