第七話 初めての巡回
朝日が尾張の田畑を黄金色に染めていた。
昨夜の見回りを終えた宗助は、小屋の前で槍の穂先を布で丁寧に磨いていた。
木の柄に付いた泥を落とし、穂先に浮いた薄い汚れを拭き取る。
源四郎の言葉が頭に残っていた。
『武具は兵の命じゃ。』
戦はまだ経験していない。
それでも、この槍が自分の命を守ることだけは理解していた。
「朝から熱心じゃの。」
弥吉が笑いながら近寄ってくる。
「源四郎殿に叱られたくないからな。」
「ははっ。それも大事じゃ。」
二人が話していると、広場から太鼓が鳴った。
ドン、ドン、と腹へ響く音。
「集まれとの合図じゃ。」
宗助たちは急いで広場へ向かった。
源四郎はすでに待っていた。
その表情はいつも以上に厳しい。
「昨夜の働き、ご苦労であった。」
一同が頭を下げる。
「じゃが、村を守る務めは夜だけではない。」
源四郎は地面へ棒で簡単な地図を描き始めた。
村。
街道。
川。
山。
「本日より巡回を行う。」
「巡回……ですか。」
宗助が思わず呟く。
「左様。」
源四郎は頷いた。
「橋が壊れておらぬか。」
「街道に怪しい者はおらぬか。」
「田を荒らす者はおらぬか。」
「それらを確かめるのも兵の務めじゃ。」
宗助は歴史書を思い出した。
戦国時代には警察など存在しない。
村を守るのも、街道を見張るのも、その土地の兵だった。
戦うだけではない。
民の暮らしを守ることも兵の役目なのだ。
「弥吉、宗助。」
「はっ。」
「お主らは北の街道を見て参れ。」
「昼までには戻るように。」
「承知しました。」
二人は槍を持ち、村を後にした。
北へ続く街道は静かだった。
朝露に濡れた草が揺れ、鳥のさえずりだけが聞こえる。
宗助は辺りを見回しながら歩く。
昨日までは何も気にしていなかった景色が、今日は違って見えた。
折れた木。
轍の跡。
人の足跡。
どれも意味があるように思える。
「兵になると、見るものが変わるじゃろ。」
弥吉が笑った。
「そうだな。」
「今までは景色だった。」
「今は確かめるものになった。」
弥吉は満足そうに頷いた。
「その調子じゃ。」
街道の先で、一人の老人が荷車を押していた。
車輪が泥にはまり、動けなくなっている。
「困っておるようじゃ。」
宗助は弥吉と顔を見合わせる。
二人は迷わず老人の元へ駆け寄った。
老人は必死に荷車を押していた。
「ぬ、抜けん……。」
車輪は昨夜の雨でぬかるんだ泥へ深く沈み込んでいる。
「手伝います。」
宗助はすぐに槍を道端へ置いた。
弥吉も荷車の後ろへ回る。
「せーの!」
二人で力を込める。
車輪が軋み、大きく泥を跳ね上げた。
もう一度。
「ふんっ!」
ようやく荷車がぬかるみを抜ける。
老人は何度も頭を下げた。
「助かりました……。」
「礼など要らぬ。」
弥吉が笑う。
「村の者を助けるのも兵の務めじゃ。」
老人は荷車へ積まれた野菜を見つめる。
「これを城下まで運ばねばならんでの。」
宗助は荷台を見た。
大根。
里芋。
葱。
決して多くはない。
だが一家が丹精込めて育てた作物なのだろう。
「お気を付けて。」
「ありがとう、若い衆。」
老人は何度も礼を言いながら街道を進んでいった。
二人も巡回を再開する。
しばらく歩くと、小さな木橋が見えてきた。
川幅は狭い。
しかし橋板の一枚が大きく割れていた。
「これは危ないな。」
宗助がしゃがみ込む。
荷車が通れば、板が抜けてもおかしくない。
弥吉は橋を渡りながら頷いた。
「帰ったら源四郎殿へ報せねばならん。」
「すぐ直せるものなのか。」
「村総出じゃ。」
「橋も道も、誰かが直さねば使えぬからの。」
宗助は少し驚いた。
現代なら役所へ連絡すれば済む。
だがこの時代では違う。
村人も兵も協力して暮らしを守っていた。
巡回を終え、昼前に村へ戻る。
源四郎は報告を一つひとつ静かに聞いていた。
「老人を助けたこと。」
「橋板が割れておったこと。」
「他に怪しい者は見当たらず。」
宗助が報告を終えると、源四郎は満足そうに頷いた。
「よく見ておる。」
「兵とは戦だけする者ではない。」
「異変に気付き、報せることも大事な務めじゃ。」
宗助は深く頭を下げた。
「はい。」
源四郎は続ける。
「橋板は今日のうちに村役へ伝える。」
「荷車の件も、礼を言われたから終わりではない。」
「困っておる者がおれば手を貸せ。」
「それが巡り巡って織田家への信頼となる。」
その言葉に、宗助は静かに頷いた。
(信長公が目指している国は……。)
(こういう人々の暮らしを守ることなのかもしれない。)
まだ会話を交わしたこともほとんどない。
それでも宗助の中で、信長という人物への思いは少しずつ大きくなっていた。
武功を挙げる。
その先にあるのは名誉だけではない。
この人たちの笑顔を守ること。
それこそが、自分がこの時代へ来た意味なのかもしれない。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は巡回を通して、戦国時代の兵が「戦うだけではない」という一面を描きました。派手な合戦はまだ先ですが、こうした日々の積み重ねが宗助の成長と信頼につながっていきます。
次回は、いよいよ尾張国内の情勢が慌ただしくなり、宗助たちにも戦の足音が近づいてきます。
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これからも史実への敬意を忘れず、戦国の世界を丁寧に描いていきます。どうぞよろしくお願いいたします。




