王族特使は突然に
王都オムニスの中央にある王宮、その謁見室。
物音一つ立てず壁際に控える執事と侍女たちが見守る中、リズとカイルの2人はいた。
リズは質素なブラウス、手にはいつもの白いフードを抱いている。
カイルはヒゲを剃り、旅の汚れを落としてのこざっぱりとした衣装。
王子は執務机の向こうからリズに挨拶をした。
「リズ、不自由ないか?」
「はい。おかげさまで不自由なく過ごさせていただいています」
カイルは、人見知りのリズが言葉を濁らせずに話しているのを見て驚くとともに、わずかに不機嫌そうな顔をした。
「大過ないようで安心したよ」
王子が爽やかな笑顔のまま、渋面を作るカイルを見て
「それにしても、帰還命令を受け、王都に戻って、私への報告より、想い人のもとに先に駆けつける近衛騎士とは前代未聞だな?!」
と嫌味を言った。カイルはビクリとする。王子が言うのももっともだ。
「そ、それは……っ!」
「近衛騎士殿には、私への忠誠よりも重い『守るべきもの』があるようだ」
「いえ、あの……その……」
「悪いことではないよ。リズも安心したろう」
からかうような王子の視線に、カイルとリズは同時に顔を赤らめ、逃げるように視線を床へ落とす。
気まずい沈黙を破ったのは、王子のシリアスな口調だった。
「さて……火急の用件なのだろう?」
リズは黒い封書を取り出して王子に渡す。
「恐れながらこちらの手紙をご覧ください」
王子は宛名を見て眉をひそめた。
「ゲセン卿か」
すぐに2枚の手紙に目を通す。
「リズ、この手紙にある黒の書とは?」
「6年前、クロムウェル家から奪われた魔導書……ノワールのことだと思います……」
「あの痛ましい事件か……それにしても魔導書をクロムウェル家が持っていたとはな」
「クロムウェル家には代々伝わる一対の魔導書がありました。そのうちの一つがこれです」
そう言って鞄から白い本を取り出す。リズが両手で持って余るようなやや大ぶりの本だった。
「これは?」
「白の魔導書ブランといいます。ノワールと対になる書です」
「なるほど……ゲセン卿がノワールを所持しているということは、卿が6年前の襲撃の黒幕の可能性がある……というわけか」
王子は即座に推測してみせた。
「あまり……考えたくはありませんが、可能性はあると思います」
限りなく黒に近いグレー。そう判断するのが妥当だった。
「やはり、アントラーでとどめを刺しておくべきだった……!」
カイルは血気を露わに吐き捨てる。
「カイル、そんなことをしていれば、お前はこの場にいない。頭を冷やせ」
王子はカイルをたしなめ、リズの目を見て決意を測る。
「わかった。リズ。君はこの招待に応じるつもりだね?」
無言でうなずくリズ。
「間違いなく罠だぞ?」
「それでも、逃げることはできません」
固い決意が瞳を輝かす。
王子は足を組んで思案する。
「とは言え、危険を承知で送り出すわけにはいかないよ」
リズが返す言葉を探すうち、カイルが割って入った。
「この招待は危険です。しかし、私はリズの意思を尊重したいのです……」
「ほぅ?」
王子は眉を上げて見る。
「殿下。私は……近衛騎士の職を辞し、彼女を守り、同行したいと思います」
カイルの必死の願いに、ヨハン王子は溜息混じりの軽口で応えた。
「そう言うと思ったよ。カイル。しかし、お前はリズが出かける度に辞職願を出すつもりか?私は何通の辞職願を受け取ればいいんだ?」
「ぐっ!」
軽くいなされ、ぐうの音も出ずに、拳を握るカイル。
「よい、私とてこのような事態は想定の内だ」
そう言いながら王子は執務机から腰を上げ、玉座に歩み寄った。
「想定のうち?」
カイルが間の抜けた声を出す。
「ゲセン卿の動きもおおよそは把握していた」
「はぁ?」
間の抜けた声を出すカイル。
「ゲセン卿が回復し、暗躍しているという情報が前から入っていてな。調べさせていた。カイル、お前を辺境から戻したのも、卿の動き故だ」
そういうと玉座の背後に飾ってある宝剣に手をかけた。
「でしたら、最初からそう言っていただければ!」
「そう言うな。分からぬことも多かった。だが、この手紙でようやく私のすべきことも決まったぞ」
王子の声音が、ふいに鋭さを帯びる。
「エリザベス・ルミナ・ド・クロムウェル!前へ」
突然の突き放すような呼びかけに、リズの肩が小さく跳ねた。
戸惑いながらもカイルの隣を離れ、玉座の前へ歩む。
冷徹な命令が、いつもは温和な王子の口から放たれる。
「跪け」
命じられるまま膝をついたリズの右肩に、金属の重みが乗った。
抜身の宝剣が、彼女の華奢な肩を平打ちしたのだ。
「エリザベス・ルミナ・ド・クロムウェル。アントラー侯爵ベラム・ゲセンの真意を明らかにすべく、貴嬢に王族特使の任を与える――この剣は、我が意志そのもの。貴嬢を傷つける者は、この国を、そして私を傷つけるのと同義であると心得よ」
リズはその重みが、ただの剣の重さではないことに気付いた。
「……っ!」
それは、この国そのもの重みであり、ヨハン王子の信頼の証の重みでもあった。
リズは重みの前に言葉を失った。
「クロムウェル嬢。拝受の意思を問う」
「……王族特使の任、謹んで……お受けいたします……」
顔を上げたリズの瞳には、迷いはなく、静かな覚悟の火が灯っていた。
「よし。これでリズは王族特使だ。そうなれば、相応しい格好をしてもらわねばな」
途端に相好を崩した王子は、立ち上がり指を鳴らす。
「皆、準備はいいな?かかれ!」
猛獣使いのように指示を下す。
「は!」
謁見室の壁際で待ち構えていた侍女たちが、獲物を捕らえる肉食獣のような素早さでリズに襲いかかる。
「殿下!?これは?!」
「あ、あの、うわわわわ……っ!」
カイルの制止とリズの悲鳴も虚しく、彼女は別室へと連れ去られていった。
数十分後。
再び開かれた扉から現れた「王族特使」の姿に、カイルは魂を奪われたように立ち尽くした。
「……綺麗だ」
カイルは思わず言葉を漏らした。
きらめくほどに真っ白な騎乗服。
王家の儀礼用に誂えられた純白のロングジャケット。
ゆるくまとめられた白黒のメッシュ。白い長手袋はその指先を、編み上げのハイブーツは足元を隙なく守り、二重のベルトで締められた黒のレギンスと白いプリーツスカートはリズの清廉な美を飾る。
うっすらと施された化粧は、傷を隠さないながらもリズの端正な輪郭を際立たせ、白い衣装に映える鋭く引かれた紅色の口紅は、彼女の決意を表していた。
カイルはその一筋の紅色の線に、喉が渇くような衝動を覚えた。
「リズ、こちらへ」
王子が彼女の肩に、黄金の縁取り刺繍がついた黒のサッシュを優しく掛ける。
「よし!これで誰がどう見ても王族特使だ。ゲセン卿も、易々と手出しはできない」
呆然と見惚れたまま動けないカイルの耳に、王子の大声が飛ぶ。
「――そこで鼻の下を伸ばしている近衛騎士カイル・ケストラ!貴様もこちらへ来て跪け!」
慌てて膝を突き、居住まいを正すカイル。
「近衛騎士カイル・ケストラ。貴殿に王族特使エリザベス・ルミナ・ド・クロムウェルの護衛任務を言い渡す」
カイルの唇は即座に、歓喜に満ちた覚悟を刻んだ。
「謹んで……拝命いたします!」
「拝命、大義である。しかしこれは困難な任務である。改めて騎士としての覚悟を問おう」
王子の鋭い視線が射抜く。カイルは片膝を立てたまま、リズに向き直り、彼女の手を――白手袋に包まれたその小さな掌を、壊れ物を扱うように、けれど力強く握りしめた。
「カイル・ケストラ。この命を賭して、レディ・クロムウェルを守り抜くことを誓います」
見つめ合う二人の視線が重なる。
「あっ……ありがとうございます……」
真白い儀礼服の淑女に傅く騎士――まるで絵に描いたような光景をヨハン王子は満足げに見ていた。
リズを飾り立てた侍女たちもうっとりとして見つめている。
部屋中から集まる視線に気づいたリズは、その視線から逃げるようにトタトタと小走りで部屋の隅に歩み寄り、いつもの白いローブを拾い上げ、
「あっ……あの、とても素晴らしい服でありがたいのですが……恥ずかしいのでローブを羽織ってよいでしょうか?」
と言うが早いか、ローブをかぶって真白い儀礼服を隠してしまった。白いスタンドカラーと胸元に平打の金ボタンだけがローブの隙間から覗く。
「うーん残念!なぁカイル?!」
王子はいたずらっぽく笑いながら振り返って同意を求める。
「いえ、あの……自分は残念とかそういう……」
赤面してしどろもどろになったカイルを放って、王子はリズに向き直り、
「でも、ゲセン卿の前では必ずそのサッシュをつけておいて。それだけは頼むよ」
ヨハン王子は真顔で釘を差した。




