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本能寺を変えるため、織田信長の家臣になった。 ~歴史を知る俺は、天下人を死なせない~  作者: 春野ケイ


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第二十七話 清洲の変化

 桶狭間の戦いから、十日ほどが過ぎた。


 宗助の暮らしは、表面上は何も変わっていなかった。

 朝になれば起きる。命じられた仕事をこなし、飯を食う。そして日が暮れれば詰所へ戻る。

 変わったことがあるとすれば、一つだけだった。

 懐に入れた褒賞の銭を、宗助が何度も確かめるようになったことだ。

 もちろん、毎日取り出しているわけではない。ただ、ふとした時に思い出す。

 あれは夢ではなかった。

 桶狭間での働きが認められ、自分の手元へ渡ってきたものだ。


「また見ておるのか。」


 背後から弥吉の声がした。

 宗助は慌てて包みを懐へ戻す。


「見てませんよ。」


「今、見ておったじゃろ。」


「……少しだけです。」


 弥吉が笑う。


「初めて自分の働きでもろうた銭じゃ。気になるのも分かる。」


「弥吉殿は、初めて褒賞をもらった時どうしたんですか?」


「わしは酒じゃ。」


 即答だった。

 宗助は思わず笑った。


「全部ですか?」


「全部ではない。」


「少し残した。」


「少しだけですか?」


「うむ。」


 弥吉は胸を張った。


「酒は大事じゃ。」


 源四郎が呆れた顔をする。


「お主は昔から変わらんな。」


「何が悪い。」


 詰所に笑い声が広がる。

 宗助も笑った。

 こういう時間が、少しずつ戻ってきていた。

 だが、

 清洲城そのものは、以前と同じではなかった。

 桶狭間で今川義元を討ち取った。

 その知らせは、尾張の外へも広がっている。

 城を訪れる者の数も増えていた。

 商人。使者。近隣の者。

 誰もが、織田信長の次の動きを探っている。

 宗助はそんな人々の姿を、仕事の合間に何度か目にするようになっていた。


「最近、城が騒がしいですね。」


 宗助が言うと、源四郎が頷いた。


「桶狭間で勝ったからじゃ。」


「それだけですか?」


「それだけではない。」


 源四郎は少し声を落とした。


「今川が敗れたことで、周りの者たちも動きを考え始めておる。」


「尾張だけの話ではなくなった、ということですか。」


「そういうことじゃ。」


 宗助は黙った。

 その言葉を聞いて、以前よりも城の中を見る目が変わっている自分に気付いた。

 ただ人が増えた。ただ忙しくなった。

 それだけではない。

 桶狭間という一戦によって、周囲の国々が織田家を見る目そのものが変わり始めている。

 宗助はそう感じていた。


 その日の昼過ぎ。

 源四郎組に新しい仕事が回ってきた。


「本丸へ荷を運ぶ。」


 源四郎が告げる。


「何の荷ですか?」


 弥吉が尋ねる。


「知らん。」


「重いですか?」


「それも知らん。」


「何も知らんのう。」


「伝えられたのは本丸へ運べということだけじゃ。」


 弥吉が肩をすくめる。


「仕方ない。」


 宗助たちは荷を担いだ。

 城内を進む。

 すると、本丸へ近づくにつれて、いつもより多くの侍が行き交っていることに気付いた。

 一人の侍が、別の者へ声を掛けている。


「美濃からの使者は帰ったか。」


「まだだ。」


「では、殿との話も続いておるのだな。」


 宗助の足が一瞬止まりかける。

 美濃。

 その言葉が耳に残った。

 源四郎が振り返る。


「宗助。」


「はい。」


「荷を落とすなよ。」


「すみません。」


 宗助は歩き出した。

 だが、頭の中では先ほどの言葉が残っている。

 美濃からの使者。

 桶狭間の後から、何度か聞くようになった名前だった。


 そして。

 その日の夕方。


 宗助たちが仕事を終えて詰所へ戻る途中だった。

 城内を一人の男が歩いている。

 身なりの良い侍だった。

 宗助は道を空ける。

 男は宗助たちを一瞥しただけで通り過ぎていった。


 だが、その後ろから続いていた別の侍が、源四郎へ声を掛けた。


「源四郎殿。」


 源四郎が振り返る。


「何でしょう。」


「先ほどの者、美濃から来た使者だそうです。」


 源四郎の表情が少し変わった。


「そうか。」


 宗助も思わず男の背中を見る。

 すでに廊下の向こうへ消えかけている。


「何の話をしているんでしょう。」


 宗助が尋ねる。

 源四郎はすぐには答えなかった。

 やがて、小さく口を開く。


「美濃とのことじゃろう。」


「それは……戦になるんですか?」


「まだ分からん。」


 源四郎は首を振る。


「だが、織田家が美濃を気にしておることだけは確かじゃ。」


 宗助は黙って頷いた。

 美濃。

 その名前が、少しずつ現実味を持って近づいてくる。

 そして宗助は知らなかった。

 この時、清洲城の奥では、すでに次の戦いへ向けた話が始まっていることを。


 その日の夕刻。

 宗助たちが仕事を終えて詰所へ戻る頃には、城内の人の流れも少し落ち着いていた。

 だが、昼間に聞いた話が宗助の頭から離れない。

 美濃からの使者。

 そして、その者たちが何度も本丸へ出入りしている。


「宗助。」


 源四郎が声を掛けた。


「はい。」


「今日は妙に静かじゃな。」


「そうですか?」


「お主の方が、じゃ。」


 宗助は苦笑した。


「考え事をしていただけです。」


「美濃のことか。」


「……はい。」


 源四郎は少しだけ黙った。


「気になるのは分かる。」


「じゃが、今のわしらには、まだ何も決まっておらん。」


「はい。」


「勝手に先のことを考えすぎるな。」


「分かっています。」


 宗助はそう答えた。

 だが、やはり気になった。

 前の人生で知っていた歴史では、桶狭間の後も織田信長は動き続ける。


 美濃。


 斎藤家。


 そして、その先にある天下への道。


 しかし、この世界ではすでに自分という存在が歴史へ入り込んでいる。

 桶狭間でも、史実にはない出来事が起きた。


 ならば。

 これから先も、同じ歴史になるとは限らない。

 宗助は、そこで考えるのをやめた。

 今の自分には、未来を決める力などない。

 ただ、目の前の仕事をするしかない。


「宗助。」


 弥吉が飯をよそう。


「飯じゃ。」


「ありがとうございます。」


 宗助は椀を受け取った。


「今日は何を考えておったんじゃ。」


「美濃のことです。」


「美濃?」


 弥吉が首を傾げる。


「最近、城でよく聞くので。」


「ああ。」


 弥吉も頷いた。


「わしも聞いた。」


「何か知ってるんですか?」


「何も知らん。」


 即答だった。


 宗助は思わず笑った。


「じゃあ、聞いたっていうだけじゃないですか。」


「そうじゃ。」


「胸を張って言うことですか?」


「知らんことを知ったふりするよりはましじゃろ。」


 源四郎が笑った。


「それは確かにそうじゃ。」


 三人は飯を食べながら笑った。

 城の奥で何が話されているのか。

 今の宗助たちには分からない。

 けれど、こうして飯を食べている間にも、織田家の次の一手は少しずつ形を変えていく。


     ◇


 同じ頃。

 本丸では、信長が一枚の書状を手にしていた。

 向かいには柴田勝家。

 その少し離れた場所には、木下藤吉郎も控えている。


「これが美濃からか。」


 信長が書状を見る。


「正確には、美濃の一部の国人衆からでございます。」


 勝家が答える。


「斎藤家そのものからではない。」


「うむ。」


 信長は書状を置いた。


「義龍は、こちらの動きを探っておる。」


「そのように見えます。」


 勝家は頷いた。

 桶狭間で今川義元が討たれた。

 その一報は、すでに各地へ広がっている。

 今川という大勢力を破った織田家。

 周囲がその力を測ろうとするのは当然だった。


「殿。」


 藤吉郎が口を開く。


「美濃の者どもも、今川の敗北を見て動き始めたのでしょう。」


「織田が次にどこへ向かうのか。」


 信長が藤吉郎を見る。


「おぬしは、どこだと思う。」


 藤吉郎は少しだけ笑った。


「美濃でしょうな。」


 勝家が横目で藤吉郎を見る。


「気が早い。」


「そうでしょうか。」


 藤吉郎は肩をすくめる。


「尾張を固めるだけなら、今川が敗れた今が好機です。」


「美濃へ目を向けるには、悪くない時期かと。」


 信長は何も答えなかった。

 ただ、机の上に置かれた絵図へ目を落とす。

 尾張。

 その西に続く美濃。

 そこには、いくつもの道が描かれている。


「道を調べよ。」


 信長が言った。


 勝家が顔を上げる。


「美濃への道を、ですか。」


「そうだ。」


「兵を出すためではない。」


 信長は絵図を指でなぞった。


「まずは知ることだ。」


「地形。」


「道。」


「村。」


「川。」


「人。」


 勝家は頷いた。


「承知しました。」


 藤吉郎も静かに頭を下げた。


「承知いたしました。」


 信長は絵図から目を離した。


「急ぐ必要はない。」


「されど、遅れるな。」


 短い言葉だった。


 勝家が立ち上がる。


「人選はこちらで。」


「任せる。」


 こうして、美濃へ向けた最初の準備が始まった。

 まだ戦ではない。

 だが。

 織田家の目が、確かに美濃へ向き始めた瞬間だった。


     ◇


 翌朝。


 宗助はいつものように詰所へ向かっていた。

 美濃への道。

 その言葉が、頭の片隅に残っている。

 そして、その日の朝。

 源四郎組へ新たな命が届く。

 それが、宗助の知らないところで始まった美濃への動きと、初めて直接つながることになる。

 宗助はまだ知らない。

 自分が次に向かう場所が、これまで暮らしてきた尾張の外になるかもしれないことを。


 ただ、その日の朝。

 いつものように源四郎の前へ立った。


「宗助。」


「はい。」


 源四郎が一枚の書付を手にしている。

 その表情は、いつもより少しだけ真剣だった。


「仕事が一つ増えた。」


「何でしょう。」


 源四郎は書付を見た。

 そして。


「美濃に関わる仕事じゃ。」


 宗助の目がわずかに見開かれた。

 桶狭間の戦いが終わって、まだ間もない。

 それなのに。

 次の道は、もう動き始めていた。

 そして宗助もまた、その流れの中へ足を踏み入れようとしていた。


――あとがき――


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 桶狭間の戦いを終え、宗助たちの日常は少しずつ戻り始めています。


 その一方で、清洲城では次の動きが始まりました。


 美濃。


 まだ宗助自身は何も知らないままですが、織田家の視線は少しずつ美濃へ向かっています。


 そして今回、宗助のもとにも初めて「美濃に関わる仕事」が届きました。


 桶狭間で大きく動いた歴史は、次の舞台へ進もうとしています。


 ここから宗助の戦国での歩みも、少しずつ尾張の外へ広がっていきます。


 次回『第二十八話 新たな命』

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