感染者と野生動物
『聞いてのとおりだよ。二人には悪いけど、帰る前に用事を済ませるね』
俺とナオは黙って頷きを返す。
大して疲れてもいないし、放置していい問題でも無さそうだ。
「それにしても熊ですか」
『野生動物は感染者にとって脅威だからね。被害が拡大する前に仕留めなきゃ』
『それって、もう犠牲者が出てるってこと……?』
『特殊感染者を向かわせるくらいだ、少なからず被害は出ているだろうね』
人間ですら銃を持たなければ敵わない。動きが鈍重な感染者じゃ逃げることはまず不可能だろう。
熊ってのは一度人間を襲うと恐怖心を失って何度でも襲うとか聞いたことがある。それが本当なら現地は想像以上に逼迫した状況なのかもしれない。
不安にかられ窓から外を眺めると、何時しか雨が降っていたらしく、付着した雨粒が風に飛ばされていた。
視界の悪い中で熊を探すのかと思うと、どうしても気が滅入ってしまう。
晴れないだろうかと考えながら過ごしていると、期待とは裏腹に雨量が目に見えて増していくのが分かる。
こりゃ現地は土砂降りどころの話じゃないぞ。
『警察署上空に到着しました。正面のホームセンターに着陸させます』
着陸した後、四人揃って輸送機を出ると予想通りの大雨が出迎えてくれた。
「こりゃ酷いね。まるでスコールだよ」
機内から見た様子や伝わってくる雨音で分かってはいたが、外に出てみると尋常じゃない雨量に唖然としてしまう。
もう殆ど滝に打たれているようなものだ。視界も悪いし、歩くだけで疲れそうな気がする。
駆け足で一車線の道路を渡って警察署に駆け込む。距離にして百メートル程度だったはずなのに服はずぶ濡れだ。
「五十嵐三佐、お願いできますか?」
「了解しました」
即答した五十嵐さんが一人で受付へと歩いていく。そこで少しばかり話こんだ後、何事もなく俺たちの元へ戻ってきた。
「二階の会議室で待っているようです」
「分かりました。向かいましょう」
我が家のような軽い足取りで歩き出した工藤さんの後ろを追って階段を登れば、廊下の直ぐ先で第一会議室という看板が目に留まる。
中には四人の警察官の制服を身にまとった感染者が着席して待っていた。
「山本は何処だ」
五十嵐さんが一歩前へ歩み出て声を張る。すると、四人の内の一人が即座に立ち上がり、まるで選手宣誓のような勢いで右手を突き上げた。
支配者の能力を使ったのか。操られいる状態は感染者に意識が無いらしく、ここの四人は能力が解かれてようやく意識を取り戻せる。
それなのに、口を開く暇すら与えずに操るとは相手が可哀相だ。
「なら貴様以外は今直ぐ失せろ。話の邪魔だ」
目的の人物を確認した途端、残りの警察官を部屋から追い払ってしまう。
何もそこまで言わなくてもと同情したくなる。命令された側は辛辣な言葉を浴びせられたという事実を記憶することすら叶わず、駆け足で会議室を飛び出していった。
残された山本さんは直立したまま、置物のように硬直している。
「状況を説明しろ」
「確認できただけで住民が八名、警官が三名殺害されました」
「署内の人が少ないですよね? 出払っているんですか?」
「地図をご覧ください。他の者はここにある大橋の前でバリケードを張っています」
操られたままの山本さんがハキハキとした声で状況の説明をしてくれる。
しっかりと聞かないといけないのに、話が頭に入ってこない。地図を見ながら考えることは、犠牲者がもう十名以上出てしまっているということだった。
「どうしてそこにバリケードを?」
「熊は橋の向こうで暴れているんです。順を追って説明しますと……」
工藤さんと山本さんの間で会話が続く。口を挟むわけにもいかず、俺たちは会話に耳を傾け続ける。
どうやら、八日前に大橋の向う側にある町の様子を確認に行った警官が行方不明になったのが事の発端らしい。
それから捜索に向かった警官二人が、橋の向こうにあった工場で無残に分解された警官と住民の遺体を発見。その二人も無線の報告を最後に消息を絶ったとのことだった。
数年刻みではあるが熊の目撃情報があることから犯人を熊と断定し、現在は橋を渡られないようバリケードを築いて警戒しているようだ。
「確かに熊の仕業のようですね。気になったのですが、どうして町へ行ったんですか?」
「田舎ですから高齢者が多く、近くに病院もありませんので、普段から見回っているんです」
「そして行方不明になったと」
「仰る通りです」
それにしてもスラスラと喋るものだ。とても操られているとは思えない。山本さんは今まさに人間らしさを取り戻している。
能力の使い方によってはこのように人間と同じように会話できるらしく、本当に反則的な能力だと驚かせられる。
全ての感染者が望む状態なのは間違いない。それが記憶できないなんて悲しい話だ。
いや、覚えていると逆に辛いか。シンデレラの魔法みたいに、能力も何時かは解かれてしまうのだからな……
「状況は理解しました。よし、僕たちも作戦に合流しよう」
「パトカーの鍵です。移動にお使い下さい」
差し出された鍵を受け取ると、工藤さんが五十嵐さんへ視線を向ける。
「五十嵐三佐はこの場で待機、何かあれば無線で指示をお願いします」
「了解しました。お気をつけて」
「二人は僕と一緒に熊狩りだ」
そう行って部屋を出ていく工藤さんの表情は何時もと同じ笑みが浮かんでいる。
凄惨な話を聞いて心中穏やかじゃないだろうに、俺たちを気遣って無理に笑っているのだろうか。そう思うと心から熊を退治しようという熱い想いが込み上げてくる。
警察署を出ると雨脚が弱まりつつあった。
外に停めてあったパトカーに乗り込んで目的地の大橋へ向かって移動を開始する。
「もし、熊が出たら僕が対処するよ。二人は周りの人を助けてあげて」
「熊ってこの雨でも出歩いてるのかしら?」
「どうだろうね。そもそも、熊かどうかすら怪しいからね」
ワイパーブレードがフロントガラスの水気を忙しなく拭い続ける車内で、工藤さんが不可解な言葉を口にした。
その真意を問おうと後部席から乗り出して尋ねる。
「原因は熊じゃないんですか?」
「報告から断定したってだけで、熊を目撃したわけじゃないからね」
「じゃあ一体何が?」
「いやいや、僕も熊だと考えているさ。違った場合の事も考慮してるってだけでね」
日本には大型の動物は少ない。人間の体を分解するほどの力を持った動物なんて熊じゃなければ猪くらいしか思いつかないぞ。かと言って猪が工場に死体を運ぶなんて考えられないし、やっぱり犯人は熊だと思う。
いや、熊にもそんな習性はないか? そもそも工場に運んだんじゃなく、工場にいた時に襲われたのか? 考えてみると、報告を聞いただけじゃ不明瞭な点が多いことが分かる。
まさか、人間の手によって惨殺されたとでも言うのだろうか。でも、人間が生き残ってる可能性は熊が出没するより低い。それに、感染者の体を分解するような真似をする必要も無いはずだ。
見えてこない犯人像に脳漿を絞っていると、工藤さんが車を減速させながら愚痴のようにポツリと呟いた。
「……これは面倒になってきたね」
俺たちの視線の先には、ハザードランプを点灯させたパトカーが電信柱に激突して止まっていた。




