甘い再会と黒い封書
リンッ……
跳ねるようなベルの音に、リズの甘い夢の余韻は破られた。
「ひゃっ……!」
リズはビックリして椅子から腰を浮かして、ドアを開けた人影を見る。
夢の続きのような光景だった。
揺れるドアのベルの下にあの人が立っている。
「リズ……」
低く、けれど、すこし上ずった、愛おしい声。
夢にまで見た――というよりたった今の今まで夢に見ていた声。
その声は一年前と変わらず優しく――その黄金の瞳はリズを真っ直ぐに見つめている。
(あぁ、夢じゃない……夢じゃない……)
「カ……カイル……?」
リズは自身の声もまた上ずっているのを感じる。
夢の中とは違って、彼の姿は旅塵にまみれ、ひげは無造作に伸びた姿。その汚れ具合が、本当にそこにいるという実感を与えてくれる。
「あ……あぁ……」
カイルが声にならない声を出す。
リズはゆっくり立ち上がって、カイルに歩み寄ろうとする。さっきまでの夢のように、彼の腕の中に飛び込んでいきたい衝動に駆られた。
(また夢から覚めてしまったら……)
そう思うと二の足を踏んでしまう。
カイルはリズの躊躇を見越したように、一歩一歩、そっと近づく。
リズは自分の心臓の高鳴りを自覚する。
眼の前にカイルがいる。その思いだけで鼓動はどこまでも速くなりそうだった。
ほんの一歩の距離まで近づいたカイルの目は大きく、スラリとした鼻筋の形もよく見える。
カイルはそっと大きな手を伸ばして、リズの髪に指を入れる。
本来の銀髪に、黒が半分ほど混じったメッシュのストレートな髪束。
カイルはリズの髪を梳きながら、彼女の1年の生活に思いを馳せているようだった。
「また、無茶をしているようだな……」
「えっ……その……これは……」
リズはこの一年で、能力を使った治療をしてきた。
代償として、多くの傷を体中に負い、髪の一部も黒く染まっていた。以前の放浪の旅の果てに比べれば傷の数は少ないが、それでも「傷だらけ」と言われるだけの姿に戻っていた。
「リズ……力を使わずに治療をしていたのでは?」
カイルの言葉にかすかに混じる咎めるような響き。
「えっ……あの……それは……」
リズとしても、できるだけ力を使わずに治療をしたい。だが、その実、能力を使わざるを得ないことの方が多かった。そもそもこの王都には優れた医者がいるのだから、リズが普通に治療する必要はない。
この診療所に来るのは、王都の医者たちがさじを投げたような、傷、怪我、病気。それらを王家の紹介で治してきた。今では王都の医者の間で「奇跡」のように語られる「王都の最後の砦」
それがリズの診療所だった。
ただ、それを北方で一人任務につくカイルに伝えることはできなかった。心配させたくなかったから。
リズがついた小さな優しい嘘。
カイルは、その髪を愛おしく撫でながら、もう一方の手で頬の傷に触れる。
そして、フッと軽く息を吐いて、カイルは頬の傷から手を離す。
「でも、リズらしいな」
カイルは慈愛に満ちた視線で、リズを見つめなおして、ついに帰還の言葉を口にした。
「ただいま。リズ」
「……おかえりなさい」
カイルは、その逞しい両腕でリズの華奢な身体を包み込んだ。
リズの鼻に香るのは、使い込まれた革と布の匂い、そして、その奥にある、ずっと焦がれていた日向の香り。胸の奥からせり上がる熱い感情に、リズの視界が滲む。
「あぁ……カイル……」
リズの声は、彼の胸板に押し当てられて、くぐもって響く。
力強い鼓動が伝わってくる。何度も夢に見た体温。
ずっと、ずっとこの瞬間を待っていた。
カイルもまたリズの背中に顔を埋めるようにして、深く、喉を鳴らした。
リズの頬に、伸びた髭があたる。肌に刺さるかすかな痛みとともに、彼が過ごした一年の重みが伝わる。リズはその愛おしい痛みに反射的に
「痛っ」
と声を出してしまい、カイルはあわてて身を引き剥がす。
二人の間に溜まっていた熱気がふわりと放たれ、気まずさと愛おしさが混ざり合う。
「……ごめんなさい……」
リズが少しだけ残念そうな顔をする。
「いや、いいんだ。こんな格好ですまない」
カイルは旅の汚れを落とすように、旅装のあちこちを手で払う。
「……いえ、無事で戻ってきていただけただけで、嬉しい……です」
リズは頬を染めてうつむきながら言う。
「せめて、旅の汚れを落としてから来ればよかったんだが……少しでも早くリズに会いたくてな……」
カイルから出てきた、飾らない、剥き出しの言葉に、リズの体が硬直した。
「……あっ……あの……少しでも早くって…」
改めての指摘に、今度はカイルの顔が赤くなる。
「いや、その……とにかく、本当に少しでもリズに早く会いたくて……」
取り繕うような口調だけど、言葉は同じ繰り返し。
そこに現れた素直な好意にリズはますます身を固まらせる。
二人の仲に交わされる甘やかな香りが部屋に飾られた金木犀と混ざり、夢のような蠱惑的な芳香となって二人を包む。
「リズ……片時も忘れたことはなかった……」
カイルはリズの小さなキズだらけの両手をそっと大きな手で包み込む。
「……カイル……」
そのまま、俯いたままのリズに覆いかぶさるように近寄る。
リズはゆっくりとその華奢な顎をあげ、カイルの熱っぽい目を見つめる。
クシャクシャに伸びた金髪の隙間から見える黄金の瞳。
リズを暗闇から連れ出してくれた瞳。
その瞳が彼女の心の奥底を熱くする。
二人の距離が熱気と緊張を伴って近づいていく。
リンッ!
とドアのベルが勢いよく鳴る。
「……っ!」
「……ぁぅ」
ドアが開き切る前に、二人は弾かれたように距離を取った。
診療所に入ってきたのは若い配達員だった。
「クロムウェル様、お届け物をお持ちしました」
手に黒い封書を持っている。
二人は気まずそうに配達員から目をそらせる。
「あの……?クロムウェル様?」
冷たいあしらいにとまどう配達員がなおも声を掛けると、リズがおずおずと近づき、無言でうつむきながら黒い封書を受け取る。
「はい。こちらに受け取りにサインを」
リズはやはり無言で書類に、サインをして突っ返す。
紙をはみ出したサインが、彼女の珍しい苛立ちを示していた。
「あ、ありがとうございます」
緊迫した様子に戸惑う配達員は、なんとか場をなごませようと、診察室を見回して、壁の黄色い花に視線を見つける。
「こ……この部屋はなにかいい匂いがしますね。は……はは……」
和ませようとしたその言葉は、かえって、空気の張りを高めてしまう。
リズは顔を真っ赤にしながら、珍しく低い声で鋭く告げる。
「お引き取りください……」
と低い声でつぶやき、手のひらで拒絶の手振りを見せた。
続けてカイルが配達員に近づき、睨みおろして威圧する。
「配達ありがとうございます。ですが、次からはノックをしていただければ」
「えっ?あっ……はい。すいません……」
いかつく凄みのある男のあまりの剣幕に配達員は恐れをなして出て行ってしまった。
カイルはそれを見届けて、ドアをきっちりと確実に閉める。
「……邪魔が入ったな」
いかにも憎々しげに言いながら振り返ると、リズは黒い封書を見て、立ち尽くしていた。
眼は見開き、手は震えている。
異変を感じたカイルは近寄って声を掛ける。
「リズ、どうした?」
リズが震える手で黒い封書を差し出す。
その封書の中央にあるのは禍々しく赤い封蝋。
それはねじれた鹿の角の印で押されていた。
Yの字の形。それはアントラーの領主印。
そして、その下に、金色の文字で、忌まわしい差出人の名前が書かれていた。
アントラー侯爵ベラム・ゲセン
手段を選ばず、あらゆる宝を集めようとする強欲な男。
一年前、リズをさらい、手中に収めようとし、カイルと対決した蛇のように執念深いあの男の名だった。




