第六十三話 任せるということ
於久地を離れて数日。織田の軍勢は尾張へ向けて道を戻っていた。戦の熱が抜けた軍勢は、戦場にいる時とは違う疲れ方をしている。足取りは重く、兵たちの口数も少ない。怪我人を運ぶ者、道具をまとめる者、遅れた荷を追う者。勝敗だけでは片付けられないものが、列のあちこちに残っていた。宗助は五人の足軽と共に、その列の後方を歩いていた。以前なら、宗助自身が荷を担ぎ、道具を運び、誰かに言われた仕事を黙々とこなしていただろう。今は違う。
「佐吉、先頭の様子を見てこい。道が狭くなったら、後ろへ伝えてくれ」
「分かりました」
五人の中でも一番若い男が、すぐに駆けていく。佐吉。数日前まで、宗助はこの男の名前すら知らなかった。だが、命じたことをただこなすだけではなく、周囲をよく見ている。昨日も他の者より先に道の傷みに気づき、荷を通す順番を変えるべきだと進言してきた。宗助は、その働きを見て名前を尋ねた。それ以来、佐吉と呼んでいる。
「宗助さん」
後ろから別の足軽が声をかけた。木箱が二つ、道の脇に置かれている。急いで運べば先へ進めるが、その先には怪我人を乗せた荷車がいる。宗助は少し考えてから、首を横に振った。
「今は動かさない。先に怪我人を通す」
「でも、このままだと俺たちの荷が遅れます」
「分かってる。だから、通った後に二人で運ぶ。今動かして道を塞いだら、もっと遅れる」
足軽は頷いた。
「分かりました」
宗助はその様子を見ながら、以前の自分を思い出していた。自分でやれば早い。そう思って、何でも自分の手で片付けようとしていた。だが五人を預かってから、それでは間に合わないことが分かってきた。一人で十の仕事をするより、五人にそれぞれ二つずつ任せたほうが、全体は早く動く。ただし、任せるということは、放っておくことではない。誰に何を任せるか。どこまで任せるか。そして、失敗した時に誰が責任を取るのか。その答えを、宗助はまだ探している途中だった。
しばらくして、先へ走らせた佐吉が戻ってきた。
「宗助さん、前の道が少しぬかるんでます。ただ、右側なら通れます」
「人は?」
「一人ずつなら大丈夫です。荷車は、二台続けると車輪が取られると思います」
宗助は道の先を見た。以前なら、自分で確かめに行っていた。だが、今は佐吉が見てきた。
「分かった。荷車は間を空ける。お前は五人を二組に分けてくれ」
「俺が決めてもいいんですか?」
佐吉が少し驚いた顔をする。
「見てきたのはお前だ。任せる」
「……分かりました」
佐吉は五人へ声をかけた。宗助は口を挟まなかった。佐吉が一人を先に行かせ、もう一人を荷車の後ろへ回す。少し迷ったところでは、周囲を見て自分で決めていく。完璧ではない。だが、足は止まらなかった。やがて最後の荷車がぬかるみを抜ける。宗助は小さく息を吐いた。
「佐吉」
「はい」
「助かった」
佐吉は少し照れたように頭を下げた。
「ありがとうございます」
その時だった。前方から馬の蹄の音が近づいてきた。伝令だった。
「織田家中へ知らせる! 帰還した者は、それぞれの持ち場を整えよ!」
兵たちの間にざわめきが広がる。宗助は顔を上げた。戦の命令ではない。だが、ただの帰還でもなさそうだった。
清洲へ戻ったのは、その日の夕刻だった。宗助たちが持ち場を整えていると、城内のあちこちで人が動き始めた。於久地から戻った兵たちの整理、負傷者の確認、持ち帰った道具や荷の確認。戦が終われば、それで仕事が終わるわけではない。むしろ、戻ってから片付けるべきことのほうが多い。
宗助は五人に指示を出しながら、その様子を眺めていた。以前なら自分も誰かに命じられる側だった。今は、自分の言葉を待っている者がいる。その違いが、妙に重く感じられた。
そこへ源四郎がやってきた。
「宗助」
「はい」
「明日からも、その五人はお前が見る」
「分かりました」
「ただし、何でも自分で決めるな」
宗助が顔を上げる。
「任せることも仕事だ。分からぬことがあれば聞け。勝手に抱えるな」
「はい」
源四郎は五人のほうへ目を向けた。
「それから、あの佐吉という若いのはよく見ている。使い方を覚えろ」
宗助は佐吉を見た。佐吉は少し離れた場所で、他の足軽と荷を確認している。
「はい」
源四郎が去った後、宗助はしばらくその背中を見ていた。自分が誰かに仕事を任されたように、今度は自分が誰かへ仕事を任せる。立場が少し変わっただけなのに、見えるものまで変わっていた。
夜。宗助は一人で書付を開いた。これまでなら、戦場で起きたことを書いていた。敵の動き、道の状態、荷の損耗、見たもの、聞いたもの。だが、その日の筆は少し違った。
宗助はしばらく考えてから、書き始めた。
「任せた者の働きを見る。任せた以上、責任も自分が負う」
筆を置く。
外では、於久地から戻った兵たちの声がまだ聞こえていた。怪我をした者を案じる声。荷を片付ける音。誰かを探す声。戦は終わったはずなのに、まだ完全には終わっていない。
宗助は書付を閉じた。
岩室長門守の名を書いた時とは違う感覚だった。あの時は、失ったものを残すために筆を取った。今は、これから失わないために何ができるのかを考えている。
まだ五人しかいない。
宗助自身も、まだ足軽の身分から大きく離れたわけではない。
それでも、少しずつ変わっている。
そして、その変化は宗助一人のものではなくなり始めていた。
翌朝。
宗助が五人を集めると、佐吉が先に口を開いた。
「宗助さん。今日は何をすればいいですか?」
宗助は五人を見回した。
昨日までなら、与えられた仕事をそのまま伝えていただろう。
だが今日は違った。
「まず、昨日の帰り道で気になったところを一つずつ教えてくれ」
五人が顔を見合わせる。
宗助は続けた。
「俺が全部見るんじゃない。お前たちが見たものを、俺に教えてくれ」
佐吉が小さく頷いた。
「分かりました」
宗助はその返事を聞きながら、胸の奥で何かが変わったのを感じていた。
人を動かすというのは、命令を増やすことではない。
自分以外の目を持つこと。
そして、その目を信じること。
宗助はまだ、その入口に立ったばかりだった。
だが、昨日までとは確実に違う場所へ進み始めていた。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、宗助が「五人を動かす」段階から一歩進み、「任せた相手の判断を信じ、その結果まで引き受ける」というところへ進みました。
宗助はまだ大きな武功を立てた武将ではありません。
だからこそ、ここからは一つ一つの仕事と判断を積み重ねながら、少しずつ上の者の目に留まっていくことになります。
これから宗助の周りに、どんな人物が現れ、誰が彼を信じ、誰が彼を怪しむのか。
その変化も楽しんでいただければ嬉しいです。
面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などで応援していただけると励みになります。




