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本能寺を変えるため、織田信長の家臣になった。 ~歴史を知る俺は、天下人を死なせない~  作者: 春野ケイ


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第二十二話 凱旋

 桶狭間の戦いから一夜が明けた。


 昨夜まで戦場だった山野は静けさを取り戻していた。


 織田軍は戦場の後始末を終え、清洲城への帰路についている。


 隊列のあちらこちらには、負傷した兵の姿があった。


 腕を吊って歩く者。


 仲間に肩を借りる者。


 そして、帰らぬ者の遺品を抱えている者もいる。


 宗助は、昨日の戦場で弥吉から渡された槍を肩に担ぎ、黙って歩いていた。


 隣には源四郎がいる。


 昨日の戦場が遠い出来事のように思える。


 だが、足元にはまだ泥が残っている。


 手にした槍にも傷がある。


 夢ではなかった。


 「疲れたか。」


 源四郎が尋ねた。


 「はい。」


 宗助は素直に答えた。


 「身体が重いです。」


 「それでよい。」


 源四郎は笑った。


 「初陣の翌日に平気な顔をしておる方が怖いわ。」


 宗助も小さく笑った。


 しばらく歩く。


 昨日まで張り詰めていた空気は、少しずつほどけ始めていた。


 前方では、弥吉が仲間と何か話している。


 突然、弥吉が振り返った。


 「宗助!」


 「はい?」


 「帰ったら飯じゃ!」


 「昨日からそればかりですね。」


 「戦より飯の方が大事じゃ。」


 「そんなものですか。」


 「そんなものじゃ。」


 弥吉が笑う。


 周囲からも小さな笑いが起こった。


 宗助も笑った。


 こうして笑える。


 それだけで、十分だった。


 やがて、尾張の城下が見えてくる。


 清洲城の姿が、遠くに浮かんでいた。


 誰かが声を上げる。


 「清洲が見えたぞ!」


 隊列の中に、安堵の空気が広がった。


 城へ近づくにつれ、人の姿も増えていく。


 留守を預かっていた者。


 兵の帰還を待っていた家族。


 無事を確かめようとする町人。


 城門の近くでは、帰ってきた兵を見つけて駆け寄る者の姿もあった。


 「父上!」


 「無事だったのね……!」


 あちこちから声が上がる。


 宗助はその光景を静かに見つめた。


 昨日まで同じ戦場にいた者たちも、家に帰れば誰かの父であり、夫であり、息子なのだ。


 そして、帰ってこられなかった者もいる。


 宗助は視線を落とした。


 やがて源四郎が声を張る。


 「源四郎組、ここで一度止まれ!」


 組の者たちが足を止める。


 「人数を改める。」


 弥吉が一人ずつ確認していく。


 やがて、その手が止まった。


 「……一人、足りませぬ。」


 源四郎は黙って頷いた。


 「そうか。」


 それ以上は言わなかった。


 誰も口を開かない。


 宗助は昨日まで隣にいた顔を思い浮かべた。


 名前を呼べば返事をしていた。


 笑えば笑い返してくれた。


 それが、もういない。


 宗助は肩に担いだ槍を握り直した。


 やがて源四郎が言った。


 「行くぞ。」


 「はい。」


 隊列は再び動き始めた。


 清洲城の門をくぐる。


 長かった初陣が、ようやく終わった。


 詰所へ戻ると、宗助たちはまず武具を外した。


 濡れた具足は重く、肩には赤く跡が残っている。


 弥吉が鎧を脱ぎながら、大きく息を吐いた。


 「生きて帰れたのう。」


 「はい。」


 宗助も頷いた。


 源四郎は外した具足を確認している。


 「その槍は、まだ使えそうか。」


 「はい。」


 宗助は槍を見た。


 「昨日、弥吉殿からいただいた槍です。」


 弥吉が笑う。


 「いただいたというほどのものではない。」


 「戦場に落ちておったのを拾っただけじゃ。」


 「それでも、助かりました。」


 宗助は頭を下げた。


 「槍を投げてしまって、丸腰でしたから。」


 「気にするな。」


 弥吉は手を振った。


 「武器がなければ戦えん。」


 「使えるものを使えばよい。」


 源四郎も頷く。


 「その槍は、しばらく使わせてもらえばよい。」


 「はい。」


 宗助は槍を壁へ立てかけた。


 しばらくして、三人は雑穀飯を囲んだ。


 宗助は一口食べる。


 「……うまい。」


 「だから言うたじゃろう。」


 弥吉が得意げに胸を張る。


 「腹が減っておれば、何でもうまい。」


 「それでも、うまいですよ。」


 宗助はもう一口食べた。


 戦場では、いつ次の飯が食えるかも分からなかった。


 今は仲間と同じ場所で飯を食べている。


 その当たり前の時間が、妙にありがたかった。


 その頃、本丸では戦勝の報告が行われていた。


 信長の前には、柴田修理亮、丹羽長秀、佐久間信盛らが並んでいる。


 戦況。


 今川義元討死の報。


 今川軍の退却。


 織田方の損害。


 次々と報告が続いていく。


 勝家が最後に口を開いた。


 「殿。」


 「此度の戦で、いくつか目立った働きをした者がおります。」


 信長が顔を上げる。


 「申せ。」


 勝家は戦功を書き付けた紙へ目を落とした。


 「源四郎組の足軽、宗助。」


 信長の目が止まった。


 「宗助。」


 「はい。」


 勝家は短く答えた。


 「敵の動きを察し、戦場で働いた者にございます。」


 信長はしばらく黙っていた。


 やがて、小さく頷く。


 「記しておけ。」


 「はっ。」


 それだけだった。


 戦は終わったばかりである。


 今は戦況を整理し、死傷者を確かめ、各隊の働きをまとめることの方が先だった。


 勝家は一礼して下がる。


 その場にいた藤吉郎も、静かに頭を下げた。


 信長は再び報告へ目を向けた。


 宗助の名は、数多くある報告の一つとして書き留められた。


 だが、その一つの名が、数日後には本人のもとへ届くことになる。


 夕刻。


 詰所では、宗助が槍を磨いていた。


 泥を落とし、穂先を確認する。


 小さな傷がいくつも残っている。


 宗助は布で槍を拭きながら、ふと手を止めた。


 昨日、自分は槍を投げた。


 そして、丸腰になったところを弥吉に助けられた。


 あの時、この槍がなければどうなっていたか分からない。


 宗助は槍を見つめた。


 「宗助。」


 弥吉が声を掛ける。


 「はい。」


 「飯の後に槍とは、真面目じゃのう。」


 「明日も使うかもしれませんから。」


 弥吉は少し黙った。


 そして笑う。


 「そうじゃな。」


 源四郎も静かに頷いた。


 「次がいつ来るかは、誰にも分からん。」


 「だからこそ、今日やれることをやっておけ。」


 「はい。」


 宗助は槍を置いた。


 清洲の夜が静かに更けていく。


 桶狭間の戦いは終わった。


 だが、織田家の戦いは終わっていない。


 そして宗助の名もまた、これから少しずつ知られていくことになる。


――あとがき――


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 今回は、桶狭間から清洲へ戻った宗助たちを描きました。


 戦から日常へ戻る中で、帰ってこられなかった仲間の存在にも触れています。


 そして本丸では、宗助の名が戦勝報告の中で信長の耳に入りました。


 まだ宗助自身は何も知りません。


 ですが、桶狭間での働きは少しずつ形になり始めています。


 次回は、いよいよ宗助自身が自分の武功について知ることになります。


 次回『第二十三話 武功』

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