収納上手
視界に映る感染者の数が次々に増えていく。さっきまで二、三人程度だったのに、今では十人に届きそうなくらいになっていた。
どうやって突破すればいい? 俺たちにとって感染者は人間と変わらない。殺すなんて強硬手段は論外中の論外だ。かと言って、手加減しながら無力化させるのも変態と少女に怪しまれる。
考えれば考えるほど厄介な状況だった。
人間のふりをしている以上、能力は使えない。変態は間違いなく要塞だと思うけど、能力を使っていないから確実とは言い切れない。
今ならまだ、走れば通り抜けられるだけの隙間は空いている。けれど、変態の妹を拉致した事で不信感を抱かれているって考えたら、二人が素直に言うことを聞いてくれるか怪しいところだ。
何よりもマズいのは、このまま数が増え続けて逃げ場が無くなった場合、変態が能力を使って感染者を皆殺しにする可能性がある。
せめて変態の目を確認できれば特殊感染者かどうか判断できるのに、厄介な水中ゴーグルのせいで瞳が何色か分からない。
「……ったくよお。お前らのせいで面倒な事になったじゃねえか」
変態が立ち上がり、涙を手でこする妹の手を引きながら俺たちの前へ歩み出る。
まさか能力を使うつもりなのか? それだけは絶対に阻止しなくてはならない。だけど、俺の能力じゃ要塞には逆立ちしたって敵わない。
嫌でも会議室で見せられた映像を思い出してしまう。止めたいと思っているのに、俺は傍観することしかできないのか。
己の無力さに唇を噛み締めた時、変態が俺たちへ向き直った。
「左の二匹の足を止める。喰われたくなかったら死ぬ気で走れ」
そう言って再び正面を向くと、変態は静かに腰を落とし、何故か左手を股間に潜り込ませ、右手を反対側の尻へ潜らせた。
「な、ななな何してんのよ!?」
まるで理解できない行動に、ナオが悲鳴に近い声を上げながら問い質す。
何であの変態はこの状況で股間と尻を弄り始めたんだ。
気でも触れたのかと思った次の瞬間、変態が海水パンツから両手を抜き取り天高く掲げる。
直様左手を正面に突き出し、まるで弓を引くかのように右手で左手が握っていた物を摘んで引き寄せた。
「あれは……パチンコか?」
英名でスリングショットと呼ばれる物を変態が構える。俺が知っているY字型の単純な物じゃなく、アームレストが付いた本格的なスリングショットだ。
信じられない、何なんだあの変態は。いや、そんな事を考えている場合じゃない、今直ぐにナオに伝えないといけないんだ。
「おい、ヤベエぞナオ!! あの変態、チンコからパチンコを――」
「うるっっさい!! 口に出すんじゃないわよ!!」
案の定、ナオが顔面を真っ赤に染めて頭を振り乱している。
その怒声が仇となったのか、変態が放ったパチンコ玉は感染者の足を捉えずに、直ぐ脇の地面に直撃して跳ね飛んでいった。
「うるせえな! 気が散るから黙ってろ! クソが、弾も少ねえんだぞ」
そう言って再び尻に手を突き入れて弄り始める。
あんな所に弾を仕舞っているのかよ。あの変態は何処までネタに走れば気が済むんだ。
「やめろ! それ以上面白いことをするな!」
「黙ってろっつってんだろうが!! 大真面目だバカ野郎!!」
「尚のこと悪いだろうが!?」
羞恥心なんて言葉を知らないような清々しさで二発目の弾を尻から取り出し、再び正面の感染者へ狙いを定めた。
ここまで来ると狙われている感染者のほうが不憫に思えてくる。多少の傷なら直ぐに治るだろうけれど、尻に挟まれていた弾に撃ち抜かれるなんてトラウマものだろう。
感染者に意識が無くて本当に良かったと、自分でも場違いだと思う心配をしていた時、今の今まで恥ずかしさに押し潰されていたナオが声を張り上げた。
「アタシが何とかするから止めて!!」
それは感染者を気遣ってのことか、それとも己の精神が耐えきれなくなったからかは分からない。
「どうするってんだ!」
「いいから! 直ぐに走るわよ!」
何をするつもりだ、なんて考えるまでもない事だった。
ナオは能力を使うつもりだ。それはマズい、感染者を操れるなんて知られたら、俺たちがただの人間じゃないとバレてしまう。
「止め――」
「動かないで!!」
静止の声をかけるよりも早く、ナオの能力が周囲に向かって行使された。
向かってくる感染者たちの動きが止まる。まるで時間が止まったかのように思える光景だった。
「行くわよ!」
「……お、おい!!」
戸惑う変態に見向きもせずにナオが走り出す。
やってしまった、こうなっては言い訳のしようもない。能力を使ってしまった以上、俺に出来ることと言えば無理にでも誤魔化すことだけだ。
「早く妹さんを! こいつら直ぐに動き出すぞ!」
変態に駆け寄り、深く考えさせないように急かす。
「どうなって……訳わかんねえぞチクショウ!!」
上手くいったかは分からないが、変態は直ぐに妹を抱き上げて駆け出した。
感染者の合間を縫ってナオの背中を追いかけながら振り返った先では、止まっていたはずの感染者たちが動き出しているのが見えた。
能力が弱まっていると言っていたけど、まだ数十メートルの距離は問題なく操れるようだ。
「女ァ! 今のは何だ、どうやってゾンビ共を止めやがった!」
ナオに追いついたところで変態が声を荒げる。
そりゃ当然そう言うだろう。叫ぶだけで感染者が立ち止まるなんて有り得ない。
納得させる模範的な回答なんて無かった。なんせ、相手は今日まで生き延びてきたのだ、感染者の行動なんて誰よりも熟知している。
「大声出せば驚いて止まるのよ!」
どう説明したものかと悩んでいたのに、その努力を無駄にする答えをナオが言い放った。
「んな訳があるか! 俺様も若葉だって何度も叫んだぞ! 止まるわけねえだろうが!」
ナオの回答は即座に否定される。
そりゃ叫んだだけで止まるのなら、ここまで感染者は増えていないだろう。
「アンタの方言がキツイってだけでしょ! 何言ってるか伝わってなかったのよ!」
「別に訛ってねえだろ! っつーか、ここは地元だ!!」
滅茶苦茶な事をまくし立てるナオに対し、変態が間を開けずに噛み付く。
操ることが出来るなんて口にできない以上は誤魔化すしかない。なのに、その誤魔化し方が絶望的に下手すぎて頭痛がしてくる。
「理由は分からねえけど、ナオの声だけはゾンビに効くんだよ。もしかしたら、特定の音にだけ反応するのかもしれない」
「あの女の声が特別ってことかよ?」
「そういう事だ。じゃねえと、今日まで生きてこられなかった」
かなりグレーゾーンを攻めた説明をしたと思う。操れるという情報を出来る限りボカして、あくまでも人間であることを強調した……はずだ。
そして重要なのはここから。一刻でも早く話題を変えなくてはいけない。
「それより、さっきのパチンコ? あれはゾンビに通用するのか?」
「あたぼうよ! 俺様がパチンコ持ったら鬼に金棒ってな!」
スリングショットについて話題を振った途端に自慢気に返事を返してくる。
そうか、あれは妹以外に見せる絶好の機会だから披露した、渾身の一発ギャグってわけじゃなかったんだな。
本当に突っ込みどころが多すぎて迷ってしまうが、これだけはどうしても確認しておきたい欲求が強すぎて尋ねることにした。
「その……パチンコは何処に仕舞ってんだ?」
いや、取り出した瞬間を見たから場所は分かっている。
それでも気になるんだ。あの海水パンツの何処に仕舞えるようなスペースがあるのかが気になって仕方がない。
変態が掴んでいるのは妹の手だけで、パチンコは握られていないんだ。
つまり、ナオが感染者の足を止めるという理解不能な出来事が起きても、一瞬で仕舞えてしまうくらいに普段からパンツの中に仕舞っているってこと。
こんなの気になって仕方がないだろう。
「俺様のパチンコはかなり小さく畳める。それをこう、上手いこと玉の裏に――」
「弾玉うるさいのよ! 想像しちゃうでしょ!」
懇切丁寧に解説し始めた変態にナオが叫びながら割って入った。
「でもよ、凄いんだぞ? 仕舞ってるはずなのに、パンツに不自然な凹凸がねえんだ」
「いいから黙ってよ!! 何でアタシがいる時に限って食いつきが良くなるの!!」
「そりゃナオの反応が面白いから」
「ぶん殴るわよ!!」
半分冗談で言った発言に、湯気が立ちそうな程に顔を赤らめたナオが怒鳴り散らす。
人間のふりをして感染者から逃げているって状況のはずなのに、俺は本能的にナオをイジり倒すのを止められないのだった。




