第六十四話 見えない動き
於久地から戻って数日。織田の軍勢は戦の後始末を続けていた。負傷した者の手当て、壊れた道具の修理、持ち帰った荷の確認。戦場から離れたことで緊張は薄れていたが、宗助にとっては、むしろ考える時間が増えていた。これまで書いてきた記録を並べてみると、戦場で見たものだけではなく、その前後に起きた小さな出来事まで一つにつながって見えてくる。道の状態、荷の遅れ、兵の動き。どれも一つだけなら大したことではない。だが、いくつかが重なった時、そこには何かの理由があるように思えた。
その朝、宗助は五人を連れて、戻ってきた荷の確認をしていた。佐吉は荷札を確かめながら、木箱を一つずつ並べている。
「宗助さん、この荷だけ、記録と数が合いません」
「いくつ違う?」
「二つです」
宗助は帳面を受け取った。記録では十六。実際には十四。最初なら、単純な数え間違いだと思っただろう。だが、宗助は荷が届いた場所と時間を確認した。
「この荷は、どこから来た?」
「美濃からです。途中で別の荷と合流したと書いてあります」
宗助は記録を指でなぞった。合流した場所は、以前に通った道だった。宗助はその道を思い出す。狭い場所が一つあった。荷車を二台並べれば、どちらかが止まらなければならない。
「佐吉、これを運んだ者に聞いてきてくれ。途中で荷車を止めた場所がなかったか」
「分かりました」
佐吉が走っていく。宗助は残った四人に別の荷を見させた。しばらくして、佐吉が戻ってきた。
「ありました。道が塞がっていて、半刻ほど止まったそうです」
「何が塞いでいた?」
「倒れた木です」
「誰かが動かしたのか?」
「はい。村の者が手伝ったそうです」
宗助は考えた。倒木そのものは珍しくない。だが、その場所は雨が降っただけで自然に木が倒れるようなところではなかったはずだ。
「いつからあった?」
「分からないそうです」
宗助は帳面を閉じた。
「源四郎さんに報告する」
源四郎のところへ行くと、宗助は荷の不足と倒木について順に話した。源四郎は黙って聞いている。
「荷の二つは、どこへ行ったか分からんのだな?」
「はい。ただ、盗まれたと決めるには早いと思います。途中で別の荷に混ざった可能性もあります」
「倒木は?」
「それも分かりません。ただ、俺が以前通った時にはありませんでした」
源四郎が宗助を見る。
「お主は、何を疑っている?」
「何かが起きたとまでは言えません。ただ、記録と実際の数が違っている。その原因だけは確認したほうがいいと思います」
源四郎はしばらく考えた。
「分かった。修理亮様にも伝えておく」
その日の夕方、宗助が五人のところへ戻ると、再び呼び出された。
「宗助、修理亮様がお呼びだ」
宗助は少し驚いた。柴田修理亮とは、これまで何度も言葉を交わしている。岩室長門守のことを話した時も、於久地から戻った時も、修理亮は宗助の働きを見ていた。だからこそ、今回の呼び出しが何を意味するのか、宗助には分からなかった。
柴田修理亮のもとへ行くと、修理亮は宗助を見るなり口を開いた。
「宗助。また妙なものを見つけたそうじゃな」
「妙なものと決まったわけではありません」
「そういうところじゃ」
修理亮がわずかに口元を緩める。
「お主は、すぐに敵だと決めつけん」
「分からないものを、分かったとは言えません」
「それはよい」
修理亮は宗助の書付を手に取った。
「以前の書付も見せてもらった。道、川、荷、兵の動き。細かいことまで書いてある」
宗助は黙っていた。
「だがな、細かく見る者ほど、見落とすこともある」
「はい」
「今回の倒木。もう一度、場所を確かめてこい」
宗助は顔を上げた。
「俺が、ですか?」
「お主が最初に気づいたのだ。自分の目で確かめたほうがよい」
宗助は頷いた。
「分かりました」
「ただし、五人を連れていけ」
「はい」
「一人で見て、一人で決めるな。もう、お主だけの仕事ではないのだろう?」
その言葉に、宗助は一瞬だけ佐吉たちを思い浮かべた。
「……はい」
翌朝。宗助は五人を連れて、倒木があったという道へ向かった。戦場から離れた場所だったが、道にはまだ荷車の轍が残っている。宗助は歩きながら、周囲を見た。
「佐吉、倒木があった場所を探してくれ」
「分かりました」
「他の四人は、道の左右を見てくれ。何か見つけても触るな。まず俺に知らせてくれ」
五人が散る。
しばらくして、佐吉の声がした。
「宗助さん、ここです」
道の脇に、切り株が残っていた。木はすでに片付けられている。宗助はしゃがみ込み、切り口を見る。
自然に折れたのではない。
切られている。
だが、それだけでは誰がやったのか分からない。
宗助は周囲を見回した。
「佐吉、ここを見てくれ」
「はい」
「切り株の近くに、人の足跡はないか?」
佐吉が地面を見る。
「……あります」
「いくつだ?」
「分かりません。ただ、荷車の跡とは別です」
宗助は立ち上がった。
誰かが意図的に木を切った可能性がある。
それでも、それだけで敵の仕業とは言えない。村人が道を塞ぐ木を処理した可能性もある。
宗助は足跡を追わなかった。
「戻るぞ」
「いいんですか?」
「今の情報だけでは、何も決められない」
佐吉が頷いた。
帰り道、宗助は何度も後ろを振り返った。
戦場では敵が目の前にいる。
だが、戦が終わった場所では、見えないもののほうが多い。
それを見つけるには、焦って答えを決めるより、分からないものを分からないまま残しておくことも必要なのだ。
清洲へ戻ると、宗助はすぐに修理亮へ報告した。
「木は切られていました。ただ、誰が切ったのかは分かりません」
「それでよい」
修理亮は短く答えた。
「分からぬものを、分からぬまま報告する。それも大事な働きじゃ」
宗助は頭を下げた。
「はい」
「だが、覚えておけ」
修理亮が宗助を見る。
「戦場で役に立つのは、敵を見つける目だけではない。敵ではないものを敵と決めつけぬ目も必要じゃ」
宗助はその言葉を胸に刻んだ。
部屋を出ると、外には佐吉たちが待っていた。
「どうでした?」
佐吉が尋ねる。
「まだ何も分からない」
「そうですか」
「ああ。でも、お前たちが見つけたものは役に立った」
五人の顔が少し明るくなる。
宗助は歩きながら考えていた。
以前の自分なら、答えを出そうとしていた。
未来を知っている自分なら、なおさらそうだった。
だが、この時代で生きていくには、未来を知っていることより、今見えているものを正しく扱うことのほうが大切なのかもしれない。
その日の夜、宗助は書付に新しい一文を加えた。
「見えないものほど、決めつけない」
筆を置く。
まだ小さな仕事だった。
だが、これまでとは少し違う。
自分で見つけ、自分で考え、五人に見せ、報告し、その結果を上の者が判断する。
宗助はその流れの中に、自分が少しずつ組み込まれていくのを感じていた。
そして、その名前を知っている者も、少しずつ増えている。
まだ誰も、宗助が何者なのかは知らない。
ただ一人を除いて。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、宗助が自分で答えを出すのではなく、「分からないものを分からないまま報告する」という判断を覚える話にしました。戦国の世では、何でも敵の仕業だと決めつければよいわけではありません。小さな違和感を拾いながら、それをどう扱うかもまた、武将を支える大切な力になります。
そして、修理亮はすでに宗助を知っており、これまでの働きも見ています。そのうえで、少しずつ「ただの働き者ではない」と感じ始めています。
宗助の周囲には、これから少しずつ彼を気にする者が増えていきます。
そして、その中には宗助の能力を評価するだけではなく、「なぜこいつは、そこまで先を読めるのか」と疑問を抱く者も現れていきます。
宗助の名前が、少しずつ広がっていく。
その先で、彼自身もまだ知らない変化が始まろうとしています。
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