野外調査:南方異界門①
裁定者テトの予言である国王誕生日に発生する連続爆破事件を防いでいたら、共同研究者が成果を出して、研究室が閉鎖になった。
何もしていない私に残ったのは、数々の示唆とじい様の生徒の質問によって、魔素暴走を止める魔法を自分ならどのようなことに使うのかを考えてみるということだけ。試しに思いついたことは、どれも社会の基盤を揺らがすような事ばかりで頭を抱えた。
子供のころから、触るな、邪魔になる、交通事故に合うなどと脅されてきた。前向きな考え方をするには、前向きな方法やものごとに触れないといけないと思った。
そこで、論文の作成に追われて出来ていなかった趣味を再開することにした。
共同研究室も閉鎖となり、個人の研究室に荷物の引っ越しを終えた後、「翻訳手伝って」と脚に縋り付いてくるヤエコさんを引きずりながら野外調査に出る申請を出した。
「暑いなぁ」
「長袖で過ごせるだけいいだろ。青い空を楽しまないなんて損だぜ」
頭に笠を被るふたりとすれ違って、自転車を押しながら人にぶつからないようにゆっくりと道を進む。肌に照り付ける日差しは厳しいものの、首や服の下にまとわりつくものはない。フードを被れば、幻霧郷よりも涼しく思えた。
自転車を走らせ、公共の列車を乗り継ぎ、南方の異界門のひとつ砂塵山河の第一層に来ていた。
その名の通り、この異界門は階層を重ねるごとに枯れた河に砂岩が減っていき、砂が増えていく。砂の中に潜んだり乾燥に強い生物が多かったり、最下層には広大な砂漠が待ち構えている灼熱の異界門である。対策が容易なので、五大異界門の中では難度が低いとされている。
じい様持ってきてくれた石封華が魔素構造を維持したまま吸収できるなら、花そのものの劣化を抑える魔法を使えば、魔素を分解する物体として魔法ひとつで保管して量産できるかもしれない。その検証の為に、素材の採取に来ていた。
ついでにと「第三採掘地区の黄塵鉱石をとってきてね」と所長にお願いされた。残る追加業務はひとつになった。
「それにしても、眩しいな」
空を見上げれば、人を殺しかねない日差しが眼に突き刺さってくる。白眼鏡は日光を弱める機能が無いことが難点だ。
砂塵山河は、通年空を見られる異界門であり、その絶景を求める観光客が後を絶たない。砂塵山河の第十層には、湧水が溜まった夜景が美しい砂漠のオアシスがあり、豊かな水と植生を誇る、季節問わず貴族に大人気のリゾート地に開発された。宿泊せずとも階層の中を通る列車で日帰りできる、人気の異界門だ。砂塵山河の外は蒸し暑い豪雨だったが、道行く人の声も表情も、色とりどりの建物の様に鮮やかだ。
「こっちは新作のガラス布!常光蝶の翅よりも軽いよ!」
「おー、嬢ちゃん、お目が高い!それはセンセキ工房のルーペ、魔素光の分析も捗るぞ」
「こらー!割れ物があるところで走らない!」
鮮やかな布で通りに作られた日陰の下では、呼び込みと共にきらきらと眩しいガラスの作品や色の砂が売られている。大量の砂を有効活用した名産品だ。自転車を押してバザーを物色していく。ガラス以外にも食品や魔法具素材を売ってくれる店もあった。お菓子とか調味料とか、消えもので良いお土産があればいいのだけど。
「きゃあー!」
「まてよー!!」
「付いてきてみろよ!!」
笑い合う子供が肩掛け鞄をめがけてぶつかりそうになり、そっと鞄をずらす。危ないな。一息つくと走り、抜けた最後のひとりに舌打ちされた。彼らの後ろ姿を見送って、苦笑してしまった。
活気はあるけど、色々な意味で幻霧郷と同じぐらいの治安の悪さだ。あちらは幻覚による重犯罪が多くて、こちらは人口過多と貧困による軽犯罪が多い。スリと物取りは日常茶飯事。観光したい気持ちを我慢して、探索者協会の砂塵山河支部に向かった。
鮮やかな街並みのなかに、支部の看板を見つける。ひときわ大きな建物で、波模様の柱に花のプランターが飾られている。中に入ると涼しい空気がフードの中に入り込んできて、思わず体が震えた。そこに鼻をくすぐる香辛料の香りと華やかなアルコールの香りがした。
この支部には、砂塵山河出身の元宮廷料理人が営む有名な酒場があったはず。探索者は酒場目当てに来ることも多いとか。今回の仕事が終わったら飲みに行きたいな。おいしそうな香りに後ろ髪を引かれながら自転車を押して受付に向かった。受付はどこも込み合っているのに、頭に布を巻きつけて髪を隠した口髭の長い初老の男性の前だけは誰も居なかった。口髭の男性の前について、手袋をはめてから申請書を出した。
「異能魔術研究所のレイ・グランドと申します。本日より、第十一層の第三採掘地区にて採取を行うのですが、研究所からの採取申請は受領されているでしょうか」
「ちょっと待ちな」
低く数少ない言葉で視線も合わせてくれない男性は、申請書を睨みながら手元の黒い板を指でなぞる。何度かなぞっていると、その指が止まった。
「異能魔術研究所……石封華と黄塵光石の採取申請、許可が出ている」
「ありがとうございます。それでは、第十一層までの進入申請を三日分、お願いします」
探索者資格免許証も渡して、男性は細い溝に免許証を通した。鳥の短い鳴き声が聞こえたと思うと、「はいよ」と申請書と免許証を返してくれた。会釈と小さく感謝を告げると、男性と目が合った。
「あんた、平気なのか?」
周りを見渡しても、男性を中心に人が避けるよう移動している以外に変なところはない。首を傾げた後、にこやかに言ってみた。
「なにが問題なのかわからないので、平気ですね」
「そうか。気をつけろよ」
そう言って男性は視線を外した。なにに気をつければいいのか、と訊きかけて、隣にある自転車のことを思い出した。
「あの、この自転車も預かっていただけますか」
「いただき!」
手を乗せていた自転車のハンドルが引っ張られた。自転車のそばを見れば、さっき舌打ちをくれた小麦色に日焼けした少年がハンドルとサドルの胴を握って引っぱっていた。
「ふ、ぎぎ……」
しかし、ハンドルが少し回っただけで、自転車のタイヤは回らなかった。動かせないと判断したのか、逃げようとする少年の古ぼけたシャツの襟を捕まえて持ち上げた。軽々と持ち上げられた少年は手足をジタバタさせていて、よく見ると腕と脚にうっすらと刺青が描かれていた。
「君、刺青で身体強化しているの?」
襟をつかんだまま少年をサドルに座らせて耳元で訊ねると、暴れていた少年は動きを止めてそっぽを向いた。口を尖らせていて、話す気はないらしい。
「望んで入れたなら構わないけれど、幾つかの術式が雑だ」
身体機能の維持と熱変化の耐性、身体の動きの効率化など、見た限り十以上の魔法を肌に刻んでいる。身体が不自由な人の為に開発されたもので、子供でも刺青自体は問題ない。彫師の腕がいいと、身体にも負担がかからないし、成長しても安定した効果を得られる。生活に直結するものは、それなりに良いものを選ばないとね。
人差し指をたてて、「もうちょっと腕のいいところに頼みなさい」と少年の顔に詰め寄った。少年は眉を寄せて不服そうだが、視線だけはこちらを向いていた。
「あと、せっかく刺青を入れたなら、面白いことに使いなよ」
「はぁ?」
少年の顔がやっとこちらを向いた。次第に人の声が集まってきたが、少年の眼を捕らえて放す気はなかった。
「君は窃盗が楽しくてやっているの?」
「そうだよ!大人の悔しがる顔が面白いからな!」
少年は鼻で笑って声をはった。そうか、そういう子なのね。少年の脇に手を通して床に下ろした。
「なら、頑張って」
呆気にとられた少年は立ち尽くしている。少年を回れ右させて、背中を押した。
「ほら、行っておいで?」
「なんで、だよ!」
ふり返った少年は怒りで顔をゆがめて指を握り込んだ。怒る彼に、私は首をかしげてみせた。
「窃盗が好きだって、君は言ったじゃないか。楽しんでおいで」
私には理解できないが、そういう人も居るだろう。じゃあね、と手を振って受付の口髭のおじさんに声をかけようとしたとき、よく通る女性の声がかけられた。
「あらまあ……何事かと思っていたら。お義兄様でしたのね」
ふり返ると荒くれ者が集う酒場を背景に、生成りの白を生かした花を咲かせて、くるぶし丈のドレスを着こなし、優雅に巻いた紫の光沢のある銀髪の女性が立っていた。切れ長の茶色の目は涼やかで、どこか冷たさを感じる人だった。集まった人の壁を立ち振る舞いだけで割り、口元を扇子で隠しながら近寄ってきた。そして片足を引いてドレスをつまんで頭を下げた。
「ごきげんよう、お義兄様」
「ソフィア様……お久しぶりでございます」
銀の巻き髪が女性の胸にさらりとおちた。けれどその髪を直すこともなく、ソフィアは頭をあげてほほ笑んだ。見惚れるほど美しいし、怒っていた少年も口を開けてソフィアを見上げている。周りの人の壁たちは驚きと共に、続くはずのソフィアの言葉を待っていた。
「あなた様の一族に入った身ですよ。よそよそしくなさらないで」
「いえ、出家しているので」
彼女はソフィア・グランド、弟の妻である。英雄カミラ・キリステリアの子孫であり、彼女自身も個人商会を営む才媛だ。家と家の政略によって結ばれた婚約だが、ふたりの仲は良好なようだ。年中出張しているアレンを迎えに行き、ついでの様に討伐任務に参加して取れた素材を売りに帰るというのを繰り返しているとか。静かで芯のある貴族女性のように見えるが、とても行動が早い商人である。
あと、言葉の裏に色々と意味が含まれていそうで、深読みしたくなる雰囲気がある。腹の探り合いは出来ないので、貴族という人々は苦手だ。
そんなソフィアが何故ここに。困惑を深めて首をかしげると、ソフィアは扇子を開いて口元の笑みを隠した。
「変わらず愛らしいお方。野心家でなくとも多くの人が貴族になりたいと願うのに」
「西は空気が合わないものでして」
「それは残念なこと」
ころころと笑うソフィアは、周りの雰囲気から浮き上がって、涼やかな空気を作り上げていた。誰も入り込めない圧に、動く事すらも許されていないように見えた。
「ところで、お義兄様。この人だかりは何事です?」
ソフィアはちらりと傍に立ち尽くす少年を見てから、私の眼を捕まえた。口元は見えないし、眉と声は穏やかだ。出来事を簡潔に伝えた。
「自転車を取られそうになったので、注意して帰そうとしていたところです」
「まあ、そんな風には聞こえなかったけれど」
にっこりと微笑むソフィア。何もかも聞かれていたのだろう。降参というように、両手をあげた。
「子供ひとりを助ける力はないですし、助けてと乞われてもいません。この異界門の中の犯罪に口出しをするほど、権力も気概もないですからね」
無責任に優しくするのも、解決策を持たずに怒るのも、物取り少年にとって迷惑だろう。助けてと言わない人を助けるつもりはない。そう宣言すれば、少年は何か言いたげに見てきた後、口を閉じてうつむいた。ズボンを握り込んだ手は、かすかに震えている。ソフィアは扇子を閉じて満面の笑みを見せてくれた。
「あなたが見逃すというなら、手出しは止しておきましょう」
ソフィアが扇子をひとつ手のひらに打つと、人だかりと少年は目が覚めたかのように、その場から動き始めた。少年が入り口の扉に消えて行ったのを見送って、ソフィアに向かい合った。
「このような些事にご自身の魔術を使うなど、無理をなされたのでは?」
ソフィアは弟と同じく灯光の証を持って生まれた。灯光の証の細かい性質には個人差があり、彼女は人の気持ちや行動をほんの少し操作して扇動する魔術が扱える。結婚前はとても優秀な軍師として探索者としても活躍していたが、周りの魔素を奪い取っても目眩を起こすほど魔素を消費するはずだ。
魔術を使わなくても、事は簡単に収まったはず。ソフィアは扇子を半分開いて片眉をわずかに上げた。
「その自転車は世界に一台しかない、そして使える者もひとりしか居ない……我が商会で初めてお買い上げいただいた品。そんな思い出深い品の窃盗となれば、些事では済みませんことよ」
「使えるというか、私以外に誰も動かせないですし、心配は無用ですよ」
商人として、良い品とか貴重な品を奪われるのを黙って見ていられなかったらしい。そっと視線と顔をそらした様は、すこし拗ねているようにも見えた。
「数多という防犯機能を魔術で施したとしても、氷や土で固めてしまえば移動できますわ。過信しないでくださいませ」
この自転車は動かそうとすると、百倍の重さに感じる魔法が付与され、魔法による破壊耐性もある。防犯機能を高めようとして誰も使えなくなった欠陥品が、私には最適な自転車だったので、少し色を付けたお値段で商会をはじめたてのソフィアに売ってもらったのである。
商会のお客さん第一号を気にかけてくれているのか、弟の双子の兄だから気にしているのか。どちらにせよ有難い気遣いである。
「わかりました。今後も気を付けます」
微笑み返して頭を下げると、ソフィアは「そうして下さいまし」と瞼を伏せた。受付の男性に伝えて、受付裏に自転車を預けてもらう。受付から出てきたら、閉じた扇を口元に目を細めるソフィアと薄紫の傘を携えた燕尾服の男性がかかとを揃えて立っていた。ソフィアの視線の先には私がいて、後ろを見ても誰も居ない。立ち止まって彼女の視線を合わせれば、「いらっしゃいな」とソフィアの口が動いた。
「御用でしょうか、ソフィア様」
「……正しい扱いをなさらない限り、あなた様をここに縫い留めますが、よろしくて?」
じろりと見上げてきた彼女の眼に、背筋が震えた。深く息をはいて両手をあげた。
「わかりましたよ、ソフィアさん。こちらで許してください」
「是非とも、愛称で呼んでいただきたいのですけど」
「それはご両親と弟の特権にしてあげてください。その方が喜びますよ」
弟を引き合いに出すと、ソフィアの化粧を施した頬がかすかに赤みをさして、「そういうことでしたら」と目を伏せた。思っていたより、感情表現がわかりやすい人なのかもしれない。改めて要件を訊ねると、ソフィアは扇子を閉じて微かに首を傾げた。
「聞けば、あなた様は黄塵光石の採取を行うとか。わたくしの目的の物でもありますので、ご一緒させていただきたいのですわ」
人のざわめきの中から私の声だけを聞き取ったのか、彼女の部下に調査させたのか。背筋に冷たいものが当たった気がして、身震いをした。
「わたくしの同行人数はふたり。ひとりで進入なさるより、四人で向かう方が安全かと思うのですが、いかがでしょう?」
いかが、と言われても。ソフィアの後ろに控える燕尾服の男性に「頷け」と睨まれてしまっては、断った方が怖い。
「構いませんが、ひとつだけ条件を」
「伺いましょう」
「今日、第十層で一泊すると思うのですが、私だけ野外で泊まらせてもらいます」
夜間の単独行動を許して欲しいと頼むと、ソフィアは切れ長の瞼の間で目を丸くして口元を開いた扇子で隠した。
「オアシスで一泊ではなく、ひとりで野営すると」
元々探索者の為にオアシスが開発されていて、格安で泊まれる。ソフィアはもちろんお金を余分に出して格式の高いホテルに泊まるはずだろう。無理に外で野営をする必要はないが、肩掛け鞄を撫でた。
「姉に絵を頼まれていまして、オアシスの夜景を描きたいのですよ」
私の趣味は、絵を描くこと。色を作るのは得意だが、形を取ることに時間がかかる。それでも姉の手紙で絵を送れと言われたなら、ちゃんと送りたい。ホテルは灯りが多くて星が見えにくいから、街からすこし離れたところで描こうと思っている。「お願いします」と頭を下げてあげると、ソフィアは扇を閉じて目を輝かせていた。
「なんて、羨ましい。風景画を描けるなんて」
魔素光により風景の色合いが変わってしまうので、風景画は非常に描くのが難しく、隣の人と同じ風景を見ていきなさいと言う思いを込めて嫁入り道具として贈られることもある。絵の勉強は貴族のたしなみのひとつで、風景画を描けるのは「男女問わず尊敬されることだよ」と幼少期に兄から教わった事がある。
「魔素光盲の特権ですね」
眼鏡をつつくと、ほう、とソフィアは目を細めた。
「出来上がったら、拝見してもよろしいかしら?」
「もちろんです」
拙くても、絵は見せる。恥ずかしくない、その時の全力で画面に向かえば良いのである。楽しさと緊張を胸に、研究と趣味を両立した探索に出発した。
第十層に向かう列車の切符を買って、第一層から出ている列車に乗り込んだ。ソフィアが私の分の料金も上乗せして、個室にお邪魔する事になった。扉の外で控える燕尾服のふたりを気にしていたら、折り畳みのテーブルに広げられたティーセットでソフィアがお茶を淹れはじめた。私が手を伸ばすよりも先にお湯をポットに注いでいたが、ソフィアの紅をさした唇はすこし青く見えた気がした。
磁器の花を思わせるカップに透明な緑のお茶が注がれると、かすかに見える湯気と共にお茶の香りが部屋に広がった。ふたつのカップにお茶が注がれたのを見計らって立ち上がり、座ろうとしたソフィアに窓の外に広がる砂漠と同じ色のブランケットを差し出す。
「冷えますから、私の分もどうぞ」
「お心遣いありがとうございます」
ソフィアの隣に移動して開いたブランケットを肩にかけてあげると、彼女は穏やかに微笑んだ。私も席に座り直し、ソフィアは扇子で口を隠したまま言った。
「アレンに自慢しますわ」
「なにを自慢するのですか?」
ブランケットごときが自慢になるとは思えない。ガラスの小瓶に納まった氷砂糖を小さなトングでひとつ摘まんでカップに落とすと、からん、と良い音がした。ティースプーンで音をたてないように混ぜると、ソフィアは「うふふ」と声を出した。声を出して笑うなんて珍しい。
「お義兄様とお茶をいただけるなんて、アレンは先を越されたと悔しがりますわ」
ソフィアは笑みを深めるだけで、それ以上は言わなかった。ティースプーンをカップの裏に置いて一口いただくと、ほのかな苦みと鮮烈な甘さがお互いを引き立てていた。ただ、楽しく思えない気持ちを正直に伝えた。
「ソフィアさんは怖くないのですか?」
小さい頃、嫌なことが私の周囲で何度も起こった。中央に行ったときに、赤光の泡を食べたことも記憶に新しい。怖くないのかとソフィアに眼でも質問すると、ソフィアはカップを手に取った。
「先日、一族の系列で起こった赤光の泡の件について、わたくしは非常に怒りを覚えましたの」
そう言った後、カップを傾けたソフィアは目を伏せていて、先ほどまでの微笑みが消えていた。
「お義兄様でなければ死者が出ていたというのに、あそこの商会長が名誉を穢されたと訴訟を起こそうと動いていたのです」
安全地帯として提供している場所で事件が起きれば、要因となった存在を許せないのは分かる。私が悪く言われるのはいつもの事だ。お茶を口にふくむと、ぴしゃりと扇子を叩く音がした。視線をあげればソフィアの切れ長の目の冷たく鋭い視線と合ってしまった。
「被害者に訴訟なんて、馬鹿げていませんこと?」
「いや、突然訪問した我々の方にも問題があるかと」
「領主様にはいつでも対応するという契約を為せなかった方が悪いのですわ」
そんな契約があるのか。「知らなかった」と思った事が口から洩れて、すぐさま謝った。
「ごめんなさい、口が」
耳触りな言葉遣いは、貴族の前では控えなければ。しかしソフィアは目を細めたまま言った。
「いいえ、このお茶会はお義兄様のために、わたくしが用意したもの。くつろいでくださいまし」
くつろぐことが義務にされてしまった。居心地の悪さに戸惑いつつも、第十層に着くまでの間、お茶とソフィアとの会話を楽しんだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。




