暗殺道具の調査依頼②
天蓋島には、大図書館が三つある。王都にある王都大図書館と中央地区にある魔法術大図書館、そして北方地区の国立天蓋大図書館である。前者ふたつよりも歴史が古く、所蔵数、面積共に最大であり、知識の都と言えば北方地区最大の都市のことを指す。
その国立天蓋大図書館は、駅直結である。そして魔素光盲の人も利用できるように設計された看板が幾つもある。改札を抜けていけば、多くの足音と微かなざわめきだけが響き、古本の香りが漂う。高い天井を見上げれば、円形のガラスから光が降り注いでいた。
円形の壁に添うように受付のカウンターが並び、出てきた改札の正面と左右に車が三台並んで通れそうな廊下が続いている。白い壁や天井に装飾はないが、足元には色とりどりの線が方々に伸びて模様を描いていた。線を無視して受付に行くと眼鏡をかけた男性が微笑みかけてくれた。
「本をお探しですか?」
「いえ、特殊保管書庫の入室許可をください」
「かしこまりました。資格証明書をこちらに提示してください」
手で示された小さな箱型の機械に、探索者資格の免許証をのせる。すると予想通り接続失敗の音が響いて、男性は免許証を手にした。
「証明書の番号で確認いたします」
手慣れた様子で番号を打ち込む男性に会釈する。数秒待てば、男性は免許証を返してくれた。
「提示、ありがとうございます。許可が下りましたので、録音を開始し、注意事項の読み上げをします」
特殊保管書庫というのは、禁書保管庫の正式名称である。危険物が多い場所なので、これから読み上げられる事を違反したとき、言い逃れ出来ないようにするため音声の録音が義務づけられている。了承すれば、男性は黒い板を見ながら説明を始めた。
「レイ・グランド様の特殊保管書庫の入室可能範囲は、三階から地下五階までとなります。閲覧許可証の対象はご本人様のみ。入庫可能時間は、本日の閉館時刻一時間前まで。三階から地下三階までの図書内容は、書庫内専用筆記具を利用して自記する事で、持ち出しが可能です。魔法具や筆記具、記録を行える物品の持ち込みは厳禁、お荷物は保管庫前の守衛窓口に預けてください。質問はございますか?」
一言ずつ確かめる言葉に頷く。こちらを見た男性に、コートを摘まんで質問した。
「魔素形態に影響を及ぼす異能持ちなので、魔素制限を行う……このコートと手袋を着けて入りたいのですが、魔法具判定されますか?」
「確認いたしますので、お待ちください」
文字が書かれたボタンが並ぶ板を指で叩く男性を待っていると、ふと視線がこちらに向いて、和やかだった表情が硬くなっていた。
「確認いたしました。全館での着用を要請いたします。出来るだけ着脱しないようにお願いします」
「わかりました。確認ありがとうございます」
お辞儀をすると、男性は目をじっと合わせてきた。
「記録を確認したところ、魔素光盲であるとのことですが……白眼鏡は紛失されたのですか?」
「先日、レンズが粉々に砕けまして。新品が届いていなくて、手元にありません」
「同伴者さまは、ご一緒ですか?」
「えっと、以前利用した時に、同伴者は不要だったはずですが……変わったのですか?」
学生時代に来た時は、ひとりで散歩を満喫した。規則の変更があったのかと首をかしげると、男性は首を振って丸眼鏡と白い板を渡してきた。
「魔素光盲の方には、白線の上を歩いていただく規則です。その際に、眼鏡をかけていないと注意をされますので、当館の備品をお使いください。眼鏡と入庫許可証は、紛失されても問題ありません。ですが、意図的に壊すことはなさいませんようお願い致します」
なんと至れり尽くせりなのだろうか。「ありがとうございます」と小声で感謝を告げると、男性は微笑んだ。
「御帰宅の際には、こちらに返却をお願いします。それでは、お気をつけて向かってください。録音を止めます」
「丁寧な対応、ありがとうございます」
眼鏡をかけて深々とお辞儀をする。頭をあげると、男性は小さく手を振ってくれた。手を振り返しながら、足元の幾重にも重なった色とりどりの線の中から白線を見つけ出し、その線に沿って改札正面の廊下に進んだ。
天蓋島で発行された数多の書物を保管する図書館は、街の半分を占める敷地にある大小異なる建物九つを、渡り廊下と階段で繋ぎ、入り組んだ迷路のような構造になっている。魔法魔術の文献や貴族に関わる文書は少ないものの、蔵書数は十億を超えるとされている。その中でも、焚書対象になりかねない文書を保管している場所が、特別保管書庫である。
「みなさん、線に添って進みますよー」
教諭と書かれた腕章をつけた人に、二列に並んだ子供たちが囁くように返事をした。子供たちとすれ違うと、その間を動く本棚がふたつ通り過ぎて、突き当りを右に曲がっていった。突き当りの壁にある標識を確かめて、左に曲がった。
渡り廊下の下には、色の濃い葉が目立つ花壇を整える人が居て、山になった雑草の中には茶色が目立ち始めていた。
見失いかけた白い線を探し出し、線と標識を頼りに廊下を進んで、特別保管書庫という看板を見つけた。看板の下には窓口があり、人が集まっていた。
「姉上がここにいるとはね」
「お前こそ、何故ここに居るのです」
遠目で見ても仕立てが良いと分かる黒の服を着こんだ集団が、扉の前を占領していて白線を遮っている。水色の制服を着た窓口の人は指を組んで眉を下げているが、黒服の中心にいる声の主たちは気にも留めずに話し続けていた。
「お前はこの場所に入れる権利がないでしょう」
「もちろんありませんが……不審な動きをする姉上が気になりましてね」
会話から察するに、閲覧資格のない人と資格持ちの人が問答しているらしい。ため息交じりに、黒服の集団に突っ込み窓口の人に話しかける。
「失礼します、入庫許可をいただけますか」
「……え、あ……はい」
「おい、横入りとは何事だ」
許可証を渡された窓口の人は看板の下にある機械に向かう。受付の人に続こうとすると、肩をぐっと引かれた。
濡れた黒羽根のような艶やかな髪に、青紫の瞳。彫が深い目鼻立ちは、三日も楽しく毒物経験談をかわした王女と似ている。しかし、黒のスーツには細い金糸の縦縞が入っていて、まつ毛の長い眼と口の端に嫌な雰囲気を感じる男だった。
男の肩越しに、先ほど別れたばかりの王女が黙って目を伏せていた。どうやら外遊に出ていると噂の第二王子のようである。
「姉上が先に来ていたというのに、順番を守れないとはいかがなものかね」
男は片方の眉と口角をあげて、見下ろしてきた。ここまで雰囲気が嫌味な人が居るものなのか。そっと男の背後にいる黒服や王女の表情を伺うと、冷ややかな眼を男に向けている。この視線に気づかない強靭な精神力を見習いたいものだ。婉曲な質問に、はっきりと答えた。
「問答をしていらしたので、順番を譲っていただけるかと」
「は!王族の先を平民が行くなど、あり得ぬ」
笑い飛ばす声が廊下に響いた。兄さんは場を収める為にわざとらしいが、この人はすべてが仰々しい。面倒に突っ込んだと後悔していると、男はこちらの顔を覗き込んできた。
「そう言えば、駅で姉上の列車から出てきた者と似ているな……何者だ、名乗れ」
男の後ろにいる王女が、身体の前で合わせている両手を握り込む。貴族に逆らうのは難しい。フードを付けたままお辞儀をした。
「レイ・グランドと申します」
「グランド家の者だと?見覚えはないが」
「本家より出家いたしましたが、血筋を明確にするために残っている名でございます」
「やはり、平民という事か」
鼻で笑われた。人々の税金で生かされている人の相応しい振る舞いが、人を鼻で笑うことなのだろうか?頭の中と胸の内で、コイツは嫌いな人だと理解して、大きく息を吸って波立った気持ちを宥めた。男は左目をすこし細めて言った。
「姉上の列車に居た理由は?」
後ろの王女を伺うと、かすかなにため息をつきながら頷いた。ありのまま三日間の仕事を伝えることにしよう。
「幻霧郷領主ゼロ様より、東方地区から天蓋大図書館までの三日間の旅程において、第一王女の毒見役を務めました」
「やはり、姉上は霧の魔王と友諠を結ぼうというのですね」
私の答えに対して、男は服を翻して王女の方へ向かう。王女の鼻が触れそうなほど男は近付き、怒りのこもった低い声で言った。
「王家の色なしが。母上を殺そうとした東に唆される者が王座など、許されるわけがない」
男は王座を狙っているというより、王女が王になる事を阻止しようとしているのか。顎を撫でながら、列車で聞いた話を思い出す。
王女から聞いた王妃毒殺未遂事件の犯人は見つかっていない。使われた毒は明言しなかったが、強度を予想すると禁忌魔法劇物類ではない。毒物を検出できる魔法具を王妃が使っていなかったか、使用後に毒を盛られた事になる。王女は側妃の子なので容疑者に上がったらしいが。
一般市民が口出しする内容ではないし、どこかの家族の問題に口出しするつもりもない。許可証の返してくれた窓口の人に会釈をして、目を伏せたまま言い返さない王女に姿勢を正して声をかける。
「第一王女殿下、お先にどうぞお進みください」
許可証の確認が取れているなら、いつでも入れる。先を譲ろうとすると、男がふり返り、指をさして見下ろしてきた。
「話を聞いていなかったのか?この女を禁書溢れる場所に、監視なしで入れることなど認められぬ」
横入りするなと言ったのに、譲っても文句を言われるのは理解できない。「そうなのですか」と平坦にした声で見上げると、男は口角の片側をあげた。
「そうだ、その許可証を渡せ。私が監視で入ってやる」
そして恥ずかしげもなく、左手を差し出してきた。疑いもしない力強く開いた指先を数秒見た後に、驚愕をそのまま言葉にした。
「嫌です。許可証はご自身のものを御使いください」
規則では譲渡も禁止だし、貴方に物をあげたいとも思わない。窓口の人を見れば、小刻みに駄目だと首を振っている。視線を戻せば、手のひらをもう一度突き出して不快そうに眉を吊り上げた。
「渡せと言っている」
「特別保管書庫の入庫権利の譲渡は厳禁です。出来ません」
「渡せ」
小声に落としているのに、圧が強い顔面が迫ってきた。眉間にしわを作ると、「もういい」と言って手にある許可証を奪い取られた。取り返そうと手を伸ばせば、男は身体を翻して扉に向かっていった。
まずい、私が譲渡した扱いになって、入室許可が取り下げられるかもしれない!内心で慌てている傍で、窓口の人は両手をさ迷わせながら男の背中を追った。
「お待ちください、第二王子殿下……!」
「姉上の監視をするのだ。これがあればいいのだろう?」
「おやめなさい」
王女がようやく口を開いたが、男は扉の取手に付いている箱に許可証を挿し込んだ。認証の音が鳴り、重い扉がゆっくりと開いていく。あぁ、やってしまった。図書管理局に怒られる。
じりじりと焦らすように開いていく扉をよそに、男は黒服たちに「来い」と手招きをした。男は資格がないと言っていたけれど、能力を認められれば特例で入れる場合もある。権利確認と自身の過失はないと証明するべく、資格保有者の義務を果たそう。黒服には近づかず、胸に両手を重ねて王女に頭を下げた。
「第一王女殿下、無礼を承知で進言いたします。特別保管書庫に権利を持たない方が踏み込むのはまだしも、どこの階に行くかによっては、裁判なしで死刑宣告されます。お引止めいただきたく」
「は?」
声をあげたのは王女でもなく、黒服でもなく、狭い隙間しか開いていない扉に手をかけた男だった。王女はため息を噛み殺しながら言った。
「再三、止めたというのに……きかないのだから、構わないのだろう」
「そ、そんな話は聞いていないぞ!」
叫ぶ男をよそに、窓口の人は大きく首を振って否定した。「録音していますよね」と王女が訊ねると、窓口の人は「もちろんです」と消え入りそうな声で言った。水色の制服の胸元ポケットにある黒いバッジに、小さなレンズが付いている。言い逃れは出来ない。この男は、都合が悪いことは聞いたふりをしておく人のようだ。
大図書館の規則違反が無かったとしても、高度警戒文書の管理責任能力もなさそうだ。特技資格六級以上の権利に不適格。次の質問をしてみよう。
「あと、こちらには精神干渉してくる禁書があります。自衛技能を、こちらの皆さま全員が習得されているのですか?」
「脅して入れないつもりだろうが、無駄だ。王族には自己防衛魔術の魔法具が」
王女に向けて下げていた頭をあげて、窓口の人に向き直った。
「特別保管書庫に魔法具の持ち込みの宣言を確認いたしました。警備員の装飾品確認を要請いたします」
魔法具依存では特技資格四級以上の権利なし、特別保管書庫の入庫権利がない人と断定できた。資格に相応しい技能がないのならば、お帰り頂こう。
窓口の人に「通報してください」と言うと、「へ?!」と困り顔で男と私のことを交互に見てくる。権力に屈するか、司法に準ずるか。悩む窓口の人に笑いかける。
「まあ、第一王女殿下を心配されての行動ですし、入れて差し上げても宜しいかもしれませんね」
「だ……だめ、です!」
動揺しつつも、窓口の人は胸元のポケットを摘まんで、「特別保管書庫に、許可証のない人物が入ろうと、しています……至急応援を」と言った。内心で勝利の拳を突き上げた。
これで死人は出ないし、私が連れ込んだと言われる事もない。やったぜ、と安堵していると突然胸倉をつかまれ、鋭い青紫の眼がこちらを睨んできた。
「黙って聞いていれば……!」
怒り心頭の顔の奥に、動く何かが地面を這うよう扉に入っていった。指をさして叫ぶ。
「今、誰かが入りましたよ!」
「そんな!」
窓口の人が悲鳴のような声をあげた。扉は人ひとりが通れるほどに開いている。どさくさに紛れて誰かが入ってしまった。
そこに中から叫び声がして、開いた扉の奥の暗がりから人が廊下を転がって、色とりどりの床に赤いしみを作った。右手首に骨の断面が見える。特別保管書庫の防衛装置に引っ掛かったのだろう。
私の許可証で開いたところで無許可進入、資格停止ものだよ!せっかく制止した記録を作ったのに!お前のせいだぞと、嫌がらせのように囁いた。
「……こうなってまで入りたいですか?」
眼鏡の奥で睨みつければ、男が胸倉を放してくれた。その横顔は青ざめているが、悔しそうに唇を噛んで王女の方を見ていた。
「色なしが……煩わせやがって……」
そこに廊下の奥から金属が擦れる足音が幾つも迫ってくる。人だかりができた廊下の奥に金属の脛当てと胸当てをした男女が走ってきた。
「特別保管庫侵入を確認!捕縛します!」
大きな宣言の後、保管庫の前に居た全員が大図書館警備員のお縄にかかり、事情聴取を受ける事になった。
事情聴取は、一時間で終わった。許可証を奪い取られても警告を行ったので、お咎めなしになったのである。細かい問答の内容は興味がないので、早々に窓口に荷物を預けて特別保管書庫の中へ入った。
「皆さん、お久しぶりです」
壁を見回して挨拶したが、返事は返ってこなかった。円形の床には黒の絨毯が敷かれていて、導く白線はなくなっている。視線をあげれば、吹き抜けの遠い天井から日がさしこんで、金網の通路と壁にある本棚のガラスを照らしていた。
地上六階から地下五階に及び、魔法魔術および危険指定の図書が陳列され、危険度と種別ごとに分類されている。閲覧権限は特技資格や業種、利用権限を与えられた貴族など、個人の能力に合わせて開示される。
国家と図書館に悪用しないと信用されて続けていると同時に、禁書からの精神的影響や魔法魔術に干渉されない技能を持ち合わせていないと、取得できない情報たちだ。
目的地は、金網の地上階ではなく、地下四階だ。階段を探していると、黒の絨毯から夏の空のような青色のフードが現れた。階段を登るごとに姿を現し、腰の曲がった青のローブはこちらに気付いたのか、体を震わせてフードを目深にかぶり直した。
先客がいたか。会釈すると、青ローブの人は早歩きで扉の方に向かった。急ぎの用事だろうか。気にせず階段を降りていった。
地下四階の扉を開くと、広い円形の部屋の壁一面に本が収められていた。埃とかすかに焦げた臭いがする。ふう、と息を吐くと、右手の棚から本が一冊、絨毯に落ちた。近寄って手に取ると、精神干渉系の呪法の術式が表紙に描かれていた。
「すみませんが、効かないので……落ちないでくれますか?」
本に告げると、そこかしこから本が床に落ちた。床に禁書本の円が出来上がり、眉間をもんだ。
「だから、止めてください。禁忌魔法劇物の書籍を利用した人の履歴が知りたいだけですから」
苛立ち半分で呟けば、一冊の本が飛んできて、目の前で白紙の頁を開く。そこには、〈片付けたら教えてやる〉と書かれていた。全ての本棚からあざ笑うようにカタカタと音が響いた。
地下の四階と五階には、意思があるようにふるまう本が幾つかある。その本に感化されて、ほとんどの本が勝手に移動し、閲覧者に嫌がらせしてくるのだ。どんなに分類分けしようとも勝手に入れ替わり、酷い時は精神干渉して禁術を使わせようと操ってくる事もあるらしい。
初めて来た学生のときに本の嫌がらせが過ぎて、地下五階の禁書を素手で触って、一冊の内容の一部が消し飛ぶということがあった。以来、地下五階の本たちは沈黙して閲覧させてくれるが、地下四階の本たちは嫌がらせを止めるつもりがないらしい。
ため息をつきながら本を数冊拾い上げていくと、ドサリ、と大きな音がした。振り返ると、ある棚の一段すべての本が黒い絨毯の上に出ていた。宙に浮く本に、〈溜息吐くたびに、増やしてやる〉と文字が増えていた。抱えていた本を床に置いて、宙に浮く本を左手で掴んだ。
本はパタパタと開いては閉じて逃げようとする。右手の手袋を口で外して床に落とす。そして不快感を全面に出して凄んでみた。
「嫌がらせを止めないなら、このフード取って、手袋なしで触るぞ」
すると床に落ちた本が、音をたてて本棚に戻っていく。最後の本が本棚に戻ったところで、掴んでいた本を解放する。逃げるように飛び去る本を横目に、手袋を着け直した。
「意図的に隠すとか隠れるとかしたら……素手で触るから、覚悟もってやれよ?」
棚に並ぶ本をぐるりと見まわす。何の音もたてず、図書館らしい静けさが広がった。よろしい。改めて本棚に近付いて背表紙を指さし確認しながら眺めていった。
ほとんどの背表紙に題はない。けれど魔法術式の模様があって、年代を判別できる。ふと、この場には珍しい模様を見つけて手に取った。
「君、新入りだね」
近年人気の周囲の干渉を阻害する魔法術式が背表紙に入っていた。厚手の革張り表紙を見ると、うねる髪の女性の横顔が描かれている。奥付を見てみると、出版社の名前はない。加えて問答無用で最終頁に現れる利用者履歴に、私の名前だけが浮かんだ。
紙の色は色褪せておらず、インクの香りが頁をめくるごとに香る。内容は、人の感情を操作する、いわゆる魅了系の魔法だった。読んだ人が使いたくなるように仕向ける術式が、文章を取り囲む枠に描かれている。悪質な本であることは確かだ。
「……なんか、私の名前だけあるの、嫌だな」
使用結果が想像できるぶん、気味が悪い。本を閉じると、新入りの本は勝手にふらふらと飛んで本棚に入っていた。不意に別の本に小突かれた。何事かと思えば、幾つかの本が執拗に角で襲ってきた。「なんだよ」と本を掴むと、〈酷いことを言うな、意地悪!〉と頁に書きなぐったような文字が浮かんだ。
「いや、意地悪じゃなくて、感想だから。……まあ、口に出すのは失礼だったな。ごめんね」
戻っていった本に頭を下げると、周囲を飛んでいた本は戻っていった。
読まれるために作られた物が本だ。読んでもらえないのは、本にとって悲しい事なのかもしれない。作品には魂が宿ると言うし、作り上げた作家の努力に敬意を払った扱いをしよう。本棚を丹念に眺めて、気になる物を引っ張り出しては仕舞うのを繰り返していった。
地下四階の出入り口の正面を通り過ぎたころ、本棚の上部に目的の年代――百年前の封印術式の模様を見つけた。梯子を持ってきてその本を手に取ると、術式が破損していて表紙の一部が焼き切れていた。学生の頃に見たままの表紙を開くと、細かい文字が渦を巻くように書かれている。
倫理感を狂わせる精神干渉と劇物に対しての興味を増幅させる術式だ。もうひとつ頁をめくると、この年代には珍しく目次があった。最初の小題は五光の裁き、赤光の泡と続く。これだ。
「さて、どこの誰が使ったのか」
梯子を下りて床に座り込む。最後の頁をめくると、ずらりと人の名前が浮かび上がった。名前順に並ぶのは見慣れない人物の名前がほとんどだが、下の方には私の名前もあった。手袋をした指で人の名前をなぞっていくと、ある人物の名前で手が止まる。ウォーレン・マルグリット・シンジャールとある。
「すまない、この人の閲覧日時と閲覧し続けた時間を教えてくれるかな」
頼むと他の人物の名前が消え去り、本を開いた日と時間が表示された。出てきた最新の時間は、今日の日付。見ていた時間は、約三十分。本を閉じたのは、窓口で荷物を渡した時に見た時計と同じ時刻だった。
「さっきの青ローブが、灯光の賢者……?」
何故ここにいるのか。どうして、この本を読んだのか。良くない想像が浮かび、頭を振ってふり払う。推測が正しい事は、所長が調べればいい事だ。頼まれた仕事は、閲覧履歴を覚えて帰るだけ。そう言い聞かせて動揺を吐き出した。
「ありがとう。次は、二十年以内に利用した人物の名前を挙げてくれるかな?」
感謝を告げて頼むと、数人の名前と一緒に文章が浮かんだ。
〈二十年以内に利用した人は、君とシンジャール、ハイロゥの子孫しか居ない〉
歯で唇を噛む。「本当?」と聞いても、〈私たちは貴方に、嘘は伝えないと約束した〉と返された。
「そうだったね……じゃあ、今あがっている五人の全員の履歴を覚えて帰るよ」
ひとりずつ履歴を目に焼き付けていく。覚えるのはとても簡単だった。私とシンジャール以外、利用履歴が十八年以上前だった。湧き上がる苛立ちを呑み込んで、本を閉じて元の場所に戻した。嫌な予感がして、他の禁書も開き、愕然とした。
五光、八海、月下の風など、魔法で特定できない劇物をシンジャールは何度も閲覧していた。本を閉じて溜息を吐く。
「ここにいる皆さん、質問なのだが」
本棚を見回してみると、幾つかの本が本棚から出ようと抜け出てきた。こちらを見ているようなそぶりで、微笑ましく思えた。
「ウォーレン・マルグリット・シンジャールが読んだ本を見せてくれるかな」
ここぞとばかりに、本が積み上がった。感謝を告げつつ、絨毯に胡坐をかいて、本の内容をさらっていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話は制作中です。




