第三十二話 兵が通る道
翌朝。宗助たちは清洲を出て、美濃方面へ向かっていた。今回の役目は、道を歩いて確認するだけではない。数台の荷車に兵糧を積み、実際に人と荷を動かしながら、兵が通れる道なのかを確かめることになっていた。
「思ったより重いですね。」
「兵糧が入っておるからな。」
弥吉が荷車を見ながら答える。宗助は荷車の後ろを歩きながら、車輪の動きを見ていた。荷を積んだことで、同じ道でも様子が違う。少し道が悪くなるだけで車輪が深く沈み、坂道では引く者の負担が一気に増えていた。
「これを何台も連れて兵が進むとなると、大変そうです。」
「だから調べておるんじゃろ。」
「はい。」
その日は無理に先へ進まず、渡し場の近くで一泊した。翌朝、まだ日が高くならないうちに渡し場へ向かい、兵と荷駄を順番に川の向こうへ渡していく。舟が何度も往復するため、全員が美濃側へ渡り終えるまでにもかなりの時間がかかった。
昼前になって、ようやく一行は美濃側の道へ入った。ここからが今回の本当の仕事だった。荷車を伴って進むと、少人数で歩いた時には気にならなかった道の問題が次々と見えてくる。
しばらく進んだところで、道が緩やかな上り坂になった。荷車を引く男たちの足が遅くなる。
「ここはきついな。」
弥吉が荷車を押しながら呟く。
「荷を減らした方がいいかもしれません。」
宗助は坂の先を見た。
「このまま全部運ぶより、一度に進める荷を決めた方が早いです。」
先頭の足軽が振り返る。
「どれくらいならいける。」
「今の荷の半分くらいなら、もう少し楽になると思います。」
男たちは荷車を止め、積んでいた兵糧の一部を下ろした。すると、さっきまで苦しそうだった荷車が少しずつ進み始めた。宗助はその様子を見ながら考える。兵が通れるかどうかは、道の幅だけでは決まらない。何をどれだけ運ぶのか、何人で動かすのか、それによって同じ道でも使い勝手が変わる。
坂を越えると、道は再び平らになった。しばらく進んだ先で、小さな橋が見えてくる。橋そのものは狭く、荷車一台が通れる程度しかない。先頭の足軽が橋の前で足を止めた。
「ここは一台ずつだな。」
宗助も橋を見た。幅だけなら問題はない。だが、橋板がところどころ古くなっている。
「少し待ってください。」
宗助は橋の端へ近づき、板を踏んだ。ぎし、と音がする。下を覗くと、川の流れはそれほど強くない。ただ、橋を支える柱の一つが少し傾いていた。
「満載の荷車は危ないと思います。」
「渡れんのか?」
「軽くすれば渡れると思います。でも、兵が何人も続いて渡るなら、別の道を探した方がいいです。」
年長の足軽が頷く。
「調べるか。」
「はい。」
一行は橋を使わず、少し下流へ続く細い道を探した。だが、そちらはさらに狭い。荷車を一台通すだけなら何とかなるものの、兵が続けば道を塞いでしまう。
宗助はしばらく道を見ていた。そして、近くの斜面へ目を向ける。人が歩いた跡があった。
「この先に道があります。」
「分かるのか?」
「獣道かもしれません。」
宗助は慎重に近づいた。すると、木の枝に人の衣服が引っ掛かったような布切れが残っている。ただの獣道ではない。誰かが使っている道だった。
宗助がその先を見ようとした時だった。
「そこで何をしている。」
林の向こうから声がした。
一行が動きを止める。木々の間から、一人の男が姿を見せた。農民のような服装だが、腰には刀が差されている。宗助は槍へ手を伸ばした。
「道を確認しているだけです。」
男は荷車へ目を向けた。
「兵糧まで持ってきて、ただ道を見るだけか。」
宗助は答えなかった。男の後ろには、もう一人いる。さらに林の奥にも人影が見えた。数は分からない。こちらから近づけば、状況が悪くなる。
弥吉が小声で言った。
「宗助、下がるぞ。」
宗助は頷いた。荷車の位置を確認する。このまま狭い道へ入れば、何かあった時に動けない。まず橋の手前まで戻った方がいい。
「戻りましょう。」
年長の足軽が宗助を見る。
「何か見つけたのか?」
「向こうに人がいます。」
「敵か?」
「分かりません。」
宗助は林を見た。
「分からないから、ここで進むのは危ないです。」
男たちはしばらくこちらを見ていた。やがて、一人が声を上げる。
「尾張へ戻れ。」
それだけだった。誰も追ってこない。宗助たちは荷車を反転させ、ゆっくりと来た道を戻った。
渡し場まで戻る頃には、すでに夕方になっていた。清洲まで戻るには遅すぎるため、その夜も渡し場近くの宿を取ることになった。
宿へ戻った宗助は、夕食を前にしても書付を手放さなかった。橋の状態。坂道で荷車が遅くなったこと。別道の狭さ。そして、林の中にいた男たち。
「今日はずいぶん書くのう。」
弥吉が椀を置く。
「忘れないうちに書いておきたいんです。」
「何か分かったか?」
「はい。」
宗助は筆を置いた。
「兵を動かすなら、道があるだけじゃ駄目です。」
「荷車が通れるか。兵が続いても止まらないか。橋が壊れないか。」
「それに……」
宗助は少し黙った。
「向こうも、こっちを見ている。」
弥吉の表情が変わった。
「今日の連中か。」
「たぶん。」
「なら、次はもっと気をつけんとな。」
「はい。」
翌朝。宗助たちは渡し場を渡り、尾張側へ戻った。清洲へ着いたのは昼を過ぎてからだった。
詰所へ戻ると、源四郎が待っていた。
「戻ったか。」
「はい。」
「聞いたぞ。」
源四郎の視線が宗助の肩へ向く。
「怪我はないようじゃな。」
「はい。」
「何があった。」
宗助は、道の状態から林での出来事まで順に説明した。源四郎は黙って聞いている。
「橋は使えぬわけではない。」
「はい。ただ、大勢を通すには危険です。」
「坂道では荷を減らす必要がある。」
「そうです。」
「そして美濃側の者と接触した。」
「はい。」
源四郎の顔が険しくなる。
「何者かは分からんのじゃな。」
「分かりません。ただ、こちらが何をしているのか知っている様子でした。」
源四郎はしばらく黙っていた。やがて書付を畳む。
「この報告は、そのまま上へ送る。」
「分かりました。」
「お主らが見てきたことで、道の問題だけではなくなった。」
宗助は黙って頷いた。
その日の夜。本丸では、宗助たちの報告が信長のもとへ届けられていた。信長は書付を読み終えると、勝家へ渡す。
「橋が弱い。」
「はい。」
「別道も狭い。」
「兵糧を運ぶなら、別の方法を考える必要があります。」
信長は美濃の絵図を見た。
「それだけではない。」
「美濃側がこちらの動きを察している。」
勝家が頷く。
「こちらの動きを止めるつもりでしょう。」
「ならば、こちらも考えねばならん。」
信長は絵図へ指を置いた。
「兵糧を集める。」
「道を整える。」
「兵を動かせるようにしておけ。」
勝家は深く頭を下げた。
「承知しました。」
この日を境に、美濃へ向けた準備は明確に動き始めた。宗助たちの仕事は、もう単なる道の確認ではない。自分たちが見てきた道が、これから本当に兵の通り道になるかもしれない。そして、その道の先には、すでにこちらを警戒する者たちがいる。
宗助はまだ知らなかった。次に美濃へ向かう時、それは偵察のためだけではないかもしれないことを。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、実際に兵糧を運びながら、美濃へ続く道の問題を確認しました。道幅だけではなく、荷車の重さや橋の状態など、実際に兵を動かしてみなければ分からない問題も出てきました。
そして、美濃側にも織田家の動きを警戒する者たちがいることが分かりました。集められた情報は、いよいよ織田家の次の動きへつながっていきます。
次回『第三十三話 動き出す兵』




