第51話 クララも大概
エルネスト第2皇子はバルコニーの椅子に座ってボーッとしていた。
先ほど入れられた紅茶がすっかり冷めてしまっている。
「……様」
「に……様」
エルネストの目の前に突然金髪碧眼の可愛い顔が現れる。
「うわっ」
エルネストは驚いて仰け反る。
「きゃ」
その動きに今度はクララが驚いてしまった。
「なんだ、クララか」
「なんだではありません。急に動くから驚きました」
「それで。なんで私をびっくりさせようとしたんだい?」
「びっくりさせようとしたわけではありません。先ほどから声をかけてました」
「そうだったか。せっかく私の可愛いクララが声をかけてくれたのに、それは悪いことをしたね」
「もう、調子いいんだから。それにしてもどうかしましたか?」
クララがもう一つの椅子に座りながらそう言うと、エルネストは憂いた顔をして、遠くを見る。
その横顔は帝国一の色男と呼ばれるに相応しい美しさがある。
クララも最近まではエルネストのことを兄に対して以上の感情で慕っていたので、数日前だったら見惚れていただろう。
しかし、今は美羽に見せた醜態と、美羽の苦しみを知って、それを逆撫でにした兄に対して100年の恋も醒めたと言えるような状態になっている。
だから、冷静に分析した。
(何も喋らなければ、かっこいいのだけれどね)
おもむろにクララは立ち上がる。
「それでは兄様、ごきげんよう」
「え? ちょっと待ってくれ、クララ。どうして席を立つんだい?」
「兄様が何もお話にならないからです」
「いや、少し浸らせてくれてもいいじゃないか」
それを聞くと、クララは呆れた顔をして言う。
「浸るならお一人でどうぞ」
「クララはそんな冷たいことを言う子じゃなかったろう」
「そうですか? それじゃあ、少し兄様に甘すぎたのでしょうか。
今の私は、異性の気を引きたいがために、寂しそうなふりをして声をかけてもらいたいけど、誰も相手をしてくれなくて余計に寂しい思いをする青少年のような兄様はお相手しません」
「う、辛辣。ま、まあ、相談に乗って欲しいんだ。手伝っても欲しい。クララに」
「ふう、それなら最初からそうおっしゃればいいのに」
クララは呆れたようにして、席に座り直す。
すかさず侍女がお茶を淹れてくれた。
その紅茶を一口飲むと、クララが聞く。
「それで、兄様。相談ってなんですか?」
「好きな人ができたんだ」
「まあ、そうですの。それなら早くアプローチすればいいではありませんか」
「そう簡単に行く相手だったらいいんだが」
「ん? 女性を口説かせたら右に出る者がいない兄様がそう簡単にいかない? まさか、それって」
「ああ、御使いコザクラミウ様だ」
それを聞くと同時にクララが立ち上がりながら言う。
「それは私では手伝えませんし、手伝う気もございません」
「そう言わずに話だけでも聞いてくれ。な、頼む。まずは座ってくれ」
そう懇願されては、クララとしても無碍に断るわけにもいかない。
しぶしぶながら席についた。
「それで……何を聞いて欲しいのですか?」
「うむ、私がミウ様と結婚をするにはどうすればいいか、一緒に考えてくれ」
クララは思わず目の前の兄に紅茶を引っ掛けてやろうと動きかけたが、すんでのところで思いとどまった。
クララは冷静になろうと頭を振って、深呼吸をしてから静かに口を開いた。
「お兄様、ミウちゃんにあれだけのことをしておいて、今更どの口が言うのですか?」
そう言うとエルネストはきょとんとしている。
「私が何かしたか?」
クララはその言葉にカーッとして声を荒げる。
「命を救ってくれたミウちゃんにいきなりおでこにキスをしたでしょう。
その上に唇まで奪おうとしたじゃないですか」
そう言うと、エルネストは恍惚とした顔になり、両手を広げ、演劇のように語り出した。
「ああ、あのキスは私の体験の中で極上のものだった。
唇に伝わってくる優しい感触と聖なる力。あれこそ至高のキス。
ああ、唇にもできていたらと思うともどかしい。
私はあの方と結婚したい。いや、絶対する。するしかない!」
クララは完全に引いていた。
俯いて呟く。
「私、こんな男と結婚したいなんて本気で考えていたなんて……ハッ、ミウちゃんが危険だわ。なんとかこの男の心変わりを促さないと」
クララはキッと顔を上げてエルネストを睨みつける。
「兄様はミウちゃんに嫌われてますわ」
「なぜだい?」
「無理やりキスした上に、全裸を見せたんですよ」
そう言うと、エルネストは美しい金髪をかきあげ、にこりとする。
「そう、もう私はミウ様に何も隠すものはない。あとはこの思いを伝えるだけなんだ」
「くっ! だいたいミウちゃんは5歳なのですよ。お兄様とでは年の差が開きすぎています」
「それがなんだと言うんだい? 10年も経てば15歳だろう。その頃、私はまだ27歳だ何も問題はない。
それに12歳くらいになれば、もう愛し合うことだってできるだろう?
ああ、そうだ。7年だ。7年後には僕たちは愛し合えるんだ!
ああ、ああ、なんて待ち遠しいんだ。
あの桜色の髪と瞳、それに白い肌、美しい顔、清らかな神気は全て僕のものになるんだ」
クララは呆然として、ありえないことを言い続けている兄を見つめる。
しかし、ハッと我にかえる。
まだ、何かのたまっている兄をおいて、クララは上体を膝につくくらい曲げ、頭を抱える。
(いやー! このままじゃミウちゃんが危ない。この男は本気だ。本気でミウちゃんと結婚を考えている。
ミウちゃんが断りきれなかったら……)
美羽がエルネストに襲われるところを想像する。
(ダメーーー! 私のミウちゃんがそんな目に遭うなんて絶対に許せない!
どうする? やる? やっちゃう? いいよね、御使い様に手を出そうとしているんだし。天罰だよね)
エルネストは酷いがクララの思考も大概である。
クララの目はすでにぐるぐる回って焦点があっていない。
「うふふ」
クララが上体を戻しながら、不気味に笑い出す。
そして、スカートを捲り上げ、太ももに差してある、淑女の嗜みとして渡されていた短剣に手をかける。
エルネストはいまだに美羽を娶る計画を話し続けている。
(許せないわ、お兄様。私はミウちゃんを守るって、決めているんだもの)
そして、短剣を抜こうとした、その時。
「お嬢様」
すっと、短剣を触れようとした手にあたたかな手が添えられる。
顔を上げるとクララ付きの侍女と目が合う。
「マーシャ」
マーシャはにっこりと笑って、小さく顔を横に振る。
彼女はクララが小さな頃に専属になり、それ以来友達のいなかったクララを支え続けてくれている。
そんなマーシャの一言だったので、クララは冷静になった。
(危なかったわ。私、とんでもないことをしようとしていたわ。
ミウちゃんのことになると、冷静でいられないのね、私。
でも、こんなのミウちゃんが喜ぶわけないわ。
結婚は別の手段で止めないと。
それに、よくよく考えたら、ミウちゃんと無理に結婚なんてできないはずだもの)
クララは表情を柔らかくして、マーシャにお礼を言う。
「ありがとう、マーシャ」
「とんでもないことです」
マーシャが微笑んだ。
それだけで、クララは完全に冷静になれた。
「ん? どうした? クララ」
「なんでもございません。兄様」
「そうか?」
エルネストは釈然としない顔をしていたが、クララが被せるように言う。
「兄様、そろそろ私はお暇いたします」
「そうか、もう少しいてくれても良かったんだぞ」
(冗談じゃないわ。これ以上は私が我慢できないわ)
「私、本日、用事がありますので」
「そうか、それではミウ様に会うことがあれば、よろしく伝えといてくれ」
「ええ、わかりました」
クララはにっこりと笑う。
(冗談じゃないわ。今日お城に来ることになっているけど、兄様にだけは教えないわ)
「それでは、兄様。ごきげんよう」
「ああ、それじゃあな」
クララはマーシャを連れて、兄から離れている最中に会いに来た目的を思い出した。
(あら、指輪の犯人のことを聞くつもりだったのに、忘れてしまったわ。
まあ、いいわ。ミウちゃんに比べれば瑣末なことよ)
第2皇子が呪い殺されようとしていた事件が瑣末に感じてしまっているクララだった。
1時間後、お城のティールームにて……。
「クララー、来たよ」
「ミウちゃん! 結婚なんかしちゃダメよ!」
「へ? なんのこと」
美羽がコテンと首を傾げるのだった。




