売ってはいけないケンカ
「今のは聞かなかったことにしてやる。今直ぐ跪け変質者!」
五十嵐さんがストライクゾーンのど真ん中に投げ込むように辛辣な言葉を吐いている。
相手は要塞なんだぞ、頼むから怒らせるような発言は止めてくれ。
注意したくても出来ない状況下に、歯痒い思いだけが積もっていく。
「出会って一分で変質者呼ばわりかよ。お前こそ何だそのダラシねえ胸は? あれか、セクシー担当の兵隊さんか? ったく、緩いのは股だけにしとけや」
龍太郎が煽りには煽りで返すと言わんばかりに、とんでもない発言を並べ立てる。
俺が同じことを口にしたら百回は殺されそうな言葉の羅列に冷や汗が止まらない。五十嵐さんは冗談が通じない相手なんだ、本当に撃ち殺されるぞ。
その証拠に五十嵐さんの額に未だ嘗て見たことの無い青筋がクッキリと浮かび上がっている。
「そうか、なら望み通り殺して――」
「まあまあ、そこまでにして下さいね」
斉射の号令を出そうと左手を上げた時、遅れて入ってきた工藤さんがその手を掴んだ。
「突入して下さいと言いましたが、射殺しろとは言ってませんよ」
「……申し訳ありません」
静かに握ってた手を降ろさせ、工藤さんは隊列を組んで射撃姿勢を取る隊員たちの一歩前に出た。
我らのリーダーの登場だ。普段はまったく頼りがいの無い人なのに、この場においては何故だか心強くて堪らない。
全て任せておけと言うような余裕の微笑みを浮かべる工藤さんが龍太郎と向かい合う。
「突然ごめんね。君たちに敵意は無いんだ。僕たちは君たちを救助に来たんだよ」
「…………」
俺たちではなく龍太郎と若葉ちゃんに向かって語りかける。それに対し、龍太郎はさっきまでの威勢が何処かに吹き飛んだように口を開けて呆けていた。
だがそれも一瞬で、工藤さんへ背を向けると若葉ちゃんを抱きかかえてステージの上に乗せる。
「奥に隠れてろ。いいか、兄ちゃんが良いって言うまで出てきちゃダメだぞ」
その言葉に若葉ちゃんが無言で頷き、ステージの奥へ駆けていく。
妹の後ろ姿を静かに見送ると、龍太郎が再び工藤さんへと向き直った。そこには、水中ゴーグルで目元が隠されていても伝わってくるほどに明確な敵意が浮かんでいた。
「テメエ、生きてやがったのか」
「初対面だと思うけど、人違いじゃないかな?」
息苦しいほどの空気の中で工藤さんは変わらずあっけらかんとしている。
二人は何処かで会っているのか? 六日前の事だったら確かに出会っているけど、まさかあんな一瞬の出会いを覚えているとも思えない。
「忘れもしねえ。お前はあの時、若葉を撃ち殺そうとしやがった」
「ああぁー……」
まさかと思った一瞬の出来事を龍太郎は覚えていた。
最悪すぎる。ただでさえ俺たちに悪印象を持っている相手だっていうのに、主犯格の顔を覚えているなんて説得どころじゃない。
これからどうするんだと考えた時、工藤さんが心底可笑しそうに笑い出す。
「ははっ! ハハハッ! 誤解だよ。あれはね、君を狙って撃ったんだ」
「アァッ!!」
「そう凄まないでよ。君という化け物を殺そうとしただけ、何も不思議じゃないだろ?」
何をとち狂ったのか、工藤さんが最悪中の最悪なネタばらしを始めた。
言ってる事は全て真実だけど、それをあそこまで大仰に言う必要なんて無い。あれじゃまるで協力を求める気なんてさらさら無いと言ってるようなものだ。
龍太郎に全て知られているのなら、ここは全力で謝罪するべきだろ。それこそ俺とナオも加えた全員で土下座でもして協力を頼み込むべきのはずだ。
なのに、どうしてわざと煽るような真似をする。百歩どころか万歩譲っても要塞には敵いっこないっていうのに。
「まあ、お互いあの日の事は水に流そう」
「テメエが一方的にやった事だろうが!!」
「いやいや、君だって僕を殺そうとしたじゃないか。ほら、やっぱりお互い様だよね」
人の話を聞いているのかいないのか、のらりくらりとした空気が場を包んでいく。
水泡を掴もうとして指の隙間からすり抜けていくような、ここまで掴みどころの無い雰囲気を放つ存在なんて工藤さんくらいなものだろう。
「これで仲直りってことでさ、君に頼み事があるんだ」
「俺様が聞くと思ってんのか?」
「聞くのはタダだから。でね、一度だけでいいから人命救助に協力してほしいんだよ」
かなり強引な話の持って行き方だったが、こちらの目的を伝えることができた。
遠巻きに眺めながら二人を観察すると、にこやかな笑みを浮かべる工藤さんに対し、龍太郎は能面を被ったような無表情。
「あ、君と一緒にいる子も安全な場所に避難させて、他の生存者と暮らしてもらうよ」
「そうかい。その安全な場所ってのは何処にあんだ?」
「流石に教えられない。国家機密、トップシークレットってやつさ」
「ハッ! それで協力するバカがいると思ってんのか。目出度え頭してやがる」
何一つ明確な根拠を示せない以上は確固たる信用なんて得られるわけがない。バッサリと切り捨てた龍太郎に反論しようがなく、ぐうの音も出ないとはまさにこの事だろう。
いや、お隣に座っている佐々木ナオさんはその根拠のない話を信じきった。俺たちだけはぐうの音が出ると思うと、何とも悲しい気分になる。
「それで、もちろん協力してくれよね?」
「するわけねえだろバァカ。タダだから聞いてやっただけだ」
当然の答え。敵意を抱く相手に要求するにはあまりに内容が乏しすぎた。
それにしても困ったことになった。根拠を示す事も出来ないし、信用されていない状況で俺たちが頭を下げたって考えが変わることはないだろう。
刻一刻と悪化の一途を辿っている状況を打開するような、そんな神の如き一手が無いものか。
そこまで考えて一つだけ方法が浮かんだ。いや、思い出したと言ったほうが正しい。
龍太郎の妹を、若葉ちゃんを人質に取れば無理矢理に協力させることが出来るかもしれない。
そこまで考えたけどダメだ。人としてやっていい一線を超えすぎている。
他に何かないかと考え込んでいると、工藤さんが再び太陽のような明るさで笑い声を上げた。
「あはは、君に拒否権は無いよ。聞くのはタダだけど、断るのは有料だからさ」
「そうだったか。いくら払えばいい? 三百円くらいか?」
「ちょっと安すぎるね。その倍……と言っても君の格好から、お金は持ってなさそうだ」
唐突に始まった寸劇のようなやり取り。
六百円で断れるってなら、作戦が始まる前に払って逃げておくべきだった。
「御名答。一銭もねえからツケといてくれや」
「それじゃ潰れちゃうって。それに、持ってるじゃないか。同じ価値の君の命でいいよ」
「……あぁ?」
一気に場の空気が氷点下まで下がったのを感じる。
工藤さんめ言い切りやがった。あろうことか、喧嘩を売ってはいけない相手に『お前の命は六百円と同価値だ』と言い放ってしまった。
ダメだこの人、マイペースとかそんなレベルじゃない。恐怖に対するネジが一本残らず抜け落ちてしまっている。
「タマはやれねえな。大変恐縮だがよ、踏み倒すわ」
「困った困った。仕方がない、少し痛めつけた後で引きずって帰ろう」
一触即発の空気の中でも工藤さんの余裕は一部の乱れもない。
要塞は勝てる相手じゃない。これは本格的にナオを連れて俺たちだけでも脱出する展開を考える必要が出てきたぞ。
「何だよ、話がまとまったじゃねえか。それじゃあ……」
龍太郎が静かに右腕を上げて工藤さんたちを指差す。
「お前ら皆殺しだ」
次の瞬間、突如として龍太郎の右肩が膨れ上がった。いや、膨れたと表現するよりも、体内で爆発が起きたと表現するほうが正しいかもしれない。
体内の爆発は右肩だけに留まらず、右前腕の至るところで起き、伝播するように左腕、胸、腰と全身くまなく起こっている。
「五十嵐三佐!」
「――撃てッ!!」
五十嵐さんの号令に合わせて、銃器を構えていた隊員たちが一斉射を開始した。
「ナオ!!」
「ちょ!? なに――ブゥ!?」
慌ててナオの体の上に覆いかぶさる。万が一にも俺たちに向かって撃つことはないだろうが、億が一の事があるかもしれない。
薬莢がスコールのような勢いで床を叩き、その音が体育館に響き渡る。
延々と続くような射撃音に恐る恐る顔をあげれば、寸分違わずに狙いを定めた銃弾が龍太郎の体を叩き続けていた。
ナオに伸し掛かり、恐怖に抗いながら顔を上げるまでの僅か数秒で、龍太郎の肉体は縦にも横にも倍近く膨れ上がっている。
いや、あれを龍太郎と表現するのは最早困難だ。二足歩行なんて忘れたと言わんばかりに両腕で体を支える姿は、六日前に見たゴリラのような化け物と瓜二つだった。
弾倉が空になったのか銃声が一斉に止み、名残のように嗅いだことの無い匂いが鼻を突く。
「いやいや、これはまいったね。ちょっと硬すぎやしないかな?」
楽しそうに笑う工藤さんの視線の先、打ち込まれた弾丸全てを受けきった龍太郎が何も言わずに工藤さんを見つめている。
そしてゆっくりと右腕……右前足と表現するべきなのか、それを持ち上げると、肥大しきった指先で水中ゴーグルを掴むではなく摘んだ。
「俺様は不良だからよ。喧嘩で加減なんてしねえ」
軽々と水中ゴーグルを引きちぎって腕を地面に下ろせば、小さな地鳴りが体育館を揺らす。
「ブッ殺すッ!!」
あまりにも直接的すぎる、無垢とも感じられるほどの純粋な殺意。
それを発する龍太郎の両眼は、赤よりも深い真紅の色に染まっていた。




