第十二話 初めての城勤め
清洲城へ詰めて三日目。
宗助は夜明けとともに起きると、板張りの詰所で静かに槍を手に取った。
城内には、すでに人の動く気配が満ちている。
炊事場からは薪の燃える匂いが漂い、馬屋では馬のいななきが聞こえてきた。
遠くでは鍛冶場の槌音が絶え間なく響く。
城そのものが、一つの生き物のように目を覚ましていた。
「宗助。」
源四郎が詰所へ姿を見せる。
「はっ。」
「今日は城内の務めを覚えてもらう。」
宗助は少し意外だった。
「鍛錬ではないのですか。」
「鍛錬も大事じゃ。」
源四郎は静かに頷く。
「じゃが、城を守る兵は戦だけ知っておれば務まるものではない。」
宗助は背筋を伸ばした。
「参れ。」
二人は城内を歩く。
広い庭では弓組が稽古をしている。
兵糧蔵では米俵が次々と運び込まれ、馬屋では馬丁が馬の蹄を丁寧に確かめていた。
「これらすべてが戦支度じゃ。」
源四郎が言う。
「一人でも役目を怠れば、多くの兵が困る。」
「はい。」
宗助は一つひとつの光景を目に焼き付ける。
やがて二人は兵糧蔵へ着いた。
蔵番が帳面を広げ、荷の数を確認している。
「源四郎殿。」
「ご苦労。」
源四郎は宗助を前へ出した。
「今日はこちらへ手伝いに参った。」
蔵番は宗助をじっと見た。
「新入りか。」
「はい。」
「ならば、まず数を覚えよ。」
蔵の中には米俵が隙間なく積まれていた。
味噌樽。
塩俵。
干し飯。
矢束。
戦とは、槍だけで行うものではない。
宗助は改めて思い知る。
「宗助。」
源四郎が一俵を指差す。
「これを運んでみよ。」
「承知しました。」
宗助は肩へ担ぐ。
ずしり、と重みがのしかかった。
汗が額を流れる。
村で運んだ兵糧より重く感じた。
それでも歯を食いしばり、指定された場所まで運び切る。
蔵番は黙って頷いた。
「悪くない。」
認めてもらった宗助は嬉しかった。
武功はまだない。
だが、一つひとつの務めを果たしていけば、必ず誰かが見ていてくれる。
そう信じられる言葉だった。
その時、蔵の外が急に騒がしくなった。
何人もの足音が石畳を駆けていく。
蔵番が外へ目を向ける。
「何事だ。」
一人の兵が息を切らして駆け込んできた。
「修理亮様より申し伝えます!」
蔵の空気が一変する。
兵は大きく息を吸い込み、声を張り上げた。
「すべての組頭は、直ちに評定の支度をせよとのこと!」
源四郎の表情が引き締まる。
宗助も自然と拳を握った。
戦の気配が、また一歩近づいていた。
源四郎は兵へ歩み寄り、静かに頷いた。
「承知した。」
兵は一礼すると、すぐに次の組へ伝令を伝えるため駆け去っていく。
蔵の中には再び静けさが戻った。
しかし、その空気は先ほどまでとは違っていた。
誰もが戦を意識している。
「宗助。」
源四郎が声を掛けた。
「俵運びは終いじゃ。」
「これより詰所へ戻る。」
「はっ。」
二人が詰所へ戻ると、すでに各組の組頭が集まり始めていた。
宗助たち足軽は建物の外で待機する。
中の話は聞こえない。
ただ、時折低い声が漏れ、重苦しい空気だけが伝わってきた。
弥吉が小声で話しかける。
「いよいよじゃな。」
「ああ。」
「評定が開かれるほどとなれば、大事じゃ。」
宗助は黙って頷く。
未来を知っている。
だからこそ、この評定が桶狭間へ向かう流れの一つであることを理解していた。
だが、その知識を口にすることはできない。
今の自分は一介の足軽。
余計なことを言えば、不審に思われるだけだ。
しばらくすると、評定を終えた組頭たちが次々と姿を現した。
その表情は皆、険しい。
源四郎も宗助たちの前へ戻る。
「皆、よく聞け。」
一同が姿勢を正す。
「これより鍛錬をさらに厳しくする。」
「武具の点検は毎日行う。」
「城内での持ち場も増える。」
「戦は近いと思え。」
短い言葉だった。
しかし、それだけで十分だった。
足軽たちの表情から笑みが消える。
誰もが覚悟を決め始めていた。
その日の夕刻。
宗助は城の堀端へ一人立っていた。
水面へ映る夕日を眺めながら、大きく息を吐く。
この静かな景色も、戦が始まれば変わってしまう。
血が流れ、多くの命が失われる。
それでも信長は前へ進む。
天下を変えるために。
「宗助。」
振り返ると、弥吉が握り飯を二つ持って立っていた。
「飯じゃ。」
「ありがとう。」
二人は堀端へ腰を下ろす。
黙って握り飯を頬張る。
米の甘みが口いっぱいに広がる。
「生きて帰ろうな。」
弥吉がぽつりと呟く。
宗助は静かに頷いた。
「ああ。」
「皆で帰ろう。」
それが今の願いだった。
武功も名誉も大切だ。
だが、それ以上に。
目の前の仲間たちを失いたくない。
その思いが、宗助の胸に少しずつ芽生え始めていた。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は合戦そのものではなく、その直前の緊張感と、城内に漂う空気を描きました。歴史は大きな出来事だけでなく、その前に積み重ねられた準備や人々の覚悟によって動いていきます。
次回からはいよいよ城内での役目がさらに重要になり、宗助も戦へ向けた本格的な日々を送ることになります。少しずつ歴史の大きな転換点へ近づいていきますので、楽しみにしていただければ嬉しいです。
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これからも史実への敬意を忘れず、戦国の息遣いを感じられる物語をお届けしてまいります。




