第四十九話 墨俣への道
朝。織田軍は再び西へ進んでいた。前日に見つけた古い道は使われず、本隊は別の道を進んでいる。宗助は荷駄の列を歩きながら、何度も前方を確認していた。昨日までとは、少し空気が違う。兵たちが目指している場所が、はっきりしてきたからだ。
「宗助。」
源四郎が馬を寄せてきた。
「はい。」
「先ほどの伝令から聞いた。」
「何をですか。」
「洲俣方面へ向かう。」
宗助は前を見た。
「墨俣ですか。」
「そうじゃ。」
その名を聞くと、宗助は少し背筋を伸ばした。これまで何度も耳にしてきた場所だった。森部へ向かった時も、その名は出ていた。そして今、織田軍はそこへ向かっている。
「昨日の道とは別の道なんですね。」
「そうじゃ。あの道は細すぎる。」
「なら、見つけた意味はなかったんでしょうか。」
「そんなことはない。」
源四郎が笑った。
「道が使えるかどうかを知ることも、道を調べる仕事のうちじゃ。」
宗助は頷いた。
やがて道幅が広くなってきた。荷車が二台並んで通れるほどではないが、これまでの道よりは進みやすい。
その時、前方から兵が戻ってきた。
「道がぬかるんでおります!」
「どの程度じゃ。」
「人は通れますが、荷車は車輪が沈むかもしれません。」
源四郎が宗助を見る。
「どうする。」
宗助は道を見た。昨日までなら、すぐに源四郎へ判断を任せていた。だが、今日は少し違った。
「荷車を一列にして、前の方だけ先に進ませた方がいいと思います。」
「理由は。」
「同じ場所を何台も通ると、もっと深く沈みます。先に通る荷車で道を固めながら、間を空けて進めた方がいいです。」
源四郎は少し考えた。
「よし。その通りにせよ。」
「はい。」
宗助は近くの兵へ指示を伝えた。
「荷車は一台ずつ。前の車が十分進んでから次を入れてください。」
「分かった。」
最初の荷車が進む。車輪が泥へ沈みかける。
「少し右へ寄せてください!」
宗助が声を掛ける。
荷車を押す兵たちが力を合わせる。やがて車輪が固い地面へ乗った。
「次も同じところを通してください。」
二台目が進む。三台目が続く。すべての荷車が通り抜けるまで、それほど時間はかからなかった。
源四郎が戻ってくる。
「上手くいったな。」
「昨日、川を見た時に、同じことを考えました。」
「道や地面を見るようになったか。」
「はい。」
源四郎は頷いた。
「それでよい。」
軍勢は再び進んだ。
昼前。前方に大きな川が見えてきた。兵たちの間に緊張が走る。
「ここを渡るのか。」
「洲俣方面へ進むなら、避けては通れんだろう。」
そんな声が聞こえる。宗助も川を見た。水の流れは速い。岸も低く、荷駄を運ぶには簡単な場所ではない。
先頭では、すでに渡河の準備が始まっていた。
「宗助。」
源四郎が呼ぶ。
「はい。」
「荷駄をどこに並べる。」
宗助は驚いた。
「俺が決めていいんですか。」
「考えてみよ。」
宗助は周囲を見た。川岸の近くは地面が柔らかい。少し離れた場所なら比較的固い。しかし、そこに荷車を並べると、兵の通行を邪魔する。
「荷駄はあそこです。」
宗助が指した。
「川岸から少し離れた場所に一度集めて、渡す順番を決めます。」
「なぜじゃ。」
「全部を川岸へ持っていくと、渡河する兵と荷駄がぶつかります。それに、もし敵が来たら動かしにくいです。」
源四郎は頷いた。
「よし。そうせよ。」
宗助は兵たちへ指示を出した。
「まず兵を渡します。その間、荷駄はここで待機してください。」
荷車が止まる。兵が川を渡っていく。しばらくして、向こう岸から合図が届いた。
「渡せ!」
荷駄が動き始める。宗助は一台ずつ確認しながら進めた。
途中で一台の荷車が傾いた。
「止めてください!」
宗助が駆け寄る。
「車輪が沈んでいます。」
「どうする。」
「後ろから押すだけでは駄目です。石を入れます。」
兵たちが石を集める。車輪の下へ差し込み、もう一度押す。今度は動いた。
「進めます。」
宗助は息を吐いた。
渡河が終わる頃には、昼を大きく過ぎていた。だが、荷駄に大きな損害はなかった。
「宗助。」
源四郎が近づいてきた。
「はい。」
「今日はお主の判断で動かしたことが多かったな。」
「失敗したらどうしようと思っていました。」
「失敗を恐れて何も決めぬ者よりはましじゃ。」
宗助は黙って前を見た。その先に、洲俣がある。
夕方。織田軍は洲俣周辺へ入った。すでに織田方の兵が守りを固めている場所もある。宗助は周囲を見回した。
「ここが……。」
「そうじゃ。」
源四郎が答える。
「美濃へ入るための大事な場所じゃ。」
宗助は周囲を見た。川があり、道があり、兵がいる。そして荷駄を置く場所も必要になる。
「源四郎殿。」
「何じゃ。」
「ここなら、荷駄を置く場所を決めておいた方がいいと思います。」
「なぜじゃ。」
「兵が出る時に、荷駄が邪魔になると動けません。それに、敵が来た時に逃がす場所も必要です。」
源四郎は少し黙った。
「明日、改めて見てみよう。」
「はい。」
その夜。織田軍の陣では、洲俣周辺の守りについて話し合いが続いていた。宗助はその内容をすべて聞いていたわけではない。ただ、兵が集まり、道が整えられ、荷駄が運び込まれていく様子を見ていた。
ここは、ただ通り過ぎる場所ではない。これから先、美濃へ進むための足場になる。そう考えると、今日まで見てきた道や川の意味が少し分かってきた。
軍は、戦う場所だけで動いているわけではない。進む道がいる。渡る川がいる。兵が休む場所がいる。そして、食べ物や武具を置く場所がいる。そのどれか一つが崩れても、軍は前へ進めなくなる。
宗助は荷車の列を見た。以前なら、ただ荷物を運ぶものとして見ていた。今は違う。この荷車が止まれば、兵も止まる。それが分かるようになっていた。
翌朝。洲俣の周囲では、兵たちが陣の整理を始めていた。宗助も荷駄の配置を確認している。
「宗助。」
源四郎が呼ぶ。
「はい。」
「昨夜の話じゃ。」
「はい。」
「荷駄をどこへ置く。」
宗助は周囲を見渡した。少し離れた場所に、兵が通る道がある。川へ向かう道もある。敵が来た時に逃げるための道も必要だ。
宗助はしばらく考えた。
「ここです。」
指を差す。
「ここなら、兵の邪魔になりません。川にも近すぎないし、もし移動することになっても道へ出やすいです。」
「よし。」
源四郎が頷いた。
「そこへ置け。」
荷車が動き始める。
宗助はその様子を見ていた。自分の判断で、荷駄の位置が決まった。ほんの小さなことだ。それでも、以前とは違う。
誰かに言われた場所へ運ぶのではない。自分で考え、その理由を説明し、その結果として仕事が動いている。
宗助は静かに息を吐いた。
だが、その時だった。
前方から伝令が駆けてきた。
「美濃勢の動きあり!」
兵たちの表情が変わる。
「どこじゃ。」
「こちらへ向かっている模様です!」
源四郎が前を向く。宗助も川の向こうを見る昨日までとは違う。ここは、ただの通過点ではない。敵もまた、この場所の価値を知っている。宗助は荷駄の列を振り返った。
今、自分が考えるべきことは一つだった。戦が始まった時、この荷駄をどう動かすか。
宗助は源四郎の方を向いた。
「源四郎殿。」
「何じゃ。」
「敵が来たら、荷駄をすぐ動かせるようにしておきます。」
源四郎は宗助を見た。
「頼む。」
その一言だけだった。
宗助は荷駄へ走った。
もう、誰かに指示されるまで待っているつもりはなかった。
美濃の戦は、ここからさらに激しくなる。そして宗助もまた、自分の判断で戦を支える側へ踏み込もうとしていた。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、宗助たちが洲俣方面へ進み、渡河や荷駄の配置を通して、宗助自身が判断を任されるところまで描きました。
これまでの宗助は、源四郎から教えられ、経験したことを少しずつ身につけていく段階でした。今回はそこから一歩進み、自分で考え、その判断によって実際に軍の動きが変わる場面を入れています。
史実では、永禄四年の美濃攻めにおいて洲俣は織田軍の重要な拠点となり、森部の戦いの後に織田方が洲俣の要害を押さえ、後の十四条の戦いではそこから出撃しています。今回の洲俣周辺での宗助の具体的な仕事や会話は創作ですが、史実上の軍事的な位置づけを踏まえて構成しました。
また、後世に有名になった「墨俣一夜城」の逸話については、この時点では扱っていません。『信長公記』に確認できる永禄四年の洲俣の要害と、後世の伝説は分けて描いています。
ここからは、宗助が「仕事を覚える」だけではなく、「判断し、その結果を背負う」段階へ進んでいきます。
次回『第五十話 洲俣の陣』




