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送光式:火葬準備


 義父と同室にしてもらった客室で眠りについた翌朝。部屋に運ばれてきた朝食を食べ終えたところに、警官さんから封筒が届いた。

 論文の冊子が入っているかのような大きさと厚さだ。宛名は、私の名前になっていた。部屋のソファーに座って封を切ると、小さな封筒と紐で括られた紙の束が入っていた。紙束の表紙には題が無い。封筒の中身を開くと、便箋が一枚入っていた。レイ・グランド殿、とはじまった手紙は、すこし小さく丸みのある文字で書かれていた。

 術式提出により、ボルグ・フレムドールの灯光の証を取得する禁術の施術容疑で逮捕することが出来た。放火したことによる遺体損壊容疑は調査中ではあるものの、同人が葬儀や送光式にて発覚を防ぐため、証拠隠滅を図ったと供述している。同封した文書は提出された禁術の解明協力を行った証明書である。多大なる捜査協力に感謝申し上げる。

「レイの祖父がそんなことをね」

「わっ……?!いつのまに?!」

 背後から声がして、びっくりしたまま振り返ると、義父が眉を下げて立っていた。手したお盆には、水が入ったコップと小さな紙の包みがある。ソファーの前にまわって、紙束を除けて目の前に置く時に、刺激的な香りが鼻をかすめた。セロが作ってくれた薬だ。

「苦しくないのに、飲まないと駄目ですか?」

 謎の石は姉に貸した時にコートから回収して、寝るときもそばに置いていた。息苦しさもないので不要だと思っていたのに。石鹸の香りがする白コートの肩を叩いて、義父は隣に座ってきた。

「石を手放す時が来るときに倒れられても困る。頼らぬように、しまっておいたぞ」

「うそ?!」

 コートのポケットを引っ張り出すと、何もなくなっていた。謂れは面倒ごとの結晶だが、魔素の吸引状態とか、研究に使えると思っていたのに!何処にあるのと義父を見れば、着物の懐から白いふくさを取り出した。

 ふくさには白と黒で斑模様の紐で縛られていて、結び目の下には魔素の出入りを封じる魔法の札が挟み込まれていた。紐の模様には、魔法を強化する効果があるはず。触れば無効にできるが、伸ばしかけた指を見逃さず、義父は懐にしまい込んでしまった。

「渡すとしたら、魔素生産量の調整する手段を確立してから。その薬を自作できるというなら返しても良いけれど、できるかい?」

 絶対に渡さないという意思を感じて、項垂れながら薬が入った紙の包みを切った。辛さで咳き込みながら、何故この薬は効くのかと首をひねった。


 薬をのんだ後、夜に行われる送光式のための準備に呼び出された。涼しい風が吹き抜ける聖堂前の通りを挟んだ芝生の広場に義父と一緒に向かうと、芝生の上に黒い布を広げた上に棺桶が運び出されていた。白い花が一輪置かれた棺桶から、聖堂の中で見た灯光の証と同じゆらめきがかすかに立ち上っていた。

 棺桶の傍に腕まくりをした弟が、スコップを片手に「おはよう」と手を振ってこちらを見た。そばにいって挨拶を返すと、弟は満面の笑みになった。

「眼帯、やめたの?」

「送光式の準備をしなくてもいいなら、つけるよ」

「手伝ってください、お願いします!」

 手を合わせてお願いされてしまったので、肩をすくめる。すると、義父が足元を覗き込んできた。

「この紐は目印かな?」

 つま先の傍には、生成りの綿糸らしきものが張っていて、糸の先を探すと黒いペグがあった。芝生の中に隠れたペグと糸は、六角形を描いていた。義父の言葉に頷いて答える。

「送光式の打ち上げ花火の準備です。導火線で芝生が燃えないように剥がしておくのですよ」

「あと火葬用の穴はここに掘りますよ」

 弟が少し離れた六角形の中心に走って両手を振った。義父は興味深そうに顎に手を当てて頷いた。

「そうか、灯光教の聖堂の傍には必ず広場があるけれど、火葬をする為だったのか」

「東方だと火葬場がありますから、馴染みがないかもしれません」

 天蓋島では、遺体を火葬することが法令で義務になっている。異界門の階層では土葬や鳥葬なんていうところもあるけれど、島にはお墓を作る場所がないためである。

 故人の魂に花火へ移動してもらって、天蓋の上の世界に行ってもらい、到着したというお知らせとして花火が開く。花火を見届けた後、遺体に残る魔素を浄化し火葬する。これが灯光教の葬儀の締め括り、送光式である。ただ、難点をひとつあげるとすれば。

「私は手伝わなくても良いのかい?」

 義父は昨日と同じ黒の着物に、黒の羽織を羽織って、草履の略式礼装だ。対して私は、白のコートの下には着古した普段着のシャツと黒のズボン、靴紐のよれた靴である。しゃがんで靴紐の結び目を直しながら、義父に苦笑いを向けた。

「火葬準備の穴掘りは、故人の血縁者と喪主の家族だけと決まっているのですよ」

 打ち上げ花火は灯光教会に頼めば、年二回にまとめて打ち上げてくれる。しかし、火葬用に地面を掘る作業は、家族がしないといけない。深さは棺桶の長辺以上、なおかつ魔素の干渉を防ぐために、魔法の使用は禁止だ。

 姉が送光式には出て欲しいと手紙に書いたのは、穴掘りの人出が欲しいから。「そうなのか」と瞬きをする義父に、笑いかけて立ち上がった。

「なので、義父さんはゼギオンと一緒にゆっくりしていてください」

「ふむ……そういう事なら、故人の周りで賑やかにしておこうかな」

 義父がゼギオンに話しかけると、「きゃー」と叫びながら子供の声がやってきた。振り返ると目元を隠した兄は苦笑していて、動きやすい服の子供三人が小さなスコップ片手に走り抜けていった。向かった先のアレンが出迎えると、はしゃぐ声が広場に響いた。

「おはよう、レイ。子供たちが挨拶しなくて、ごめんね」

「おはようございます。気にしないでください。姉さんの様子はどうでしたか?」

「すこし魔素の生産が不安定だけれど、食事もとれていて、昼には動けるようになるよ。妻が様子を見てくれている」

 姉の状態に安堵すると、兄は弟たちが居る方向に声をはった。

「ほらー!これからお仕事するから、集まって!」

 手を振って四人が「はーい!」と元気良く返事をした。手を繋いで戻ってくる姿は、眩しいほどにほほえましい。目を細めていると、兄がため息をついた。

「レイとも、あんな風に遊びたかったな」

 ふと兄を見れば、口元は笑っているのに、わずかに見える目元には涙が滲んでいた。そして目元を手で押さえた後に、ため込んでいた息を吐きだした。視線を弟たちの方に向けて、そっと言った。

「今からでも、やればいいですよ」

 家族らしいことなんて、しなくてもいいと思う。けれど、兄がしたいというのなら。視線を兄に戻せば、前髪の奥で目を見開いていてから瞬きをした。見つめて来るだけで何も言わないので、肩をすくめて視線を外した。

「火葬中にでも、カードゲームを一戦、いかがですか?」

「……一戦だけじゃ、駄目だ。足りない」

 そんなにカードゲームをしたいの?首をかしげると、兄は歯を見せて笑った。

「北の家に遊びに来ておくれ。来たら、ゲームも散策も研究話も……一緒にやろう」

 久しぶりに見た兄の笑顔に驚いた後、難しいかもしれないと生真面目な思考が頭の中に現れた。けれど、口にはせずに頷いて言った。

「行く時は、手紙を出します」

「手紙は毎日届いたって良いのだけどね」

 口を尖らせて言う兄は、弟とどこか似ていて苦笑した。なにを怖がっていたのだろうと思うほど、穏やかで賑やかな声が芝生に広がっていた。


 けれど、待ち構えているのは重労働だ。子供たちと兄は芝生を剥がして、弟と私は火葬用の穴を掘る事になった。六角形の中央に目印を引いた正方形の地面を掘り進めていく。会話の暇もなく、せっせと階段を作りながら、土を削り出して広く深く掘っていく。

 地面が腰よりも上に来て、汗を拭いながらスコップで土を削って階段を整えていく。自分の身長よりも深く掘り進めるなんて大変すぎる。大きく息を吐けば、隣で掘り進める弟がスコップの刃を土に差し込んで首を傾げた。

「喉が乾いてきたし、そろそろ休憩する?」

 察しの良い弟はそう言いながらも、スコップの刃で正方形に跡を付けてすくい取った。そして綺麗な箱型の土を軽々と穴の外へ放り投げていく。その様に、もう一度息を吐いて地面に挿したスコップの柄に頬杖をつく。

「お前がひとりでやればいいのでは」

 火葬準備では魔法が使えなくとも、身体強化の魔術は利用できる。日々戦い続けている弟の体力と足腰に魔術が合わされば、こんな重労働もすぐに終わるはずだ。魔術利用を阻害する私が居ない方が早く進むだろうと言えば、弟は「そんなことない」と手は止めずに言い切った。

「僕の強化魔法は人前で使えないから、範囲制限してくれる兄さんが居ないと、こんなに早く出来ないよ」

「お前の強化魔術って、自己完結型じゃないの?」

「違うよ。厳密には聖剣の能力補正だから、外部干渉型。援助効果がないと、ちょっと強いだけのお兄さんだよ」

 灯光の証を持って生まれた弟は、英雄ダグラス・グランドが扱ったと言われている聖剣の主でもある。姉が倒れた時に帯剣をしていなかったのに構えたのは、聖剣を呼び出すためだ。

 聖剣には意思が宿っていて、選ばれし者に知恵と技を指南すると英雄譚には書かれていた。強化魔術を所有者に付与していたという事らしい。へえ、と興味深く頷くと、弟は土を放り投げて膝を伸ばした。

「範囲魔術を無効にする人が居れば、ルール違反にならないからね」

 最後に片側の口元をあげた。積極的に儀式の規則に違反することはいかがなものか。芝生を剥がしている兄の子供たちを見て、ふと思う。

「分家の人たちが参加しないのは、どうしてだ?」

 火葬のための地面を掘るのは、血縁者である分家の人でも出来る。しかし、日が高くなってきたというのに、芝生にいる人影は増えていない。首をひねって考えていると、弟は眉尻を吊り上げて言った。

「あの人たちは、灯光の証を制御出来ていない。姉上や兄上も神経すり減らして応対する事になるし、兄さんなんて魔素もすり減らして……三人とも顔色悪いのに気づきもしない人たちだよ?僕が断っておきました!」

「そっか……」

「あと、兄さんは灯光の証が怖いでしょ?」

 弟は穴の底を両足で蹴って飛び出た。助走なしで出来るなんて、すごいな。呆気に取られていると、弟は遠くに居る子供たちに手を振った。歓声が上がると、弟は肩をすくめた。

「一緒に居たくないなら、居なくていいと思うしね」

 そう言う表情は、陰に隠れて見えにくかった。

 家は怖いけれど、眼帯と身近な存在のおかげで不安も少ない。ご飯を食べて、寝て、起きて。何かにおびえて苦しまなかったことは、普通のはずの奇跡みたいな一夜だ。でも、弟の口ぶりを否定した。

「怖いけど、お前とは一緒に居てもいい」

 真っ直ぐに見上げて言えば、弟の眼がこちらを向いた。そして口角が上がって口を開こうとしたので、急いで土の階段を駆け上って、親族が花火を見る為の椅子やテーブルが並び始めた棺桶の方に向かった。早足で進むが、弟はすぐに追いついて顔を覗き込んでくる。

「ねえ!さっきの言葉、ほんと?もう一回、言って!?」

「五月蠅い、もう言わない」

「なんでー?!言ってよー!」

「言わないからな!!」

 耳まで熱くなった頭を逸らしていると、弟はにやついた顔で着いてくる。草と湿った土のにおいを漂わせて、言い合いながら歩くなんて。出来なかったことをひとつ、取り戻した気がした。


 休憩を挟みつつ穴を掘って、太陽が真上に来た頃。穴の深さは身長を越えるほどになり、綺麗に階段も出来ていた。「おわったー!」と弟とふたりで両手をあげると、子供たちが弟の脚に突撃してきた。

「アレンおじさまー!」

「くっきー、たべましょうー?」

「昼食はハムのサンドウィッチですわ!粒のマスタードが入っているそうです!」

 土で汚れたズボンを構うことなく掴んで引っ張っているのに、弟の上半身は揺らがない。「美味しそうだね」と笑いかけた後、弟は私に視線を素早く向けた。

「姉上も来たようですし、兄さん、一緒に食べますよ!」

「え、うん」

 返事をした瞬間、子供たちの喜色いっぱいの顔が曇った。微笑むと、子供たちはそっぽを向き弟の手を引いて棺桶の傍に開いたパラソルへ走っていった。

 子供に訳もなく嫌われるのは、少し寂しい。戸惑う弟の背中を見送ると、いっそう胸が苦しくなった。

 パラソルの下には兄夫婦と子供たちと、弟と肩掛けに包まる姉とソフィアが穏やかに笑っている。ポットの水を注ぐゼギオンと頬杖をつく義父もその場に収まって、一家団欒の風景がそこにあった。

 あの時もあそこで皆がお茶会をしていた。手を伸ばしかけて止まった。数度、瞬きをして足元を見た。

 足を前に動かそうとしたら、後ろに引いていた。どうして。息が早くなって、一層焦る。さっきまでは、あの場所に行けた。

「なんで」

 薬も飲まないといけないのに。しなければ、行かなければと思うほど、身体は動かない。そして気付いた。

 皆とそろって何かをするのは、まだ怖いのか。もう一歩後ろに下がると、息を吸えた。仕方ないと、パラソルに背を向けて、芝生の先にある林の方へ歩いた。

 針葉樹の林は薄暗く、足元には枯れた枝葉が落ちている。根元を踏まないように煉瓦が敷かれた小道に出た。降り注ぐ光は柔らかくて、かすかに吹いた風は火照った身体を冷やしていく。にぎやかな声は聞こえなくなって、人の気配はなかった。

 息を宥めながら歩いていると、背もたれと手すりのある古ぼけた木のベンチがあった。座って金属の手すりに腕を預けると、重石がのったように身体が動かせなくなった。

「はは……」

 思考と身体と感情が、離れている。心は過去を見て泣いているのに、身体は疲れ切って涙も出ない。いっそ分析が捗って、笑いながら腕に顔を埋めた。

「ごめん」

 相手が居ないのに、謝罪の言葉を口にする。返事の代わりに枝葉が揺れる音がして、顔をあげて背中を背もたれに預けた。太陽は薄い雲に隠れている。ぼんやりとしていると、太陽が出てきた。目を閉じると、風が瞼を撫でた。

「私が居ない方が」

 なんで、ひとりで生きていけないのかな。手間ばかりかかるし、探して見つけた答えはいつも思惑とは違って。心配かけたくないとは言っても、身体がどうにも動いてくれない。悔しくて苦しい時に浮かぶ言葉はいつも同じで、強がっても悲しいことは悲しくて。

「いいに決まっている」

 息を吸えば、引っ掛かりがあった。ここで魔素暴走を起したら葬儀どころじゃなくなる。薬は一階の客間に置いてきた肩掛け鞄の中にあるはず。涙を拭わずに立ち上がって、林が途切れた所に見つけた母屋の扉を開いて中に入った。

 ちょうど食堂の裏側にある廊下に出た。廊下を進んでいると、中庭が見えた。緑の濃い植物ばかりで、時たまに鮮やかな花の色が目に留まる。拭きあげた窓枠に手を置いて、息を吐いた。

「何かしよう」

 部屋にたどり着いて、汚れた服とコートを脱ぎ、手と顔を洗って薬を飲む。綺麗な手袋を着けた後、コートを置いて、肩掛け鞄を手に中庭へ出た。林の道と同じ煉瓦で整えられた道の真ん中に、水路が通っている。水草を眺めていると、視界の端に大輪を見つけた。淡く黄色味のある白いダリアだ。

 おもむろに地面に座って、スケッチブックを開いた。ダリアが映えるような角度で、指で作った四角で中庭を切り取る。鉛筆を取って指の四角と同じ比率の四角を描く。そして基礎となる一輪のダリアの大きさを測れば、五月蠅い頭の中の言葉が黙り込んだ。

 ここが、これくらい。そこが、こんな感じ。画面のここに、こうして。地道に鉛筆で形を取っていく。腕を伸ばして、鉛筆を空想の窓枠と平行に、長さを見て、白い画面に点を置いて線を引く。何度も繰り返していたら、輪郭をとり終えた。

「パレット……」

 肩掛け鞄からパレットと水筆を取りだす。様々な色で汚れた布も出して、水筆を湿らせる。中身が少ない。水路の水を拝借して水筆の腹を満たす。そこに自身の腹の虫も鳴いて、どっと肩が重くなった。集中していたのに、身体は正直すぎて嫌になる。

 鞄の中を漁って、食べ物を探す。金平糖と炒り豆があった。ざらり、と口の中にふたつとも流し込んで、甘さと豆の味を嚙みながら手を動かした。スケッチブックの三辺をテープで動かないように止めてから、水筆で絵具を取った。

 まずは、暗いところから描こう。色見を見ながら、すこしだけ彩度をあげて塗っていく。作っては塗り、筆を整え、色を見て、塗って、また作る。何度も地道に、少しずつ明るい色をのせて。時おり画面を両手に持って離し見て、変わりゆく色と影と光の形を追っていった。

「ふう……」

 満足できる程度に描き込んだところで、一息つく。庭の影は長くなって、太陽は天辺から降りてきていた。膝の上にのせたスケッチブックは、水筆を綺麗にして、パレットをたたむ。

「出来た?」

「どわ……!」

 右側から声がして、左のレンガの上に手をつくと、弟がいた。その奥には姉と兄、そして兄の奥さんと子供たちに、ソフィアと義父がこちらを見ていた。揃いも揃ってなにも話そうとしないので、動揺が口から出た。

「なんで……」

「お昼を一緒に食べようって言ったのに、林に行っちゃった人がいるから、食べ終えた後に探しました」

 弟はしゃがんだ膝に頬杖をついてため息をついた。

「薬は飲んでいるって、わかったから良かった。本人もすぐに見つかったしね」

「その、ごめん……」

 気休めにもならない謝罪に、言った後になって後悔する。なにに対してか、誰に対してか、はっきりと言い表せない。言葉に迷っていると、膝の上のスケッチブックを取った弟が後ろの人に見えるように掲げた。

「見てよー、出来たって」

「わあ!お庭だー」

「すごいですわ!とってもキレイ!」

 兄の脚に隠れていた子供たちの眼がきらりと輝いた。面々に喜色が浮かぶと、弟の手にあるスケッチブックに集まってくる。「まだ乾ききっていないから」と人だかりに手を伸ばすと、扇子が小気味よく閉じる音がした。

「大変、美品をそのままにしては勿体ないわね。額装いたしますので、買い取らせて下さいまし」

 わざとらしく言ったソフィアに、子供たちが「えぇ?!」と不満げな声をあげた。そこに姉が乗っかった。

「そう言えば、絵を送りなさいと言っていたのに、一枚も届いていませんね」

「おやぁ?子供の頃のレイのスケッチブックを貰ったのに、まだ足りないと?」

 弟の手から兄がスケッチブックを取り上げると、子供たちは「見せてー!もっと見せてー」と飛び跳ねる。義父は兄の奥さんと和やかに話して、控えめに笑っている。

 私の絵が子供に人気だなんて、信じられない。というか、絵に対しての評価が高すぎる。いつの間にか賑やかになった中庭を呆けて見ていたら、弟が小包を差し出してきた。受け取ると、パンの香りがした。

「ごめんね」

 楽しげな声の中ではっきりと聞こえた。弟の顔を見れば、陰が落ちていた。

「ずっと前に、手を繋げばよかった」

 子供たちが両手を掴んでいたから、出来なかったはず。首をかしげると、弟は言った。

「パラソルの下に、一緒に行けば、兄さんは痛い思いをしなくて済んだ」

 喉の奥が絞まった。何とか息を吐くと、眼に涙が滲んでくる。小包を胸に抱えて涙を隠すと、弟が触れそうなほどに近付いて、レンガ敷きの上に腰を下ろした。

「だからさ、やり直してもいい?」

「……何を、だよ」

 ついには涙がこぼれる。袖で拭うと、弟が笑っていた。

「パラソルの下にケーキがあるから、手を繋いで行ってもいい?」

 少し硬い声と表情に、差し出された指はかすかに震えていた。もう一度顔を拭って、その手を握った。力を込めれば、震えは止まった。

「これ食べて……コート、綺麗にしてからな……」

「うん、待つよ」

 手を離して、小包のサンドウィッチを頬張る。サンドウィッチはいつもより塩味が強かった。いつの間にかオークションが始まった中庭で、食べ終えるまで弟は隣にいた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次話は制作中です。2026.8.9

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