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羞恥心と隔て板

 ナオの悲鳴は悪巫山戯《わるふざけ》しているような声じゃなかった。

 せめてトランクスくらいは履《は》くかと伸《の》ばした腕が止まる。その僅《わず》かなタイムロスでナオの身に取り返しのつかない出来事が起こるかもしれない。

 世間体《せけんてい》なんか気にしている場合じゃないと産まれたままの姿で悲鳴の発信源である洋室へ全力で駆け出す。


「どうした!!」


 俺の呼びかけに返事は無かった。それもそのはず、洋室にはナオの姿がない。そのかわりベランダに繋《つな》がるガラス張りの戸が開け放たれている。


「嘘だろ!? ここ六階だぞ!?」


 まさか落ちたのか。年相応の知能を有していたら絶対に取らない行動を取ってしまったのか。

 慌ててベランダに飛び出し、手すりを掴《つか》んで地上を見下ろす。そこには駐車場があったのだが、肝心のナオの姿は確認できない。

 落ちたわけじゃないようだ。それなら何処に行ったんだと手すりから乗り出した上半身を戻した時、直ぐ側から呻《うめ》く声が聞こえた。

 その声の方へ顔を向けると、ナオが不格好な姿で地面に突っ伏していた。


「……何してんだ?」

「あ~痛かった。ここにあったプラスチックみたいな壁を押したら崩れちゃったのよ」


 そういって立ち上がるナオの足元には確かにプラスチックみたいな白い板が散乱している。どうやら各部屋を仕切る板を壊してしまったようだ。


「さっき部屋を壊すなって言われたばかりだろ……」

「わざとじゃないわよ! 押したら外れそうだなって思って押したら壊れたの!」

「確信犯かよ! 尚《なお》の事ダメじゃねえか!!」

「壊れたものは仕方がない――ってか、何で裸なのよ!!」


 そう言われて自分が裸だったのを思い出した。

 この場合は赤面しながら陰部を隠すのが正しい反応なのだろうが、生憎《あいにく》と相手がナオじゃそんな気分にもなれない。


「仕方がねえだろ、風呂上がったタイミングで悲鳴が聞こえたんだから」

「普通パンツくらい履くでしょ!」

「履く手間すら惜しんで駆けつけたんだぞ」

「分かったから! さっさと部屋に戻りなさいよ!」


 右手で追い払うジェスチャーをするナオに目視で怪我《けが》が無いのを確認して部屋に戻る。

 着替えを済ませて脱衣所を出たところでナオと鉢合《はちあ》わせた。


「なんだ、もう帰んの?」

「汚れちゃったし、アタシもシャワー浴びるわ」

「あいよ」

「そうそう、ベランダの鍵《かぎ》は開けときなさいよ。あそこ通ったほう簡単に行けるし」


 ナオの言うあそこって壊した板のことか。確かに玄関から行き来するよりは速そうだ。

 そこまで考えて引っかかりを覚えた。


「おい待て。まさか、わざと壊したわけじゃないよな?」

「ま、まままさか~! わざとじゃないって言ったでしょうが」

「心配になるくらい分かりやすいな……」


 もしやと思ったらやはりわざと壊したようだ。

 常識的に考えて非常用だけじゃなくプライバシー保護の役目もある板なのだから、女性が押しただけで壊れるはずがない。


「何よ! 壊れないから体当たりしたってだけよ! 文句あるの!」

「その破壊衝動《はかいしょうどう》はどっから来んだよ!! ……まあ、文句はねえよ。行き来が楽なのは間違いないし」

「なら問題ないわね」

「問題しかねえけど、いいや。今日はもう寝るわ」


 玄関でナオを見送って鍵をかけた。

 食事をしようかと思ったけど腹も減っていない。

 さっさと寝てしまおうと洋室に設置されたベッドに横になる。リモコンを操作して照明を消せば室内はぼんやりと薄暗くなった。

 いざ眠ろうとして実感するけど、この明るさで寝るのは無理だ。諦《あきら》めてアイマスクの力を借りようと体を起こしてリュックサックを漁《あさ》る。

 前までなら電気を点ける必要があったが今は必要ない。夜中にトイレに起きてもアイマスクを外すだけでいいって考えると、夜目が効くっていうのは便利なものだ。

 改めてベッドに潜り込みアイマスクを装着すると視界が黒に染まった。かなり強力に遮光《しゃこう》してくれているようで、これなら問題なく眠れそうだ。


「ナオの能力について聞くの忘れてたな」


 ちょっとした騒動のせいですっかり頭から抜けていた。

 明日聞けばいいかと寝返りを打って瞼《まぶた》を閉じる。

 眠気も肉体的疲労も感じてはいなかったはずだが、不思議と意識が遠のいていく感覚を覚える。そのまま身を任せていると、まるで落とし穴に落ちたように突然意識が途切れた。

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