大雨と雨合羽
工藤さんの運転で静かにパトカーへ近付いていく。
後部座席から固唾を呑んで見守っていると、運転席に座る人影が前のめりに倒れ込む姿が確認できた。
運転手は意識を失っているのかピクリとも動かない。
「パトカーを確認するよ。遠藤君は何かあったら直ぐに佐々木君を連れて離れてね」
「ただの事故じゃないの……?」
「分からないから用心するのさ」
工藤さんが助手席に置いていた小銃を手に取り車を降りると、直ぐに銃口を正面に構えて周囲を警戒する。
俺たちも離れないよう辺りに注意しながら付いていき、少しずつパトカーとの距離を縮めていった。
ボンネットこそ軽く潰れているだけで、フロントガラスにもヒビが入っている程度。大したスピードは出ていなかったようだ。
しかし、不思議な事に運転手側のサイドガラスが砕け散っている。正面からの衝撃でサイドガラス一枚だけが割れるなんて不自然だ。
パトカーに辿り着いた工藤さんがサイドドアに背を預け、横目で車内を確認する。
そして直ぐに右手を俺たちへ突き出して静止の声をあげた。
「見ないほうがいい」
「どう、なってるんですか……?」
「頭が吹き飛んでる。これを見たら今日の夕飯は喉を通らないよ」
「うえぇ……想像しちゃった……」
思わず青ざめた表情のナオと身を寄せ合う。言葉通りだとすれば、車内は想像を絶する光景が広がっている。
慣れているからか、それとも仕事上仕方がなくか、工藤さんは躊躇うこと無く運転席のドアを開け、上半身だけ車内へと潜り込んで調べ始めた。
五分ほど経って車から出てきた服は被害者の血で真っ赤に染まっている。
その姿を見ただけで気分が悪くなってくるが、雨のお陰で直ぐに洗い流されたのが唯一の救いだろうか。
「間違いなく事故が原因じゃない。何者かがサイドガラスを破壊して頭を潰したようだね」
「熊ですかね……?」
「動物の毛が一本たりとも残ってない。これは熊じゃないね」
「だとすると、一連の事件は全て熊じゃない者の仕業?」
「そう考えるのが妥当だね。問題は既に犯人が橋を越え、この近くにいるってことかな」
恐ろしいことをサラリと言ってくれるもんだ。そりゃ考えるまでもなく分かっていた事だけど、出来れば聞きたくなかった。
犯人はもう遠くへ行ってしまったかもしれないし、今まさに俺たちを見ているかもしれない。そう思うと嫌でも肌が粟立ち、平静を保っていられなくなる。
その時、唐突に民家からガラスの割れる音が響いた。
「うわっ!?」
「ヒッ!?」
音の発生源に顔を向けた時には既に工藤さんが駆け出していた。
「僕が見てくる! 二人は道路の真ん中、見晴らしのいい場所で待っているんだ!」
工藤さんの姿が垣根を越えて見えなくなった途端、恐怖心がより強まったように感じる。
取り敢えず、指示通り見晴らしのいい場所に行こうとナオの手を引くと、何故だか明後日の方を向いて硬直している。
視線の先には何もない、精々民家か電信柱があるってだけだ。
「何やってんだ! さっさと行くぞ!」
「……今の聞こえなかった?」
「聞こえたよ。だから見晴らしのいい場所に行けって工藤さん言ったろ」
「そうじゃないわよ。子供の声が聞こえたの」
「この雨の中でか? 聞き間違いだろ?」
「絶対聞こえた!」
「――ナオ!? 勝手に行くなって!!」
弾けるように駆け出したナオの背中をすかさず追い駆ける。
子供の声なんて聞こえなかった。聞こえていたとしても、この状況で確認に行こうとするなんて自殺行為だ。
せめて工藤さんに一声かけるべきだったのに、今からじゃもう遅い。こうなったら一秒でも早くナオを捕まえて戻るんだ。
殺された警官の遺体を見ないようパトカーの前を通り過ぎ、車も入れない細い路地へ踏み込むと、道の先にあるT字路でナオが立ち止まっていた。
慌てて駆け寄り、今度は離さないよう腕を掴み取る。
「何やってんだ。危ないって分かってるだろ」
「あれ……あれ見て」
「あれって何だ……よ?」
ナオが指を指した方に顔を向けた瞬間、呼吸を忘れて体が硬直した。
左右をブロック塀に塞がれた道の先、僅かに開けた十字路の中心に真っ赤な傘と雨合羽を着た子供の姿があった。
性別はわからない。姿形から小学生くらいに見える子供は、楽しそうに足元の水溜りを踏みつけ遊んでいる。
この周辺で起こっている事件に対し、あまりに不釣り合いな光景だ。
「勝手に動いていいなんて僕は言ってないよ」
「工藤さん……すみません……」
「無事ならいいさ。次またやったら怒らないとだけどね」
何時の間にか路地から歩いてきた工藤さんが優しく叱ってくる。微塵も怒りを滲ませない声色じゃ次も許されるんじゃないかと勘違いしそうだ。
いや、今はそんな事を考えてる場合じゃない。
「ナオが声が聞こえたっていうから来たら、あそこに子供がいて」
「子供だって? ……本当だ。どうやら感染者じゃないようだけど」
「迷子かしら?」
「そうだと良いんだけどね。さあ、二人は僕の後ろに下がるんだ」
警戒して子供の元へ近づく。相手は足元に夢中なのと、傘が視界を邪魔して俺たちには気付いていない様子だ。
今考えないといけないのは、生存者なのか、それとも俺たちと同じ特殊感染者なのかってこと。
年端もいかない子供でも能力を持てるのか分からないけど、ただの人間がこの場にいる方が不自然だから何とも言えない。
だがその答えは一瞬で判明した。路地の向こう、俺たちとは丁度反対側から感染者と思しき者が三人、子供へ向かって近づいてくる。
三人の内二人が互いに足を引っ掛けて転倒したのが見えた。あれは間違いなく意識がある感染者の動きじゃない。
「ナオ!」
「分かってる! 感染者の動きを止めるわよ!」
「ちょっと待――」
「止まってっ!!」
俺の声に呼応してナオが能力を行使する。
雨音で声なんて感染者には届いていない。それでも三人の動きがピタリと止まり、子供に近付こうとする者は居なくなった。仮に見えない場所にいたとしても、今頃は全員の動きが止まっていることだろう。
「そんな大声を出したら気付かれちゃうじゃないか」
「え?」
何を言っているんだと思った矢先、さっきまで水溜りで遊んでいた子供と視線が重なっている事に気づく。
俺たちが声を張ったせいで本当に気付かれてしまったらしい。
それ自体は別に問題ないと思ったのだが……
「うえええぇぇん!!」
「あ~あ、驚かせて泣かせちゃったよ」
「お、俺のせいですか!?」
「そりゃそうでしょ。何やってんのよ」
ナオも同罪のはずだが、当たり前のように全ての罪をなすりつけてきた。
俺は悪くない、これは不可抗力ってやつだ。あそこで止めなかったら危なかったんだ。
しかし、泣き声から女の子だと分かったけど、今度はどうやって近づけばいいか分からなくなった。
「大丈夫、怖くないよ~。ごめんね、大声出して」
「このお兄ちゃんは後でぶん殴っておくから安心して~」
警戒を解くように両手を広げて語りかける工藤さんとナオ。
流石にこの雨じゃ声までは聞こえないだろう。それでも、敵意が無いと伝わればきっと泣き止んでくれる。
そう思っていたのに女の子の泣き声は収まらず、それどころか一歩近づくたび泣き声は一層大きくなっていった。
これには参ったと顔を見合わせている二人。
とは言え、離れるわけにもいかないから視線はそのままで近づき続ける。
女の子まで残り二十メートルくらいと思った刹那、何かが十字路から飛び出した。
「ぶうええ――」
「ッ!? クソッ!!」
女の子の泣き声が一瞬で掻き消え、即座に反応した工藤さんが小銃の引き金を引く。
生まれて初めて聞く生の銃声が通り過ぎた何かの動きをなぞるが、全て外れた銃弾はブロック塀に深い傷跡を残しただけだった。




