第五十一話 十四条の戦い
朝。洲俣の陣に、いつもとは違う緊張が漂っていた。夜明け前から兵たちが動き、槍や弓の準備を進めている。宗助は荷駄の列を確認しながら、何度も北の方角を見ていた。昨日、斎藤方が十四条へ向かったという知らせが入った。そして今朝、織田軍も動く。
「宗助。」
源四郎がやってきた。
「はい。」
「本隊が出る。」
「十四条へですか。」
「そうじゃ。」
宗助は頷いた。
「荷駄はどうしますか。」
「必要なものだけを持っていく。残りは洲俣に置く。」
「分かりました。」
宗助は荷車を確認した。全部を動かす必要はない。戦場へ持っていくもの。洲俣に残すもの。それぞれを分けておく。昨日までなら、ただ言われた通りにしていただろう。だが今日は違う。敵がどこにいるのか。味方がどこへ向かうのか。そして、戦が終わった後に何が必要になるのか。それまで考えて荷駄を動かしていた。
「準備できました。」
「よし。」
源四郎が頷く。
「では行くぞ。」
織田軍が洲俣を出た。北へ向かう。兵たちの足音が重なる。宗助は荷駄の列を見ながら進んだ。しばらくすると、前方から伝令が戻ってきた。
「敵、十四条に陣を構えております!」
その声が広がる。兵たちの表情が変わった。ついに、真正面からぶつかる。宗助は遠くを見た。まだ敵の姿ははっきり見えない。だが、確かにそこにいる。
「源四郎殿。」
「何じゃ。」
「敵は、こちらが来るのを待っていたんでしょうか。」
「そうじゃろうな。」
「なら、昨日からの動きも……。」
「敵もこちらを見ていたということじゃ。」
宗助は黙った。自分たちだけが敵を見ていたわけではない。向こうもこちらを見ている。その当たり前のことが、今日は妙に重く感じられた。
やがて、前方から怒号が上がった。織田軍が足軽を前へ出す。斎藤方も動いた。両軍の距離が縮まっていく。そして、槍がぶつかった。兵たちの叫び声が響く。
「始まったぞ!」
弥吉の声が聞こえた。宗助は荷駄のそばから戦場を見ていた。前方では、織田軍の足軽が押し合っている。だが、少しずつ様子が変わってきた。
「押されています。」
宗助が呟く。
「まだ分からん。」
源四郎が答える。しかし、その直後だった。前方から伝令が駆けてきた。
「織田方、損害あり!」
兵たちの間に動揺が走る。宗助は前方を見た。味方の一部が後ろへ下がっている。
「退いている……。」
「そうじゃ。」
源四郎が短く答える。
「荷駄を下げますか。」
「まだじゃ。」
宗助は戦場を見た。味方が下がっている。だが、全軍が崩れているわけではない。
「源四郎殿。」
「何じゃ。」
「今、荷駄を動かしたら、戻ってくる兵の道を塞ぐかもしれません。」
源四郎が宗助を見る。
「なら、どうする。」
「今は動かさず、道だけ空けます。」
源四郎が頷いた。
「よし。」
宗助はすぐに兵へ指示を出した。
「荷車を少し横へ寄せてください!」
「分かった!」
「中央の道は空けておいてください!」
兵たちが動く。その間にも、前方から兵が戻ってくる。負傷した者もいる。宗助は道を空けた。
「こちらです!」
戻ってきた兵を通す。荷駄が邪魔にならないよう、さらに端へ寄せる。やがて源四郎が戻ってきた。
「宗助。」
「はい。」
「本隊が退く。」
宗助は一瞬だけ息を止めた。
「洲俣までですか。」
「まだ分からん。」
「敵は追ってきますか。」
「その可能性はある。」
宗助は北を振り返った。敵の姿が見える。斎藤方が前へ出てきている。だが、その動きは織田軍を追いかけるだけではないように見えた。
「源四郎殿。」
「何じゃ。」
「敵の一部が、こちらではなく北へ回っています。」
源四郎が目を細める。
「どこじゃ。」
「あちらです。」
宗助が指を差した。敵の一部が進路を変えている。織田軍を追うのではなく、さらに南へ回り込むような動きだった。
「洲俣を狙っているんでしょうか。」
「分からん。」
源四郎は答えた。
「だから見る。」
宗助は頷いた。織田軍は少しずつ後退していく。宗助も荷駄とともに下がる。以前なら、退くことを負けだと思っていた。だが、今は違う。退くことで隊列を整える。荷駄を失わない。負傷兵を連れて戻る。それも戦を続けるために必要なことだった。
「宗助。」
弥吉が隣へ来た。
「何ですか。」
「ずいぶん冷静になったの。」
「そう見えますか。」
「前なら、敵が来たら槍を握って震えておったじゃろ。」
「今も震えていますよ。」
宗助は槍を握る手を見た。
「でも、何をすればいいかは少し分かります。」
弥吉が笑った。
「それなら十分じゃ。」
織田軍がさらに後退する。だが、斎藤方はそのまま追ってこなかった。敵は北軽海方面へ進んでいく。宗助はその動きを見ていた。
「追ってきませんね。」
「そうじゃな。」
「なら……。」
宗助は考えた。
「敵は織田軍を洲俣まで追い込むことが目的じゃないのかもしれません。」
源四郎が振り返った。
「どういうことじゃ。」
「もし洲俣を奪うなら、こちらを追って南へ来るはずです。でも、敵は北へ進んでいます。」
「では、何を狙っている。」
「こちらを洲俣から動かして、別の場所で戦うつもりなのかもしれません。」
源四郎はしばらく黙った。
「その可能性はある。」
その時、別の伝令が駆けてきた。
「斎藤方、北軽海まで進出!」
源四郎が顔を上げる。
「信長様は。」
「軍をまとめながら、さらに西へ向かわれております。」
宗助は地図を見た。十四条。北軽海。西軽海。戦場が動いている。敵も味方も、ただ同じ場所で戦っているわけではない。戦場そのものが移っている。
「宗助。」
源四郎が言った。
「はい。」
「荷駄はこのまま後方へ。」
「洲俣へ戻るんですか。」
「まだ分からん。だが、いつでも動けるようにしておけ。」
「分かりました。」
宗助は荷駄へ向かった。その途中、一度だけ振り返る。遠くに見える敵の旗。そして、そのさらに向こうへ動いていく織田軍。朝の戦いでは押された。味方も傷ついた。それでも戦は終わっていない。
宗助はそれを初めて、頭だけではなく実感として理解した。戦とは、一度の勝ち負けで終わるものではない。押されたなら、どこで立て直すか。敵が動けば、何を狙っているのか考える。そして、自分たちが次に動けるように準備する。
宗助は荷駄の列を見た。
「まだ終わってない。」
小さく呟く。
遠くで、再び法螺の音が響いた。斎藤方は北軽海へ。織田軍は西軽海へ。両軍は、もう一度ぶつかろうとしていた。宗助はその動きを見つめた。次に戦う場所は、まだ分からない。だが、一つだけ分かっている。今度の戦いは、朝の十四条とは違うものになる。
夕暮れが近づいていた。そして、その先には夜の戦が待っていた。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、第五十話で洲俣を出る準備を整えた織田軍が、十四条で斎藤方とぶつかるところまでを描きました。
史実では永禄四年五月二十三日、斎藤方が井口から出陣して十四条に布陣し、織田軍は洲俣から出撃しました。朝の戦いでは織田方に損害が出て退却。その後、斎藤方は北軽海まで進み、信長は西軽海へ移って再び対陣しています。
今回は、この史実の流れを大きく変えず、宗助の視点から「退くこと」と「戦場の移動」を描きました。
宗助にとっても、今回の戦いは大きな転換点です。これまでは敵が現れれば「どう守るか」を考えることが中心でしたが、今回は敵がどこへ動いたのか、その動きから何を狙っているのかを考え始めています。
次回は、史実に残る西軽海での戦いへ進みます。
次回『第五十二話 軽海の夜』




