笑顔の脱出
「大きい声は駄目だって言ったじゃないか」
「それは……じゃなくて、はぐらかさないで下さいよ!」
「そんなつもりは無いさ。遠藤君の言う通り、中の二人は感染させたよ」
この人はまた平気な顔をしてそんな言葉を吐く。
とても正気とは思えない。目の前の男はイカれてるんじゃないのか。
「自分が何をしたのか分かってんですか……!」
「君こそ全員を危険にさらしている自覚はあるのかな? 輸送機で待つよう指示したのに無視した挙げ句、こんな場所で抗議してくるなんてね」
「俺の質問に――」
「答える必要も時間も無いよ。早くしないと中から二人が出てきてしまう」
返事を聞いた瞬間、頭に血が登っていくのを感じた。怒りで両腕の震えが抑えられない、工藤さんはどうしてそこまで俺の感情を逆撫でしようとするのか。
何が出てくるだ。救助すれば良かったんだ、感染させる必要なんて無いんだ。どうしてそんな単純で当たり前の事を理解できないんだ。
「そのまま固まっているつもりかい? あの夫婦が出てきたらこの道を通って輸送機へ向かう。そうなったら生存者たちがパニックに陥るのは君なら分かるよね?」
「アンタのせいだろうが……!!」
「それは違う。君が素直に輸送機で待っていたらこうはならなかったんだよ。遠藤君の勝手な行動がこの状況を作り、今も悪化していっているんだ」
そんなもの屁理屈だ。最後に運ぶと公言している以上、老夫婦がいないことは一瞬で気付かれるに決まっている。
「まあ、君が怒るのも無理はないけどね。でも困ったな、これ以上は『コレ』を使わないと」
「――ッ!?」
そう口にした工藤さんが腰のホルスターに挿した拳銃へ右手を乗せた。
脅しているのか。黙って輸送機に向かわないと殺してしまうと言っているのか。
「誰に……向ける気だよ」
「そりゃ感染者さ。遠藤君には今後も手伝ってもらわないとだからね」
「イカれてるよ……」
「それは見方の違いだね。さてと、直ぐに処理してくるからここにいて。君に聞こえなかったら二人は無駄死にだ」
躊躇いなくホルスターから拳銃を抜き取り、俺の肩を二度叩いて歩き出す。
冷水をかぶったように全身を悪寒が襲う。心底本気だ、工藤さんは平気で生存者を感染させて、平気で殺そうとしている。
「待て! 待って!」
振り返って向き合った工藤さんの顔にはいつもの笑みが浮かんでいた。
「急いで輸送機に戻ります……」
「遠藤君なら分かってくれると信じていたよ。それじゃ生存者を安全な場所へ移そう!」
嬉しそうに笑って走り出した背中を追いかける。
生存者を安全な場所へという言葉の中にはもう老夫婦は数えられていないと考えると吐き気がする程に胸が痛んだ。
『全員搭乗しました。直ぐに離陸してください』
『了解しました』
工藤さんと五十嵐さんの無線をぼんやりとした頭で聞き流しながら、ナオの隣に座って体をベルトで固定する。
どうやら有無を言わさず離陸して戻れない状態にするらしい。
当然、生存者たちの表情には困惑の色が伺える。けれど騒ぎ出す時間すら与えられず、ハッチが閉まるよりも早く輸送機が離陸した。
『ちょっと待って。あれ? 足りないんじゃない?』
隣に座るナオが無線を使いながら指差し確認で人数を確認している。
堪らず数える手を取り太ももの上に押し付けて首を振って止めるように訴えた。数える度に俺が責められているような気がして耐えられなかったんだ。
それからは呆然と自分の爪先を見下ろしながら輸送機の中で揺られていた。
どれくらいの時間が経過したのかすら分からないけど、目的地についたらしく輸送機は静かに降下し始める。
『佐々木と遠藤は機内で待機だ。絶対に外に出るな』
五十嵐さんの指示は願ったり叶ったりだ。もう今日は指一本すら動かしたくない。
「お疲れさまでした。ここから先は安全地帯です。ベルトを外しますので少しお待ち下さい」
無事着陸してエンジンが静まったタイミングで工藤さんが話しだした。
ナオも立ち上がって生存者たちのベルトを外して回っているようだが、俺は自分のベルトすら外さずに項垂れている。
本当に情けない。情けないけれど、生存者の顔を見たら俺はきっと酷い顔を浮かべてしまう。
生存者全員が機外へ降りたのを確認して盛大にため息を吐いた。
「輸送機に乗ってからどうしたのよ?」
「……正直、かなりシンドかった」
「二人足りないのに関係してる?」
ナオの問いかけに無言で頷く。
「深くは聞かないから一言で」
「工藤さんが感染させた……」
「そんな……」
「そういう決まりなんだってよ。年寄りは感染させるって」
改めて口にすると本当に胸糞悪い決まりだ。
「そんなの!」
「待てナオ!!」
「離してよ! 文句の一つも言わないと気が済まないでしょ!」
「やめておけ佐々木」
激怒するナオの腕を掴み止めていると操縦席から五十嵐さんが現れた。
向かいの席に腰を下ろすと何処からかタバコを取り出し火を付ける。
輸送機の中で吸っていいのだろうか。そもそも自衛隊って禁煙じゃないのだろうか。その辺の決まり事は知らないけど止めさせる理由もない。
「この場所で機外に出られるのは工藤一佐だけだ」
「どういう事ですか?」
「我々は感染者だからな」
「感染させる危険があると」
「そうだ。生存者へ近付く機会と人数は少ないほうが良い」
尤もな話だ。救助に来た俺たちが感染させてしまっては元も子もないない。
そう、元も子もないんだよ……
「イガさんは工藤ちゃんが感染させる事を知ってたの?」
ナオが変なあだ名で呼んでいる。元々年上の男に対してちゃん付けするヤツだったけど、よりにもよって五十嵐さんをイガさん呼びでいくとは怖いもの知らずだ。
「高齢者を感染させる決まりは知っていた。私も工藤一佐も実行した事は無かったがな」
「じゃあ何で今回だけ!」
「落ち着け。今まで六十五歳以上の高齢者なんて生存者にいなかっただけだ」
今の世の中を高齢者が逃げ続けるのは至難だろう。今回のようなケースはある意味で奇跡的と言ってもいいのかもしれない。
だからこそ、救えなかった事実がこんなに重く感じられるのだろうか……




