第二十四話 新たな一歩
翌朝。
宗助はいつもより早く目を覚ました。
昨日、奉行所から届いた呼び出しが頭に残っている。
――明日、源四郎殿とともに参るように。
何のために呼ばれたのか。
宗助には分からなかった。
身支度を整え、詰所へ向かう。
そこでは、すでに源四郎が待っていた。
「来たか。」
「はい。」
「では行くぞ。」
「はい。」
二人が詰所を出る。
弥吉が後ろから声を掛けた。
「宗助!」
振り返る。
「変なことを言うなよ。」
「言いませんよ。」
「ならよい。」
弥吉は笑った。
宗助も苦笑しながら、源四郎の後を追った。
城内を歩く。
桶狭間から四日。
戦の傷跡は、まだあちこちに残っていた。
勝利したとはいえ、戦が終わればすぐに元通りになるわけではない。
宗助はそんな光景を横目に見ながら歩いた。
やがて、奉行の詰める部屋へ通される。
奉行は二人を見ると、手元の書付を置いた。
「来たか。」
「はっ。」
宗助と源四郎が頭を下げる。
「そこまで畏まらずともよい。」
奉行は宗助へ目を向けた。
「桶狭間での働きについて、いくつか確認したい。」
「はい。」
「敵兵へ向かった時、誰かから命じられたのか。」
宗助は首を横に振った。
「いいえ。」
「自分で判断したと。」
「……はい。」
奉行が筆を取る。
「何を見た。」
宗助は少し考えた。
豪雨。
入り乱れる兵。
その中で、妙に動きの違う一人の敵兵。
「敵の動きがおかしいと思いました。」
「逃げているようにも見えなかったので。」
「それで、止めなければと思いました。」
「槍を投げた。」
「はい。」
宗助は一度、目を伏せる。
「あの後は、弥吉殿から別の槍を受け取って戦いました。」
奉行が顔を上げる。
「別の槍?」
「はい。」
「投げた槍は、そのまま戦場に残りました。」
宗助は淡々と答えた。
「弥吉殿が近くに落ちていた槍を拾って、私に渡してくれたのです。」
源四郎も頷く。
「わしも見ておる。」
「その槍で戦を続けた。」
奉行は書付へ目を戻した。
「分かった。」
筆が再び動き始める。
その時、廊下の向こうから人の気配が近づいてきた。
奉行が顔を上げる。
やがて、一人の侍が部屋の前で足を止めた。
「柴田修理亮様がお見えです。」
奉行が立ち上がる。
「お通しせよ。」
襖が開いた。
柴田修理亮が姿を現す。
奉行が頭を下げる。
「修理亮様。」
勝家は軽く頷いた。
「話は進んでおるか。」
「はい。桶狭間での働きについて確認しております。」
勝家は宗助へ目を向けた。
「その者か。」
宗助はすぐに頭を下げる。
「はっ。」
「顔を上げよ。」
宗助が顔を上げる。
勝家はしばらく宗助を見た。
「桶狭間では大儀であった。」
「ありがとうございます。」
「お主は、あの場で何を見て動いた。」
宗助は少し考えた。
「……危ないと思いました。」
「それだけです。」
勝家の眉がわずかに動く。
「それだけか。」
「はい。」
「妙な奴じゃな。」
宗助は返す言葉に困った。
勝家はそれ以上追及しなかった。
「戦場では、一瞬の判断が生死を分ける。」
「その判断を忘れるな。」
「はっ。」
勝家は奉行へ目を向ける。
「戦功については、先の記録でよい。」
「承知いたしました。」
勝家は頷いた。
「では、任せる。」
そう言って、部屋を後にした。
宗助は深く頭を下げたまま、その背中を見送った。
やがて顔を上げる。
源四郎が小さく笑った。
「緊張したか。」
「……かなり。」
「そうじゃろうな。」
二人の間に、わずかな笑いが生まれた。
奉行の確認が終わり、宗助と源四郎は部屋を出た。
廊下を歩いていると、向こうから声がした。
「宗助殿。」
振り向く。
木下藤吉郎だった。
宗助はすぐに頭を下げる。
「藤吉郎様。」
「そう固くなるな。」
藤吉郎は笑った。
「桶狭間では、よう働いておったな。」
「夢中でした。」
「そうであろうな。」
藤吉郎は宗助の顔を見た。
「お主が槍を投げたところも見ておる。」
「今後も、目の前の役目を大事にせい。」
「はい。」
藤吉郎は源四郎へ目を向ける。
「源四郎殿も、ご苦労でございました。」
「恐れ入ります。」
藤吉郎は軽く会釈すると、そのまま廊下を進んでいった。
宗助はその背中を見送った。
「不思議な方ですね。」
源四郎が笑う。
「人を見る目のある御仁じゃ。」
「お主も、覚えられたようじゃな。」
宗助は少しだけ苦笑した。
「俺は、まだ足軽ですけどね。」
「それは変わらん。」
源四郎は歩きながら言った。
「じゃが、人に覚えられるということは悪いことではない。」
「はい。」
二人は詰所へ戻った。
弥吉が待っている。
「どうじゃった。」
宗助は少し考えた。
「柴田様とお話ししました。」
「何と。」
「桶狭間の働きを労っていただきました。」
弥吉は目を丸くする。
「そりゃ大したもんじゃ。」
「藤吉郎様とも話しました。」
「お主、随分と偉い方々と縁ができたのう。」
「俺も不思議です。」
宗助は苦笑した。
その時だった。
詰所の入口に、小者が姿を見せた。
「宗助殿。」
「はい。」
「本丸より、お呼びでございます。」
宗助の表情が固まった。
「本丸……ですか?」
「左様にございます。」
「今から?」
「はい。」
宗助は源四郎を見る。
源四郎も少し驚いていた。
「行ってこい。」
「はい。」
宗助は急いで身なりを整え、小者の後へ続いた。
案内されたのは、本丸の一室だった。
襖の前で宗助は息を整える。
「入れ。」
中から声がした。
宗助は襖を開いた。
そこにいたのは、織田信長だった。
宗助はすぐに平伏する。
「面を上げよ。」
信長の声が落ちる。
宗助はゆっくり顔を上げた。
信長は宗助を見ている。
「宗助。」
自分の名を呼ばれた。
宗助の背筋が伸びる。
「はっ。」
「桶狭間では、よう働いたそうだな。」
「身に余るお言葉にございます。」
信長はしばらく宗助を見ていた。
「何をした。」
宗助は少し考える。
「……夢中でございました。」
「気付いた時には、槍を投げておりました。」
信長の口元がわずかに動く。
「夢中、か。」
「はい。」
「人は夢中になった時、本性が出る。」
宗助は黙って聞いている。
「お主は、あの場で逃げなかった。」
「それだけ覚えておく。」
宗助は深く頭を下げた。
「ありがたき幸せにございます。」
信長はしばらく黙っていた。
やがて窓の外へ目を向ける。
「桶狭間で今川を退けた。」
「されど、それで終わりではない。」
宗助は黙って聞く。
「勝った者ほど、次を見ねばならぬ。」
その言葉に、宗助の胸がわずかに動いた。
美濃。
その名が頭をよぎる。
だが、口にはしない。
今の自分が知っていることを、ここで語る必要はなかった。
信長が再び宗助を見る。
「戻れ。」
「はっ。」
「これからも己の役目を果たせ。」
「はい。」
宗助は深く頭を下げ、部屋を出た。
廊下へ出た瞬間、ようやく息を吐いた。
「……緊張した。」
思わず呟く。
少し先に藤吉郎が立っていた。
「そうであろうな。」
「藤吉郎様。」
「殿の前で平然としておる者の方が珍しい。」
宗助は苦笑する。
藤吉郎は歩き出した。
「また会うこともあろう。」
宗助は、その背中を見送った。
詰所へ戻る。
源四郎と弥吉が待っていた。
「どうじゃった。」
源四郎が尋ねる。
宗助は少し黙ってから答えた。
「……信長様と話しました。」
二人の表情が変わる。
「何と。」
「桶狭間での働きを覚えてくださっていました。」
弥吉が目を丸くする。
「一介の足軽が、殿と話したのか。」
「はい。」
宗助は苦笑した。
「まだ信じられません。」
源四郎は静かに頷いた。
「それでよい。」
その夜。
宗助は、弥吉から渡された槍を手に取った。
今は自分の命を救ってくれた大切な武具に思える。
宗助は槍を立てかけた。
桶狭間から四日。
農民だった男が足軽となり。
初陣を生き抜いた。
武功を認められた。
そして今日。
織田信長と初めて言葉を交わした。
大きな出世ではない。
だが、確かな一歩だった。
宗助は灯りを消した。
明日もまた、足軽としての一日が始まる。
その先に何が待っているのか。
宗助はまだ知らない。
ただ、自分の歩みが少しずつ変わり始めていることだけは、感じていた。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、桶狭間での武功をきっかけに、宗助が柴田勝家、木下藤吉郎、そして織田信長と直接言葉を交わすことになりました。
宗助自身の立場は、まだ一介の足軽です。
それでも、その名を覚える者が少しずつ増えています。
第一章「桶狭間への道」は、ここで一区切りとなります。
次章から、宗助はさらに戦国の渦中へ踏み込んでいきます。




