逃走とパチンコ玉とサイン
状況がまるで理解できない。どうしてこんな感染者だらけの町中で、俺たちは変態に追いかけられているんだ。
「その子、あの時の子なのか?」
走りながら問いただす。追われる原因があるとすれば女の子しかありえない。
そして、それが正解だとしたら、追いかけてくる変態が要塞ってことになる。
「分かんないわよ! この子の後姿が見えたらから、追いかけて声かけたの!」
「どうして拾ってくるんだよ!?」
「仕方がないでしょ! あんな変態が走ってくるのに、放っておけないわよ!」
「そりゃそうかもしれねえけど……」
無関係だった場合、この子がどんな目に会うか分からない。なんせ相手は町中をほぼ全裸で動き回っているような変態だ。
だけど、やはり無関係という可能性はゼロに近いだろう。女の子と行動を共にする要塞という関係に符合する以上、疑う余地もなくあの変態が要塞だ。
だからこそ非常にマズい事態だった。あの変態を仲間に引き込むのが目的なのに、俺たちが取っている行動は真逆の行為に他ならない。
けれど、今直ぐ立ち止まって和解するってのも難しい。何故なら、猛追してくる変態は明らかに頭に血が上りきっている。
「クッソ!! あの変態は何であんなに足が速えんだ!! 追いつかれるぞ!!」
「いいから必死に走りなさいよ! 陸上部でしょ!」
「お前の心配だよ料理部!!」
変態との距離が目に見えて縮まってくる。このままじゃカップラーメンが完成するより早く追いつかれてしまうぞ。
「俺が二人を抱えて逃げる! それしかねえ!」
「ダメよ!!」
「何でだよ!? マジで捕まるぞ!!」
この場を切り抜けるには俺の能力を使うしかない。
出し惜しみしている場合じゃないというのに、ナオは何が気に入らないんだ。
「タクトの能力じゃ、この子が耐えれないかもしれないでしょ!」
「そうは言ってもよ!」
「それに、変態が要塞の能力を使ったら最悪じゃないの!」
一理ある。要塞の能力を使われでもしたら勝ち目は無い。でも、このまま捕まったら、それはそれでヤバい事になるのは明白だ。
背後を何度確認しても、状況は悪化の一途を辿り続けている。まったく疲れを見せない変態がジリジリと距離を詰めてくる。
どうすればいい? 何度も何度も答えを求めて脳内で半鐘していた時、唐突に女の子が絶叫の声を張り上げた。
「お兄ぢぁあああん!!」
「お、お兄ちゃん!?」
『若葉ああああぁぁ!!』
まさかの兄妹だったのか。
だったらもっと兄らしい格好をしておけと腹の奥で毒を吐く。こんな事になっているのも、あの変態がイカれた格好をしているからなんだぞ。
本当に最悪だ。もう申し開きもできない、俺たちは変態の妹を拉致して逃げている。
しかも、火事場の馬鹿力とでも言わんばかりに変態のスピードが目に見えて上がった。もうカップラーメンどころじゃない、一分後には追いつかんとする勢いだ。
「どうする! 妹だってよ! 俺たちただの誘拐犯だぞ!」
「そんなの嘘よ! 洗脳よ洗脳! 洗脳されてるに決まってる!」
ナオがヤケクソ気味に喚き散らす。そりゃ兄があんな変態だったら、俺だって洗脳を疑いたくもなるけど、流石にそれは無理があるだろう。
もう捕まるわけにもいかなくなった。能力を使って逃げるしか方法がない。
「……えっ?」
そう考えた瞬間、何故か自分の視界を地面が埋め尽くしていた。
直ぐにバランスを崩している事には気づけたけど、あまりに突然の出来事で、脳が体勢を立て直す命令を送ってくれない。
「何やってんのバカッ!!」
顔面を擦りながら倒れ込む。
ナオの声を聞いて即座に我に返って立ち上がろうとするが、背中を襲った一瞬の激痛に体の動きが固まる。
痛みの正体を考える時間すら与えられず、今度は地面にめり込むような衝撃が背中に襲いかかった。
「よお、兄ちゃん。中々に面白いことしてくれたじゃねえか」
まるで背中の一部分だけ重力が変わったかのような圧を受けながら、頭上から聞こえた声へ顔を向ける。
そこには、荒い息遣いで肩を上下に揺らしながら、憤怒の青筋をありありと浮かべる変態が俺のことを見下ろしていた。
追いつかれた。しかも転んだ上に捕まってしまった。
転ぶ要素なんて無かったのに、どうしてこうなったんだ。背中から伝わってくる踏まれる圧力以外に感じる鋭い点の痛みは何なんだ。
思考を巡らせていると、目の前の地面を転がる銀玉が見えた。
あれはビー玉……ではない、それより小さなパチンコ玉だ。まさか、あれを背中に打ち込まれたせいで転倒したのか。
狩人の身体は能力に耐えられるよう出来ている。だから常人なんかより遥かに頑丈なんだ。あんなパチンコ玉を投げられただけで転ぶようなもんじゃない。
もしかして、これが要塞の能力ってやつなのか。
「俺様の妹を、若葉を返せ。じゃねえと」
「グゥ!? ガアアァア!?」
背骨を圧し折るような力が伸し掛かって来る。
「お前の彼氏……ぶっ壊すぞ!!」
激痛に視界が霞む。変態の声が痛みで上手く聞き取れない。
もうこれ以上は逃げられない、今直ぐにでも女の子を変態に渡すしか選択肢が残されていない。
「ナ……オ……」
声を満足に出せないから、必死にジェスチャーで女の子を開放するよう訴える。
救いが有るとすれば、変態と会話が成立していることくらいか。あの子を開放して謝れば命だけは助けてくれるかもしれない。
「おら、彼氏も離せって言ってんぞ!」
「嫌よ! アンタみたいな変態に、こんな幼気な子を渡せるわけないでしょ!」
「妹だっつってんだろうが!!」
ナオが抱えていた子を降ろしたと思ったら、開放するどころか強く抱きしめながら拒絶した。
あいつは状況を理解していないのか。俺の安全なんて気にする素振りすら見せない様子に、本格的に泣きたくなってきた。
「それに、『離せ』なんて言ってないわ!」
「ああ!! じゃあ何だってんだ!!」
「そいつは野球部なの。今のサインは『掛かってこい変態。秒で沈めてやるよ』って意味よ!」
「ブフウゥ!?」
何を言っているんだあのバカは。秒で沈めるどころか、秒でバレる嘘をついてどうする。
天変地異でも起きない限りあんな話を信じるわけないが、状況が状況だから懸命に首を振って否定の意思を示す。
「違うって言ってんぞ!」
「これだから変態は困るのよ。野球で相手チームのサインを解析するなんて当たり前。首を横に振るのが否定なわけないでしょ! 逆よ逆! その通りだって意味なの!!」
「なん……だと……?」
どうしてそうなるんだよ。ちょっと話の筋が通っているから余計に腹が立つわ。
百歩譲って、俺が野球部で普段からサインで意思疎通していたとして、何で仲間に喧嘩売るようなサインが存在するっていうんだ。そんな殺伐としたチームがあってたまるか。
信じるわけがない。そう思った時、襟を力任せに掴まれた身体が高々と持ち上げられる。
「ハッ! ハハッ……面白え、主人公じゃねえか! お前なあ……お前だよッ!!」
「や……めッ……」
「こいよオラッ!! 秒で沈めてくれんだろうが!!」
首が締め上げられ、呼吸が出来ない苦しさに目を細めながらも見下ろした先には、さっき見上げた時以上に怒りを顕にする変態の顔があった。
何で信じちゃったんだ。どうしてここにはバカしかいないんだよ。百人に聞いたら百五人は嘘だよって答える内容だったじゃねえか。
と言うか、この状況になってもナオは何で嘘をついたと言ってくれないんだ。マジで俺が殺されかけているんだぞ。
産まれた時から一緒だったはずの幼馴染の薄情さに、怒りやら悲しみやらの感情が渦巻く。
「――うおっ!」
もう我慢ならんと変態の胸元めがけて放った蹴りは、拘束を引き剥がすには十分な威力だったようで、締め上げられていた圧迫感から開放された身体は地面に倒れ伏す。
身体の浮いた状態で力がまったく込められなかったが、何とか変態からは逃げられた。
「タクト!!」
「ナオ……お前なあ!!」
あまりに遅すぎる身を案じる声に怒りしか湧いてこないが、今はそれどころじゃない。
ふらつきながら何とか立ち上がって変態と対峙する。相手は傷も負っておらず、依然として怒りを前面に出したまま。
「俺様にも教えてくれよ、『殺す』ってサインはどう出すんだ?」
「知るわけねえだろ!! 俺は陸上部だクソが!!」
もうこれ以上バカ共の相手なんてしていられるか。
「ナオ!! その子を今直ぐ離せ!!」
「え? ヤダ」
「ヤダじゃねえよ!! 離すんだよ、悪いのはコッチだろうが!!」
流石に限界だ。ナオに本気で怒るのは何年ぶりか分からないくらい久しぶりだが、もう我慢の限界なんて遥か後方に見えるくらいに通り過ぎている。
それを分かってくれたのか、ナオが複雑そうな表情をしながらも女の子を手放した。
「お兄ぢああぁぁん!!」
「若葉!!」
弾けるように駆け出して抱き合う変態と少女を見守りながらため息をつく。
泣きじゃくりながら何度もお兄ちゃんと呼ぶ姿から、この二人が本当に兄妹なのだと理解できるだけに、俺たちの行為がどれほど愚かだったのか痛いほどに伝わってくる。
「謝って済む問題じゃねえけど、俺たちはその子を助けようとしただけなんだ」
あえて『変態の魔の手から助けたかった』とは言わなかった。もうこれ以上の揉め事は御免だ。
これで一件落着、全て万事解決だ。そう言い切りたいけど、それが許される世界でもない。
『アアアァ……アァー……』
「流石に長居しすぎたか」
抱き合う兄妹から視線を外して周囲を見渡せば、何処からともなく呻き声が聞こえてきた。
ここは町の外れと言っても民家の数は多い。気付けば道の先から感染者が姿を見せ、後方からも数人の感染者が近付いてくる。
見る見るうちに数を増やす感染者に、俺たち四人は囲まれつつあった。




