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傷跡令嬢のリバーシ  作者: ビヨンドほうじ
第二章 黒い招待状
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蛇の招待状

リズは封書をカイルに渡そうとするが、震える指から封書を落としてしまう。

床に落ちた黒い封書は、穏やかな聖域を侵す黒い澱のようだった。


リズは目を見開き、両手で身を抱いて、震えている。

カイルは膝を折り、床に落ちた封書を手に取る。

その名前はカイルにとっても、目にしたいものではなかった。

「ゲセン侯爵……生きていたのか……」

カイルは苦々しい顔をする。

「長い間、臥せっていた……とだけは聞いてきました……」

リズは、血の気の引いた唇で、辛うじて答える。


「どうする……?ゲセン侯爵の動きともなれば、王子に相談しても良いと思うが……」

恐怖に震えるリズをいたわるカイル。

「いえ、私宛の封書ですから、私が読みます……」

そうして目を伏せながらも、震える手を黒い封書に伸ばす。


リズは震える手で封蝋を割ろうとするが、力が入らず、指が滑ってしまう。

見かねたカイルが、

「俺がやろう」

と言って、再び黒い封書を手に取り、赤い封蝋をこともなげに割る。

出てきたのは、二枚の皮紙だった。

リズは大きく深呼吸をすると、背すじを伸ばして、カイルから封書の中味を受け取る。


リズは落ち着いたように手紙を手に取り、注意深く観察した。


すぐに気づいたのは、まるで人の肌のような不気味さ。不自然なほどに薄く、滑らかな皮紙。

リズはその紙を陽光に透かす。血の気の引いた肌のような青白い表面と滑らかなしなり。

「……これは……とても上等な皮紙……犢皮紙(ベラム)ですね……」

生後間もない仔牛の皮をなめして作られる最高級の皮紙。

貴族でもそうは使う機会が無いであろう紙を、ベラムは無造作にも私信に使ってよこしたということだ。

「自分の名前……べラム……にかけているのか……なんとも趣味が悪い話だな……」

意図を理解をすることはできないが、そこにはねめつくような気味の悪さがあった。


リズは意を決して、手紙の本文を読み始める。

その一行目だけでも、ゾッとさせられるものだった。


「親愛なるエリザベス・ルミナ・ド・クロムウェル嬢」


宛先として書かれたリズのフルネーム、それはべラムがリズの出自を把握しているということを示していた。

そもそもこの診療所に手紙を送りつけたこと自体、リズの動向を把握しているという威圧に他ならない。

手紙にはこうあった。

ーー

親愛なるエリザベス・ルミナ・ド・クロムウェル嬢


はやいもので、前回お会いした時より、四季が一巡しようとしております。

麗しき貴嬢におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

花の香りに包まれた健やかな日々を謳歌されていることと、お察し申し上げます。

さて、過日、我が領地にて貴嬢より賜りました「贈り物」について、今一度感謝の意を伝えさせていただきたいと存じます。

貴嬢から賜りました「贈り物」は、私のような凡夫にはいささか過分で、我が身体を深く蝕み、穏やかな日々を取り戻すまでには、いささか苦痛に満ちた時間に耐える必要がありました。

しかし、日頃の信心のおかげか、幸いにも私は回復し、こうしてペンを取れるまでになりました。

つきましては、この再起の喜びを、貴嬢と分かち合いたいと存じます。

ぜひ我が領主館へと足をお運びいただけないでしょうか。

ゲセン家の名にかけて貴嬢を歓待いたします。


敬具

アントラー侯爵ベラム・ゲセン

ーー

表面上は貴族らしくとりつくろった文面。

しかしその背後には黒い執念が渦巻いている。

監視していることをほのめかしつつも、尻尾はつかませないしたたかさ。どこまでもいやらしい招待だった。

「なんだこれは!ふざけやがって!」

カイルは文面を読むなり、激昂した。

「何が歓待だ!罠に決まっている!こんな誘いに乗る必要はない!リズ!」

リズはそれには答えず、ただ2枚目の皮紙を見つめたまま固まっている。

目が泳ぎ、先ほどより動揺しているのが見て取れる。

「リズ?どうした」

リズがカイルに押し付けた2枚目の手紙はたった一行が書いてあるだけだった。



追伸 貴方の「白き本」をお持ちいただきたく。白と黒の会合は貴女にも有意義となりましょう。



カイルには意味がわからなかった。

「白い本?白と黒?」


わざわざ高価な皮紙にわざわざ書かれた一文は、いかにも意味ありげだった。


「白い本は……これのことだと思います」


とリズは診療所のデスクに近づき、その引き出しを引いて、真白い本を取り出した。


「……これは?」


カイルにはその本に見覚えがあった。

忘れたいが、忘れがたい記憶。

6年前、惨劇の夜、カイルを救ったリズが持っていた白い本。

確かに彼女は、あの時、この白い本を持っていた。


「これは……クロムウェル家に伝わる『白い魔導書ブラン』……私の傷を癒やす力はこの本によるもの……です」

カイルは初めて聞く、リズの力の秘密に眉を上げる。


「そして、クロムウェル家にはもう一つの書が伝わっていました。それが『黒い魔導書ノワール』……」


リズは言い難い言葉を紡ぐ。

「ノワールは……あの夜、賊に奪われたのだと思います……それが、ゲセン侯爵の手にあるということは……つまり……」


リズは手近な椅子に力なく座って、うなだれて言葉を続ける。


「6年前、我が家を襲った賊がゲセン侯爵の手のものなのかもしれません……」


リズはそっと目を閉じた。

二人の心中に困惑が渦巻く。

すべての元凶が、あの「蛇」だったとしたら――。

室内に重苦しい沈黙が立ち込める。

カイルは逞しい腕を組み、険しい表情で一点を睨み据えた。

「なんにしても、最悪だ。奴はリズの出自も、この場所も完全に把握している」

リズは項垂れたまま、膝の上で拳を握りしめている。

「ヨハン王子に掛け合って、身を隠す場所を用意してもらおう。こんな狂った招待に応じる必要なんて、どこにもない」

「……そう、ですね……」


気まずい沈黙の時が流れる。

窓の外の小鳥が場違いに平和なさえずりを奏でる。


「……でも……私は…」

沈黙を破って、リズは思いをとつとつと口にした。


「……ベラム侯爵に真相を直接、聞いてみたい……です……」



「そんなことはさせられない!これは確実に罠だ!捕らえられてひどい目にあう!」

カイルは説得するように叫ぶ。


「私は……私の家族がなぜあんな目にあったのか知りたい……です……そうでないと私の時は……止まったまま……です……」


カイルはリズの細い身体を見て、唇を噛んだ。彼女の身体は、同年代の娘と比べてもあまりに細く、華奢だ。その小さな肩に、背負い込んだ重荷はカイルには想像もできない。


「それはわかるが……」


「それに……私は侯爵に謝罪したい……です」


「はぁ?!」

あまりに予想外の言葉にカイルは大きな声を出してしまう。


「ことの経緯はどうあれ、私は侯爵を傷つけてしまいました……」

「いや、あれは奴のせいだろう?!リズが力を使ってなければ俺たち二人の命もなかった!それに6年前にリズの家族も殺されたかもしれない!謝罪の必要なんかない!」

カイルはなおも声を荒げる。


「それでも……私は人を傷つけたくはありません……どんな人でも……」


「しかし……」


お人好しにも程がある……と言いかけて、カイルは言葉を飲み込む。

言っていることは無茶苦茶だがリズの瞳は怯えていない。

いつもは引っ込み思案で流されやすい彼女だが、こういう目をしたときは心を曲げないのをカイルは知っていた。


カイルは溜息をつくと、乱暴に頭をかき回した。

「分かった。だが、条件がある」

「条件、ですか?」

リズが小首を傾げる。

「俺もついていく。そうでないなら……たとえリズを縛り付けてでも、ここから出させないからな」

必死で子供じみた脅しに、リズはくすりと笑った。

「分かりました。でも、またゲセン侯爵のところで暴れたりしたら、また北方に左遷されてしまいますよ?」

際どい冗談を口にするリズの笑顔はあまりに軽やかで、カイルは毒気を抜かれたように顔を緩ませてしまった。

(この笑顔を守れるなら、辺境警護だってやすいものだ)

そう思った瞬間、カイルは自分がまだヨハン王子に帰還報告を済ませていないことに気づいた。

「……いずれにせよ、まずはヨハン王子に相談だ。奴の領地に乗り込む以上、王家の許可がいる」

「うん……そうですね。王子が味方してくだされば、とても心強いです」

「しかし……帰還報告と同時に、こんな面倒な厄介事を持ち込むのも、流石に気が引けるな。まずは俺が帰還報告をしてから……」

「でしたら、私からヨハン王子に直接連絡しますよ」

リズはこともなげに言った。

「……ヨハン王子に、直接?」

カイルの声が、無意識に低くなる。

「えぇ。この一年、よくしてくださっていますし……。お忙しいでしょうに、週に一度は、診療所に顔を見せてくださるんです。お優しい方ですよね」

「週に、一度。」

カイルはボソリと低い声で繰り返す。カイルの脳裏にはヨハン王子の人懐っこい爽やかな笑顔が浮かぶ。ヨハン王子が社交界でどれだけの名を馳せているか熟知しているカイルの胸中に不穏な苛立ちがチクリと立ち上がった。

「優しい……か。あの方は、……恐ろしいほどの人誑しだからな」

カイルの口から漏れ出たのは、言葉を選んだ苦々しい独り言だった。

「え?何か言いました?」

リズが無邪気に問い返す。

「……いや、なんでもない。とにかく、王子に相談しよう」

カイルは、奥歯を噛む音を不自然な笑顔で上書きした。


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