第四十七話 先に見る者
夜が明けると、織田軍はすぐには動かなかった。昨日までなら、敵が退けば追い、道が開けば進む。それが当たり前だった。だが、この朝は違った。陣の前方へ少数の兵が出され、周囲の地形と敵の動きを確かめることになった。
「宗助。」
源四郎が荷駄のそばへやって来た。
「はい。」
「今日は、少し待つことになる。」
「敵を探すんですか。」
「それもある。だが、昨日のことを考えてみよ。」
「昨日?」
「敵は正面から来ただけではなかった。」
宗助は頷いた。
「左右から回ってきました。それと、後ろにも兵がいました。」
「そうじゃ。敵は、こちらの動きを見ながら兵を動かしておった。」
「何か狙いがあったんでしょうか。」
「それを確かめる。」
源四郎は前方を見た。
「敵がどこにいるかだけではない。敵が、こちらをどこへ動かそうとしているのか。それも見なければならん。」
宗助はその言葉を考えた。
これまでなら、敵を見つければ警戒すればいいと思っていた。だが、敵もこちらを見ている。ならば、目の前に見えているものだけを信じてはいけないのかもしれない。
しばらくして、偵察に出ていた兵が戻ってきた。
「前方に敵の姿はありません。」
「道は。」
「問題ありません。ただ、その先で道が二つに分かれています。」
「二つ?」
「左は広く、荷車も通りやすい道です。右は狭く、少し進みにくい。」
源四郎は絵図を広げた。
「どちらも先では同じ方角へ向かうのか。」
「はい。」
宗助も絵図を覗き込んだ。
「広い方がいいんじゃないですか。」
「そう思うか。」
「荷駄を動かすなら、その方が早いです。」
源四郎は頷いた。
「ならば、実際に見てみるか。」
宗助も同行することになった。荷駄を扱っているからこそ、道の状態を見るには都合がいいという。
道へ着くと、確かに左側の道は広かった。道幅もあり、荷車を並べて進ませることもできそうだった。
「こっちなら、荷車は楽ですね。」
「そうじゃな。」
宗助は道の端へ目を向けた。
草が倒れている。
土にも跡が残っていた。
「源四郎殿。」
「何じゃ。」
「ここ、最近かなり人が通っています。」
源四郎が足を止めた。
「そう見えるか。」
「はい。草が踏まれています。それに、ここに車輪の跡があります。」
宗助は地面を指した。
「荷車も通っています。」
源四郎がしゃがみ込む。
「確かに。」
「敵が使っている道かもしれません。」
「その可能性はある。」
宗助は右側の道を見た。
こちらは狭い。草も伸びている。
「こっちは、あまり人が通っていません。」
「だから安全とは限らん。」
「はい。」
宗助は頷いた。
「でも、敵が待ち伏せするなら、広くて進みやすい方を選ぶと思います。」
源四郎はしばらく黙っていた。
「よし。広い道へ兵を少数出す。」
「進むんですか。」
「確かめるのじゃ。」
源四郎は近くの兵へ命じた。
「前へ出よ。ただし、敵を見つけたら戦わず知らせろ。」
「はっ。」
兵たちは慎重に道を進んでいった。
宗助はその場に残った。
しばらくして、遠くから合図が上がった。
兵が戻ってくる。
「前方に敵影!」
「数は。」
「多くはありません。ただ、道の先に伏せている兵がいます。」
源四郎が頷いた。
「やはりか。」
宗助は広い道を見た。
進みやすい道。
荷駄にとっては都合のいい道。
だからこそ、敵にとっても待ち伏せしやすい場所だった。
「じゃあ、こっちは使わないんですか。」
「すぐには使わん。」
「右の道を行くんですか。」
「それも、まだ決めぬ。」
源四郎は笑った。
「お主、少し考え方が変わってきたな。」
「そうですか。」
「以前なら、通りやすい道を見れば、通りやすいと言うだけだった。」
宗助は苦笑した。
「今も、通りやすいとは思います。」
「それでよい。」
源四郎は道の先を見た。
「だが、その先に何があるかまで考えるようになった。それが大事じゃ。」
織田軍は進路を変更した。
広い道にはすぐには入らず、別の道から少し回り込むことになった。
その日の昼過ぎ、遠くから見張りの兵が戻ってきた。
「広い道にいた敵兵は、すでに退いております。」
「こちらが進路を変えたと分かったのか。」
「おそらく。」
宗助はその報告を聞いて考えた。
敵は織田軍を待ち伏せしていた。
だが、織田軍が来なければ戦えない。
そしてこちらが道を変えたことで、敵もまた動かなければならなくなった。
戦というのは、槍を交える前から始まっている。
そう思うと、昨日までとは景色が違って見えた。
夕方。
織田軍は少し開けた場所で陣を整えた。
今日、大きな戦はなかった。
それでも、兵たちは疲れている。
道を選び、周囲を警戒し、敵の動きを確かめながら進むだけでも、神経を使う。
宗助は荷駄の確認を終え、源四郎のところへ向かった。
「今日は戦になりませんでしたね。」
「そうじゃな。」
「でも、敵が待ち伏せしていました。」
「そして、お主がそれに気づくきっかけを作った。」
「俺は道を見ただけです。」
「その『見る』が大事なのじゃ。」
源四郎は絵図を畳んだ。
「戦場で最も危ういのは、何も見ずに進むことじゃ。」
「見えているものだけでも駄目なんですね。」
「そうじゃ。」
「敵が見せたいものもある。」
源四郎は宗助を見た。
「そこまで考えられるようになったか。」
宗助は少し照れながら頷いた。
「まだ、よく分かりませんけど。」
「分からんから見るのじゃ。」
その言葉が、宗助の中に残った。
夜。
荷駄のそばで、弥吉が車輪を確認していた。
「今日はずいぶん遠回りしたのう。」
「すみません。」
「何を謝っておる。」
「荷車、大丈夫でしたか。」
「これくらいなら問題ない。」
弥吉は荷車を軽く叩いた。
「それより、お主のおかげで変な道を通らずに済んだらしいの。」
「まだ分かりませんよ。」
「分からんのに、よく見つけたのう。」
「地面に跡があっただけです。」
「その跡を見る者がおらなんだら、ただの跡じゃ。」
宗助は黙った。
自分が特別なことをしたつもりはない。
ただ、荷車が通れるかどうかを考えて、道を見ただけだった。
けれど、それが軍全体の進む道を変えた。
小さなことでも、積み重なれば大きな違いになる。
宗助は暗い道の先を見た。
美濃へ来たばかりの頃は、戦場で役に立つには槍を強く振るしかないと思っていた。
今は少し違う。
敵より先に見る。
敵が何をしようとしているのか考える。
そして、自分が見つけたことを伝える。
それもまた、戦うということなのかもしれない。
翌朝。
宗助が荷駄の確認をしていると、源四郎がやってきた。
「宗助。」
「はい。」
「今日は、お主にも見てもらいたい場所がある。」
「俺に?」
「そうじゃ。」
源四郎は前方を指した。
「昨日の道の先に、古い街道がある。」
「街道ですか。」
「そこを通れば、さらに美濃の奥へ進める。」
宗助は頷いた。
「何か問題があるんですか。」
「それを確かめる。」
源四郎は歩き出した。
「荷駄を扱うお主なら、道の良し悪しも分かるじゃろう。」
宗助はその後を追った。
昨日までは、与えられた道を進んでいた。
今日は、自分たちが進む道を確かめる。
それだけの違いなのに、宗助には大きな変化のように感じられた。
やがて、木々の向こうに細い道が見えてきた。
人の姿はない。
だが、道には新しい足跡が残っていた。
宗助は足を止めた。
「源四郎殿。」
「何じゃ。」
「誰か、ここを通っています。」
源四郎も足を止める。
「……昨日の敵かもしれんな。」
宗助は足跡の先を見た。
道は美濃の奥へ続いている。
その先に、何があるのか。
まだ分からない。
だが、誰かが先に進んでいる。
ならば、その先には何かがある。
宗助は槍を握り直した。
「追いますか。」
「いや。」
源四郎は静かに答えた。
「まず、何者が通ったのかを確かめる。」
宗助は頷いた。
軍は動く。
だが、今度はただ前へ進むのではない。
先に見る。
そして、考える。
美濃の奥へ続く道の先で、宗助たちは新たな何かを見つけようとしていた。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、宗助が「敵を見つける」だけではなく、「敵がなぜその場所にいるのか」「なぜその道を使うのか」まで考え始める回としました。
荷駄を扱ってきた宗助だからこそ気づける道の状態や車輪の跡をきっかけに、軍の進路が変わる展開にしています。
大きな合戦を続けるのではなく、戦の前段階である情報の読み合いを挟むことで、美濃の奥へ進む流れを早めています。
宗助の役目も、少しずつ「運ぶ者」から「見て伝える者」へ変わり始めています。
次回『第四十八話 古い街道』




