第四十三話 美濃からの使者
小口での戦いから清洲へ戻った翌日。城内には、前日の戦で負った傷の手当てをする者や、使った武具を片付ける者の姿があった。
宗助も荷駄置き場で仕事をしていたが、朝からどこか落ち着かない空気を感じていた。
小口での戦いが終わったばかりなのに、城の奥では何人もの武士が行き来している。
美濃での戦が終わったわけではない。
尾張にも敵がいる。
宗助がそんなことを考えていると、城門の方から騒がしい声が聞こえてきた。
「宗助。」
源四郎が近づいてきた。
「はい。」
「手を止めろ。」
「何かありましたか。」
「美濃から使者が来た。」
宗助は顔を上げた。
「美濃から?」
「そうじゃ。」
「敵の使者ですか。」
「まだ分からん。」
源四郎は周囲を見た。
「だが、ただの使者ではなさそうじゃ。」
二人は城内へ向かった。
奥へ進むと、数人の武士が一人の男を囲んでいた。
男は粗末な衣を着ており、武具は身につけていない。
敵地から来た者にしては、あまりにも無防備だった。
宗助は少し離れたところで足を止めた。
男の顔には疲れが見える。
だが、怯えている様子はなかった。
「この者は何者ですか。」
宗助が小声で尋ねる。
「美濃から来た。」
源四郎も声を落とした。
「だが、斎藤方の正式な使者ではない。」
「では?」
「美濃の内情を知らせに来た者らしい。」
宗助は男を見る。
美濃の内情。
その言葉が気になった。
森部で戦った時も、十四条や軽海で戦った時も、宗助が見ていたのは目の前の敵だけだった。
だが、戦う前から敵の国で何が起きているのか分かれば、戦い方そのものが変わるかもしれない。
やがて男の取り調べが始まった。
「斎藤龍興のもとでは、今どうなっている。」
武士の一人が尋ねる。
「殿の家臣たちは、それぞれが動いております。」
「それは以前からだ。」
「今は、以前よりまとまりがありません。」
男は答えた。
「義龍様が亡くなってから、若い龍興様を支える者たちの間でも意見が割れております。」
宗助は黙って聞いていた。
美濃は一つの国だと思っていた。
だが、その中にも人がいる。
それぞれ考えが違い、それぞれの都合がある。
「織田が攻めてくることは知っているのか。」
「知っております。」
「ならば、守りも固めているだろう。」
「はい。」
「どこを。」
男は少し黙った。
「すべてを守れるほど、人は多くありません。」
その言葉に、周囲の武士たちが顔を見合わせた。
宗助も同じことを考えていた。
森部で戦った。
十四条でも戦った。
軽海でも戦った。
そのたびに美濃側は兵を出してきた。
それでも、国のすべてを同時に守ることはできない。
ならば、どこかに隙がある。
それを探すのが、次の戦になる。
男はさらに話を続けた。
「稲葉山の周辺では、織田の動きを警戒しております。」
「それ以外は。」
「西の方でも兵を動かしていると聞いております。」
「誰が指揮している。」
「詳しいことまでは。」
武士が男を睨む。
「分からぬのか。」
「私は兵ではありません。聞いた話を伝えに来ただけです。」
源四郎が宗助へ目を向けた。
「どう思う。」
突然尋ねられ、宗助は戸惑った。
「俺ですか。」
「そうじゃ。」
宗助は男を見た。
それから、周囲の武士たちを見た。
「この人が本当のことを言っているかは、俺には分かりません。」
「続けよ。」
「でも、全部が嘘とも思いません。」
「なぜじゃ。」
「自分が知っていることと、聞いたことを分けて話しているからです。」
源四郎は黙って男を見た。
「たとえば、稲葉山の周辺を警戒していることは言い切っています。でも、西の兵のことになると、聞いた話だと言っている。」
宗助は続けた。
「本当に嘘をつくなら、全部同じように言った方が簡単だと思います。」
周囲の武士たちが静かになる。
男も宗助を見た。
「お主、兵なのか。」
「はい。」
「変わった見方をする。」
宗助は答えなかった。
自分でも、なぜそんなところが気になったのか分からなかった。
ただ、戦場で学んだことと同じだった。
見る。
聞く。
そして、違いを見つける。
源四郎が男へ向き直った。
「よい。もう少し詳しく話せ。」
男は頷いた。
その後、いくつかの地名と兵の動きが伝えられた。
宗助には、そのすべてが理解できたわけではない。
だが、話を聞いている武士たちの表情が少しずつ変わっていくのは分かった。
やがて男が退出すると、源四郎が宗助を呼び止めた。
「宗助。」
「はい。」
「さっきの話、覚えておるか。」
「全部は無理です。」
「なら、覚えているところだけ言ってみよ。」
宗助は少し考えた。
「稲葉山の周辺は警戒されていること。」
「うむ。」
「それと、西の方でも兵が動いていること。」
「他には。」
「兵が足りないと言っていました。」
源四郎が頷く。
「それが一番重要かもしれん。」
「そうなんですか。」
「一つの場所を守るために兵を集めれば、別の場所が薄くなる。」
「なるほど。」
「戦は槍を合わせる前から始まっておる。」
宗助はその言葉を聞きながら、美濃の絵図を思い浮かべた。
今まで自分は、道や荷駄を見てきた。
だが、軍そのものにも道がある。
兵をどこへ動かすか。
何を守るか。
どこを捨てるか。
それによって、別の場所が変わる。
「源四郎殿。」
「何じゃ。」
「次に織田が動いたら、美濃の兵も動くんですよね。」
「そうじゃ。」
「なら、こちらが動かすことで、向こうの兵を動かせるんですか。」
源四郎は少しだけ笑った。
「ようやくそこまで考えるようになったか。」
「まだよく分かりません。」
「分からぬから考えるのじゃ。」
源四郎は絵図を畳んだ。
「ただし、お主が考えるのは戦全体ではない。」
「はい。」
「まずは自分の持ち場を見よ。」
「分かりました。」
その日の夕方。
清洲城に出陣の命が下った。
今度は小口ではない。
美濃へ向かう。
城内の空気が一気に変わった。
兵たちが武具を整え、馬が引き出される。
宗助も荷駄置き場へ走った。
だが、以前とは違う。
ただ言われた荷物を積むだけではない。
どこへ向かうのか。
どれだけの日数になるのか。
何を多く持つべきなのか。
源四郎から渡された書付を確認する。
「宗助。」
「はい。」
「今回は荷駄の後方を任せる。」
「後方ですか。」
「先頭ではない。だが、全体が動いた時に遅れた荷をまとめろ。」
「分かりました。」
「それから、敵と接触した時は勝手に前へ出るな。」
「はい。」
「お主の役目は、戦うことだけではない。」
宗助は頷いた。
「分かっています。」
夜になる前に、準備はほぼ整った。
宗助は荷駄の列を見た。
前に美濃へ向かった時とは違う。
森部を知っている。
十四条も軽海も知っている。
そして今度は、美濃の中で起きていることを少しだけ知った。
それがどこまで役に立つのかは分からない。
だが、何も知らずに向かうわけではない。
「宗助。」
弥吉が声を掛けた。
「はい。」
「今度は長くなりそうじゃな。」
「そうですね。」
「なら、荷駄も大変じゃ。」
「俺たちもですよ。」
「それもそうじゃ。」
二人は顔を見合わせた。
今回は、それ以上の冗談を言う余裕もなかった。
翌朝。
清洲の城門が開いた。
織田の兵たちが次々と外へ出ていく。
荷駄もその後に続いた。
宗助は列の後方を歩きながら、前方へ目を向けた。
また美濃へ行く。
だが、今度はただ敵と戦うためだけではない。
美濃のどこに兵が集まり、どこが薄くなるのか。
敵がどう動くのか。
そして、自分たちがどこまで進めるのか。
それを見なければならない。
清洲から伸びる隊列が、ゆっくりと西へ向きを変えた。
美濃への道が、再び始まった。
その先で待っているのは、これまでとは違う戦になる。
宗助は荷駄の列を確認しながら歩いた。
今度は、自分の目で確かめる番だった。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、小口での戦いから再び美濃へ視線を戻し、宗助が初めて「敵の情報をどう見るか」という段階へ進む話としました。
これまでの宗助は、道、荷駄、兵の動きなど、主に自分の周囲を見てきました。今回は、美濃からもたらされた情報を聞き、その情報の確かさや違いに目を向けています。
史実でも永禄四年の織田信長は美濃への攻勢を続けており、同年六月には美濃への再侵入が記録されています。小口城への攻撃もこの時期の出来事として記録されていますが、『信長公記』の年次には後世の解釈上の問題もあるため、本作では物語上の時系列を優先して描いています。
次回『第四十四話 再び美濃へ』




