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昔話を今語る  作者: 多幸
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第一話 玉手箱

今々、あるところに、一人の青年がいました。


その青年は、小舟の上で鼻くそをほじりながら、気の抜けた顔で釣りをしていました。


「……釣れねぇ」


青い空。


穏やかな海。


心地よい潮風。


絶好の釣り日和です。


しかし、青年の釣り竿は、先ほどからぴくりとも動きません。


「…………」


青年は釣り竿を片手に持ったまま、もう片方の手で鼻をほじります。


「おっ……でっけぇ」


どうやら、大物が取れたようです。


「……鼻くそ」


青年は指先についたそれを、しばらく眺めました。


そして――。


「ほいっ」


ぽいっ。


海へ投げ捨てます。


そのときです。


ざぱぁぁぁんっ!!


「おおっ!?」


突然、大きな波が押し寄せ、小舟が激しく揺れました。


「うおっ! 落ちる! 落ちる!」


青年は慌てて船の縁にしがみつきます。


しかし、その拍子に、手に持っていた釣り竿が滑り落ちました。


「あっ!!」


青年の目が見開かれます。


「ちょ、待って! 釣り竿!!」


青年は船から身を乗り出しました。


「俺の三万九千八百円の釣り竿ぁぁぁ!!」


必死に手を伸ばし、落ちかけた釣り竿をつかみます。


しかし――。


「あっ」


どぼぉぉん!!


青年は、そのまま海へ落下しました。


「ぶはぁっ!!」


水面から顔を出し、慌てて小舟へ泳ぎます。


なんとか船の縁に腕をかけました。


「はぁ……はぁ……」


ずぶ濡れになった青年は、釣り竿を握りしめたまま、船によじ登ろうとします。


ところが。


「……ん?」


釣り竿が上がりません。


青年は首を傾げました。


どうやら、釣り糸の先に何かが引っかかっているようです。


「……なんだよ、これ」


青年は釣り竿を引っ張りました。


ぐぐぐっ。


「ぐぬぬぬぬぬ……!!」


顔を真っ赤にしながら、必死に引き上げます。


「お、おもっ……!!」


腕が震えます。


それでも、青年は釣り竿を離しません。


何しろ、三万九千八百円です。


ようやく船によじ登ると、青年は両足を踏ん張り、釣り竿を力いっぱい引きました。


「うおおおおおっ!!」


ざばぁぁぁん!!


水面から、巨大な影が飛び出しました。


どすんっ!!


小舟が大きく揺れます。


「うおっ!?」


青年は尻もちをつきました。


そして、目の前に現れた大物を見つめます。


「…………」


大きな甲羅。


太い四本の足。


長い首。


青年は目を瞬きました。


「……海亀、釣っちゃった」


しばらく呆然としていましたが、すぐにポケットからスマートフォンを取り出します。


「……でっけぇな」


カシャッ。


記念に一枚。


「よし」


青年は満足そうにスマートフォンをしまいました。


そのときです。


「……ん?」


海亀が、大きく口を開きました。


「お?」


ごぼっ。


「……は?」


ごぼごぼごぼっ!!


海亀の口から、何かが吐き出されました。


べちゃっ!!


青年の足元に、唾液まみれの箱が落ちます。


「うわぁぁっ!! 汚ねぇ!!」


青年は思わず飛び退きました。


「なんだよ、これ!?」


箱は海亀の唾液でべっとりと濡れています。


青年は顔をしかめました。


そんな青年をよそに、海亀はゆっくりと身体を動かし始めます。


ずる……ずる……。


どうやら、海へ戻ろうとしているようです。


「……ん?」


青年は海亀を見ました。


そして、足元の箱を見ます。


もう一度、海亀を見る。


「おい、おい、おい!」


青年は慌てて海亀の甲羅にしがみつきました。


「吐いたもん置いてくなよ!!」


しかし、海亀は止まりません。


人間の言葉など、分かるわけがないのです。


ずる……ずる……。


「おい! 待てって!!」


それでも青年は、頑張って話しかけます。


両腕に力を込めました。


「ぐぬぬぬぬ……!!」


大きな海亀を必死に引き止めます。


すると――。


「あげる」


「…………」


青年の動きが止まりました。


「……は?」


今、何か聞こえたような。


青年は海亀を見つめます。


「……お前、喋ったのか?」


海亀は何も答えません。


「…………」


青年は足元の箱を見ました。


「……これ、くれるってこと?」


海亀は、ゆっくりと首を動かしました。


そして、そのまま海へと戻っていきます。


ざぷん。


「…………」


青年は、しばらく海を見つめていました。


「……亀が喋った」


青い空。


穏やかな海。


波に揺れる小舟。


青年は首を傾げます。


「……まあ、いいか。そんなこともあるか」


どうやら、深く考えることはやめたようです。


青年は足元の箱を拾い上げました。


「……うわ、ぬるぬるする。汚ねぇ」


海亀の唾液を拭いながら、箱を眺めます。


古びた、黒ずんだ木箱でした。


表面には、何やら文字が刻まれています。


「……ん?」


青年は目を細めました。


そこには、こう書かれていました。


『玉手箱』


「…………」


青年は箱を見つめます。


「……玉手箱?」


あの昔話に出てくる、浦島太郎の玉手箱。


開けると煙が出てきて、老人になってしまうという――あの箱です。


「……すげぇ」


青年の目が輝きました。


「これは……すげぇぞ……!」


青年は玉手箱を両手で持ち上げます。


「まさか、本物の玉手箱が……! 俺の手に……!」


そして――。


「……って、信じるかぁ!!」


ぽいっ!!


青年は玉手箱を海へ蹴り飛ばしました。


ぽちゃん。


「……ったく、変なもん釣っちまった」


青年は何事もなかったかのように釣り竿を手に取ります。


「さて、釣りの続きでもするか」


こうして、青年は再び釣りを始めました。


めでたし、めでたし。


――おしまい。



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