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犯罪捜査協力:情報共有②


 まわりにまわって、犯罪者を捕まえる事になった。研究所の壁を壊したばっかりに、晩酌の日は遠のくばかりだ。解せぬ。

 調査に関しては力不足なので、正確な居場所と人数などはテトと所長がする。調査結果が出たあとで、犯罪者の捕縛と被害者保護の部隊に編成されるらしい。

「レイさん、あなたの番です」

 車の窓に流れる雲を数えて現実逃避をしていたら、膝をつつかれた。テトが両手で厚手の黒紙を扇にしている。扇の左端の一枚を引くと、三つ葉が四つ描かれていた。手元の扇の中にある四つ剣が描かれた紙を合わせて、所長の膝の隣にある箱に収める。私の手札は四枚になった。

 用意された宿に入れるのは正午なのに、待ち合わせが朝なので、膨大な量の情報交換をするのだと思っていた。なのに、話し合いは一時間も経たずに終わり、所長がトランプの箱を取り出してカードを配りはじめる。配られるカードの意味を理解できずにいると、テトは「いいの?」と前のめりでカードを手にしていた。

 テトは、目が良すぎる。物の落下点や天気、人の行動予測に寿命、考えていることから過去の記憶まで、一目見るだけで予想がついてしまうとか。幼少期に所長と協力して魔術に昇華したらしいが、賭博にスロット、対人ゲームに、じゃんけんにコイントスまで名誉出禁にされている。参加出来たとしても、嘘やイカサマを見抜く審判や進行役しかしたことがないとのこと。

 そんなテトも魔法魔術に異能も無効をしてしまう私が居れば、対人ゲームを遊べるようになる。今後の行動予測のためにも、私という変則な存在を観測しておきたいと頼まれて、快く了承した。

 コートを脱げばゲームがはじまり、すでに八回目のババ抜きである。所長に手札の扇を見せつけると、白い布の奥から歯ぎしりが聞こえた。所長の右の人差し指は、扇の上を右往左往して止まる気配がない。

「眼鏡も外してくれないかなー!」

 視線を読むとか、眼球に反射したカードの柄を見るとか、いやらしいことをする筆頭が何を言いだすのか。眼鏡の中で目を細めると、テトがクスクスと笑った。

「ゼロに声をかけるなんて賭けをしたかいがあった。こんなに面白いものなのか」

「僕は面白くない!」

 ババ抜きでも読み合いは発生するし、カードシャッフルからカウントする負けず嫌いが身近にふたりも居るので、真面目に遊ぶことが染みついている。手抜きはしないと落ちてきた眼鏡を戻せば、所長の指は不満げにカードを引いた。渡ったのは道化のカードだ。

「くぁ!」

「はは、今度はゼロが負けそうだ」

「ぎぎ……!」

 テトが所長を指さして笑った。ここまでの七回すべて、私が一抜けをしている。ほかのゲームを提案しても、テトは「面白いから、もっとやろう」と手札を配っていた。多分、所長が勝てずに悔しがる様が、面白いのだと思う。魔素が関わらないところで、ふたりは駆け引きをしているのかもしれない。

 手札の扇をたたんで膝の上に置くと、車が速度を落とす。外の歩道を見れば、建国記念日を祝う旗が揺れる歩道を行く人々の奥に、有名なお菓子屋さんの看板とのぼりを見つけた。所長は停車と同時に、手札を箱に押し込んだ。

「お菓子買ってくる!」

 そして車を降りてお菓子屋さんの中へ走っていった。所長が逃げた。カードゲームはむしろ得意な印象しかないのに。八回目は無効試合かな。

 お菓子屋さんの入り口は、人が出ても次々と人が入っていく。ここの焼き菓子詰合せは、友人の間で取り合いが起きるほど人気だ。私も買いに行けばよかったな。お菓子屋さんの扉から視線を戻すと、テトの口元が微笑んでいた。

「楽しい時間をありがとうございます」

「お楽しみいただけているなら、幸いです」

 頭を下げたテトにお辞儀を返す。真面目に遊ぶだけで喜んでもらえるなら良かった。ふと見えていない眼帯の奥と視線が合った気がした。

「こういった経験は今までなかったので、本当にうれしいです」

 人にできることが、自分には出来ないこともある。自身に置き換えてみれば、喜びも一入だと感じた。「良かったです」と笑い返せば、何故かテトの微笑みに影がおちた。

「あなたにお声掛けをすることは、引け目が」

「ただいまー!!バックドア、あけてー!!」

 テトの言葉が、車の窓を叩く所長にかき消された。ずいぶんと早い帰りだ。羽織の腕には紙袋が四つぶら下がり、包装された箱が五つあった。テトが黒い板を指で叩き、後ろに荷物を詰めた所長が乗り込めば、車は再び動き出した。言葉の続きは、訊き返せなかった。


 ババ抜きの勝利数が十五回を超えた頃、ファルノーの南側にあるホテルに着いた。石造りと赤レンガ造りの建物に挟まれた、白壁の門の奥に木造の四階建てがある。大きな柱の門の木の看板は、木目が痩せて文字が浮き上がって見えた。

 東方地区に住んでいない人からすれば、足元のレンガの歩道と往来の人々の服装とかけ離れた、異文化をそのまま持ち込んだように見えるだろう。見慣れているせいか実家に戻ってきたように感じる。荷下ろしを手伝ってくれたテトがそっと呟いた。

「キリステリア系列に泊まるなんて、あの人が幻霧郷の主なのだと実感しますよね」

 目の前の木造建築と両隣の建物に加えて、立っている歩道の通りは、貴族街と呼ばれている。貴族の所有する商会が経営しているホテルや店が並び、貴族と縁の深い探索者や要人などが利用する治安のよい地域だ。特にキリステリアは、王国の建国時に活躍した十三英傑のカミラ・キリステリアの子孫が経営している、各地の要人や王族御用達の商会だ。

 言ってしまえば、御貴族様しか使えないホテルに入ろうとしている。貴族街に初めて来たし、貢献が認められた探索者でもない。国立図書館に魔法を寄贈された魔導師の貴族位もない。人づてに耳にした超がつく有名ホテルに、白一色の普段着で入ることは許されるのだろうか。服装規定とか、所持品の格が足りずに、受付で「お引き取りください」と断られるかもしれない。

 所長、こんな所に泊まるというなら、事前に教えてほしかった。手持ちの一張羅でも出入り拒否される可能性が高いにしても、心の準備ぐらいはさせてほしい。渋い顔のまま門を見上げていたら、さっさと入っていった所長が戻ってきた。

「荷物おろせたー?ふたりとも、きてー」

 手招きされて隣の棒タイの人とテトを交互に見れば、テトが頭をかいた。

「行きましょうか」

 門をくぐったテトの後をついていき、荷物を抱えてホテルのロビーに踏み込んだ。無地の濃紺の絨毯が隙間なくはられた床と温かみのある薄い黄色の壁、大木のこぶを見せつけてくる柱と、かすかな畳の香りに自然の強さを思い出す。慣れた東方の建築でも窓は大きく、天井から白の和紙の丸いランプシェードがつり下がっていた。天井の組木の模様が所長の執務室とそっくりだ。館内を歩くお客さんに従業員さんは、全員が靴を履いている。階段は広くて、使い込まれているのか手すりは美しい飴色だった。

 歴史の深さを直に感じていると従業員さんに荷物を取り上げられ、所長に背をおされるままロビーの受付に立たされた。受付の女性を前に背筋を伸ばして、フードを外してから腕を脇腹にぴったりと付けた。

「この子が、僕の連れ。隣の黒い子は、僕のお客さん。この後はラウンジにお邪魔させてもらうから、荷物は部屋に持って行ってほしい」

「承知いたしました。お食事はどちらでお召し上がりになりますか」

「夜は部屋で、二人分で頼むよ。朝食は中庭でいただこうかな」

「かしこまりました」

 受付の女性が紙の台帳に書き込みをしていく。書き込みが止まると、女性は私の方を見た。

「お名前を頂戴してもよろしいですか」

「はい、レイ・グランドと申します」

 小さくお辞儀をすれば、女性の筆を握る指に力がこもったように見えた。顔をあげると、女性は微笑みで私を向かえる。

「レイ・グランド様、当館にお越しいただき、誠にありがとうございます。快適なひと時を、お楽しみください」

 声色も変わりないけれど、変な風に思われただろうか。やっぱり服とかだめかな。女性の鉄壁の微笑に「宜しくお願いします」と怯えながら応えれば、所長が肩を掴んでくる。

「じゃあ、行こうか」

 受付のそばにある通路の奥に向かう。埃も足跡もない絨毯に途中に箱庭があって、岩肌にしげる苔がきらめいていた。所長の家みたいに整い過ぎている。周りを見回しながら歩くと、所長に頬をつつかれた。

「きょろきょろしないの。堂々としてー」

「出来ませんよ……」

 小市民が易々と立ち入れる場所ではないし、堂々と歩ける方がおかしい。廊下の真ん中を歩く所長に続くと、廊下のつきあたりにソファとローテーブルが揃ったラウンジに着く。入り口に立つ黒服に導かれ、外の景色がよく見える窓際に通された。

 様々な建築の壁で囲まれた芝生と林の先に、開けた水色の空があった。周囲一画はホテルの敷地で、中庭から様々な建築様式の別館に行けるようになっている。館のそれぞれで他地区の生活様式に食事を味わえ、朝には中庭に出されるパラソルの下で朝食を食べられるらしい。右手の白壁が南方建築の装飾を隠しているが、それぞれの建物は大きく、奥の中庭の林を歩く人が米粒ほどに小さく見えた。

 所長が軽食を頼んでひと息つくと、多くのお客さんが談笑するなかに、席を立つ人影を見つけた。人影と目が合いかけて、中庭に視線を戻した。向かいの二人掛けのソファに座るテトが首を傾ける。

「どうかしましたか」

「……親族らしき人を見つけまして」

 腰まである赤髪を黒のリボンでまとめ、詰め襟に剣をはいた男がラウンジの出入り口に向かった。男の後ろには赤茶の巻き髪に焦茶のドレスを着た女性と、焦茶の髪で目元を隠したジャケットの男性が話を続けている。人違いを願ったが、双子の弟、年の離れた姉と兄だ。テトは口に指を添えて言った。

「挨拶されてきては?」

 兄弟に姉もそろって、中央のホテルに旅行に来ているとは思わなかった。出来るだけ関わらない様にしたい。「遠慮します」と言えば、所長はひじ掛けに頬杖をついた。

「今日ぐらいは、顔を出した方が良いと思うけどー?」

 建国記念日だから、特に会うべき。そういわれても、首を否と振る。視界の端に立つ弟はこちらを見ている気がした。

「迷惑を掛けたくないですから。それよりも、この後は何をしましょうか」

 視線は合わなかった。そう信じて、会話を楽しむことに集中した。夕方まで話し込み、行動予測は明日までに仕上げると、はにかむテトに手を振った。


 建国記念日の翌日の朝。青空に浮かぶ太陽に照らされて朝霧の波が見える中庭は、お祭りの後だからか、もともと静かなはずの朝が誰も居ないように思えた。

「昨日、どうして、来てくれなかったの?」

 開いたパラソルの森を抜けて、中庭の真ん中で朝日を浴びていたら、後ろから声をかけられた。無視して伸びをすると、癖のある赤髪の男が朝日を遮った。逆光でもわかる、双子の弟のアレンだ。

 グランド家は西方地区の貴族の家系だ。建国の際に尽力した英雄の直系で、代々聖なる炎を扱う。私は養子に出されているが、血統の流出を認めないとして名前だけはグランドの苗字が残されている。結婚から出産に墓地の場所まで、国から文句をつけられる堅苦しい家。アレンは英雄の生き写しのような姿と強力な魔術で、再来の英雄と呼ばれている。双子だが、容姿はまったく似ていない。

 現当主の姉に、植物学者の兄、双子の弟のアレンとは比較的良好な関係を築けていると思っている。けれど、幼少期にあった出来事で手紙のやり取りすら、どうにも気後れしていた。弱さを見せたくないと意地をはって、腕を組んでアレンに背を向けた。

「仕事中だった。あと、堂々と会いに来るな。死にたいのか?」

 アレンと会っていることを見られるのはまずい。せめてパラソルの下に隠れたい。逃げるようにパラソルの森に向かうと、アレンは遅れることなく付いてきた。

「家族に会って、何が問題なの。それに、ここで暗殺とか起きたら、ソフィの家に喧嘩を売る事になる。ありえないよ」

「周りに大勢いた場所で、姉上と兄上に宿泊中ずっと毒に気つけてと言えるわけがない」

「姉上や兄上は気にしないし、僕が守るよ」

 お前はそういうとしても、嫌なものは嫌だ。傘の下に潜り込んで、上がった息を整える。アレンは寄り添うように傍に居る。パラソルの陰のガラステーブルに手をついて目線を合わせないようにすれば、アレンはこちらを覗き込んできた。

「もう、僕たちは大人だ。教会に睨まれても、あの人に怒られようとも」

「私はまだ怖い……!」

 触れようとしてきたアレンの右手が、宙で止まった。はたと口を手でふさぐ。大声を出してしまった。驚かせたことを謝ろうと向きなおれば、アレンは眉を下げていた。泣きそうにも、悔しそうにも見える目に、向き合いきれずにうつむいてしまった。

「ごめん、驚かせた」

「……ううん。僕の方こそ、ごめん」

 なんでお前が謝る。何を言うべきか距離感を計り損ねていると、アレンは腰のポケットから厚さの違う封筒を二枚出した。封筒にはホテルのロゴマークが印刷されている。硬い文字と流麗な文字の宛名は、どちらも私の名前だった。

「姉上と兄上からだよ。預かってきた」

 差し出された封筒を受け取れず見つめる。身体は自分でもわかるほど震えて、両手はコートの袖を握って固まっていた。

「大丈夫。確かめたから、何もない」

「……信じるからな」

 握った拳を無理やり開いて封筒を手にすると、何も起こらない。良かった、大丈夫そうだ。厚い封筒を開くと、流れるような文字がつらつらと五枚分ある。内容は北方地区の農産物の魔素含有量についての研究の報告と幾つかの質問だった。もう片方には小さなカードが一枚。息を呑んで開くと、几帳面さがみえる文字で、銀行の私書箱と題がついた十桁の番号の下に「画でも送りなさい」と書かれていた。

「らしいというか、なんというか」

 腕の震えがすこし収まった。あのふたりは、気の遣い方が上手すぎる。良かった、本当に、何もなかった。手紙とカードを封筒に戻せば、ロゴマークがこぼれた涙で濡れた。

「やり取りは、僕が仲介するから。返信してね」

 封筒を返そうとすると、片手で突き返された。どうしてもやり取りをしてほしいようだ。諦めて肩掛け鞄に封筒をしまうと、アレンの眉は和やかになる。涙をぬぐうと、アレンは腕を後ろで組んで微笑んだ。

「最近はどう?灯光教会の噂とか、変な話はある?」

「体調不良はないし、賢者連中の話はきていない。……お前は変わらず南の防衛なのか?」

 アレンは探索者資格の第一級。地方戦争が起これば、ひとりで戦況をひっくり返せる超人のひとりだ。天蓋島で最も南にある岬で、海を越えた先にある――魔素の過多により変異異常を起こした動植物が生息している――閉塞の地を繋ぐ海底トンネルの防衛を、探索者のアレンに王国が直接依頼していたはず。防衛の要と言えば聞こえはいいが、強すぎる故の左遷でもある。

 未承認薬の話をするわけにもいかない。かわりに、大丈夫なのかと訊き返せば、アレンは嬉しそうに目を細めた。

「大丈夫。僕以外にも優秀な仲間がいるからね」

「ソフィアさまは元気か?」

「ソフィも元気だよ。兄さんに会いたいって五月蠅いくらいだ。そうだ、今度、ふたりで兄さんの家に行ってもいい?」

「駄目だ。家は絶対に上げないぞ」

 和やかだった空気をばっさり叩き切った。じろりと弟を見れば、肩をすくめる。

「こっそり行っても駄目?」

「お忍びの方が全面戦争になるって」

 一級の探索者は、地区境界を越える移動に申請が必要で、お忍びでなくとも警戒対象だ。というか、無申請で中央地区にきていないだろうな?不貞腐れる弟に眉を寄せると、アレンはそっぽを向いた。

「家族に会いたいだけなのに」

「周りは納得しない」

「そうだねー、灯光の証風情が、東方の賢者に話しかけないでほしいねー」

 アレンと一緒に芝生の方を見る。太陽を背にした所長が右手に提灯を持って立っていた。灰色の羽織を留める白い石が不自然に揺れている。まずい、苛立っている。思わず身構えると、アレンは腰を落として右手を腰の左側に構え、所長と私の間に立った。所長はわざとらしくため息をつく。

「冗談はよせよ、人ひとり守れないくせに」

「殺気を飛ばしてきた相手に構えるのは当然では?」

「ちょ、まって、やめてください!」

 アレンは剣の柄を握り、所長は左手を構えた。止めようとするが、ふたりの火花は大きくなっていく。

「王家とグランド家の先々代当主の暴挙は忘れていないぞ」

「侵略者のあなたには言われたくありません」

 東方と西方の確執を引き合いに出してどうする!それぞれの額がふれそうなほど詰め寄ったふたりの間に、腕を割り込ませた。

「所長、挨拶が遅れました。おはようございます。どうしてこちらに?」

 意識がこちらに向けば落ち着くだろうか。内心冷や汗をかきながらにっこりと顔を作れば、白の布がこちらを向いて、構えていた左手が緩んだ。

「あはー、林の散策だよー。レイはー?」

 わざとらしく「冗談だよ」と笑っている。所長の本心は何処にあるのか知らないが、ふられた問いに答えた。

「弟から、家族の手紙をいただきまして」

 肩掛け鞄の蓋をなでると、両肩を掴まれ所長の額が眼鏡に激突した。足元には提灯が転がって、中の明かりが消えた。

「なにもなかったよな?!」

 動揺している所長には申し訳ないが、鼻と頭が痛い。「問題ありません」と目眩の中で笑いかけるが、白い布はアレンの方を向く。アレンは剣の柄から手を放し、両手をあげて目を伏せた。

「家族へ手紙を出すことも許されないのですか」

 所長の左手が動きかけたので、羽織の袖を引き留める。首を振れば、所長は身を引いた。

「……建国記念日に免じて、許してやる」

 ここで過去の戦争の再来は免れた。ほっと息を吐くと、アレンも一歩下がった。

「じゃあ、僕は部屋に戻るよ。今度はご飯を一緒に食べようね」

 笑うアレンに「機会があれば」と答えると、赤い髪をゆらして帰っていった。ホテルの中に弟の背中が消えると、詰め寄られた。

「変な事をされてないだろうね」

 圧が強くて怖い。二通の封筒を渡して見せれば、所長は長く息を吐いて腕を組んだ。

「ひとりで誰かと会わないでおくれ。お互い狙われている身だからね」

 本気で心配してくれているのが解るからこそ、私は深く頷いた。


 周囲を気にしながら所長と共に芝生と林を散策して、朝食の時間がきた。高級なほど美味しいとは限らないけれど、手と心を尽くした料理をいただけるのは楽しみである。

 仕立ての良い服の人々に囲まれながら、中庭の指定されたパラソルの下で待っていると、給仕の人が食事を乗せたカートを押してやってきた。手前に置かれたのは、漆塗りの箱。中を仕切り、色とりどりの食材を使ったおかずが少しずつ盛られている。加えて水滴を被った漆塗りの蓋付きの椀、漬物の小皿と煮豆の小鉢が、箱のそばに置かれた。最後に給仕の人が、白くつやつやのご飯を薄い磁器の茶碗に盛った。

 受け取ったご飯の香りをきけば、甘い香りが胸いっぱいに広がる。玄米ご飯に漬物だけでも嬉しいのに、白ご飯におかずが沢山あるなんて。食べる前からご飯のおかわりを頼みたいくらいだ。一口目は、きゅうりのしば漬けと沢庵のどちらにしようか。小皿をお吸い物とご飯の椀の間に置いくと、隣に座る所長の笑い声が聞こえた。

「漬物大好きだったね。僕の皿もあげようかー?」

「良いのですか!では、煮豆と交換しませんか」

 小鉢と小皿を交換した。素材と料理人へ感謝の挨拶をして、心を躍らせながら箸を取った。そこに聞き取りにくい呪文が隣から聞こえてくる。所長はご馳走を前に両手で三角を作っていた。

 所長が侵略をした事実は消えない。東方地区では自由に振る舞えても、他の地区に一歩入るだけで、暗殺に襲撃が日常茶飯事になる。耐性はある筈だが、危険物が入っていないか事前に調べているのだろう。

 料理を前に警戒をするのは、やはり寂しい。毒で死なないし、キリステリアのホテルで暗殺なんてありえない。心の内で待ちきれない言い訳をして、貰った漬物の小皿のしば漬けを噛んだ。想像通りの味に、自然と顔がほころぶ。

 ぱり、ぽり、と心地よい音と、赤シソの香りと酸味が美味しい。しばらく噛みしめて、名残惜しくも呑みこむと、詠唱を終えた所長が微笑んでこちらを見た。大丈夫だったみたいだ。

「ん?!」

 しかし、胸の奥から何かがせり上がってきて、思わず左手で口を押えた。それが喉に引っ掛かり咳き込めば、白のコートに黒い液体が染みを作る。所長の驚いた声と共に、悲鳴が聞こえた。

 三度咳き込むと液体は白米を汚して、今度は呼吸が苦しくなる。椅子から転げ落ちながら床に手を着くと、黒い液体と一緒にしば漬けを吐き戻した。まずい、赤光の泡だ。触るだけでも死ぬ。そばで名前を呼ぶ所長の手を払いのけた。

 喉が焼けて声が出ない。さすがに苦しい、水をとらないと、触らせないようにしなきゃ。苦しさの中で考えを巡らせたが、危険を前に身体は動きを止めて、意識を手放した。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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