体隠して影隠さず
覗かせた顔を戻し、息を殺して二人の会話に耳をそばだてる。
「答えるとは? 何についてでしょうか?」
「どうしてあのような真似をしたのですか!」
五十嵐さんが酷く気が立っているような口調で詰め寄っている。
工藤さんに対してあそこまで感情を剥き出しにするのは初めて見た。俺たちには普段から高圧的な態度を取っている人だけど、上官である工藤さんには冷静な対応をしていただけに、今の五十嵐さんの様子には驚愕してしまう。
「あのような真似? どのような真似ですか?」
「惚けないで下さい! 少女を人質に取った事に決まっているでしょう!」
「何を基準に決まっているのか理解しかねますが、そんな下らない事でしたか」
「……ッ!? 工藤一佐!!」
「声を荒げる事でもないでしょう? 全て作戦を成功させる為ですよ」
淡々と言葉を並べる工藤さんに煽られるように、五十嵐さんの口調が熱を帯びていく。
なんとも気まずい場面に鉢合わせてしまった。こんな事ならナオたちと官舎へ帰るべきだったとつくづく思わせられる。
とは言え、内容が内容なだけに素直に帰ろうとする気も起きず、気づかれないよう細心の注意をはらって耳を傾け続けた。
「他にやりようは幾らでもあったでしょう!」
「ありましたよ。ありましたが、あれが最適だったと言うだけです」
「それは本気で仰っているのですかッ!!」
「本気ですよ。そもそも、貴方の強引な突入も影響しているのですよ?」
「…………」
最後の一言を切っ掛けに、捲し立てていた五十嵐さんが押し黙った。
「僕は『自分は正体が知られている可能性があるから先に接触しろ』と指示しましたよね?」
「……はい、その通りです」
「それがどうして『標的に対して射撃隊列を組んで威嚇しろ』になるんでしょうか?」
「…………」
「まあ、僕の事を知っていたわけですから決裂は確定していましたが、あの行動で龍太郎君の警戒心を無駄に煽ったのは間違いない」
五十嵐さんはぐうの音も出ないと言った様子で静かに聞いていた。
まるで生徒に説教している教師のようだ。一瞬で攻防が逆転し、工藤さんは正論を何度も振り下ろし続けている。
「これ以上の説明は必要ありませんね?」
「最後に! 一つだけ最後に答えて下さい!」
「まだ何か?」
「工藤一佐は私の軽率な行動のせいで仕方がなく人質を取った、と考えてよろしいのですね?」
「ふむ……」
今度は工藤さんが押し黙る。
どんな表情をしているのか分からないけど、会話を聞いている限りじゃ別に悩むほどの問いかけでも無いように思えた。
だが、次に工藤さんの口から飛び出した発言は目玉が飛び出すようなものだった。
「それは違います。僕は最初から人質に取るつもりでしたよ」
「なっ!?」
「だからこそ、遠藤君には事前に少女を確保するよう指示していましたからね」
工藤さんの発言に心臓が飛び出すかと思った。急に俺の名前が出たせいもあるが、最初から若葉ちゃんを人質に取るつもりだった事が何よりも驚いたんだ。
「ど、どうして……ですか? 先程、私の行動のせいだと」
「影響したと言っただけで、貴方の責任だとは言っていませんよ?」
「説明になっていません! 遠藤って……私は何も聞かされていません!」
「伝えていませんからね。貴方に伝える必要性がありませんでしたから」
話の雲行きが段々と怪しくなってきた。
仲違いでもしそうな流れなだけに二人の間に割って入ろうと考えたが、それはそれで話をややこしくしてしまいそうで踏ん切りがつかない。
「もういいですか?」
「待って下さい!」
静止の声を上げる五十嵐さんに対して肺の空気を全て絞り出すような長いため息を吐き、工藤さんは露骨なまでの嫌悪感を表現する。
「五十嵐三佐。何時まで上官にケチを付け続ければ気が済むのですか?」
「私はただ――」
「貴方は下官、僕は上官です。分かりますよね?」
「理解……しています……」
五十嵐さんが口をつぐむ。
なんと言うか自衛隊の裏側を見せられている気分だった。今まで工藤さんが怒った事なんて一度たりとも無いし、注意らしい注意も受けていない。
俺たちが完璧だったわけじゃない、失敗したとしても怒鳴り声の一つすらあげなかったんだ。それは五十嵐さんに対しても変わりはなかった。
今だって怒っている素振りも無い。冷静な口調で話しているのだが、唇から紡がれる言葉の一つ一つには重々しいまでの強制力が含まれている。
「まあ、貴方が僕と同様に立場を振りかざすなら話は別ですが」
「……どういう意味ですか?」
「出自を持ち出されたら流石に断れませんのでね」
工藤さんの言う出自とは? 五十嵐さんは何処かのお嬢様だったりするのだろうか? そんな人が自衛隊にいるってのも不思議に思うけど、普段の凛々しい態度を見ていると確かに納得できる。
「結構ですッ!!」
「そうですか? なら車をまわして下さい。直ぐに手術しないと右腕が駄目になるので」
「……了解しました。失礼します」
力強く拒絶した後、普段どおりの態度に戻った五十嵐さんの立ち去る足音が聞こえる。
足音が聞こえなくなってからも、俺はどうしていいか分からず、その場に立ち尽くす事しかできなかった。
「待たせてごめんね。話は済んだから出てきていいよ、遠藤君」
もう帰ろうか。そう考えた瞬間、唐突に名前を呼ばれて身体が跳ね上がった。
どうやって気づいたんだ。俺が一瞬だけ顔を出した時、工藤さんは確かに背中を向けていた。直ぐに顔を引っ込めたから気付けるわけがない。
気配を感じたとでも言うのか? 狩人ってのはそんな事まで出来てしまうのか?
考えてみても分からない。だけど、気付かれている以上は逃げるわけにもいかず、俺は渋々と工藤さんの前へ歩み出た。
「気付いていたんですか……?」
「ずっと影が見えていたからね」
「はあ? 影?」
言われて直ぐに隠れていた場所を振り返ると、そこにはこれでもかと地面を明るく照らす外灯が立っていた。
自分の間抜けっぷりに項垂れたくなってくる。外灯自体には気付いていたと思うが、夜目が効く影響と五十嵐さんの声によって、すっかり意識から抜け落ちていたんだ。
「隠れる時はもう少し気を配らないとね」
「善処します……」
「それで? 僕に何か用かな?」
「えっと~ですね……」
謝ろうと思ってここまで来たのに、二人の会話を聞いていて何だがバツが悪くなってしまった。
最初から人質に取ろうとしていた工藤さんを感情任せに殴り倒した。それってつまり、予定していた計画を俺が台無しにしてしまったと言う事だ。
殴る行為自体が良い悪いとかじゃない。全ての話を盗み聞きした今、それについて謝るっていうのが何とも気まずかった。
とは言え、今更気に聞いた誤魔化し方なんて思いつくわけもなく、俺は頭を下げながら小声で持って謝罪の言葉を告げた。
「あの、殴ってしまってごめんなさい……」
「別にいいよ。そんな事を気にしていたのかい?」
「え? あ、はい」
予想に反する返答だった。いやまあ、ある意味では予想通りとも言えるのだけど、まさかここまで簡単に許されるとは思っていなかった。
「君たちのお陰で作戦は大成功。感謝こそすれ、怒るなんてしないさ」
「そういうもの、ですか……?」
「だって妹さんは救助できたし、龍太郎君も協力してくれるだろう?」
「そうですけど、俺が殴ったりしなければ、もっと簡単に済んだのかなと……」
工藤さんの腕の怪我はどうしようもなかったけど、俺が原因で下手すれば龍太郎に殺されていたかもしれないんだ。かもと言うより、今ここに立っていられる事が奇跡的と言える。それくらい、あの時の龍太郎は憎悪に満ち満ちていた。
それが分からない人でもないだろうに、工藤さんは怒るでもなく作戦は大成功と言う。
「そうだね。けど、大事なのは結果なんだ」
「結果……ですか」
「うん。それに僕は『君が殴ったから成功した』と思っているよ」
「んなまさか」
「それくらいの考えで良いのさ。どうせ過去には戻れないのだから、思い切り都合のいい解釈をしていこうじゃないか」
正直、そんな考えで大丈夫なのかと不安になる。学校では兎にも角にも過程を重要視されていただけに余計にそう感じてしまう。
一生懸命に勉強したからテストで高得点が取れ、一生懸命に練習したから大会で好成績が残せると言ったように、過程無くして結果は着いてこない。
けれど、工藤さんは過程なんて一切気にせずに結果だけ良ければ問題ないと言う。
これが大人の世界ってやつなのだろうか。それとも、自衛隊に属する人たち特有の考え方だったりするのだろうか。
成人にも満たない俺には雲を掴むような、そんな不思議な考え方だった。




