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本能寺を変えるため、織田信長の家臣になった。 ~歴史を知る俺は、天下人を死なせない~  作者: 春野ケイ


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第五十六話 次の備え

 美濃から戻って数日が経った。

 清洲では、帰還した兵たちの整理や武具の手入れが続いていた。

 戦が終われば、すぐに普段の生活へ戻れる。

 宗助は美濃へ行く前には、そう思っていた。

 だが、実際には違った。

 戦が終わった後には、やるべきことがいくらでも残っている。

 壊れた荷車を直す。

 減った食料を補う。

 失った縄や矢を揃える。

 そして、次に軍が動く時のために、今回の失敗を残しておく。

 宗助は朝から荷駄置き場にいた。

「この車輪は使えます。」

「本当か?」

「軸は傷んでいません。外側を替えれば大丈夫です。」

 兵が車輪を持ち上げる。

「前なら、こんなこと分からなかったじゃろうに。」

「美濃で何度も壊れたので。」

「戦場で覚えたか。」

「はい。」

 宗助は頷いた。

 以前なら、壊れたものは壊れたものとして扱っていた。

 今は違う。

 どこで壊れたのか。

 なぜ壊れたのか。

 直すことができるのか。

 そして、次に同じ場所を通るなら、どうすれば壊さずに済むのか。

 考えるようになっていた。

「宗助。」

 源四郎がやってきた。

「はい。」

「例の書付はどうした。」

「整理しています。」

「見せてみよ。」

 宗助は新しくまとめた紙を差し出した。

 そこには、今回の美濃で見たことが順番に書かれている。

 道。

 川。

 荷駄。

 戦場での動き。

 足りなかった物資。

 そして、自分が失敗したこと。

 源四郎はしばらく黙って読んでいた。

「ずいぶん増えたな。」

「書いておいた方が、次に使えると思ったので。」

「その通りじゃ。」

 源四郎は紙を返した。

「だが、一つ足りぬ。」

「何ですか。」

「お主自身の考えじゃ。」

 宗助は首を傾げた。

「俺の考え?」

「見たことを書くだけでは記録じゃ。だが、なぜそうなったと思うのかを書けば、次に使える。」

 宗助は書付を見る。

「たとえば、十四条で荷駄を下げなかったことか。」

「そうじゃ。」

「兵が戻ってくる道を塞がないためです。」

「それだけではない。」

「……次に同じ状況になった時、どうするか。」

「そうじゃ。」

 宗助は筆を取った。

 紙の下へ、新しい項目を書き加える。

「戦場では、退く時ほど荷駄の道を空ける。」

 源四郎が頷いた。

「そういうことじゃ。」

 宗助は続けて書いた。

「川を渡る時は、兵と荷駄を同時に動かさない。」

「うむ。」

「ぬかるんだ道では、荷車を続けて入れない。」

「うむ。」

「不足した物資は、出陣前に多めに用意する。」

「それもよい。」

 書いているうちに、宗助は気づいた。

 これは美濃で起きたことを書いているだけではない。

 次の戦で使うための決まりになっている。

 それが分かると、筆を持つ手が少しだけ速くなった。

「源四郎殿。」

「何じゃ。」

「これ、次に軍が出る時に使えますよね。」

「使える。」

「なら、もっと増やした方がいい。」

 源四郎が笑った。

「欲が出てきたの。」

「忘れるよりいいと思います。」

「その通りじゃ。」

 昼過ぎ。

 宗助は荷駄置き場を離れ、清洲の町へ出た。

 美濃へ向かう前と同じ町だった。

 店が並び、人が行き交い、荷車が道を進んでいる。

 だが、今の宗助には違って見える。

 あの荷車なら、どれくらいの荷を積めるのか。

 この道幅なら、軍勢が通ればどこで詰まるのか。

 川が近ければ、どこに荷駄を置くべきか。

 気づけば、そんなことばかり考えている。

「宗助。」

 弥吉が隣に並んだ。

「何ですか。」

「町を歩くだけでも仕事をしておる顔になったの。」

「そんな顔してますか。」

「しておる。」

 弥吉は笑った。

「前は荷車しか見ておらんかった。」

「今も荷車を見ています。」

「そこじゃ。」

「……何がですか。」

「変わっておらん。」

 宗助は少し考えた。

 確かにそうかもしれない。

 自分が見ているものは、今も荷車だ。

 道も。

 川も。

 食料も。

 戦場そのものより、軍が動くために必要なものを見ている。

 だが、それでいいのだと思った。

 自分には自分の役目がある。

 夕方。

 宗助は再び机の前に座った。

 新しい紙を広げる。

 その一番上に、大きく書いた。

「次の出陣に備えること。」

 そして、その下へ一つずつ書いていく。

 替えの車輪。

 縄。

 食料。

 矢。

 渡河用の道具。

 ぬかるみへの対策。

 荷駄の配置。

 負傷兵を通す道。

 そして、現地で見たことを記録するための紙と筆。

 最後まで書き終えたところで、宗助は筆を置いた。

 美濃へ行く前の自分なら、こんなことは考えなかった。

 言われた仕事をする。

 荷を運ぶ。

 荷を守る。

 それで精一杯だった。

 今は違う。

 軍が動けば、何が必要になるのかを考える。

 戦が始まれば、どこで荷駄が邪魔になるのかを考える。

 帰ってくれば、次に何を直せばいいのかを考える。

 そして、見たことを次へ残す。

「少しは、変わったのかな。」

 宗助は一人で呟いた。

 その時、外から兵の声が聞こえた。

「また美濃へ出ることになるかもしれんぞ。」

 別の兵が答える。

「まだ帰ってきたばかりだぞ。」

「だからこそじゃ。あちらも黙ってはおらん。」

 宗助は筆を止めた。

 美濃。

 その名前を聞いただけで、森部の景色が浮かぶ。

 洲俣。

 十四条。

 軽海。

 戦場で見た兵たち。

 逃げる人々。

 泥に沈んだ荷車。

 そして、帰り道。

 もう一度行くことになるかもしれない。

 以前なら、怖かった。

 今も怖い。

 だが、それだけではない。

 今度は、何を準備すればいいのか分かる。

 何を見ればいいのかも、少しだけ分かる。

 宗助は新しい紙を一枚取り出した。

 そして、最初の一行を書いた。

「次に美濃へ行く時に、確認すること。」

 筆が止まらない。

 夜が更けても、宗助は書き続けた。

 戦は終わった。

 美濃からも戻ってきた。

 けれど、次の戦はいつ始まるか分からない。

 だからこそ、終わった今に備える。

 それが、今回の美濃で宗助が学んだことだった。

 翌朝。

 清洲の城下には、いつもと変わらない朝が来ていた。

 宗助は荷駄置き場へ向かう。

 その足取りは、美濃へ出る前とは少し違っていた。

 まだ若い。

 まだ知らないことも多い。

 戦そのものを指揮できるわけでもない。

 それでも、自分にできることは分かってきた。

 荷を守る。

 道を見る。

 人を見る。

 記録する。

 そして、次に備える。

 宗助は荷車の車輪を確認した。

「よし。」

 小さく呟く。

 美濃への道は、いったん終わった。

 だが、そこで見たものは終わらない。

 次の戦へ。

 次の記録へ。

 そして、自分自身がさらに成長するための糧へ。

 宗助は前を向いた。

 その先に、まだ知らない戦が待っている。

 だが、宗助の物語は、ここから少しずつ速度を上げていく。


――あとがき――

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 今回は、美濃から戻った宗助が、今回の戦で得た経験を整理し、「次の出陣に備える」というところまで描きました。

 第五十五話では、宗助の書付が単なる個人的な記録ではなく、他の者が利用できる情報になり始めました。今回はそこからさらに進み、見たことを「次にどうするか」まで考える段階へ進めています。

 史実上、永禄四年の美濃攻めは五月の森部・十四条・軽海で終わったわけではありません。六月にも信長は再び美濃へ侵入しており、その後も美濃攻略は長く続き、最終的な稲葉山城攻略は永禄十年となります。したがって、今回を「美濃との戦いが終わった」という意味での締めにはせず、「最初の美濃攻めを経験した宗助の第一段階が終わった」という形にしています。

 また、永禄四年五月の洲俣については、織田軍が要害を整えて滞陣した後、二十四日に帰陣し、その後洲俣を引き払ったことが確認されています。後世に有名になった「墨俣一夜城」の逸話とは分けて扱っています。

 ここまでの第二章では、宗助が「荷駄を運ぶ少年」から、「道や地形を見て、戦場で起きたことを記録し、次の準備まで考える少年」へ変わってきました。

 第三章からは、この成長をもっと物語の中で動かしていきます。宗助がただ仕事を覚えるだけではなく、実際の出来事に対して自分から動く場面を増やし、物語そのものの速度も上げていきます。

 第二章『美濃への道』完。

 次章『第三章 美濃の影』

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