表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傷跡令嬢のリバーシ  作者: ビヨンドほうじ
第一章 傷だらけのリズ
4/30

傷跡令嬢のリバーシ(1)

ベラム・ゲセン侯爵邸の豪奢な応接室に、リズは座っていた。

テーブルには、贅を尽くした料理が並んでいる。

だが、リズは冷え切った目でそれらを見つめていた。


「そうおびえずともよいでしょう。私は、自分の宝は大事にする性質でね」


向かい側に座るベラム・ゲセン侯爵は、ガーネット色のワインを揺らしながら、リズを値踏みするように見つめる。リズはこの男に所有物のように見られていることが、嫌でたまらない。


ベラムは上機嫌で持ちかける。


「その力で商売をしてみませんか?金持ちの貴族連中が列を成すでしょう」


リズは沈黙のまま、拒絶の視線を返した。


「どんな金持ちも、自らの健康のためにはすべての財を差し出すもの。あなたの力にはとてつもない価値があるのですよ」

「私はこの力を金儲けのために使おうとは思いません……です」


熱っぽい勧誘を、リズは震える声で切り捨てた。

ゲセン侯爵は心底理解できないといった風に、大仰に肩をすくめてみせる。


「何故だ?金には苦労しているように見えるが?」

「貴方のような方に、分かっていただこうとは思いません!」

侯爵が冷笑を浮かべ、沈黙の時が流れた時、遠くから怒号と金属音が響き渡った。

「何事だ」

問いに答えるように、老執事が転がり込むように入ってきた。

「も、申し訳ございません……何者かが襲撃を……!単身のようですが、兵が押されており……」

その言葉が終わるより早く、応接室の扉が大きな音ともに蹴破られた。

「リズッ!!」

現れたのは、鬼気迫る表情を浮かべたカイル・ケストラ。手に握られた大剣はおびただしい血に濡れ、彼自身の身体にも無数の切り傷が刻まれている。

口を覆った両手の隙間から、リズの叫びが漏れる。

「カイル……!なぜっ……!」

鬼神のようなカイルの表情が一瞬緩む。

「リズ……」

だが、すぐに険しい顔を取り戻し、侯爵に告げる。

「アントラー侯爵べラム・ゲセン!リズを返してもらおう!」

「やれやれ何という野蛮な闖入者だ。無論、お断りする」

「……力ずくでも、返してもらう!」

カイルが剣を構え直す。

侯爵は落ち着き払った動作で腰を上げ、あざ笑うようにカイルへと近づいていった。

「困りましたな。これでは交渉になりませんな……」

「貴様と交わす言葉などない!」

カイルは数歩先に対峙する侯爵に言い捨てる。

侯爵は呆れた風に肩をすくめ、手をだらりと下げる。

「なるほど。ですが、私は彼女の力に惚れ込んでいましてね。……ちょうどいい。彼女の力がどれほどのものか、実験に貴方に協力してもらうとしましょう」

「何を――」

侯爵の手がジャケットの懐へ滑り込み、鈍く光る金属の塊を取り出し、その筒先をカイルに向ける。

そして耳をつんざくような音が応接に鳴り響く。

カイルの身体が、後ろに大きくのけぞった。

「私は珍しいものに目がなくてね……これは『銃』……西方で開発されたホイールロック式拳銃と言います」

硝煙が漂う中、侯爵は細かい装飾の銃を見せびらかした。

「あ……が……っ」

カイルの厚い胸板から血が噴き出し、彼は重たい音と共に、仰向けに絨毯へ倒れた。

「カイルーーーーーッ!!」

悲鳴とともに、リズはなりふり構わず彼のもとへ駆け寄った。

「この国では見ることのできない珍しい武器です。

 貴重な弾丸を使ったのです。それにふさわしい光景を見せていただきたいものです」

蛇のような男は酷薄な笑みを浮かべ、指揮者のように優雅に手を広げる。

「さて、貴女の『奇跡』……再び見せていただきたい。どうぞ、その男の命の灯が消え果てる前に」

「はぁ、っ……や、やめろ、リズ……。もう、傷つく必要は、ない……っ」

溢れ出る血を吐き出しながら、カイルが弱々しく手を伸ばした。

リズはその手を両手で握りしめ、必死に首を振る。

「喋らないで、カイル!すぐに、今すぐに治しますから!」

「いいんだ……俺はもう一度、リズに救ってもらった……」

「!?」

リズは目を見開いた。

「……あの時、俺を救ってくれて……ありがとう……」

不意に落ちた感謝の言葉に、リズの思考が止まった。


「知っていたの……!?」

「もちろん……」

カイルの瞳には、長年にわたって積もった感謝と愛情の灯があふれていた。

カイルは震える手でそっとリズの左目の傷を撫でた。

「ずっと……伝えたかった……俺の想いも……生きていてくれてよかった……ありがとう……リズ……」

「カイル……っ!」

リズは零れ落ちる涙を拭いもせず、彼の胸に両手を当てた。可憐な唇がきつく引き締められる。リズの祈りに応えるように、両の手から濃い黒の塊が溢れ出した。

ドロリとした塊が、カイルの分厚い胸元を素早く包み込む。

「やめろ、リズ!これ以上……君が……苦しむことはない!」

カイルは必死にリズの腕を押し戻そうとする。

だが、リズの決意は揺るがない。

「私が救います!」

赤い火花が散り、黒い塊が宙に浮く。

その禍々しい塊は、リズの胸元へと吸い込まれ、彼女の柔らかな肌を赤黒く苛んだ。

「う、あぁ……っ!!」

リズは痛みに身を震わせ、肩で息をする。だが、かろうじて崩れ落ちるのを耐えた。

荒い息をこらえながらも、傷だらけの手をカイルの胸に触れ、指でそのたくましい胸板をなぞる。先ほどまであったむごたらしい銃の傷は消えている。指に伝わるのは、力強い刻まれる鼓動。

「リズっ!!」

「良かった……」

リズは、カイルの無事を確認したことで緊張の糸が切れ、その場に倒れ込んでしまった。


「すばらしい!実にすばらしい!」

高価な銃を弄びながら、ベラムがゆっくりとリズに歩み寄る。

「瀕死の重傷さえ瞬時に癒す。戦場においても、政治の場においても、この価値は計り知れんな……これほどの宝が手に入るとは……良い夜だ……」

ゲセン侯爵が喜悦の笑みを浮かべ、弱り切ったリズの手首を乱暴に掴み上げた。

瀕死の重傷を吸い取ったリズ。

その目は光を失い、体は人形のようにだらりと垂れ下がる。

黒いローブとバサリと垂れる黒髪が、死の影を落としているように見えた。


「リズ!」

カイルの顔が絶望に凍り付せながらも、立ち上がる。

「これはまたとないコレクションだ!我が宝にふさわしい!」

リズの容態を気にもせず、賞賛する侯爵の酷薄な声が部屋に響く。

「貴様!」

カイルが食い殺さんばかりの勢いで侯爵ににじり寄る。

だが、侯爵は左手でリズの腕をつかんだまま、銃を再びカイルの胸元に向ける。

「2度も撃たれるつもりか?次は治るか分からんぞ?」

カイルは苦しげに銃口を見つめる。だが、その視界の端にきらめくものがあった。侯爵に腕を掴まれたままのリズの目が光を取り戻していた。

(リズ……!!)

カイルは泣きそうな目でリズの瞳を見つめる。



(あぁカイルが無事で良かった……)

混濁する意識の中でリズは思った。

でも、カイルはまだ苦しそうな顔をしている。

何故だろう?

暗くなりかけた視界を上に振り、侯爵に向ける。

そこには再びカイルに向けられた銃口があった。

それを見た瞬間、リズの意識は泥濘から引きずり出された。


(カイルが危ない!)

リズの心の奥底に光が灯る。

(カイルを……私の大事な人を……これ以上、傷つけさせはしない)

心に灯った思いはみるみる、膨れ上がっていく。


普段は夜の海のように穏やかなリズの目が、熱を持ち、猛り狂う。

嵐と踊り狂う波濤のような激情。


リズはすっくと立ち上がり、掴まれたままの腕に力を入れ、逆に侯爵の手首をつかむ。

「もう立ち上がれるのか?!素晴らしいな!」

カイルに銃を向けたまま、なおも喜悦の表情を浮かべるベラムの表情を見て、リズは自身の心の鎖を断ち切った。

「……貴方だけは……決して……決して……許しませんっ……!」

リズの叫びが、周囲の空気を拍動させる。

そして、彼女の全身を、顔を覆う、ありとあらゆる傷跡――切り傷、ネジくれた古傷、刺されたような痕――そのすべてが、赤黒い光を放ち始めた。黒いローブがその不思議な光にあおられる。

「な、何だ……これは!?」

不可思議な現象に、侯爵がたじろぐ。

「コンウェルシオ・マキシマ……」

リズが古く失われた言葉を小さく口にすると、彼女の肌の上で、傷跡がミミズのように蠢き、這い回り、集い始めた。それらはどす黒い血の色の蛇となって、リズの肌を駆け巡り、浮き上がる。その線は、赤色から、漆黒の線となり、螺旋となって彼女の体の周囲に舞い、包み込むつむじ風へと変貌する。

リズは仇敵の腕を力いっぱい掴んで叫ぶ。

「……『リバーシ』!!!」

リズが、自身で絶対に使うことがないと思っていた力の名前。

全ての傷を反転させる力『リバーシ』


螺旋の速度はみるみる増し、黒いローブをはためかせる。黒く、禍々しいその風は、風切りの音さえも響かせつつあった。その風は、リズが引き受けてきた傷そのもの。黒いつむじ風はローブの、リズの髪の黒色をも吸い取り、より濃い漆黒の螺旋を形作る。積年の幾千もの傷が黒いつむじ風となって、ゲセン侯爵の体に襲い掛かる。

「ぐ、あぁぁぁぁっ!」

侯爵の悲鳴が轟いた。リズがこれまで吸い取ってきた数々の傷そのものが、襲い掛かったのだ。男の皮膚という皮膚に、切り傷が、刺し傷が、裂傷が、火傷が、あらゆる傷が無数に刻まれ、鮮血を撒き散らしていく。

つむじ風が過ぎ去った後、そこには変わり果てたゲセン侯爵の姿があった。

贅を尽くした衣装はズタズタに切り裂かれ、その下にあった潔癖な肌は、ありとあらゆる醜い傷跡で埋め尽くされている。全身から血が噴き出し、白目をむいて、あお向けに崩れ落ちた。

そして、暴風が止んだ中心に、彼女は立っていた。

カイルは息を呑むのも忘れた。


そこにはもう「傷だらけの黒い魔女」はいなかった。

彼女を呪縛していたどす黒いローブは、祝福された花嫁のケープのようにまばゆい白を放つ。

その光のローブからこぼれるのは、天界の糸を織り上げたような白銀の長髪。

窓から差し込む月光をきらめかせ、微かに残る風に揺蕩う髪は、滑らかに空を撫でる。

肌を覆っていた古傷は、跡形もなく、白磁を磨き上げたような滑らかさを取り戻し、月の光を透かす。

そこに差した淡い桃色の血色は、儚げな、そして芯のある美しさを湛えていた。

ゆっくりと、長い睫毛が震え、その瞳が開かれる。

潰れていたはずの左目には、夜の海を封じ込めたような瞳が宿っていた。

右目の輝きと共鳴し、その双眸が時を止める。

指先の一つ、睫毛の一本に至るまで、穢れのない完全無欠の美。


――エリザベス・ルミナ・ド・クロムウェル

慈悲に輝く銀白鉱。

彼女の令嬢としての名通りの、本来の姿だった。

リズは、ほぅと一息を漏らすと、そっと自身の白く輝く両の手をみやり、そして、カイルへと、穏やかな微笑みを向けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ