憧れの一人暮らし
「住む場所ってどういう所なの?」
「自衛隊官舎。まあ、普通のマンションだね」
工藤さんが持ってきた車に乗って新しい住処へ向かっている。
二人の会話を聞きながら一人暮らしは初めてだな、なんて漠然と考えていた。感染する前も最後までナオと一緒だったし、感染した後も実家に帰って家族と暮らしていたから一人暮らしとは無縁だった。
「着いたよ。そこの六階建てのマンションが官舎」
「でっか!」
「凄いな……」
見上げると首が痛くなるような高さだ。外観も綺麗でまだまだ築年数が浅い事が分かる。
「悪いけど部屋は最上階なんだ」
「全然全然! むしろ最上階のほうが良いわ!」
俺もナオと同意見、高層マンションの最上階とか一度は住んでみたかったんだ。
「そう言ってくれると助かるよ。一階は普通の隊員じゃないと通勤が大変でね」
「他の人も住んでるの?」
「元々住んでいた家庭持ちの隊員が二人? だったかな」
言われてみれば確かに普通の感染者が六階から通勤するのは大変だ。しかも、自分だけでなく家族全員なのだから苦労もその分だけ増えてしまう。
そういった点から考えて俺たちが最上階に住むのは至極当然ってことか。
「入口はこっち。もう夜も遅いから静かにね」
「は~い」
工藤さんの後を追って官舎の正面入口から入ると、そこにはオートロックと思われる自動ドアが設置されていた。
だけど今はドアが開けっ放しになっていて役目を果たしていない。
「あの、工藤さん。このドア意味なくないですか?」
「仕方がないさ。感染者の足じゃ勝手に閉まったが最後、二度と入れなくなるからね」
「なるほど……」
自動ドアより少し離れた壁に呼び出し用のボタンと鍵穴が見える。きっとあそこに鍵を挿してドアを開けるのだろうが、感染者の愚鈍な動きじゃ閉まるまでに通り抜けられないだろう。
まあ、あんな身体で盗難なんて行う大馬鹿者はいないだろうから、セキュリティは気にしなくて問題はないのかもしれない。
そのまま工藤さんは自動ドアを通り抜けて直ぐ側にある階段を上っていく。
「エレベーター使わないんですか?」
階段の脇にエレベーターが備わっている。わざわざ六階まで階段を使う必要もないだろう。
「ああ、一週間前に定期検査の期限が切れてね。危ないから使わないほうがいいよ」
「え!? アタシたち毎日この階段を登らないとなわけ!?」
「それは大丈夫だよ。ここに住んでいる間だけだから」
「毎日ってことじゃねえか!!」
何一つ大丈夫じゃなかった。六階まで毎日上り降りするなんて嫌がらせ以外の何物でもない。
さっきまでは最上階というブルジョワっぽさにテンションが上っていたけど、今じゃもう真逆の気分だ。
とは言え、理由が理由だけに一階に移せとも言えず渋々《しぶしぶ》階段を上る。
「ム……無理……これ毎日は無理……」
「だから住んでる間だけ――」
「それで納得するヤツがいたら喜んで上ってやるわよ!!」
殆ど肩で息をしているナオが工藤さんに噛み付いている。
「遠藤君……」
「いやそんな『君なら分かるよね』みたいな顔されても無理に決まってるでしょ」
せめて明確に期間が決まっているのなら我慢のしようもあるのだが、役目が生存者の救助なのだから期間なんて決まっているわけがない。
でもまあ、ナオには悪いけど六階程度なら俺の身体は疲れを感じないらしく、エレベーター使えなくても問題なさそうだ。
「分かった、何とかしてみるよ。とりあえず詳しい話は明日にして今日は解散にしよう」
「頼むわよ工藤ちゃ~ん……」
「任せておいて。それとこれ部屋の鍵。部屋にある物は好きに使っていいよ。ただし、部屋を壊したりはしないでね」
諸注意を聞いて鍵を受け取る。部屋番号は六〇一、どうやら角部屋のようだ。
「明日は~……そうだね、朝の八時頃に迎えにいくと思うから」
「分かりました」
「それじゃ今日は本当にお疲れ様。しっかり休んでね」
工藤さんは明日の予定を伝えると手を振りながら階段――ではなくエレベーターに乗り込んだ。
「乗れるんかい!」
「分からねえぞ。工藤さんの場合、わざと乗ったのかもしれねえ」
本当にあの人は掴みきれない。嘘をついていたのか、それとも俺たちをからかうために危険だと知りながらも乗ったのか。どっちの可能性も等しく有り得ると思えてしまう。
「もう気にしねえで休もうぜ」
「そうね……工藤ちゃんと話すとドッと疲れるわ」
本当にその通りだ。今日はよく一緒にられたものだと自分を褒めてやりたくなる。
ナオと別れて部屋の鍵を開け中へ入ると、待っていたのは僅かに通路の明かりが差し込む薄暗い玄関。壁を見渡して電気スイッチを押して照明を点ける。
その瞬間、全身に悪寒が走った。反射的に瞼を閉じて顔を下げる。
夜中に猫に明かりを向けてはいけないって聞いたことがあった。あれって夜目が効くからじゃなかったか? もしもそうだったら俺も危ない。
恐る恐る瞼を起こす。バッチリ照明は点いているが今の所は目に異常はなさそうだ。
そこで重要なことに気付き、その場で膝と両手をついて項垂れる。
「入口から通路、全て照明ついてたろ……」
とっくに明るい場所を通ってきていたんだった。弱い光だったから影響が無かった可能性もあるけどそこまで恐れる必要はなさそうだ。
部屋に上がって直ぐのドアを開けるとトイレがあり、その直ぐ隣は洗面所と一枚の扉を挟んで浴室がある。蛇口のハンドルを捻ると水もお湯も問題なく出たからシャワーも浴びられる。
今度は廊下の突き当りのドアを開けると、八畳はありそうなキッチンが俺を出迎えた。ここまで広くなくてもいいだろと思いながら冷蔵庫をチェックする。ペットボトルのミネラルウォーターやお茶、スポーツ飲料に加えてレトルト食品が整頓されて仕舞われている。
お茶を飲みながらキッチンに置かれたビニール袋を開くと中にはカップ麺が十種類も入っていた。
「こっちの洋室も広いな~。うお、和室まであるのか」
キッチンと繋がっている洋室の壁には襖があり、和室と繋がっている。
襖を閉じて洋室の壁に立てかけられていたリュックサックを開けると、今日着てきた私服や換えの下着が何枚か入っていた。
冷蔵庫の中身やカップ麺といい、誰かがわざわざ部屋まで運んでくれたのか。感染した身体でここまで来るのは大変だったろうに、頭が下がる思いだ。
「とりあえずシャワー浴びっか」
今日一日の疲れを癒そうと上着を脱ぎながら浴室へ向かう。
洗面所のドアノブを握って開けようとした時、先に玄関のドアが音を立てて開いた。
「タクト~」
「ビビったなあ……ナオかよ」
さっき別れたばかりのナオが我が物顔で部屋に上がり込んでくる姿を見ながら、不審者じゃなくて良かったと胸を撫で下ろす。
そう言えば、今日から一人暮らしなんだから施錠はしっかりしないといけないな。
「お風呂入るの?」
「そうだけど、なんか用だったか?」
「こっちの部屋には何があるのか気になっただけ」
「同じだろ……まあ、俺はシャワー浴びっから、好きにしていいぞ」
それだけ伝えて洗面所のドアを閉める。
服を脱ぎ散らかして浴室に入りシャワーで全身を洗い流す。
今日は本当に大変な一日だった。ナオとの関係が元通りになったと思った矢先に工藤さんから連絡が入り、拳銃を向けられて連れて行かれた先で血を飲んだら能力なんてものを手に入れてしまった。そんでもって行き成り生存者を救助するっていう目まぐるしい一日。
「ナオの能力は凄かったな……」
感染者を操って作った道は生涯忘れることのない光景だろう。
そう言えば、当の本人に能力のことを聞いていなかったな。あの時は能力よりも工藤さんの行動が異常すぎて気にする余裕がなかった。
後で聞いてみるかと浴室を出てバスタオルで体を拭いていた時――
「キャアアアァァッ!!」
唐突に上がったナオの悲鳴が俺の鼓膜を激しく揺さぶった。




