第四十八話 古い街道
翌朝。織田軍は、前日の陣を引き払う準備を始めていた。昨日までの戦いで大きく崩れたわけではない。だが、美濃勢がどこへ退いたのかは分からず、出発前の確認にはいつも以上に時間がかかっていた。
「宗助。」
源四郎が荷駄のそばへやってきた。
「はい。」
「昨日見つけた道のこと、覚えておるか。」
「はい。足跡があった道ですね。」
「その道を少し調べる。」
「俺もですか。」
「お主が見つけたのじゃ。最後まで見てこい。」
宗助は頷いた。
源四郎と数人の兵とともに、昨日の道へ向かう。細い道は木々の間を抜け、美濃の奥へ続いていた。人の往来は少ないように見えるが、地面には新しい足跡が残っている。
宗助は足元を見ながら進んだ。
「昨日より、はっきりしています。」
「何がじゃ。」
「足跡です。何人か通っています。」
源四郎がしゃがみ込む。
「兵のものか。」
「分かりません。ただ、同じ方向へ向かっています。」
さらに進むと、道の脇に古びた道標が立っていた。文字は薄れているが、いくつかの地名が刻まれている。
「昔から使われていた道なんですね。」
「そうらしいな。」
源四郎が道標を見る。
「大きな街道ではないが、人が行き来する道ではあるようじゃ。」
宗助は周囲を見渡した。
「それなら、敵も知っているんでしょうか。」
「知っている可能性は高い。」
「じゃあ、昨日の足跡も敵とは限らない。」
「その通りじゃ。」
宗助は少し考えた。
「村の人が逃げる時に使った道かもしれません。」
源四郎が頷いた。
「だからこそ、足跡だけで判断してはならん。」
その時、先を歩いていた兵が手を上げた。
「止まれ!」
全員が足を止める。
「どうした。」
「道の先に何かあります。」
兵が指差した先には、小さな建物があった。街道沿いの休み場なのか、屋根だけを残した粗末な建物である。
近づいてみると、中には古い薪と空になった水桶が置かれていた。
「使われていたようですね。」
「最近かもしれん。」
宗助は地面を見る。
建物の前には、いくつかの新しい足跡が残っている。
「ここにもあります。」
「何人くらいじゃ。」
「はっきりとは分かりません。でも、昨日の道の足跡と同じ方向です。」
源四郎は周囲を見た。
「先へ進む。」
道はさらに続いていた。
しばらくすると、木々が途切れ、遠くに川が見えた。
「川があります。」
「地図を。」
兵が絵図を広げる。
「この先はどこへ通じる。」
「このまま進めば、墨俣方面へ向かう道と繋がるようです。」
宗助は川の向こうを見た。
墨俣。
その名を聞いて、これまでの行軍を思い出す。
森部へ向かった時も、その方面を目指して進んだ。だが、この前は戦況が変わり、そこまで進むことはできなかった。
「ここからも行けるんですね。」
「道が繋がっているならな。」
源四郎が答えた。
「ただし、この道を大軍で使えるとは限らん。」
宗助は川岸へ下りた。
水深を確かめる。岸はそれほど険しくない。荷車を通すなら、少し手を入れれば渡れそうだった。
「荷駄なら、こちらの方が渡りやすいと思います。」
「そうか。」
「ただ、今のままだと車輪が沈みます。板か石を入れた方がいいです。」
源四郎は頷いた。
「覚えておこう。」
宗助は川の向こうを見た。
同じ美濃でも、進む道が違えば見えるものも違う。
そして、道が違えば敵の動きも変わる。
「源四郎殿。」
「何じゃ。」
「この道、敵にとっても使えるんですよね。」
「そうじゃ。」
「だったら、ここを見張るだけでも意味があります。」
源四郎が宗助を見る。
「どうしてそう思う。」
「昨日の足跡があったからです。敵かどうかは分かりません。でも、人が使っている道なら、兵も使える。こっちから回ってくることもできます。」
源四郎はしばらく川を見ていた。
「その通りじゃ。」
源四郎は近くの兵へ声を掛けた。
「この道のことを伝令に知らせよ。川の様子も含めてな。」
「はっ。」
兵が戻っていく。
宗助はその背中を見送った。
自分が見つけたのは、ただの古い道だった。
だが、それを誰かへ伝えることで、軍の判断材料になる。
それは、以前作った書付と同じだった。
見たものを残す。
そして、次に使えるようにする。
昼過ぎ。
織田軍は本隊と合流した。
宗助たちが調べた道について報告すると、絵図の上でいくつかの道が確認された。
「こちらから回れるなら、正面だけを見る必要はありません。」
家臣の一人が言った。
「だが、兵を分ければそれだけ薄くなる。」
別の者が答える。
信長は黙って絵図を見ていた。
「道があるなら使えばよい。」
家臣たちが顔を上げる。
「ただし、敵も同じ道を使える。」
「では、見張りを置きますか。」
「そうせよ。」
信長は絵図の一点を指した。
「この辺りの動きを探れ。」
「はっ。」
宗助は少し離れたところから、そのやり取りを聞いていた。
自分が見つけた道が、こうして軍の絵図に書き込まれていく。
不思議な気持ちだった。
だが、同時に少し怖くもあった。
一本の道を見つけることが、兵の動きを変える。
その先には戦がある。
だからこそ、見たものを簡単に決めつけてはいけない。
夕方。
荷駄の整理を終えた宗助のところへ、源四郎が戻ってきた。
「今日はよく働いたな。」
「道を見ただけです。」
「その道を見る者が必要なのじゃ。」
「でも、敵かどうかまでは分かりませんでした。」
「それでよい。」
宗助が顔を上げる。
「分からぬものを、分かったように言わない。それも大事なことじゃ。」
「……はい。」
「お主は少しずつ、見ることを覚えておる。」
源四郎はそこで言葉を切った。
「次は、見たものをどう伝えるかじゃ。」
「伝える……。」
「敵がいる。道がある。足跡がある。それだけでは足りん。いつ見たのか、どこにあったのか、何と比べてどう違うのか。それを伝えれば、聞く者が判断できる。」
宗助は頷いた。
森部では、ただ荷駄を守ることに必死だった。
清洲へ戻ってからは、経験を記録するようになった。
そして今は、その場で見たものを伝えることが求められている。
少しずつ、自分の役目が変わっている。
夜。
織田軍の陣では、明日の進路について話し合いが続いていた。
宗助は荷駄のそばで、昼間見た川のことを思い出していた。
あの道は、さらに先へ続いている。
その先には、墨俣方面へ通じる道もある。
だが、それだけではない。
敵もまた、その道を知っているかもしれない。
「次は、どこへ行くんでしょうね。」
弥吉が隣で呟いた。
「さあのう。」
「でも、進むんでしょうね。」
「信長様がここまで来て、何もせず戻るとは思えん。」
宗助は小さく笑った。
「そうですね。」
弥吉は荷車を見た。
「なら、明日は忙しくなるかもしれん。」
「荷車の確認、しておきます。」
「頼むぞ。」
二人はそれ以上話さず、夜の陣を見回した。
遠くでは篝火が揺れている。
その向こうには、美濃の奥がある。
そして、織田軍が向かおうとしている先には、敵の支配する土地が続いている。
宗助は暗い空を見上げた。
翌朝。
出発の命が下った。
織田軍は再び動き始める。
宗助は荷駄の列を確認しながら、昨日見つけた古い道の方角を一度だけ振り返った。
あの道が、これからどんな意味を持つのかは分からない。
ただ一つ分かっていることがある。
美濃では、敵もまたこちらの動きを見ている。
そして、織田軍の進む先には、昨日までとは違う動きが始まっていた。
宗助は前を向いた。
二度目の美濃攻めは、まだ終わっていない。
だが、戦の形は少しずつ変わり始めていた。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、第四十七話で見つけた足跡の先を調べ、古くから使われている道と川を確認する話としました。
宗助は、足跡を見つけただけで敵だと決めつけず、道の状態や人の往来を確認し、それを軍へ伝えるところまで進んでいます。
これまでの森部での経験、清洲での行軍記録が、今回の現地確認へ繋がる形にしました。
また、永禄四年の信長による美濃への攻勢と、墨俣方面が美濃攻略を考えるうえで重要な地域だったことを踏まえています。一方で、今回登場する宗助が見つけた道や足跡、そこでの具体的なやり取りは、史実として断定せず創作として構成しています。
次回『第四十九話 墨俣への道』




