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本能寺を変えるため、織田信長の家臣になった。 ~歴史を知る俺は、天下人を死なせない~  作者: 春野ケイ


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第十四話 信長の見える場所

 翌朝、まだ空が白み始めた頃。


 詰所へ響く木槌の音で、宗助は目を覚ました。


 兵たちはすでに支度を始めている。


 鎧の紐を締める音。


 槍を磨く音。


 静かな緊張が詰所を包んでいた。


「全員、庭へ集まれ。」


 源四郎の声が響く。


 宗助たちは急いで外へ並んだ。


 朝露を含んだ風が肌を撫でる。


 空を見上げれば、雲一つない青空が広がっていた。


「修理亮様より命が下った。」


 源四郎は兵たちを見渡す。


「本丸近くの普請を急ぐ。」


 ざわめきが起こる。


 本丸近く。


 そこは織田家でも限られた者しか立ち入れない場所だった。


「選ばれた者だけが向かう。」


 源四郎は名簿へ目を落とす。


「弥吉。」


「はっ。」


「喜兵衛。」


「はっ。」


 宗助は静かに息を整える。


「……宗助。」


「はっ!」


「お主も参れ。」


 一瞬だけ胸が熱くなった。


 源四郎は何も言わない。


 だが、その選抜には昨日の働きが関係していることは宗助にも分かった。


 やがて選ばれた足軽たちは本丸近くへ向かう。


 城の奥へ進むほど、空気が変わっていく。


 歩く武士たちの身なりも立派になり、道を行き交う者たちの表情にも張り詰めたものがあった。


「ここから先は口を慎め。」


 案内役の武士が低く告げる。


「余計なことは見るな。」


「聞くな。」


「話すな。」


 一同が静かに頭を下げる。


 宗助は思わず周囲を見回したくなる気持ちを抑えた。


 ここには信長がいる。


 歴史を動かす男が、この先にいる。


 だが今の自分は、一介の足軽に過ぎない。


 務めを果たすことだけを考えねばならない。


 やがて普請場へ到着する。


 石垣の一角では大工たちが木材を切り出し、職人たちが足場を組んでいた。


 兵は木材を運び、縄を引き、職人の手伝いをする。


 戦の準備とは、武器を持つことだけではない。


 城を守ることもまた、大切な戦支度だった。


「そこの足軽。」


 年配の奉行が宗助を呼ぶ。


「はっ。」


「この木材を西の櫓まで運べ。」


「承知しました。」


 宗助は太い梁へ肩を入れる。


 四人がかりで持ち上げるほどの重さだ。


「せーの!」


 掛け声とともに梁が持ち上がる。


 肩へずしりと重みが食い込む。


 汗が額を伝う。


 それでも足は止めない。


 櫓の下まで運び終えると、奉行は小さく頷いた。


「悪くない。」


 その一言だけだった。


 だが宗助には十分だった。


 少しずつでも信頼を積み重ねる。


 それが未来を変える唯一の道なのだから。


 昼が近づいた頃だった。


 城の奥から、何人もの武士が慌ただしく駆けてくる。


 一斉に道が空けられた。


「控えよ!」


 鋭い声が響く。


 職人も兵も、その場で作業を止めて頭を下げる。


 宗助も慌てて膝をついた。


 静寂が辺りを包む。


 ゆっくりと複数の足音が近付いてくる。


 宗助は顔を上げない。


 上げてはならない。


 だが視界の端に、黒漆塗りの具足の裾が映った。


 凛とした空気だけが、その人物の存在を周囲へ伝えている。


(まさか……。)


 胸の鼓動が早まる。


 その時、聞き覚えのない、それでいて不思議なほどよく通る声が耳へ届いた。


「普請は順調か。」


 低く、落ち着いた声。


 威圧するでもなく、驕るでもない。


 自然と人を従わせる響きだった。


 宗助は息を呑む。


 この声の主が誰なのか。


 考えるまでもなかった。


 宗助は息を止めたまま頭を下げ続けた。


 視線を上げることは許されない。


 それが城中での礼儀だった。


 周囲も水を打ったように静まり返っている。


「はい。」


 奉行が深く頭を下げる。


「予定より早く進んでおります。」


「そうか。」


 先ほどと同じ、落ち着いた声が返る。


「戦が近い。」


「兵も職人も無理をさせ過ぎるな。」


「はっ。」


「急ぐことも大事じゃ。」


「されど、人を失えば城は守れぬ。」


 宗助は思わず耳を疑った。


(人を失えば城は守れぬ……。)


 命令は普請を急げではない。


 まず人を大事にしろ。


 それが最初の言葉だった。


 宗助が知る後世の信長像とは違う。


 冷酷。


 魔王。


 そんな言葉では表せない何かが、その短いやり取りだけでも伝わってきた。


 やがて足音が遠ざかっていく。


「頭を上げよ。」


 奉行の声で、ようやく皆が顔を上げた。


 宗助は人影の消えた廊下を見つめる。


 姿はほとんど見えなかった。


 それでも確信していた。


(今の方が……。)


(織田信長。)


 歴史を変えようと決めた相手は、ほんの数歩先を歩いていた。


 その余韻に浸る間もなく、奉行が手を打つ。


「作業を続けよ!」


 普請場に再び活気が戻る。


 宗助たちも木材を担ぎ、足場へ運び始めた。


 その時だった。


「危ない!」


 職人の叫び声が響く。


 宗助が振り返ると、足場へ載せていた丸太が縄から外れ、大きく傾いていた。


 下には若い職人がいる。


 気付いていない。


(間に合え!)


 宗助は考えるより先に走っていた。


 職人の肩を掴み、力いっぱい突き飛ばす。


 次の瞬間。


 ドンッ!


 丸太が地面へ激しく落下した。


 土煙が舞い上がる。


 もし一瞬遅れていたら、職人は直撃を受けていただろう。


「大丈夫か!」


 奉行が駆け寄る。


 職人は青ざめながら何度も頷いた。


「す……すみません。」


「怪我は。」


「ありません……。」


 宗助も大きく息を吐いた。


 腕には丸太がかすめた跡が残り、じんと熱を帯びている。


「宗助!」


 源四郎が駆け寄ってきた。


「無茶をしおって。」


「申し訳ありません。」


「いや……。」


 源四郎は宗助の腕を見て、小さく頷く。


「見事な判断じゃ。」


 その時だった。


 少し離れた場所から、一人の武士が静かにこちらを見つめていた。


 立派な具足に身を包み、供を従えている。


 宗助は気付かない。


 武士は隣の家臣へ小さく尋ねた。


「今、職人を救った足軽は。」


「源四郎組の宗助にございます。」


「……宗助か。」


 武士は短く呟く。


 柴田修理亮であった。


 その名を胸の内へ刻むように一度だけ頷くと、何事もなかったように歩き去っていく。


 宗助は何も知らない。


 だが今日という一日は、確かに一人の重臣の記憶へ残った。


 そして宗助自身もまた、信長の言葉を胸へ刻んでいた。


(人を失えば城は守れぬ。)


 それは戦だけではない。


 国も、家も、人も。


 すべては人がいてこそ成り立つ。


 宗助は槍を握る手へ静かに力を込めた。


 この人なら。


 この人になら、命を預けられる。


 そう初めて心から思えた。


――あとがき――


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 今回は宗助が初めて信長の声を聞き、その人柄の一端に触れる回となりました。姿を大きく見せるのではなく、「言葉」で人物像を伝えることで、後の本格的な対面へ期待が高まるよう意識しています。


 また、宗助の咄嗟の判断が柴田修理亮の目に留まり、物語も一歩前へ進みました。小さな積み重ねが、やがて大きな運命につながっていきます。


 楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想、レビューで応援していただけると大変励みになります。


 これからも史実への敬意を忘れず、戦国時代を生きる人々の息遣いを大切に描いてまいります。

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