第六十八話 預かった命
「宗助、明日の朝までに戻れるか」
源四郎の問いに、宗助は顔を上げた。いつものような仕事の確認だと思っていたが、源四郎の表情は少し硬かった。
「どこへ向かうんですか?」
「近くの村じゃ。そこにいる者を、こちらまで連れて来てもらいたい」
「何人ですか?」
「三人」
宗助は少し考えた。
「三人とも兵ですか?」
「一人は足を痛めておる。残りの二人が付き添っている」
そこで源四郎は、宗助の後ろにいる五人へ目を向けた。
「お主と五人で行け」
「俺たちだけで?」
「戦に行くわけではない。だが、途中で何があるかは分からぬ」
宗助は頷いた。
「分かりました」
「それと、急ぐ必要はない」
「はい」
「早く戻ることより、三人を無事に連れて戻ることを優先せよ」
その言葉を聞いた瞬間、宗助の中で仕事の意味が変わった。今まで任されてきたのは、荷や道、村とのやり取りだった。だが今回は違う。連れて行くのではなく、連れて戻る。途中で誰かが倒れれば、その責任は自分にある。
「分かりました。無理はさせません」
「それでよい」
源四郎はそれだけ言った。
翌朝、宗助たちは村へ向かった。佐吉を先頭にせず、今回は宗助が自分で全体を見ることにした。佐吉には後ろを任せ、他の四人には周囲を見るよう伝える。村へ着くと、家の奥から一人の男が足を引きずりながら出てきた。
「お前が宗助か?」
「はい」
「源四郎殿から話は聞いておる。すまぬが、少し時間をくれ」
男は右足を布で固く縛っていた。歩けないほどではないらしいが、長い距離を歩けば悪化することは明らかだった。
「無理に歩かなくていいです。途中で休みながら行きましょう」
「だが、早く戻らねばならぬのだろう?」
「早く戻るより、無事に戻る方が大事です」
男が宗助を見る。
「若いのに、妙なことを言う」
「源四郎様にそう言われました」
宗助は笑った。
三人を連れて村を出る。足を痛めた男の歩みに合わせるため、自然と進む速度は落ちた。以前の宗助なら、目的地までの時間を気にして自分が先へ進み、途中で休ませる方法を選んでいたかもしれない。だが今は違った。五人に周囲を見させ、自分は三人の状態を見る。
昼を少し過ぎた頃、足を痛めた男が立ち止まった。
「すまん。少し休ませてくれ」
「ここで休みましょう」
佐吉が周囲を見渡す。
「宗助様。あそこの木陰なら、少し休みやすいです」
「頼む」
男を木陰へ移す。宗助は足の様子を確認した。傷そのものが悪化したわけではない。ただ、顔色が悪い。
「水を」
「はい」
水を渡すと、男はゆっくり飲んだ。
「もう少し進めそうか?」
「……ああ」
宗助は首を横に振った。
「今日はここで待ちます」
付き添っていた男が驚いた。
「しかし、戻らねば」
「このまま無理をして歩けば、足が使えなくなるかもしれません」
「だが……」
「戻ることが目的なら、今無理をする理由はありません」
男は黙った。
宗助は空を見上げた。雲が広がっている。雨が降るかもしれない。ならば、なおさら急ぐべきではない。
「佐吉」
「はい」
「近くに雨を避けられる場所がないか見てくれ」
「分かりました」
佐吉が二人を連れて離れていく。宗助はその背中を見ながら、ふと藤吉郎の言葉を思い出した。
『先を知っているように見える』
違う。
宗助には、この先何が起こるのか分からない。
雨が降るかもしれない。降らないかもしれない。足の傷が悪化するかもしれない。何も起こらないかもしれない。
だからこそ、起きた時に困らないようにする。
それだけだった。
やがて佐吉が戻ってきた。
「宗助様、少し先に使われていない小屋があります」
「行けそうか?」
「道は大丈夫です」
「なら、そこまで行こう」
全員でゆっくり進む。小屋へ入ってしばらくすると、外から雨音が聞こえ始めた。屋根を叩く音が次第に強くなっていく。
「……危なかったな」
付き添いの男が呟いた。
宗助は返事をせず、足を痛めた男の様子を見た。少し顔色が戻っている。
「明日の朝、雨が弱くなってから戻ります」
「それで間に合うか?」
「今より悪くなれば、もっと遅れます」
男はしばらく黙ったあと、頷いた。
「分かった」
夜になっても雨は止まなかった。宗助は五人を交代で休ませながら、自分は何度も外の様子を確認した。以前なら、全部自分で見ようとしていただろう。だが今は違う。
「佐吉。次は俺が見張る」
「俺が続けます」
「今日はお前も動いた。休め」
「でも……」
「任せろと言ったら任せろ」
佐吉は少し笑った。
「宗助様も、前より言うことが変わりましたね」
「そうか?」
「はい」
「なら、俺も少しは成長したってことだな」
二人で小さく笑った。
翌朝、雨は上がっていた。空はまだ重かったが、道を歩けないほどではない。足を痛めた男も、昨夜より顔色が良かった。
宗助たちはゆっくりと戻った。清洲へ着くと、源四郎が待っていた。
「ご苦労だった」
「はい」
「予定より遅れたな」
宗助は一瞬、答えに迷った。
「申し訳ありません」
源四郎は首を振った。
「理由は聞いておる。足を痛めた者を無理に歩かせず、雨を避けたそうじゃな」
「はい」
「なら、遅れたのではない。必要な時間を使っただけじゃ」
宗助は黙って頭を下げた。
源四郎は三人の方へ目を向ける。
「全員無事だ」
「はい」
「それで十分じゃ」
その言葉を聞いた時、宗助は胸の奥に妙な重さを感じた。
五人を任された時とは違う。
今回は、自分の判断で誰かの歩く速さを変えた。休む場所を決めた。戻る時間を遅らせた。そして、その結果として三人とも無事だった。
小さな仕事だった。
戦でもない。
武功になるような働きでもない。
それでも宗助には分かっていた。
人を預かるということは、命令を出すことではない。
その人間が無事に戻ってくるまで、自分の判断が続いているということだった。
少し離れた場所から、その様子を藤吉郎が見ていた。
「また、妙なことを覚えたようじゃな」
「何がですか?」
隣にいた男が尋ねる。
藤吉郎は宗助を見たまま答えた。
「人を動かすだけではなく、人を無事に戻すことを覚えた」
「それが何か?」
「さてな」
藤吉郎は笑った。
「ただの足軽なら、早く戻ることを考える。あやつは、戻ってきた後のことまで考えておる」
そして、少しだけ目を細めた。
「やはり、見ておく価値がある」
宗助はその視線に気づかなかった。
ただ、今日のことを忘れないように、いつもの書付を開いた。
『任された者を動かすだけではない。無事に戻すところまでが、自分の役目』
書き終えてから、宗助は筆を置いた。
少しずつ、自分の役目が変わっている。
まだ武士ではない。
大きな戦を指揮する立場でもない。
それでも、昨日までとは違う。
誰かの命を預かることの重さを、宗助は初めて自分自身の判断として知った。
そしてその重さこそが、これから先、宗助が一人の兵から一人の武士へ変わっていくために必要なものだった。
【あとがき】
第六十八話を読んでいただき、ありがとうございます。今回は大きな戦を避け、宗助が「人を預かる」ということを実際の責任として経験する回にしました。第67話で「先を知ることと、先に備えることは違う」と気づいた宗助が、今回は未来を予測するのではなく、目の前の状況に応じて判断しています。戦場で敵を倒すことだけが武功ではありません。任された者を無事に戻すこともまた、人を動かす立場になるための大切な経験です。そして藤吉郎の宗助への関心も、少しずつ深くなっています。次は、宗助が「足軽として任される」段階から、さらに一つ上の立場を意識する出来事へつなげていきます。ここまで読んでいただけましたら、ブックマークや評価、感想などで応援していただけると励みになります。




