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本能寺を変えるため、織田信長の家臣になった。 ~歴史を知る俺は、天下人を死なせない~  作者: 春野ケイ


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第三十一話 見てきたもの

 清洲へ戻った翌朝。


 宗助は、まだ薄暗い詰所の中で昨日の書付を広げていた。


 川の流れ。

 渡し場の位置。

 荷車の往来。

 美濃側の道。

 近くの集落。


 忘れないうちに整理しておく必要がある。

 隣では弥吉が欠伸をしていた。


「眠いのう。」


「昨日、帰ってすぐ寝たじゃないですか。」


「歩いたからな。」


「俺も歩きましたよ。」


「若いから平気じゃろ。」


 宗助は苦笑しながら、書付へ目を戻した。

 そこへ源四郎が入ってきた。


「もう起きておったか。」


「はい。昨日見たものをまとめていました。」


 源四郎は二人の前に腰を下ろした。


「なら、聞かせてもらおう。」


「はい。」


 宗助は書付を手に取った。


「渡し場までは道が続いています。荷車の轍も多く、川を越えた先にも道が続いていました。」


「人の往来は?」


「朝は少なかったですが、昼になると増えました。」


「荷車は?」


「渡し場から美濃側へ向かうものが何台もありました。」


 源四郎は頷きながら聞いている。


「川の流れは?」


「昨日は雨の影響もあって、少し速かったようです。ただ、船頭の話では朝の方が渡りやすいとのことでした。」


「なるほど。」


 宗助は続けた。


「それと、渡し場から先の道は、ある程度人や荷が通っているようでした。」


「何故そう思った。」


「轍です。それと、集落で聞いた話でも、昼頃になると人が増えると言っていました。」


 源四郎はしばらく黙った。


「よく見てきたな。」


「ありがとうございます。」


「弥吉は?」


 突然振られ、弥吉が顔を上げた。


「飯がうまかったです。」


「……他には?」


「宗助がよく見ておりました。」


「お主は何を見ておった。」


「宗助が見ておるものを見ておりました。」


 源四郎が呆れた顔をする。

 宗助は思わず吹き出した。


「ちゃんと仕事はしていましたよ。」


「ならよい。」


 源四郎も苦笑した。

 その時だった。

 詰所の外から足音が近づいてきた。


「源四郎殿。」


 声を掛けたのは、昨日の一行をまとめていた年長の足軽だった。


「本丸から呼び出しです。」


 源四郎の表情が変わった。


「わしだけか?」


「いえ。」


 男は宗助を見る。


「宗助も来るようにとのことです。」


 宗助は目を見開いた。


「俺もですか?」


「そうだ。」


 弥吉が口を挟む。


「わしは?」


「お前は待っておれ。」


「そうか。」


 弥吉は少し残念そうだった。


「飯でも食って待っておる。」


「結局それじゃな。」


 源四郎が立ち上がる。


「宗助、行くぞ。」


「はい。」


 二人は詰所を出た。

 城内を進む。

 宗助は歩きながら、少しだけ緊張していた。

 美濃へ行く前とは違う。

 今回は、自分たちが見てきたものを直接伝えるために呼ばれている。

 本丸へ近づくにつれて、行き交う侍の数も増えていった。

 やがて、一室へ通される。

 そこには柴田勝家がいた。


「来たか。」


 源四郎が頭を下げる。


「勝家様。」


「楽にせよ。」


 勝家の視線が宗助へ移る。


「宗助。」


「はい。」


「昨日の報告、見せてもらった。」


「ありがとうございます。」


 勝家は机の上に置かれた書付へ目を向けた。


「渡し場だけでなく、荷車の往来まで見ておったな。」


「はい。実際に見たことを、そのまま書きました。」


「それでよい。」


 勝家は顔を上げた。


「見たものを勝手に推測で変えなかった。それも重要だ。」


 宗助は小さく頭を下げた。

 すると、部屋の奥から声がした。


「それで、どうだった。」


 宗助の背筋が伸びた。

 信長だった。


「はっ。」


 勝家が答える。


「渡し場は利用されております。美濃側にも道が続き、荷の往来も少なくありません。」


「使える道か。」


「はい。」


「兵を動かすなら?」


 勝家は少し考えた。


「渡河そのものには問題はありません。ただし、天候と川の流れには注意が必要かと。」


 信長は宗助へ目を向けた。


「お前はどう見た。」


 宗助は一瞬だけ迷った。

 自分のような足軽が、信長に意見を述べてよいのか。

 だが、勝家が黙って待っている。


「……渡し場は、人と荷が集まる場所でした。」


「ほう。」


「朝より昼の方が人が増えていました。荷車も多かったです。」


 宗助は続ける。


「もし大勢の兵が一度に動けば、普段使っている人たちの流れと重なると思います。」


 信長の目が細くなる。


「つまり?」


「道が混むと思います。」


 部屋が静かになった。

 宗助は自分でも言葉が足りない気がした。

 だが、見たこと以上のことを言うつもりはなかった。

 信長はしばらく宗助を見ていた。


「なるほどな。」


 それだけ言うと、再び勝家へ向き直った。


「大軍を動かすなら、渡しだけを考えても仕方がない。」


「はい。」


「その先の道も必要だ。」


 勝家が頷く。


「承知しております。」


「ならば、次を調べよ。」


 宗助は顔を上げた。


「次、ですか?」


 勝家が答える。


「今回は渡し場までだった。」


「次は、その先だ。」


 宗助は黙って聞いていた。

 また偵察。そう思った。

 だが、勝家の言葉はそこで終わらなかった。


「ただし、今度は歩いて見るだけではない。」


「兵が通れる道か。」


「どれほどの兵を通せるか。」


「途中で休める場所はあるか。」


「兵糧を運ぶなら、どこに置けるか。」


「それを見てこい。」


 宗助の目が変わった。

 昨日までとは違う。

 単に道を見るのではない。

 実際に兵を動かすことを前提に、その道を考える。

 戦へ繋がる調査だった。

 信長が立ち上がった。


「美濃へ入ることを、まだ決めたわけではない。」


 宗助は意外に思った。


「だが、行くならば準備は必要だ。」


 信長はそれだけ言うと、部屋を出ていった。

 残された勝家が、宗助を見る。


「聞いたな。」


「はい。」


「次は少し難しくなる。」


 勝家は書付を宗助へ渡した。


「ただ道を覚えるだけでは足りん。」


 宗助は書付を受け取った。


「兵が動くなら、何が必要なのか。」


 勝家が言う。


「それを考えながら見てこい。」


「承知しました。」


 宗助は深く頭を下げた。

 部屋を出ると、廊下で源四郎が待っていた。


「どうじゃった。」


「また仕事を命じられました。」


「聞いた。」


 源四郎は苦笑する。


「どうやら、お主は目を付けられたようじゃな。」


「俺がですか?」


「そうでなければ、わざわざ本丸へ呼ばれまい。」


 宗助は少し考えた。

 桶狭間。褒賞。

 そして今回の美濃。

 少しずつ、自分の立場が変わっている。

 まだ足軽であることには変わりない。

 だが、ただ槍を持って命じられた場所へ行くだけではなくなりつつある。


「源四郎殿。」


「何じゃ。」


「兵が通れる道って、何を見ればいいんでしょう。」


 源四郎は少し考えた。


「道幅だけではない。」


「坂。」


「橋。」


「水。」


「休める場所。」


「荷を運べるかどうか。」


 宗助は頷いた。


「なるほど。」


「お主が昨日見てきたものも、そういうことじゃ。」


 源四郎は宗助の肩を軽く叩いた。


「少しずつ覚えていけばよい。」


「はい。」


 二人は詰所へ戻った。

 そこでは弥吉が飯を食べていた。


「おお、戻ったか。」


「何をしてるんですか。」


「待っておれと言われたから待っておった。」


「飯を食べながら?」


「腹が減ったからな。」


 宗助は笑った。


「次の仕事が決まりました。」


「また美濃か?」


「はい。」


「今度は何を見る。」


 宗助は少し考えた。


「道だけじゃなくて、兵が通れるかどうかを見るそうです。」


 弥吉が首を傾げる。


「兵が通る?」


「はい。」


「なら、わしらも兵じゃ。」


「そうですね。」


「だったら、わしが歩いてみれば分かる。」


 宗助は思わず笑った。


「確かに、それは分かりやすいです。」


「だろう。」


 弥吉は胸を張った。


「ただし。」


 宗助が言う。


「今度は飯屋を探すだけじゃ駄目ですからね。」


「それは困る。」


 三人の間に笑い声が広がった。

 だが、その日の夕方。

 宗助は一人で書付を見つめていた。

 次に行く場所。

 通る道。川。橋。村。休める場所。

 そして兵糧。

 今までなら、戦とは槍を持って敵と戦うことだと思っていた。

 桶狭間で実際に戦って、それだけではないことも分かった。

 戦う前に、兵は歩かなければならない。

 歩くには道がいる。

 道を進むには食料がいる。

 川があれば渡らなければならない。

 宗助は書付へ目を落とした。

 知らなかった。

 だが、少しずつ分かってきた。

 戦は、敵と向き合う前から始まっている。


 その日の夜。

 清洲城の本丸では、再び美濃の絵図が広げられていた。

 信長が地図を見つめる。

 柴田勝家がその横に立っている。


「渡しは使える。」


「はい。」


「ならば次だ。」


 信長は美濃側へ指を移した。


「この先を知れ。」


「承知しました。」


「それから兵を動かす。」


 勝家が頭を下げる。

 まだ、戦の命は下されていない。

 だが。

 織田家は確実に、美濃へ向けて動き始めていた。

 そして宗助も、その流れの中にいる。

 ただ槍を持って歩くだけではない。

 自分が何を見て、何を覚えるのか。

 それが、これからの宗助を変えていくことになる。


――あとがき――


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 今回は、宗助たちが美濃で見てきたことを清洲へ報告しました。


 そして、その報告をきっかけに、次の命が下ります。


 今度は単に道を見るのではなく、「兵を動かすならどうか」という視点で見ることになります。


 宗助にとって、戦を知るための新しい経験になりそうです。


 少しずつ、ただの足軽ではない視点を身につけていく宗助。


 その先に何が待っているのか。


 次回『第三十二話 兵が通る道』

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