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本能寺を変えるため、織田信長の家臣になった。 ~歴史を知る俺は、天下人を死なせない~  作者: 春野ケイ


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第二十話 命を懸けた一槍

 豪雨の中、宗助は泥を蹴り上げながら走っていた。


 雨は少しも勢いを弱めない。


 甲冑を打つ音と、怒号と、悲鳴が入り混じり、耳が痛くなるほどだった。


 戦場には秩序などない。


 源四郎組も、豪雨と混戦で互いの姿が見え隠れしている。


「弥吉! 左じゃ!」


「承知!」


 弥吉が槍を突き出し、一人の今川兵を押し返す。


 その隙を源四郎が斬り込み、敵は泥の中へ倒れた。


 宗助も息を整える暇なく槍を構える。


 目の前へ新たな敵兵が現れた。


 年は五十近いだろうか。


 頬には古傷が走り、使い込まれた槍を静かに構えている。


(強い……。)


 構えだけで分かった。


 村の徴集兵ではない。


 場数を踏んだ兵だ。


 男は叫びもせず、一歩だけ踏み込んできた。


 鋭い突き。


 宗助は慌てて槍を合わせる。


 ガンッ!


 腕が痺れた。


 重い。


 訓練とは比べものにならない。


 男は続けざまに二度、三度と突きを放つ。


 宗助は必死に受け流すだけで精一杯だった。


「宗助!」


 源四郎が叫ぶ。


「足を止めるな!」


 その声で我に返る。


 宗助は半歩だけ横へ動く。


 相手の槍先が空を切った。


 その一瞬だった。


 宗助は体勢を低くし、槍を男の脇腹へ滑り込ませる。


 男は小さく息を漏らし、その場へ膝をついた。


 宗助は槍を引き抜き、深く息を吐く。


 手が震えている。


 恐怖は消えない。


 だが、不思議と身体は少しずつ戦場へ慣れ始めていた。


「よくやった!」


 源四郎が短く言う。


「だが周りを見ろ!」


「はっ!」


 宗助は辺りを見回した。


 豪雨のせいで視界は悪い。


 味方も敵も入り乱れ、あちこちで小競り合いが続いている。


 戦は、一騎討ちの連続ではない。


 組ごと、村ごとに集まった兵が、それぞれ目の前の敵と戦っていた。


 その時だった。


 宗助の目が、一人の今川兵を捉えた。


 泥まみれの兵だった。


 鎧は壊れ、兜も失っている。


 怪我も深いらしく、片足を引きずっている。


 だが、その男だけ動きがおかしかった。


 他の兵は逃げるか、織田兵へ向かっていく。


 しかし男は違う。


 倒れた兵の陰へ身を隠しながら、何かを探すように前へ進んでいる。


(……何をしている?)


 宗助は眉をひそめた。


 男の目は敵兵を見ていない。


 もっと先だけを見つめている。


 宗助もその視線を追った。


 豪雨の向こう。


 黒漆塗りの具足が見える。


 信長だった。


 周囲には柴田修理亮や森可成らがいる。


 しかし混戦で少しずつ距離が開いている。


 その男は、まるでその隙を待っていたかのように、泥の中を這うように進み始めた。


 宗助の胸に、言いようのない違和感が走る。


(違う。)


(あの兵は逃げているんじゃない。)


(狙っている。)


 誰を狙っているのかは分からない。


 だが、放っておいてはいけない。


 戦場で初めて感じた、本能に近い直感だった。


「宗助!」


 弥吉が呼ぶ。


「どこへ行く!」


 宗助は振り返らない。


「すぐ戻る!」


 それだけ叫ぶと、泥を蹴って走り出した。


 理由は自分でも分からない。


 未来の知識ではない。


 歴史書にも載っていない。


 ただ、あの兵だけは見逃してはいけない。


 そんな確信にも似た勘が、宗助の足を動かしていた。


 雨はさらに激しさを増す。


 泥へ足を取られながらも、宗助は男を追い続けた。


 だが、その距離はなかなか縮まらない。


 男は倒れた兵を盾にしながら、一歩、また一歩と前へ進んでいく。


 その先には、なおも敵を討ち続ける信長の姿があった。


 宗助は泥を蹴り上げながら男を追った。


 雨は激しさを増し、視界はさらに悪くなる。


 前を行く今川兵は傷だらけだった。


 何度も足をもつれさせ、そのたびに地へ手をついて立ち上がる。


 それでも決して逃げようとはしない。


 ただ、一点だけを見据えている。


 宗助はその視線の先を見た。


 黒漆塗りの具足。


 織田信長だった。


(やっぱり……。)


 今度ははっきりと分かった。


 あの男は、生き延びるためではない。


 最後の命を使ってでも、信長だけを討とうとしている。


 宗助はさらに速度を上げた。


 しかし戦場は思うように進めない。


 倒れた兵。


 折れた槍。


 逃げ惑う馬。


 行く手を遮る敵味方。


 一歩進むたびに足を取られる。


「どけぇ!」


 宗助は立ちはだかった今川兵を石突で突き飛ばし、なおも走る。


 その時だった。


 信長の前へ、新たな敵兵が二人飛び出す。


 信長は一歩も退かず、太刀を振るった。


 一人を斬る。


 返す刃でもう一人を薙ぎ払う。


 その剣筋に、一瞬だけ宗助は目を奪われた。


(強い……。)


 だから気付くのが、一瞬遅れた。


 泥に伏せていたあの兵が、信長の背後十歩ほどの場所まで迫っていた。


 倒れた味方の陰から静かに立ち上がる。


 折れかけた槍を両手で握り直す。


 信長は気付いていない。


 目の前の敵へ意識が向いている。


 柴田修理亮も別の敵と斬り結び、森可成も援護へ回っていた。


 誰も背後を見る余裕がない。


 宗助は叫んだ。


「殿!」


 豪雨に声が飲まれる。


 届かない。


 今川兵は地を蹴った。


 最後の力を振り絞るように槍を突き出す。


(間に合わない!)


 宗助は咄嗟に槍を握り直した。


 突く距離ではない。


 ならば。


 考えるより先に身体が動いていた。


 宗助は渾身の力で槍を投げ放つ。


 槍は豪雨を切り裂き、一直線に飛ぶ。


 ドッ!


 穂先は今川兵の肩口へ深く突き刺さった。


 男の身体が大きくよろめく。


 突き出された槍先も、わずかに軌道を変えた。


 その刹那。


 信長が気配を察したように振り返る。


 一閃。


 白刃が雨の中で閃いた。


 今川兵は声も上げられぬまま、その場へ崩れ落ちる。


 宗助は勢い余って泥へ倒れ込んだ。


 肩を強く打ち、息が詰まる。


「ぐっ……!」


 立ち上がろうとした瞬間、別の敵兵が斬りかかってくる。


 丸腰だった。


 槍は投げてしまった。


 宗助は覚悟を決める。


 しかし、その敵兵は途中で吹き飛んだ。


 「宗助!」


 弥吉だった。


 続けて源四郎も駆け寄る。


 「無事か!」


 「は……はい。」


 源四郎は宗助を立たせながら周囲を見渡す。


 「槍を失うとは阿呆め。」


 そう言いながら、自分の足元に落ちていた槍を宗助へ放った。


 「まだ終わっとらん!」


 「戦え!」


 「はい!」


 宗助は槍を受け取る。


 その時だった。


 少し離れた場所で、柴田修理亮が宗助を見ていた。


 鋭い眼差しは、一瞬だけ宗助へ向けられる。


 その隣には、伝令として前線近くまで来ていた木下藤吉郎の姿もあった。


 藤吉郎が静かに口を開く。


 「今の足軽……。」


 勝家は短く頷く。


 「ああ。」


 「偶然であろうと、殿の命を救った。」


 藤吉郎は泥だらけの宗助を見つめ、小さく笑った。


 「面白い男じゃ。」


 だが宗助は、その視線にも気付かない。


 信長を救ったという実感すらなかった。


 ただ目の前の敵へ向かって走る。


 生き延びるため。


 仲間とともに勝つため。


 その一心で、再び槍を構えた。


 そして戦場の奥から、大きな鬨の声が響く。


 「今川義元、討ち取ったり!」


 その一声が、桶狭間の戦局を大きく変えることになる。


――あとがき――


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 今回は、宗助が初めて歴史へ大きく関わる瞬間を描きました。ただし、未来を知っていたからではなく、戦場で培われ始めた観察力と直感によって行動した結果として描いています。


 史実には残らない一兵卒の行動が、歴史の裏側で織田信長の命を救っていたかもしれない。そんな「歴史の余白」を、この作品では大切にしていきます。


 次回は桶狭間の戦いの終結、そして宗助の働きがどのように評価されるのかを描いていきます。


 この作品を楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想、レビューで応援していただけると、とても励みになります。

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